二話 村で保護される異邦人
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「あぁああぁァァあ!!」
絶叫を発しながら目を覚ました。飛び起きるようにとはいかず、体は動かなかった。全身が強張って固まっているような感覚。
それに加えて頭頂部からつま先まで汗で湿っていた。気色の悪い肌寒さだ。
服が肌に張り付いて、ゴワゴワとした生地の感触に全身が包まれる。上下の下着が常であむた俺には、あまりにも不愉快な感覚である。
額に腕をやり、息を吸って吐いての繰り返し。ふたたび瞼を閉じると瞳が熱くなった。
瞼の裏の暗さと目玉に掛かる圧力に耐えきれなくなると俺は、一気に目を開けた。完全な意識の覚醒。にも関わらず依然、俺は夢の中にいるように感じていた。
明晰夢というやつだろう。でなければ、こんな状況は説明がつかない。授業中に、眠ってしまったのだろう。
いや、そうだ。きっとそうだ。
だが目の前に広がる光景、それは木造だった。
茶色の柱に真っ白な漆喰では無い。黒ずんだ、焦茶色な木造建築。現代では目にし得ない出来栄え。
視線だけを周りに向けても、フォーマルでシックな家具は一つたとりともない
嫌でも理解してしまう。
ゴワゴワ生地の粗末な衣類。知識不足な防腐処理をしただけの木造建築。手作り感満載で、採寸の出鱈目な戸棚類。
たぶんここは俺の知っている世界では無い。
夢だと思いたかった。あの胡散臭い声のせいだ。あれのせいで、全てが悪い方向に転がっているようにさえ今は感じている。
そういえば、母さんと父さんはどうなるんだ? 両親だけじゃない。兄さんも姉さんも、俺が居なくなった事に気がつくのだろうか?
いや、無いだろうな。あの人たちは、あの人達だけで完結している。俺の存在は必要ない。
視界がボヤけた。瞳から液体が逃げ出そうとする。抑えようにも、ダメだった。
「悲しんでくれるといいな……」
小さく天井に向けて呟いた。起き上がる気にはなれなかった。だってこの世界で俺は1人きりだ。
それが人間関係を築けない理由にはならない。だが、全く知らない未開の地で、信用できる者もしてくれる者も居ないというのは、中々に酷だ。
こうして一人で天井と向き合って、俺は何をしているのだろうか。このままではいけない。ここから出て、どうにか自分の力で生きていく事を覚えなくては。
地獄の再現みたいな現実の中で、俺の頭は寝起きとは思えない程にキリっとしている。
夏の富士山みたいに澄んで霞も掛かっていない思考。
それとは裏腹に体は依然、岩のように硬く凝って動かせなかった。鞭を打ってでも這ってでも、俺はこのベッドから脱出するべきだ。なんでかそうしないと、俺はこの世界を生き抜けいような気がしていた。
肘から下の腕をベッドに立てて、何とか上半身を起こす。その際、あの化け物にやられた肩の傷が開くのを感じる。
瞬間的な痛みだったが、知らない痛みでもあった。
掴まれてそのまま強引に、左右に引っ張られて裂けたる痛み。呻き声を上げながら、無事だった方の腕で傷口を庇うように縮こまった。
慎重に、触れないように傷ついた肩を見てみると包帯が巻かれていた。と言っても現代でよく見る清潔な白ではなく、少し、いや結構黄ばんでいるように見える。衛生観念が迷子になっているようだ。
これでは感染症に罹って死んでも文句が言えないと思う。
けれどこれを外すのもなんだか憚られる気がした。誰かが俺を心配して巻いてくれたのに「汚いから嫌だ」は”人”として通らないだろう。そもそも、今の俺が人の姿を保っているのかどうかは疑問だが。
「鏡はどこかに……ある筈ないか」
見たところ、贅沢できるほど物資が豊富にある世帯でもないのだろう。机に椅子と小さな棚。ミニマリストでも、もう少しは贅沢を望む。
そもそも、この世界に鏡はあるのだろうか。極端な古代でもない限り、鏡の発明はできていそうだが、いかんせん何も分からない。
ため息が出てくる。と同時に、言いようのない寂しさみたいなものが俺の肩を静かに抱擁した。それは肩、背中、頭、お腹、脚とつま先。その全てを覆い隠してしまう。
とてもじゃないが、一人は心細い。
俺は自分が”デキる奴”だと思っていた。他の家族に比べたらミジンコみたいなもんだったが、それでも同年代の中では比較的大人だったと思う。冷静だし現実的な考え方してた。
でも、孤独に苛まれてメッキが剥がれて、ようやく俺は本当の自分を知れたのかも。
両親はよく口にしていた。「人の前に立つ者は孤独で理解されない」と。状況は違うが、孤独なんてクソくらえだ。今の俺ならはっきりと主張できる。たった一人は嫌だ。
そう強く念じると、肩の怪我も忘れて体を一層強く抱いた。
怖い。一人が怖い。誰の口も無いのが怖い。悪口を言う敵も、隣に座る味方も居ない。
全くの孤独。それが今の俺。それは、とてつもなく恐ろしいのだ。
村人。村人に会いに行こう。そして助けてくれた人にお礼を言うのだ。そこから仕事を手伝って、役に立てればもしかしたら養ってもらえるかもしれない。
そうと決まれば、なおさらこうしてはいられない。
急いで布団を持ち上げた。自身の身体的特徴にも衣類にも、一切の興味を示さない。暇がない。
スライムのように纏わりついてくる根源的な恐怖を溶かして俺は、扉の取手に触れた。第一歩だ。深呼吸などしない。それをしても何も変わらないと知っているからだ。
変えられるのはこの瞬間、この扉を越えた先でしかない。だから。
「あれ? もう起きたの。もう少し休んでないとダメだよ」
俺が扉を開けようとしたところを丁度良く、反対側から開けてくれた。
見たこともない少女の言葉が、聞こえた気がする。
黄金色の長髪は背中まであるだろうか。くすんではいても、まだ白と言い張れる上等な服。フードは被らず下ろして、その上を前述の長髪が通っていた。顔立ちは端正で、歩けば女は嫉妬し男連中は振り向くだろう。
両手に抱えているのは剣ではなく、お盆とそこに乗っかった茶碗。
湯気は立ち登るが、正直美味しそうな見た目はしていなかった。
訳も分からずフリーズしていると、お盆を持った少女はベッドから離れたところにある机の上にそれを置いた。
少女は座り、ベッドの上に戻れと視線を向けてくる。
鋭い視線で今にも逃げ出したくなる俺はかぶりを振って、彼女の方へと向き直った。
唾を飲み込みいざ、質問をしてみようと思う。
「だ、誰だ。昨日、助けてくれたのはあんたか?」
一瞬口を開けてからまた閉じて、考えを咀嚼している少女。数十秒経った後、言葉を紡ぐ。
「助けたのは私だよ。それと、二日は眠りこけてたから昨日じゃないよ。
所々で起きてはいたけど、心ここに在らずって感じでまた眠ってを繰り返してた」
…………
「そうなのか。ありがとう、ございます」
俺は深く頭を下げた。「えっ」と驚いた様子を見るに、もっと深く頭を下げなければいけないのか。
「ちょちょっと、やめてよ。私たちそんな関係じゃないでしょ」
「えっ? えあ、ああ。ごめんなさい」
俺と君はどんな関係だ? 全く分からないんだが。だが、そうか。俺の体は「前の世界の体」じゃなくて”この世界の体”だ。つまり、”この体”と彼女は近しい間柄だった、ということだろう。
じゃあ、俺はどうすればいい?
「そうか、分からないんだね」
少女の呟きが聞こえたが、その言葉に何を返せばいいのか。
俺には紡ぐ言葉の一つも存在しない。
「私は『前河有栖』だよ。で、そっちは『金城柚樹』でしょ? 合ってるよね」
面食らった。思考が追い付かなかった。時間が、俺の視認し得る全てが止まった。
金城柚樹、それは俺の本名だ。無論、高校生だった前世界での。そして前河有栖。この名前も、俺は知っている。
幼馴染の名前。幼稚園から高校まで奇跡的に繋がった腐れ縁。そこに女の子というくだらない要素の関係性値。
一体どういう事だ?
「何が何だか分かってない感じだね」
そりゃそうだ。思わず口から洩れそうになったがすんでで止めた。
「私も、初めはよく分からなかったよ。でもね、目が覚めたら何処かに走り去る君の姿が見えて、それで追いかけたの」
「で、でも……なんで、名前……だって! おかしいでしょ? だって、ここはさ! 日本じゃない……じゃん」
千切れて呼吸もまだら。どうしようもなく口を出る言葉は、過呼吸気味だ。
「驚くよりも先に『助けないと』って思ったの。私もあんな事ができたなんてビックリ」
「そうじゃなくて! なんで、俺って……わかって」
俺は解を急ぐ。その姿が随分と必死に映ったのか、それとも哀れに見えたのか。
定かでなくとも彼女、アリスは話し始めてくれた。
「なんとなく。他にも近くに何人かいたでしょ? でも発狂しながら走り去るなんて、そんな奇行するのは、ユウキかアイラだけでしょ?
奇人変人って言われてるじゃんクラスではさ」
「は、はは。まさか変人なの役に立つ時がくるとはね」
背骨を正しく伸ばした俺を見つめながら「否定しないんだね……」とアリス。
あれ? なんだか目からハイライトが消えているようにも見える。
「とにかくこっち来て座りなよ。まだ体、治り切ってないでしょ?」
ベッドを人差し指でちょいちょいと差しながら、アリスは言った。
素直にベッドまで歩いて行くと、俺は腰を下ろしてアリスに質問を続ける。
口を開きかけたところでお盆を渡された。
食べながらねと言われたが、これにも素直に従っておこう。
「他に、この世界に来たやつらって」
「私たちと一緒に寝てたのは他に三人。舞弥、信哉、雛。他のクラスメートは近くには居なかったよ」
「そうか。そうかぁ。これからどうすればいいんだろうなぁ」
味の薄い、というかほとんど白湯なスープを掬い上げ、喉へ通す。でもこの暖かな食べ物が、とてもうれしかった。味はなくとも人の優しさが入っている気がしてとても、とても美味しい。
一口ごとに味わうように瞳を閉じて舌の上でスープを楽しむ。そんな一時を、アリスはぶち壊す。
「目が覚めたのなら、作戦を話し合おうよ。ノブチカとヒナは村の近くで魔物狩りに協力してて、マイヤはたぶんお守り作って皆に配ってると思う。だから……たぶん夜かな。皆集まるのは」
「作戦って、ああわかった。この村で暮すんだな。あっ、スローライフってやつだろ」
「いや洞窟の魔物退治の事だよ?」
俺はスプーンを皿の中に落した。




