三十三話 神様との邂逅
揺れる馬車の中で、俺は眠っていた。スプリングも何もない。地面を走る衝撃は直に響いてくる。
そんな中でも眠っていたのは、眠らなければいけないからだった。
いかに偽ろうとも生きている限り、睡眠というものは避けて通れない。
硬い座席に座ったら、自然と瞼が落ちてきた。
そして夢の中、俺はあの形の定まらない靄のようなナニカと会話をしていた。
「こうして夢を見ると、いつも会うな。お前は何者だ?」
『何度でも言うけど、僕の正体なんて重要じゃない。重要なのは、君がどう捉えるかだ』
靄の奥には人がいるのか。それとも何もないのか。それとも俺の理解が及ばない、形容不能な存在なのか。
「だから何度も聞いている。お前の存在、正体は、俺にとって不安の権化だ。お前がいる限り、俺は安眠できない」
ため息のような声が聞こえる。そんな態度を取りたいのは俺の方にも関わらず、靄は自分勝手に振る舞う。
『神様だよ。君たちの云う、神様だ。どうだい? 満足かい』
「俺達をこの世界に転移させた奴か? それとも無関係か」
『君たちをこの世界に連れて来たのは僕だ。目的は、初めに言った通りさ。
この世界を救って欲しい……ってね』
「本当の目的はなんだ。謎かけをするつもりはない。だから教えろ」
ここは俺の夢だ。つまりは俺の世界。どれだけ無礼を働こうと、神を名乗った奴の世界ではない。
『面白そうなものを見たいんだ。それに理由はない。それと、世界を救って欲しいってのもあながち間違いじゃない』
靄は体を動かしながら話す。どこが胴体か分からないが、くゆらせている。
『”万象眼”がそう言っていたんだよね。転移者なら、円環を壊せる可能性があるって。
それより面白そうだから手当たり次第に転移させただけなんだけど』
「つまり、俺達はお前の道楽のためにこの世界へ呼び出されたってわけか?」
『そう聞こえた? 嫌だなぁ、そんなわけないだろう』
ケタケタと笑うような、いやらしい言葉の使い方。俺は神を自称するコイツに我慢の限界だった。
立ち上がり、殴りかかる。そこで気がついた。俺の体はここでは機能しない。
腕も脚も、動かない。正確に言えばそもそもが無い。体という概念が存在しない。
そこにあるのは、おそらく俺の意思そのもの。体という制約がなくなり、魂のみになっていると言ってもいい。
「どうなってんだこりゃあ……」
改めて自分の体を見た。けれどそこには何もない。俺は動けなかった。
『とにかくさ、良かっただろう? 僕の言った通りに進むんだから』
「お前は人の心の隙間に付け入るだけだ。それだけで、何かやったつもりか? 何かになったつもりか?」
『挑発かい? 全然効かないよ。だって君、今の所僕の言った通りに進んでいるからね。
ははっ、君たち人間は、面白いねやっぱり』
早く意識が覚醒しないかと願う。これ以上、この存在と会話を交わした所で得られるものなどない。そう願うと自然に俺の意識は体へと戻っていった。
瞼を開く。すると目の前には何者かの腕が伸びている。顔を上げてみると目が合った。男は動きを止めて考えているようだった。
気まずい空気だ。相手が何をしようとしていたのかは、大体見当がつく。金を奪おうとした。それか身ぐるみの内いくつかを拝借するつもりだったのだろう。
「金が欲しいのか? 残念だが、俺はただの旅人だ。金目の物はおろか、銅貨すらロクに持ってないぞ」
「そ、そんなわけないじゃないですか旦那。
ほんの冗談ですよ」
こちらの懐に入り込むように媚を売る男。俺はそんな、目の前の哀れな男に興味はない。
他の乗員を眺める。
少女が一人に屈強な男が二人。
俺の左右を囲うように座るのが、前述の屈強な男連中。ここで争うのは得策ではないと分かった。
できるだけ、相手の要求に従うフリをしよう。大丈夫だ。銅貨は盗られても大した痛手にはならない。最悪、風属性の魔法で左右の男を二つに分けてしまえばいい。
揺れる馬車の中。俺は相手の出方を伺う。
「でもね……ちょーとばっかり金が欲しいのは本当なんですよ、旦那。
分かるでしょう? お互い、荒事は好まないでしょうから」
不敵な笑みで俺に笑いかける。「お前を殺せたのにそうしなかったぞ」とでも言いたいのだろうか。
残念だが、それは何の交渉材料にもならない。
今の俺に、脅しと情けはあまり意味を成さない。
「言ったはずだ。金目の物なんてほとんど持ってない。それでも欲しいのなら、なけなしだが銅貨がある。これで満足してくれ」
腰に括り付けた包みから、数枚の銅貨を取り出した。勿論、雑嚢には銀貨が数枚だが入っている。だが、この男どもには贅沢な品だ。価値を理解できない人間に渡して、何になるというのか。
だが嗅覚は鋭い物で、これじゃあ駄目だと傲岸な態度で俺に迫る。これしか渡せないと言う俺は、完全に言葉選びを間違えたらしい。
横の男に肩を掴まれ拘束されてしまう。すると目の前の痩せっぽちの男は、腰の雑嚢を探り始める。
これだけは避けたかった。だがやられてしまっては仕方がない。全てが終わった後に殺そう。俺は……正義の味方ではない。そうやって振舞うにはもう、遅すぎるのだから。
「なんだ……あるじゃないですか。ひひっ、
これ、必要なんですよ。知ってます? 銅より銀の方が価値があるんですよ? 旦那」
「知っている。だからそれを渡すつもりは無かった。正直、穏便に済ませたかった」
それを聞いた痩せっぽちの男は、勝ちを確信したかのように笑いだした。相変わらず、表情豊かな人間だ。少しは隣の、筋肉の詰め込まれた男を見習うべきだなと思う。
そんな直後に、激しい衝撃が俺の体を襲った。いや、俺だけではないか。馬車全体が、凄まじく揺れていた。これまでの比にならないほどの衝撃で体が倒れる。何が起きたのか分からなかった。
だがそんな中でもたった一つだけ、確実な事があった。痩せっぽちの男が死んだ。眉間は何かが貫き、その返り血は俺の顔を汚した。
馬車は横転したようだ。事故か。いや、襲われたのだと瞬時に理解した。目の前の温かい死体の眉間。そこを貫通しているのは、ガタガタの鏃だった。
俺へと、もたれかかるみたいにして息絶えた男。
丁度いい。俺も、この一矢で死んだことにしよう。そしてやり過ごす。だが、それの考えが間違いだったと気が付くのに時間はかからなかった。
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