三十一話 街での一日
ギルドの外に出た俺たちは大きく息を吸う。言っちゃ悪いが、ギルドの空気は良くない。個人的なところだが、あの空気感は好きになれない。
他人を見下すというかなんというか。初心者に対してキツく当たりたがる人間が多いのだろうか。それとも単に認められていないだけなのか。
どちらにせよ、俺は向けられていた視線を肯定的に捉える事が出来なかった。
だからと言って、外に出たらすぐに気持ちが上向きになるともいかない。アリスに聞き出された先ほどの質問。俺の中ではもう決まっている事。それは重くのしかかるみたいだ。
自分の決断は自分だけのもの。だが、その結果は俺だけに響くものでもない。
そんな考えを取り払うように頭を左右に振った。瞳を閉じて小さくだ。だがアリスは俺の行動に笑って答えた。
「何してんの。頭でも痛いの?」
「いや、なんでもない。さて、どこに向かうかな。行きたいところは無いのか」
「私は……うん。ないかも。この街に何があるのかも分からないから」
当たり前か。この街に着いたのなんてついさっきだ。行きずりで見かけた施設以外、何も分からないのだ。
暗くなってからだと、この世界では行動が制限されてしまう。明るい内に楽しむのがいいだろう。俺は、アリスと共に歩き始める。
まずは空腹を満たしたかった。歩きつつ食べられるような物でもあればと思ったが、意外と少ない。料理は自分でするものなのだ。
露店で林檎に似た果物を買う。その際、値切りも忘れなかった。
武具屋を訪れて剣を見て。雑貨屋では日用品を眺める。鍋だの木の碗だの、冒険でも使えそうな商品に目がいった。
けれどアリスは違う。宝飾品、珍しい食材、衣類。
普通の女の子みたいだった。綺麗な物には目を輝かせるし、手を引いては気恥ずかしそうに顔を伏せる。
そうしている内に空は赤く染まっていく。楽しい時間があっという間なのは知っている。けれどこれは、あんまりにも早い。
残った時間は、待ち合わせのギルドへ向かうため。昼とは変わって影の落ちるフクスイラの街。
だが喧騒は相変わらずで、静けさとは無縁であった。
ギルドに着いてみるとどうやら俺とアリスが一番乗りだった。続々と集まる仲間。
ギルドの前で立ち止まる俺たちは、まるで冒険に出かけるその瞬間のようでもある。
「宿屋、探してみるか。どっかに見つけたとか、何かない?」
「いくつか見つけたがその中でも良さげな場所があった。そこに向かいたいな。どうせ寝るならいいベッドで眠りたい」
ノブチカはそんな事を言う。まあ分からないでもないが、せめて予算を組んでみてもいいのではと思う。
昼間にも見たが、冒険者でもパーティ単位で動くなら少なくとも5人かららしい。
その姿を見て思う所が無かったわけでもないのだが、劣等感を感じるには俺は若すぎる。経験が無いのだから、その資格すらない。
大通りは石畳が敷かれていた。誰もが通る道。それは整備されて然るべきだ。けれど目を離すとそうでない景色も広がっている。
格差が是正されることはない。それは、あらゆる世界での基本概念。
路地が見える。街の入り口に、掘っ立て小屋が乱立している。それにかまけている程、俺たちに時間があるはずもない。
素朴な木造の巨大な建物。一拍いくら掛かるのか、想像したくもない外観であった。
夜の風は冷たく、それは耐え難いものだった。風が無くなれば、少しはマシになるだろうか?
扉を押して開けると宿屋の中に入っていく。厳かというかなんというか。難しい雰囲気のある店だった。
店主と思しき人物に、部屋の値段を聞く。
返ってきた返答は、王都銀貨一枚。それが一人分の宿泊費。つまりは銀貨六枚。当然ながら、この世界でも銀は割と貴重で、そんじょそこらの人間が棚ぼたで手に入れられる額ではない。
実際、俺たちの手元にも銀貨は、ほぼ存在していないと言っていい。
「銅貨でなんとかならないか?」
「なりませんね。宿屋の店主からは、銀か金での硬貨以外を受け付けるなと言われてますので」
結論から言えば、この日俺たちはギルドの二階で眠ることになった。冒険者の他に、安いからと浮浪者まで寝込む”上等な宿屋”。それがギルドの二階。
汗の臭いや他人の体臭。何度も目を閉じた。その度に、俺の瞼は開け放たれる。
寝返りを打っても誰かがいる。うつ伏せに、布団へと突っ伏す。だがそれも、強烈な後悔の臭いと共に無駄だと理解させられた。
寝付けない。これなら、外で野宿していた方がマシだったかもしれない。外の空気を吸いたくなった。
ギルドの一階は既に人影の一つもない。完全な無人。いや、正確にはたった一つ、明かりと呼べるものがあった。弱々しく、息を吹けば簡単に潰えてしまう蝋燭が一本、カウンターに立っている。
受付嬢と目が合った。昼に見た女性ではなく、小柄で茶髪の人。軽くお辞儀をして、俺は扉から漏れ出る月明かりを道しるべにした。たった数歩の道しるべに。
冷たい外気が、濁流のようにギルドへと入ってくる。外に出るとその冷たさにも、だんだんと慣れてくる。
近くの路地に入る。細く狭い道。そこには先客が居た。しかもそれは、よく見知った人物。
「眠れないんですか? 私もです」
「息苦しくてな。ジャミアはどうしてここに」
「同じです。ちょっと、息が詰まりまして。ほら、その。色々と……」
言わんとしていることは分かる。俺も同じ気持ちなのだから。疲れよりも鼻を劈く刺激臭の方が強烈だっただけの話。
壊れかけを何とか補修しただけの木箱に、ジャミアは座り込む。とたん、ギシッと音が鳴るが、動かなければ大事には至らない。
それから数分、俺とジャミアは風に当たっていた。会話は無く。ただそこにいるだけ。
これまでの旅路について交わす言葉は無かった。これからの旅について交わす言葉も、やっぱり無かった。
いや、それは正しくない。正しくは、俺が言えなかっただけだ。俺はどこまでいっても、やはり弱いままなのだ。
そんな小さく短い憩いの時間は、数人の足音と共に終わりを告げる。
「おいおい、なんでこんな所にいるんだ。冒険者なら冒険に出るもんだろ?
それともなんだ、腰が引けちまったのか?」
「まだ冒険者じゃねぇだこいつらは。知識だけため込んだ、臆病者だろうがよ」
四人の男が路地の入口に立っていた。そこは俺が通ってきた道でもある。つまり、帰り道だ。
「悪かったな。もう戻る。これで満足だろ?」
興味は湧かない。こんな分かりやすい挑発と嫉妬心から来る言葉は、俺の心を動かさない。微塵もな。
ジャミアの腕を引いて、俺はこの場を離れる事を決める。無理にでも、ジャミアを連れて行くべきだと思った。
四人の男の間を抜ける。とその瞬間、俺は壁に吹き飛んだ。
頬の痛みと熱。それが意味する所は、瞬時に理解できた。からと言って、次が予想できるわけも無い。俺は、経験不足なのだ。
よろめきジャミアの腕を離す。壁に激突。その後、腹部に強烈な衝撃を感じる。
「ユウキっ! っ痛ぅ……。やめて!」
「暴れんなよっ、このガキ!」
そしてジャミアの声がか細くなる。数秒の麻痺を食らったような感覚。だが、戻って来た。痛みはあるが、所詮この程度。今の俺からしたら転んだだけだ。
壁に右手をつき、体勢を整える。その隙を与えるつもりも無かったのだろう。二人の男がまた殴る。おまけに蹴りのサービスも。
冷静に、痛みを見据えた。下腹部にねじ込まれるはずの拳を掴み取り、逆に強烈なアッパーを食らわせる。短い悲鳴の間にも、鼻っ柱に二発、拳を入れ込む。
姿勢の崩れた男。俺はそいつに狙いを定めた。もう一人が繰り出す蹴りのダメージを軽微に抑えつつ、行動不能気味の男を二発三発と続けて殴る。
するとソイツはすぐに倒れてしまう。
次は、散々蹴ってくれたもう一方の男だ。背後から一方的に蹴りを入れてくる男。攻撃のリズムを決めてるのは、自分だと思い込んでいる。なら俺は予想外な動きをしてやろう。
俺は男を信頼して、背後に倒れ込む。すると避けようと下がるのが心理。何故ならここは路地。左右が壁に阻まれているというのは心理的に戦略の幅を狭くする。
俺は賭けに勝った。どこに当たるか分からない肘打ちが、男のだらしない腹部に突き刺さる。男の唾液が衣類に掛かるよりも早く肘を抜き、反転しながら殴る。
遠心力を加えた一撃は、どこに当たっても致命的だ。鎧を着ていないことなんて確認済みだ。案の定、男は頬を打ち抜かれる。このままほっといても、地面に倒れて戦意を失うだろう。この勝負は俺の勝ちだ。
勝ちと満足は違う。男を殴り飛ばしても俺は満足しない。空を彷徨った腕を強引に引っ張る。男の体は、少しの間だが空中に固定される。
相手の体を引き寄せて、腹に重い一発を入れる。吐瀉物を被りたくない俺は、殴りの勢いを乗せたまま、掌底の要領で顎を打ち付けた。
歯と歯が、激しく鳴りあった。折れてないといいな。折れていても俺の知ったところではないが。
そして最後に残った二人の男。ジャミアを羽交い絞めにし、何発もの暴行を加えた後だった。
が、俺の凶行を確認したのち、尻餅をつく。だがそれも直ぐに逃走の構えによって立ち直る。俺は傍に倒れる男の懐から、銀色の輝きを見た。それは薄く軽いナイフだった。
投げナイフであるそれを拾っている間に、暴漢は逃げおおせていた。通りに出ると、二人は同じ方向に逃げている事が分かった。あまりにお粗末な逃避行。
俺は体に魔力を流す。血液を通して末端にまで供給された魔力は俺の五感を鋭利にした。その後、驚くほどにクリアに動く体は、初めての投擲を物ともしない。
投げだされた二本のナイフは両人の太腿に突き刺さる。小さく「ぎゃあぁぁ!」という悲鳴が聞こえた。
その時、俺が思っていたのは止めを刺す事。つまり、比較的遠くにいる二人の敵対者の始末だった。
が、そこで地面に横たわるジャミアを思い出す。俺は知覚強化の魔法を解除する。ジャミアを抱えて、走ってギルドに戻る。
「なあ、傷薬はないか? なにか……包帯! 傷を手当してくれ」
勢いよく、と言うより肩で扉を押し開けた。小さな蝋燭の光。その背後に居るはずの受付嬢に懇願する。声を出さないのは、俺たちの姿が視認できないからだ。
蝋燭に近づくとジャミアの輪郭が映し出され、そして全てが明らかになる。受付嬢は慌てた様子を見せるが、直ぐに落ち着きを取り戻す。
カウンター下にある引き出しを開け、そこから一つの瓶を取り出す。塗り薬のようだ。傷の見えている部分に薄く塗り広げる。
「少しあそこの机に寝かせてあげてください。裏から飲み薬を取ってきますから」
小走りで消えた受付嬢。彼女は宣言通り、十秒と経たずに戻ってくる。今度の瓶は、透明な容器で中身は薄い緑色をしていた。
俺がジャミアの体を起こすと、受付嬢は口を開けて、ジャミアに薄緑のそれを飲ませた。多少の咳き込みはあったが、それでも中身を飲み込む。
「一応聞きますが、この娘とはどのような関係ですか」
「仲間だ。この子は俺たちの大切な……仲間だ」
そう言うと、受付嬢はジャミアの衣類をまくり上げる。露わになった肌には、おおよそ少女には似つかわしくない生傷が見て取れた。
打撲に裂傷。痛々しい限りだ。その患部に、受付嬢は塗り薬を塗布していく。触れる度、ジャミアは声を洩らすがなんとか耐えきってみせる。
そして全てが終わると服を元に戻す。
「これで一通りの処置は終わりです。数日は安静にしてください。それと、あなたは大丈夫なんですか? 傷が見えますけど」
「問題ない。俺の方は、適当に治る」
「そうは思えませんが。とりあえず、これだけでも塗ってください。いいですか、薄くですよ」
受付嬢は人差し指を俺の頬に触れさせる。そして、薬を薄く塗り広げた。
最後、俺はお礼と共に代金を支払った。俺への塗り薬の分も、しっかりと代金に含まれていた。
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