【6-1】王の不在、獣の邂逅
一方、その頃。
大山の計らいで「病気療養」という名目の長期休暇に入った和樹は、アパートであやめと向き合っていた。
テレビでは「上野アニマルキングダム、グランドオープン!」という特集が、脳天気なBGMと共に流れている。
「おじさん、これ、いきたい!」
あやめが画面の中の大きなキリンを指差して、目を輝かせた。
和樹は躊躇した。大山からは「公安が動いている」と警告を受けている。
権藤の死が事故でないとするならば、あやめを狙う手はすぐ側まで伸びているはずだ。
不用意な外出は、あやめを危険に晒すことになる。
だが、窓の外の曇り空をじっと見つめているあやめの横顔が、
かつての親友――護の、窮屈な日常から抜け出したがっていた少年時代の姿と重なる。
五歳の少女を、この埃っぽい1Kに幽閉し続けることが、果たして「保護」なのだろうか。
(……人混みの方がかえって紛れやすいか。尾行にさえ気をつければ、気晴らしにはなるはずだ)
和樹は自分に言い聞かせるように腹を括った。
「よし、行くか。動物園」
「やったー!!」
日曜日の早朝。
和樹は周囲を神経質なほど警戒しながら、愛車を出した。
バックミラー、サイドミラー、対向車線の車種。
刑事時代の習性以上に五感を研ぎ澄ませたが、明確な尾行の気配はない。
一時間後、上野アニマルキングダムに到着した二人は、あやめが見つけた「オンラインチケット専用ゲート」から、滞留することなくスムーズに入場した。
「うわああ! おおきいー!」
あやめの歓声が弾ける。
キリンの首の長さに驚き、ゾウの巨大な足音に目を丸くし、サル山のボス争いに拳を握って声援を送る。
その姿は、どこにでもいる普通の、無邪気な五歳の少女そのものだった。
和樹もまた、不器用ながらも「父親」の真似事をしている自分に、束の間の安らぎを感じていた。
だが、その平穏は、ライオンエリアで脆くも崩れ去ることになる。
ライオンの展示場は、強化ガラス一枚を隔てて、サバンナを模した広大なスペースが広がっていた。
十数頭のライオンの群れ。
百獣の王たちは、岩場で気だるげに寝そべり、日曜日の喧騒などわが関せずといった様子で昼寝を貪っていた。
「……ねてる。みんな、ねんね。つまんない」
ガラスに張り付いたあやめが、不満げに頬を膨らませた。
その時だった。
群れの中心にいた、一際巨大な黒いたてがみのオスライオンが、ピクリと耳を動かした。
閉じていた金色の瞳が静かに開き、ガラスの向こうのあやめを正確に捉える。
「グルルルゥ……」
腹の底を揺さぶるような、低い地鳴りのような唸り声。
オスライオンは、巨体をのっそりと持ち上げると、迷いのない足取りでガラスの前へと歩み寄ってきた。
周囲の客たちが「おおっ! こっち来た!」「すげえ迫力!」と一斉にスマホを向ける。
和樹は、本能的な胸騒ぎを覚え、あやめの肩を抱き寄せようとした。
だが、ライオンは吠えなかった。
ガラスの直前、あやめの目の前まで来ると、その巨大な前足を折り、静かにその場に伏せたのだ。
それは、獲物を狙う姿勢ではない。 完全なる「恭順」の姿勢だった。
それだけではない。
岩場にいたメスライオンたちも、じゃれ合っていた子供のライオンたちも。
全ての個体が、何かに導かれるようにガラスの前に集結し、オスと同じように、あやめに向かって深く頭を垂れ、平伏したのだ。
展示場を支配する、異常な静寂。
吠えることも、唸ることもしない。
ただ、絶対的な上位者の前にひれ伏す家臣団のような規律。
「……え?」
「な、なんだこれ……? 訓練されてるのか?」
「イベント? そういうショーなの?」
客たちがざわめき始める。
だが和樹だけは、背筋に冷たい汗が伝うのを感じていた。
ガラスの向こうのライオンたちの瞳。
そこにあるのは、調教された芸に対する反応ではない。
「服従」だ。
彼らは、目の前の小さな少女の中に、自分たちよりも遥かに高位にある「何か」を嗅ぎ取っているのだ。
あやめは、そんな彼らに向かって、無邪気に手を振った。
「わあ、みんな、いいこ! ばいばーい!」
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