【6-2】失われた名前
ライオンエリアでの奇妙な光景を「偶然の産物」だと自分に言い聞かせ、和樹はあやめを連れて「ふれあい広場」へ向かった。
ウサギ、モルモット、ヤギ。
平和を象徴するような動物たちが、あやめが近づいた瞬間にピタリと動きを止めた。
そして、何かに怯えるように、あるいは敬うように、震えながら彼女の足元に擦り寄ってくる。
特に異様だったのは、フェレットのコーナーだった。
数十匹のフェレットが、あやめが柵に手をかけた瞬間に雪崩のように彼女の足元に殺到し、彼女の体をよじ登ろうとした。
「あはは! くすぐったい! アルバスだー! おじさーん、ちっちゃいアルバスがいっぱいいるよ!」
あやめが叫んだ名前に、和樹は耳を疑った。
「……アルバス?」
「うん! アルバスはもっと大きかったよ!みんな、アルバスにそっくり!」
アルバス。
聞いたこともない名前。
だが、あやめはその名を、まるで長年連れ添った家族を呼ぶように、慈しみを込めて口にしていた。
護があやめを連れて帰ってくるまでの、空白の期間。
和樹の知らない場所で、あやめは誰と過ごし、何を「家族」と呼んでいたのか。
現代科学では説明のつかないあの「力」といい、あやめが時折見せる、
五歳の子供にはあり得ないほどの寂寥感を湛えた瞳といい、和樹の胸をざらついた不安が撫でる。
(……ペットか? もっと大きいって、どんな場所で飼われてたんだ、一体)
注目の的になり始めたあやめを、和樹は強引に抱きかかえた。
「あやめ、次行くぞ。ほら、もう夕方だ」
「あー! まだアルバスとあそぶー!」
夕暮れ時。閉園間際のゲートを出た二人は、クタクタになりながらも、充実感に包まれていた。
ソフトクリームで口を白く汚したあやめをチャイルドシートに乗せ、和樹は車を出した。
「今日は、楽しかった。ありがとう、おじさん」
「……おう。また来ような」
眠りに落ちたあやめの寝顔をバックミラーで見ながら、和樹は思う。
何があっても、この子を守る。
それが、護に対する唯一の償いであり、俺が警察官を続けてきた意味の、その果てにある答えだ。
車は夕闇の中、東京への帰路についた。
だが和樹は気づいていなかった。
高速道路の遥か後方。動物園の駐車場から、一台の黒いバイクが、寸分の狂いもない距離を保ちながら、彼らの背中を捕捉し続けていることに。
それが、これから始まる惨劇の幕開けであることも。
そして――。
彼らが去った後のアニマルキングダムでは、異様な現象が起きていた。
先ほどまで平伏していたライオンたちが、突如として檻に体を打ち付け、悲痛な咆哮を上げ始めたのだ。
それはまるで、偉大なる「王」に見捨てられた群れの、絶望の叫びのようだった。
他の動物たちも一斉に暴れ出し、飼育員たちが鎮静剤を持って走り回る異常事態となっていた。
あやめが残していった、人ならざる者の濃厚な「匂い」。
それが消えた喪失感が、獣たちの本能を狂わせていた。
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