二十九話 過去への決断
老人の一件以来、アリスは考えこむ事が多くなっていた。彼女らしいのからしくないのか。だが一方で、この世界に来てからの彼女は行動で語る事が多かったとも思う。
どこか浮かない雰囲気なのに、無理して笑顔を作る素振りはない。心配しなくていいのだろうか。
放置していても、勝手に立ち直るのだろうか。
よく分からない。
俺自身に起こった事も、よくわからない。最近、悪い夢ばかり見てしまうのだ。
何かの暗示か。それとも”神様”とやらの啓示なのか。そのどちらもなのか。
フクスイラの街までは、まだ歩く。ローンに言われた通り、俺たちは道中に看板を建てて来た。
結構な数を配置していると思う。
看板と言っても、材質はまちまちだった。石に文字を刻み地面に置いたり、枝で形を整えたり。まあ、色々だ。
明日はどうなるだろうか。今日みたいに、突然、野盗に襲われないといいが。
焚き火の前で俺はそんな事を考えていた。
見張り番をしているのだ。焚き火を眺めながら、考え事をする以外にやる事もない。
「元の世界に帰る……か」
一人呟いた。意味のない言葉だ。何故なら俺は、それがどういう意味だか薄々気が付いているからだ。
「どうしたの。独り言なんて喋って」
アリスが隣に座った。何でもないみたいな口調で、彼女は俺に話しかける。
「別に何もない。ただ、上手くいけばいいなって」
素っ気なく答える。正直なところ、フクスイラの街に近づくにつれて俺の決意は固まってしまっていた。
だから孤独にも、耐えなければいけないのだ。
「そう。じゃあ、私の話に付き合ってくれない? 悩みが、あってさ」
「ローンの集落の爺さんのことか?」
「うん」
当たり前だ。ここ数日、アリスの様子はどこか変だった。予兆も何もなく起こるはずがない。あの爺さんの話しか、思い当たらない。
「私はあの人が言った事は知らない。それに、私がやったって思わない。あの人に同情もしなかったし、申し訳ないとも思わなかった」
アリスは語り出す。すべてはあの、ゼール爺さんの間違いだとでも言うように。
「でも、あの憎しみの籠った言葉と目は本物だったんだよ。それが、なんだか少しだけ怖くて」
「アリスならどうとでも出来るんじゃないか? ほら、お前は強いから。その瞳も克服できるよ」
「そうじゃないんだよ。あの目そのものじゃないんだよ。怖いのは」
両膝を抱える。寒さに縮こまる、冬場の少女のようだ。雪空の下で一人、誰かを待つ事もせずただそこにいるだけの少いさな女の子みたいに。
「私のこの体は、私のものじゃない。なら、これは誰の物なの? 私はもしかして、誰かを追いやって、この体を乗っ取ったんじゃないかって。それが怖いんだ」
その答えを知っている。それ故に俺は、言い淀んだ。その一瞬を聞き逃さないアリスは、震える瞳で俺を見る。
「俺たちの体は、この世界の誰かの物だ。その誰かは、分からないんだ」
「そうなんだ。じゃあ、やっぱり私は」
「だが、俺たちが誰かを殺したんじゃない。すでに死んでいた体に、俺たちが入っただけだ。神様とやらが、適当に見繕ったんだろう」
「そう。でも、やっぱり誰かのものなんだね」
どんな言葉を掛けるべきだろうか。いや、どんな言葉を掛けたいのだろうか、俺は。
「アリス。体の元々の持ち主が悪人だったとしたら、それじゃあ今のお前は悪人なのか?」
「……過去は消えないんじゃないかな。清算できる過去なんて、そう多くはないよ」
「俺はそうじゃないと思う。過去はやり直せないけど、過去の誰かとアリスは違うんじゃないかって思うから。誰かを害したのが自分じゃないのは、自分でわかってるだろ?」
老人やこの世界からしたら、元の体の持ち主は存在したと言えるのだろう。だが、当の俺たちからしたら逆だ。
元の体の持ち主なんて、存在しない。
詭弁であると言われれば、反論できない。世界や人々が覚えているのなら、それはやっぱり存在していたのだろう。
だが所詮は他人の言葉。人間というのは、自分の言葉にすら惑わされる生き物。
この場合、他人の言葉など、聞くに値しない。
だから何を言われようともアリスの不安は見当違いなのだ。
知らぬ事に対して向き合う方法はないのだから。
「でも……もしまた、あの目に出会ったら。私はきっと、分からなくなってしまう。どうしたら、いいかな」
この疑問に答えはないんだろうな。だってこれは、疑問の形をした恐怖だから。
自分の内側を外に出力する過程で疑問の形を取っただけで、これは彼女の抱える恐怖だと俺は直感した。
「どうしようもないんじゃないか? 恐怖を克服しようとするのは後先考えない行いだ。
それは苦痛で苦行で苦い」
「ならさ、どうするべきなの?」
「見ないようにする。離れて、見えないくらい小さくして。消してしまう。
向き合う必要は、ないと思う」
アリスはそれから何も言わない。俺の答えに失望したのだろうか。それとも納得したのか。定かではない。ただ事実、彼女は口を噤んだ。
「フクスイラに着いたら、アリスがリーダーを務めるべきだ。俺は、一人旅をするつもりだから」
突拍子も無い言葉に、アリスは目を見開く。そんな彼女に言葉を許さず俺は、続け様に話す。
「俺は、元の世界に帰れないと思ってる」
「そ、それと何の関係があるのさ!」
「スガルは五年以上この世界にいる。おそらく倫也は、もっと長い。スガルですら元の世界に戻る手立てを見つけてないんだ」
「説明になってないよ。意味が……不明だよ」
困惑するアリス。俺は、お構いなしに話を続けた。
「タイムリミットがあるって言ったろ? たぶんそれは、かなり短い。五年以内じゃないと、この世界に魂が固定されてしまう」
スガルは、すでに元の世界に帰るという目標が薄れていた。家族との思い出も、希薄になって。
「俺はお前たちと違って、取り柄がないんだ。皆の足並みを邪魔してしまう」
「関係ないよ。私たちは仲間を見捨てないから。マイヤだって、覚悟を決めてるんだよ。
それを君が無碍にするような事、言わないでよ!」
聞こえているのに聞こえない。耳が遠くなったのか、俺は演説し続けた。
「何をするにも俺は準備が必要だ。手掛かりがある遺跡に向かうとき、お前達ならすぐ迎える。大陸を越えるときだって、物資を買い込めば出発できる」
完全な無装備、無情報で行けるとは思えない。ただ、アリス達は他人が必要とする準備を大幅に短縮できる。
「俺は情報を買って、装備を整えて、プランを立てないといけない。俺は、普通の人間なんだよ」
「そんなのは当たり前だよ! みんな同じだよ! 私もノブチカも、マイヤもヒナもっ。
みんな準備だって何だって必要だよ」
胸ぐらを掴まれた。両腕でしっかりと。俺は宙ぶらりんになったみたいに頭が後ろに垂れる。
「それでも、俺がいれば時間を浪費する。俺はリミットが長い。けど、皆は違う。リミットが、俺と皆では違うんだ。
最善じゃないって思うけど、確率が少しでも高くなるなら、そっちの方がいいだろ?」
「そこまで聞いて、なおわかんないよ……」
「スガルを見て、話を聞いて、時間が最大の敵だと気づいた。クラスメイトの捜索も神様の事も、どうでもいい。
先に、自分達が帰る必要があるはずだ」
「……なんで、それを私に話すの? なんで、みんなには話さないの? 言ってよ。自分の口で」
「さっきも話したけど、最善だとは思ってない。ただ確率が高いだけ。でも、それなら俺は、お前たちに賭けるよ」
両腕の力が段々と弱くなっていく。
「これを話したのは、こうすべきだと思ったからだ」
「ずるいよ。こんな話し方って……。こんな、決断の仕方なんて」
これを明かすも明かさないもアリス次第だ。だが、彼女は明かす事をしないだろう。
なぜなら、彼女は仲間をかけがえ無いと信じている。
俺は、非道い奴だ。
たぶんこの頭の使い方が、俺の貰った”贈り物”なんだろう。
交渉とは、こうやってするものでは無い筈なのに。
「冗談でしょ? 君、私がいないと死んでたんだから」
「そうだな。間違いだったかもな。候補の一つ……って所なのかな? ごめん、この事は忘れてほしい」
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