三十七話 アグリカ城塞都市の依頼
宿屋の外に出た俺は、巨大な壁に囲われる街を徘徊し始める。太陽が真上にある事から、今が昼辺りであると分かった。
街の中心に向かえば大地図の一つや二つぐらいあるだろう。
腰に付けていた短刀が無くなっている事を思い出して俺は、少しだけ寂しくなる。
街は石畳りの道であった。全てを見たわけではないが、そのほとんどは土の感触を伝えてはこない。
簡単な天幕で作られた露店が立ち並ぶ広場を抜けると噴水が見えた。といっても、水はほとんど流れていないが。
街灯を思わせるただの木の棒が見える。それの他に、大きく目を引く看板。予想通りに地図が貼られていた。
一つは街の地図。他には大陸の地図。とりわけ、西側だろうか。クソ、地理の勉強をもっとやっておくべきだった。
眉間に皺を作りながら、俺はルートを組み立てた。地図上に指を這わせて、今いるこのアグリカ城塞都市から線を引く。
サリヴェス王朝までは馬車を使えばそう遠くはない。
それに、ここは人の出入りが激しい。乗合いの馬車などすぐに見つかる。問題は金だ。
何度も乗り継ぐ事は初めから予想していた。だが、あの男たちにくれてやった銀貨に銅貨が痛手だ。
少なくともこの街で、数週間ほどは稼ぐ必要がある。
思いつくところでも、装備代に食費。宿泊費や雑貨代もかさむ。
出費は積もり積もっていくだろう。
それならばまずは冒険者ギルドで仕事を見つけるか。割りのいい依頼があればそれを受けよう。
街内部の地図を読む。
「ギルドは……反対側かよ。クッソ、離れに宿なんて建てやがって」
毒づく俺に近づく人影。肩を叩かれてようやく気がついた。他の旅人の邪魔でもしていただろうか。
振り向いて謝罪し、俺はその場から去ろうとする。
「ギルドに行くつもりか? お前、もしかして冒険者なんだな」
「えっ。ああ、そうだ。駆け出しだけど」
「そうか……いや、すまない。冒険者なら依頼があるんだが、駆け出しに任せるのは荷が重いからな……」
この街を守る兵士の一人。だが、頭に被る兜も身に纏う装束も、入り口で見たどの兵士とも違う。
唯一同じ点を挙げるならば、背中に槍を背負っているところだろうか。
だがこちらも、幾分も上等な作りをしているように感じられる。
槍から、何か強い魔力を感じるのだ。
「そこまで言われたら興味も湧くってもんです。何か、手伝える事でもありますか? 話だけでも」
色の鮮やかな鳥の羽が付いた兜を被った男は、俺の問いに悩む。末に出した結論は至極真っ当だった。
「そうだな、話だけでも聞いてくれるか?」
「もちろんですとも」
「実はな、南門をここ数週間封鎖してるんだ。魔物が出てしまってな。平野や草っ原で出たのならまだ良かったんだが……」
「というと、何処に出現したんです?」
「堀の水中だ。あそこに出られると、中々手出しできなくてな」
「水に潜ればいいじゃないですか。一人二人で討伐するわけでもないでしょう?
地上の兵士と水中の兵士で分かれたら楽に討伐できるんじゃないですか」
その言葉を聞いた男は心底呆れた顔をして言った。
「南側の水はかなり汚れているんだ。あっちは住民が固まっているし、何より水が溜まっちまう。北側が上流になってるんだ」
「つまり汚いから誰も入りたがらないってことか……でもそこには魔物がいる」
「ああ。だから封鎖するしかなくてな。『極意の魔法使い』でも訪れてくれれば、楽に水を浄化できるだろうが」
なるほど。つまりは汚い水を好む魔物が住み着いて、危険だから封鎖しているのか。
「ちなみに、依頼料としてはどの程度なんです?」
「銀貨を六枚、銅貨を六十三枚だ」
「うーん、銀貨七枚になりませんか?」
「七枚だと? ならん」
「ですが銅貨の量が多すぎませんか? それじゃあ、誰も持ち帰れないですよ」
「一理ある。が、銀貨七枚は難しい」
「このまま街の門を一つ封鎖し続けるんですか? 南側には住民が多い。なら、商売もなかなか賑わっているのではないですか。
せっかくの商機、逃がしたい者は少ないでしょうがね」
そこまで言うと男は考え込む。顎をさすりながら思考に耽る。瞳まで閉じて考え出す。
「ふむ……いや、わかった。銀貨七枚出す。その代わり、一週間以内だ。もちろん俺も力を貸す」
「ちなみに、その魔物の種類、規模、生息条件などは分かりますか」
「汚魚と呼ばれる魔物だ。規模としては、十匹以上はいる。普段は澱んだ川とか沼に生息してるんだが、流れに乗ってやってきたのかもな」
「分かりました。この依頼、受けます。準備が整い次第連絡します。その際、どうやって落ち合います?」
「手紙を出せ。兵士に渡して、私の名前を伝えるといい。『ゲルニカ宛の手紙』と言えば、伝わる」
そうして俺は、ゲルニカから依頼を受けた。最後「駆け出しの冒険者には厳しいかもしれんが頼む」と言われる。
その後ギルドに立ち寄った俺は、汚魚の情報を集める。
受付嬢に魔物の手記を借りるとページを聞き出し、それを読む。
「汚魚は基本的に群れで行動するようです。一つの獲物に、何十匹と噛み付いて捕食するのだと」
「ずいぶん物騒な魔物ですね」
「ええ。魔物と呼ばれてますからね」
そんな魔物は、下位:上等の危険度らしい。初心者には少々難しいが、引き受けた以上なんとかするしかあるまい。
歩いた道をまた行くのは、なんだか面白味がない。何処にでも存在する少し暗い場所。家々の間である小路地に入ってしまうのは、俺の性らしい。
走り回る子供に、ボロを着た浮浪者。井戸端会議をする婦人連中など、そこには生活があった。表通りと大した変わりがない。
露店や商人が少ないなどの違いはあるが、まあ、その程度だ。
そんな中、俺は異質な存在を目にする。
壊れた家屋に塀。もはや家の痕跡でしか無いそこに佇む一人の女。
水晶玉を抱えて目深にフードを被っている。怪しさ満点な占い師と言った所だ。
ふと目が合う。だがその女は、他の利用客を接待中で俺から直ぐに視線を外す。俺も、そこから早く退散する。
絶対に関わるべきでは無い存在だ。少なくとも、俺に幸運をもたらすような人間でないのは明らかだ。
宿に戻ると先にやったのはゲルニカへの手紙を書く事だった。数日後に渡す予定だ。今は、汚魚の特徴やそれに伴う作戦を考えている。
椅子に座って机の上を見つめる。
それにしても、本当に日光の入りが悪い。部屋を変えてもらうか。そうすれば、トリナをここに置いていける。正直言ってトリナと一緒にいなければならない理由はない。
それに俺は善人じゃない。多少、この世界では善性が強いだけ。だがそれも、現代的な感性を持ったゆえの弊害でしかない。
こんな事を—行きずりでの”協力”なんて—していたら、いつ背中を刺されることか。
そうだ。俺の知ったことではない。
部屋を出ようと立ち上がると、不意に目に入ったのはベッドで横になったトリナの姿。
呼吸で毛布が持ち上がったり下がったり。
「どうするべきか。水の中で息が出来たらな……」
無駄な思考にかまける余裕は、いつだってない。今は依頼の事だけを考えておこう。
その呟き声は、過酷な環境で生きてきた少女にとって目を覚ますのに、十分だったようだ。
「帰ってたんですね。あの、ご飯って……どうなるんですか?」
瞼を擦らながら起き上がるトリナが、そんな寝ぼけた言葉を口走る。呑気だなと思いつつ適当にあしらう。
「金ならあるだろう。それで適当に見繕って、好きな物を食べるといい」
「あの、あなたはどうするの?」
「俺はもう食べた。別に、一緒に食べる必要も同じ物を食べる必要もないだろ」
「そう……ですか」
「お前な、俺は家族じゃないんだぞ? お前と俺は、ただの協力者だ。それも一方的な。
許されてる範疇の自由なら、別に侵害しようとも思わない。だから適当に食べておけ」
トリナは何かを言いたがるが、俺はそっぽを向く。誰が何を食べるかなど、どうでもいい。
そのはずだ。
なのに、何故今更、アリス達との食事を思い出すのだろうか。
それから思い出を眺めたくないため、俺は眠りにつく。
数日経ち作戦も固まった頃、ゲルニカへの手紙を兵士に預けた。
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