中央地域 ワインの対価と遭遇
やわらかくなった。
毎日くっついているソニアにはわかります。
この一星巡りで、ティノの気配が緩みました。
どちらのティノが好きかと問われれば。
悩んでしまいます。
ーー答。
それはソニアにとって身近なものでした。
それが揺らいだのが。
ファルワール・ランティノールという「存在」。
答えに辿り着かなくても構わない。
そのことを知ってから、見えないものが見えるようになりました。
「彼」のことを知っていなければ。
ティノという「存在」の魅力に、気づくことはできなかったでしょう。
ランティノールとラン・ティノ。
異なる人物であると、ソニアは何度も自分を戒めていますが、心のほうが先に動いてしまったのですから仕方がありません。
「彼」に恋をしました。
「彼」とティノは違う人物だというのに。
魂が惹かれてしまったのです。
感触、匂い、心地、鼓動ーーこのまま時をとめ、永遠にしてしまえたならーー。
「遅刻したんだから、ティノは皆にご飯おごってね。でも、おこづかいが『竜の涙』じゃなくて『イオリの涙』なら、仕方がないから荷物持ちでいいわよ」
先頭を歩くメイリーンは、遅刻をしたティノへ罰を言い渡します。
彼女の所為で、せっかくの幸せな妄想が途切れてしまったので、口直しならぬ妄想直しで、ソニアはティノの腕の感触を確かめました。
「おい、こら、あんまでっけぇ声だすなって。目立つだろぉがよ」
三人から、微妙に距離を空けてついてきているイゴは、小声で注意喚起、というか懇願しました。
北から中央に向かっているので、人通りは多くありません。
それでも、通りかかるすべての人から好奇の眼差しを向けられているので、イゴとしては勘弁願いたいところでした。
「ん。学園の制服は目立つ。それだけでなく、美少女二人と野獣とはいえ女が一人で、女生徒三人。嫉妬の視線もイゴが独り占め」
「……もう俺、帰りてぇ」
イゴは不合格になったリフとナインを恨みました。
せっかく試験をパスしたというのに、これではイゴのほうが罰ゲームを食らっているかのようです。
今日の重たい曇り空のように、イゴがどんよりとしていると。
ティノは的外れな言葉で、彼を慰めました。
「それは大丈夫だと思うよ。遠くから見たら、僕は軟弱そうに見えるから……アレだけど、近くから見れば、僕が男だって皆わかってくれるから」
ティノに言っても無駄だと悟っているメイリーンとイゴは、何とかしろ、と目線でソニアを責め立てました。
ティノの味方。
そう自負しているソニアは、先ほどの話題を蒸し返すことにしました。
「結局。ティノは幾ら持っている?」
「えっと、僕は北でお金が要らない生活をしていたから、お金の価値がよくわからないんだ。ワインを毎周期ずっと造っていて、それをアリスさんに『適正価格』で買ってもらったんだけど」
「ん。それは正解。ティノは悪い意味でお人好しだから、学園長以外に売れば、絶対に買い叩かれる」
「……えっと、まぁ、それで、銀貨十枚もらって。イオリに何か買って帰るから、あまったお金でおごるけど、問題ない?」
経済観念のない「旦那様」。
それはそれで教育のし甲斐があると、ソニアはほくそ笑みました。
ただ、続くティノの言葉で、彼女の妄想は吹き飛んでしまいます。
「それにしても、銀貨って綺麗なんだね。村で銅貨は見たことあったけど、何か汚れてたし。それに、銅貨と違って重いし」
「んー? そういえば、『聖域』以外の場所だと、雑な造りだったり潰れてたり、そんなのもたくさんあるって聞いたことあったかなぁ?」
メイリーンは、のんきにティノに答えていますが。
ソニアは頭を抱えたくなりました。
アリス・ランティノールーー「彼」の孫。
ソニアは一瞬、自分が普通の人間になってしまったのではないかと錯覚してしまいました。
「ティノ。革袋の中身、見せて」
「え? うん、どうぞ」
見せて、と言っただけなのに、ティノは革袋ごと渡してきました。
外からではわかりませんでしたが。
持っただけでわかります。
銀貨とは、明らかに重さが異なります。
紐を解き、中を見てみると。
予想通りのものが入っていました。
「どうしたのよ、ソニア。火山に落っこちた、うっかり者の氷竜みたいな顔して」
「ん。メイリーンとイゴ。今から革袋の中を覗くことを推奨。ただし、大声を上げないように、口を押さえてから覗くべし」
ソニアのおかしな物言いに、メイリーンとイゴが顔を見合わせます。
ソニアの警告。
素直なメイリーンは、口を両手で塞いでから革袋を覗き込みました。
「……ん? え~と、何これ?」
「っ!!」
メイリーンに続いて覗き込んだイゴは、漏れそうになった声を必死になってとめました。
それから、呼吸を5回。
鼻をひくつかせたままですが、一応は落ち着いたようで、この銀貨の正体を口にしました。
「……オイオイ、こりゃ、『聖銀貨』じゃねぇか」
「『聖銀貨』? これって普通の銀貨と何か違うの?」
事の重大さにまったく気づいていない、能天気なメイリーンに聞かれたので。
仕方がなくイゴは、自分で説明することにしました。
「いや、俺も昔、たまたま見たことがあっただけでよ、そーじゃなきゃメイリーンと同じ馬鹿面さらしてたんだけどよ」
「悪かったわね、馬鹿面で。それで、これが何か、早く教えてよ」
「わかったわかったって。ーー前に見た、そんときによ、気になったんで商人に聞ぃたんだ。昔、『聖金貨』と『聖銀貨』があった。そんで、20周期くれぇ前、偽造だか何だかで、『聖金貨』が使えなくなっちまったんだ。そんで、『聖銀貨』を『聖金貨』の代わりにするってことになった。ってことで今、『聖銀貨』は一枚で、金貨百枚の価値があるってことだ」
「ん? んん? ってことは、ティノの手持ちは……、金貨千枚?」
絶句する二人と、よくわかっていないティノ。
イゴの説明では「聖貨」を語るに不十分でしたが。
ソニアは詳説するのを控えました。
別に考えることがあったからです。
「適正価格」。
アリスが買い取ったと、ティノは言っていました。
ソニアは一星巡り、ランティノールの孫である「彼女」を注視していました。
アリスが「適正価格」と言ったのなら、それは本当のことなのでしょう。
「聖銀貨」十枚の価値があるワイン。
そんなもの。
「幻の絶酒」しかありません。
「幻の絶酒」のーー失敗作。
本物の「幻の絶酒」なら、「聖銀貨」十枚は安すぎます。
ティノに、それだけの職人技があるとも思えません。
ティノとアリス。
その輝きに目が眩んでいましたが、やはりこの二人、いえ、ベズも含めた三人には、何かがあるようです。
ティノを手に入れる為の材料になる。
そう考えたソニアでしたが。
ふわりと。
悲し気な顔で飛び去ってゆくティノの姿。
そんな情景を幻視してしまったので、ーーこれらのことに関しては先送りにすることにしました。
「ま、これでご馳走おごってもらえることが決まったんだから、何でもいいわ。ソニア、どこか美味しいお店、知らない?」
「ん。知っている。でも、その前に、ティノが何かを察知した」
これも、ティノとずっとくっついていたからわかります。
「聖語」なのかどうかわかりませんが、彼は周囲の気配を精確に捉えているのです。
「えっと、このまま歩いていくと、大通り手前の曲がり角でクロウたちと鉢合わせになるかもしれない」
その曲がり角まで、あと20歩。
歩きながらメイリーンは前方を凝視しますが、両手を上げて「お手上げ」のジェスチャー。
「んー、駄目。複数の足音、あと、気配も何となくわかるけど、それが誰なのかまではわからないわ」
「ん。それがわかるだけでも、十分に化け物」
「何よ、あたしが化け物なら、ティノは何だってのよ」
「ん。ティノは旦那様。だから、ティノの正体が『終末の獣』だったとしても問題ない」
「ぶっ!?」
ソニアが突然、禁句を口にしたので、メイリーンは噴きだしました。
別に狙ってやったわけではありませんでしたが、クロウたちが姿を現すタイミングと重なってしまい、五人すべての視線がメイリーンに直撃。
ばつが悪いので、すぐさま誤魔化そうと、メイリーンは真面目な少女を利用させてもらうことにしました。
「あ、フィフェス。さっきぶり」
「メイリーン。学園の外だからと気を緩めず、学園生として相応しい行動を心がけてください」
優等生状態のフィフェスは、先ほどと異なり、メイリーンに冷たい態度で接します。
それを承知しているメイリーンは、「遠慮」という言葉が、裸足で逃げだすくらい不躾に、地竜組の男子生徒4人を見回しました。
その陰で。
ソニアも「敵」を発見しました。
ティノと仲良く腕を組んでいるソニア。
様々な感情を乗せ、向けられる視線の中で。
ーークロウ・ダナ。
彼だけは、本物でした。
薄い胸と可愛げのなさ。
女としての魅力に乏しいと自覚しているソニアですが。
それでも、男に負けるとあっては女の矜持が傷つきます。
暗殺対象。
月のない夜には気をつけろ。
そんな殺伐とした笑みを浮かべながら、ソニアはティノの腕に胸を押しつけ、クロウに見せつけます。
一触即発ーーなのかどうかわからない静寂を破ったのは、班の先頭を歩いていたディズルでした。
彼は周囲を見回しながら、訝し気な表情で尋ねてきます。
「ーーリフは、どうした?」
「あー、えっと、不得意な分野の復習が、ちょっとだけ遅れてたから、一問だけ不正解だったみたい」
「……あの、馬鹿。だから基礎を怠るなと言っておいたのに」
ディズルは悪し様に言い捨てました。
地竜組の面々の様子からして、普段の彼はこのような粗野な言葉遣いはしていないようです。
リフは認めないでしょうが。
似た者同士ーー良い好敵手関係だと、炎竜組の面々はほっこりしてしまいました。
「こほんっ。君たちが『邪聖班』か。『聖拳』のストーフグレフ。『八創家』からも一目置かれる、シーソニア。ーーそれから、ベズ先生が仰っていたティノ。あと……」
「俺のこたぁ、気にしねぇでスルーしてくれ」
「そ、そうか、わかった。来周期、地竜組と炎竜組の代表で試合をーー『対抗戦』を行うと聞いている。もし、そのときの相手が君たちなら。正々堂々と戦おう」
馬鹿正直。
こういった人間を揶揄うのは得策ではない。
特に能力が高い正直者は、ソニアと相性が悪いので、別の意味で「馬鹿」がつくメイリーンに任せることにしました。
「心配しなくても、そのときはリフと戦えるように……」
「それは駄目だ。私情を挟むことは許さない。成績順、或いは強さの順で、戦う順番は決めることになるだろう」
「えー?」
正直馬鹿。
「悪」が大嫌いなメイリーンでしたが。
ディズルとは戦いたくない。
「正義」も度が過ぎると「ヤバいもの」になるのだということを、メイリーンは彼から学んだのでした。
そんな腰砕けのメイリーンに突き刺さる視線が一つ。
ディズルと違い、こちらのほうは非常にわかり易かったので。
彼女は好戦的な笑みで、正面からその「敵意」を跳ね返しました。
「言ってなかったけどな、俺は中央の出身だ。お子様が立ち寄れねぇ、中央の歓楽街。そこじゃあ、一に殴れ、二にぶん殴れ、三、四がなくて、五に蹴りまくれ、って感じで、『聖語』を刻んでる暇があったら、ぶちのめせ、が正義だ。まぁ、俺は遣りすぎちまって、学園に抛り込まれた口だ。で、な。『聖語』ならわかんねぇが、『拳』ならーー」
ギルは顔の前で拳を握り締め、その先に立つメイリーンを睨みつけます。
今にも喧嘩が始まりそうな緊迫感が漂いましたが、ギルはあっさりと拳から力を抜きました。
「何だかなぁ。『拳』じゃ、まったく勝てる気がしねぇ。『聖拳』なんてお遊びみてぇなもんだと思ってたがよ。どうやら、『本物』だったようだな」
「あんたが喧嘩で強くなったってんなら、『拳』ではあたしの相手にはならない。積み重ねてきた修練の、質と量が違う。ただ、あんたが『天才』なら、『野良』でもあたしに勝てるかもしれない」
示し合わせたわけでもないのに、二人の視線が同時にティノを捉えます。
自然と皆の視線が集まってきたので、状況を理解していないティノは咄嗟に愛想笑いで誤魔化しました。
愛想笑いでさえ、花の色香を漂わせるティノに。
頭を掻きながら、困惑した様子でギルは所感を述べます。
「え…えっと? な、何かな?」
「最初見たとき、『あ、こいつやべぇヤツだ』って俺の直感がぶん殴ってきやがった。今見てんと、あんま感じないんだけどよ、……お前は何なんだ?」
ティノの容姿にも、くっついているソニアにも惑わされず、ギルはティノを見定めようとします。
ティノの本性。
それについては運動音痴ーーだけでなく、「聖士」の資質のないソニアにはわからないことでした。
ただ、わからないーーという点に於いては、「聖域」生まれであるメイリーンもギルも同様でした。
耳を引っ張られる。
それに正しく対処できるのは、「聖域」ではメイリーンの父親だけです。
メイリーンは試合で父親に勝利しましたが、それが殺し合いであるなら、到底勝ち目はありません。
ティノにとっての戦いとは、殺し合い、若しくは一方的な虐殺でした。
目や耳といった感覚器は、攻撃の優先対象。
ナイフをどこに刺せば、手早く殺せるか。
魔物退治。
そんなことを十周期も続けてきたのが、ティノなのです。
命を奪う感触を、日常としていた少年。
恐れながらも、その「異質さ」に惹かれてしまう。
彼らが戸惑うのも無理はありません。
そして、毎度のことですが、ティノにはそうした機微はわかりません。
どう返答したものか、彼は困り果ててしまいます。
「何って言われても……?」
ティノが言葉に詰まった瞬間。
ソニアの半開きの目が、珍しくぱっちりと開きました。
惚れっぽいファロが、ソニアを見て赤くなっていたのですが、天啓を得た彼女の眼中にはありません。
そうです。
「旦那様」が困っていたら、助けてあげるのが「良妻」というものです。
そんなわけで、気が利くソニアは、フィフェスに尋ねました。
「フィフェス。高い装飾品が買える店。情報を希望」
「え? と、高価な品ですか? そうなると西のお店になりますが、中央地域からでるのは禁止されているので。ーー大通りの『聖樹』というお店を訪ねてください。フロンという女性が居たら、私の紹介だと伝えてください」
「ん。感謝。そのフロンという人は、『八創家』関係?」
「はい。西では所有地の割り当てが決まっているので、倉庫は中央にあると言っていました。予算を見せれば、適当なものを用意してくれると思います」
用は済んだ、ということで、ソニアはティノを引っ張って歩き始めます。
当然、ソニアは。
去り際に、クロウに眼を飛ばすのを忘れません。
「っ!」
それを受けて立つクロウ。
二人の熾烈な戦いが、今まさに始まったのですが。
当のティノは。
イオリに何を買ってゆくのかで頭がいっぱいになっていたので、二人の様子には気づいていません。
宣戦布告。
それで疲れてしまったのか、残念ながらソニアの目は半開きに戻ってしまい、美しくも妖しい金瞳の輝きも薄れてしまいます。
無言でイゴがあとを追うと、肩透かしを食ったメイリーンが溜息一つを残し、その場を離れたのでした。




