三十五話 高い壁の向こう
俺は馬に、少女の背後に乗った。馬の操縦を任せっきりだった。
それなりの距離を走ったはずだ。が、まだ夜は明けていない。
今は徒歩で道を歩いていた。途中、意識を失った少女に代わって馬の機嫌をとりつつ走る事は出来なかった。だからこうして歩いているわけだ。
件の少女はというと馬の背中に乗ったまま。寝かせるようにして、極力速度を出さないようにしていた。
馬の方も、背中に人が乗っていると走りづらいのか、ノソリと歩いていた。
人を殺した感覚から救われる事はない。脚の震えがまだ続いているのだ。
極度の緊張と疲労もある。だが、それ以上に精神の面が大きい。
心の疲れはそのまま表層化してしまうらしい。なんだか俺も、眠たくなって来た。
もう少し歩いて街が無かったら、もういっそ、林の中で眠ろう。
死体だと勘違いされて追い剥ぎもされないかだろう。だって側から見れば俺は、一文無しの浮浪者だから。
問題ないだろう。
そうしてもう少し歩いたらというのを逐一、更新していく。すると朝日は昇りきってしまった。いつの間にか、景色も変わっていて生い茂った木々は見えない。
様々な生き物の走り回る平野だった。どこまでも、なにもない緑の絨毯。道なりに進み続ける。
すれ違う人間も馬車も、その数が段々と増えてくる。もしかすると、この先に街があるかもしれない。
そんな希望は俺の足取りをいくらか軽くしてくれる。
そして展望通り、俺はようやくその入り口を発見した。
橋が掛かっている。高い城壁に囲まれたそこは、もはや街と呼んでいいのか分からなかった。仰々しいその壁は砦を彷彿とさせる。
想像が現実であると知ったのは、橋の下を覗いた時だった。正確に言えば城壁を囲う塹壕のような穴を見たからだ。
幅がいくらあるか分からないが、かなりの広さだ。それに加えて水が張られている。どんな手段を用いたのかは知らないが、城壁にそって窪みとなったそこは湖のようになっている。
気のせいかは分からないが、水の濁りがかなり深い色をしている。
目の前にゴールがあるのに石造りの橋は長い。もう少し簡単に、短くは作れなかったのだろうか。
そんな愚痴を頭に浮かべながらも、高い高い城壁の奥に進もうと躍起になる。
門の前まで来ると門兵に止められる。
「ここには何をしに来た? それと、あんた魔族じゃないだろうな」
「冒険者だ。この街には、たまたまたどり着いた。元々サリヴェス王朝に向かっていたんだが、補給が必要だからな」
首に掛け、冒険者の認定票を見せる。果たして効果は有るだろうか。
平たい鉄兜を持ち上げると、ペンダント型にしたそれを見る。
「E級か。駆け出しってとこか。まあなんだ、何かあれば聞けよ?
若者が進んで命を落とすのは、教義に反してる」
「そう言ってくれるとたすかる。それで、街には入っていいのか?」
「もちろんだ。ここで休んだでいけ。それと、簡単な依頼で経験を積むんだ。まずは小さい事からコツコツと続けていく。
それが、成功の秘訣だ」
頷く門兵は、俺にアドバイスのいくつかを授ける。少しの好奇心が湧いた俺は質問をしてしまう。
「元冒険者なんですか?」
「ああ。C級だったんだが、ここの門兵をやってた方が性に合っていてな。今じゃあ、子どもも三人いるんだ」
自らの幸福を語る。ここは、安全で平和な街なのだろうと思った。でなければ笑顔はないはずだ。
会話もこの辺にして俺は馬を引いて街の中に入る。すると、先ほどまで愛想よく話し込んでいた門兵が俺を止める。
「馬の背中にいるのは……人か? それも子どもと…………」
「仲間です。道中、盗賊に襲われたものですから疲れて眠ってしまって。しかし困った。
俺にはどうしても乗馬が出来なくて。いっそに荷物持ちをしてもらおうと思ったんです」
訝しむ視線は俺を突き刺す。事実と虚構を織り交ぜた会話術。持論だが、嘘を吐くときは事実の割合を気持ち多めにする。そうすれば、自然な”事実”に聞こえる。
本当にあったんだろうなって思わせる事が出来るわけだ。
現に門兵は、怪しむ瞳はそのままだが警戒を解除している。
「そういうことか。ここら辺は、森もある。魔物も多いからな。そのせいで野生動物も家畜も、おちおち外で生活できん。気を付けるんだぞ」
「ええ、時間を割いていただいてありがとうございます。それでは、俺は良い宿屋で酒を貰いますかね」
冗談を言って場を和ませると、俺はついに高い高い城壁の向こうへと姿を消す。
それからも門兵は、橋を渡って訪れた異邦人を観察し、歓迎するだろう。それが彼に課せられた使命なのだ。
城壁の向こう側は予想通りに街である。多少予想と違うのは、ここにも兵士がいるという事。しかももかなりの数だ。
剣や槍やら物騒な物を抱えた鎧を纏う人々が、闊歩しているのだ。子供や女性もいるが、街の中という環境でなら兵士の方に目がいってしまう。
「宿屋ってありますか。馬を休める場所も欲しいんですが」
「ならあそこしかないな。東側の門の近くにある、古い宿だ。あそこは人が泊まらねえ。
けど馬小屋があるからな。汚ねえ店だが」
道端に座り込んで休んでいた兵士に聞いた。すると彼は東側に行けと教えてくれる。
それに従って歩くと、一つのボロ宿を見つける。
宿に入って部屋を借りたい旨を伝える。年老いた店主は、こんな店に来たのは何かの間違いだとでもいうような視線を見せる。
「外の小屋に馬を繋いでおきます。鍵はこれになる。代金を払ってくれ」
銅貨数枚と鍵を交換して、俺は宿の一部屋へと入る。
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