第4章 開拓者 浩平
1. マイハウスビルド
浩平が森へ足を踏み入れると、一瞬で空気の質が変わった。湿った土の匂いに、どこか甘い樹液の香りが混ざり合っている。
この広大な密林を見つけられたのは、岩浜を丸一日かけて粘り強く探索したおかげだった。
拠点と定めた場所から、前浜を正面に見て右手へと進んだ時のことだ。溶岩が固まってできた切り立った壁が、彼の行く手を遮った。
平原を緩やかに登って壁を迂回できないかと試み、その根本付近まで三十分ほど歩いて向こう側の浜辺を覗き込むと、そこには溶岩流が固まってできた広大な不毛の丘が広がっているだけだった。
それを踏まえ、今度は左方向の探索へと舵を切った。入り江のくぼみを越えて半日ほど歩いたところで、細い小川を発見する。
手にすくってみると、その水はかすかに温かかった。地下から湧き出る温泉水だったのだ。
無味無臭のそれを拠点へ持ち帰り、一度沸騰させてから慎重に毒味を行った。少量ずつ、数回に分けて経過を試した結果、今では極めて貴重な飲み水として重宝していた。
その温泉水の水源となっている山手こそが、目の前に広がる木材の群生地帯だった。
浩平は今、そこに生い茂る樹木を切り出し、運び出す作業に没頭していた。
カン、と鋭い音が響く。
手斧を振るうたび、木の芯が割れる乾いた音が森の静寂へと吸い込まれていく。
「……これなら、十分使えるな」
倒した丸太の太さと詰まった年輪を確かめながら、浩平は荒い息を整えた。
この世界の木は、地球のそれよりもわずかに密度が高い。ずっしりと重いが、そのぶん圧倒的に丈夫だった。ログハウスの資材としてはまさに誂え向きだ。
切り出した材木を草原の縁まで運び出し、簡易的に組んだ架台に並べて乾燥させる。森の奥にうっすらと漂う霧は相変わらず不気味だったが、自分の手で「家」を作り上げていく感覚が、心の奥に巣食う孤独と恐怖を少しずつ押し返してくれた。
拠点とした前浜は、食料の宝庫でもあった。
危険のない範囲で少しずつ採取し、己の身体で試しながら食用になるものを切り拓いていく。
海水温のせいか生い茂る海藻は塩分が強かったが、じっくり煮出すと驚くほど上質な出汁が取れた。
さらに、浅瀬を覗けばオキアミに似た小エビの群れがうごめいている。
驚くことに動きが極端に鈍く、バックパックを使い手ですくい入れる。これを軽く炒めるだけで、甲殻類特有の香ばしい風味が広がり、丸ごと美味しく味わうことができる。
……もちろん、全ての食材が当たりの天国だったわけではない。
中には、口にして飲み込んだ直後、まるで胃袋に直接刺さるような激しい刺激に襲われ、浩平が一人で悶絶する羽目になった危険な食材もあった。
そして、あの巨大なサザエモドキ。
大きな個体は殻が十センチほどの厚みもあり、海から引き揚げるだけでも一苦労だが、中の身は驚くほど柔らかい。煮ても焼いても旨味が強かったが、一番味が引き締まって美味だったのは大人の拳ほどのサイズだった。
この世界の海は、今のところ驚くほど人間に優しかった。
飲み水の確保も抜かりはなかった。温泉水のほか、建設地の裏手に群生している大きな葉を持つ植物を利用した。夜の間に葉の表面へ溜まる豊かな朝露を、拾ってきた巨大な貝殻を器代わりにして受け止めるのだ。
「……よし。これで水、食料とも、なんとかなりそうだ」
だが、苦労して引き上げる重い貝殻や膨大な丸太を運ぶには、素手では限界があった。
蔓や樹皮を剥いでロープを編もうと試みてはいるものの、どうしても強度が足りず、すぐに切れてしまう。試行錯誤の日々は、これからも続きそうだった。
ふと作業の手を止め、汗を拭った浩平の脳裏に、かつて暮らしていた東京の無機質な風景がよぎる。
あの大都会では、水も食料も、当たり前のように手に入った。
アスファルトと高層ビル群に囲まれた街。夜になっても途切れることのない、車が行き交う狂騒と雑音。
あの頃の自分は、己の手で何ひとつ生み出すこともなく、あらかじめ用意された巨大なシステムの中でただ消費し、流されて生きていただけだった。
東京に残してきた両親の顔が浮かぶ。
突然姿を消した息子を、今頃どれほど心配しているだろうか。警察に失踪届が出され、憔悴しながらあちこちを探し回っているかもしれない。
申し訳なさと胸を締め付けるような切なさが込み上げるが、今の自分には連絡を取る術などどこにもなかった。
そして――もう一人。
自分より少し前に、職場から突然姿を消した同僚の「祐介」のことだ。
(あいつは今、どこにいる……?)
祐介が消えたとき、会社では単なる職場放棄をして蒸発したんだと噂されていた。
だが、自分がこのような理外の異世界へと飛ばされた今となっては、祐介もまた同じように、この世界のどこか――あるいは別の異次元へ飛ばされたのではないかという思いが拭えなかった。
もし祐介もこの世界のどこかに漂着し、生き足掻いているのだとしたら。
あるいは、自分がここを生き抜き、いつか元の世界へ戻る道を見つけ出せるのだとしたら。
だからこそ、こんな場所で途中で倒れるわけにはいかなかった。
乾燥中の材木の肌触りを確かめながら、浩平は胸の中に「ここで生き抜く」という確かな実感が芽生えていくのを感じていた。
家を建てるという行為は、この世界に己の存在を刻み込む作業であると同時に、いつか巡り逢うかもしれない「誰か」のための絶対的な道標でもあった。
「……最高のマイハウスにしてやるぞ」
浩平は乾きかけた丸太の一本を肩に担ぎ直し、草原の中央へと歩き出した。そこが、彼のログハウスの建設予定地だった。
風が吹き抜け、青々とした草が波のように揺れる。
太陽は長い一日の半ばを過ぎ、空を茜色へと染め始めていた。
この世界の空は、今日も静かだ。
だが、その静寂の奥底には、まだ見ぬ何かが息を潜めている気配もあった。
それでも――彼の家づくりは、確実に前へ進んでいた。
2. 誰かの為の道標
ログハウスの建築を進めながらも、浩平の心は「あの洞窟」へと向けられていた。近いうちに、一度戻らなければならない。
彼は頭の中で簡単な確率を試算してみた。
もし、この理不尽な世界へ人間が漂着する一定の周期が存在するのだとすれば――自分が来る前にあの洞窟で命を落とした「先駆者」が流れ着いたのは、遺品にあった手帳から見て1947年のことだ。
仮に彼以降、自分が来るまで誰一人として現れなかったのだとすれば、およそ五十年代から六十年代に一人という計算になる。
終戦直後から現代にかけて地球の人口が約二倍以上に増えたことを考慮し、自分がこの世界で八十歳まで生き抜くと仮定した場合――己の存命中にもう一人くらいは、新たな漂着者がやってくる計算が成り立つ。
「その時のために……あの場所に案内標識(看板)を設置してやらなきゃな」
我が家が完成してからでも遅くはないのかもしれない。しかし、自分や祐介のような人間が明日にもあの洞窟へ落ちてくるかもしれないと考えたら、居ても立ってもいられなくなった。
幸い、家作りのために伐採を進めている森をさらに上へと登っていけば、以前のベースキャンプ(洞窟)の方角へと繋がっているはずだった。
そう踏んだ浩平は、木材の伐採と並行して「道」そのものを切り拓くことにした。
ここを通れば、あの鼻を突く不気味な泥沼領域を完全に回避できる。遠回りにならずに済み、安全なルートが確保できるなら一石二鳥だ。
くぎ等が存在しない以上、木材は手斧一本で削り出し、組み上げるしかない。
素人の拙い手習いでどこまでまともな構造物が作れるか、不安と同時に、胸が高鳴るような楽しみでもあった。
土間に敷き詰めた平らな石の上へ、切り出した丸太を並べていく。地面からの朝露を吸って木が腐食するのを防ぐためだ。
横に寝かせた丸太の両端に、手斧でV字の切れ込みを入れる。そこへ次の丸太を噛み合わせるようにして、一段ずつ積み上げていくのだ。
それから三ヶ月も経った頃には、驚くほど立派な木壁が立ち上がっていた。
これで床と壁は完成だ。あとは屋根さえ架ければ完璧だが……もっとも、他の誰かが見たら「ただの頑丈な小屋」、あるいはガレージと呼ぶかもしれない。
だが、それで十分だった。
天井がなく、夜空がダイレクトに見えるログハウス――そう思えば悪くない。幸いにもこの世界には雨が降らない時期が続いているようで、屋根の施工を焦る必要がないのは大きな救いだった。
日干しにしておいたサザエモドキの干物や燻製、小エビの塩焼きをバックパックへ詰め込み、水筒を満たして出発の準備を整える。
腰にナタを下げ、サバイバルナイフを確かめると、浩平は洞窟を目指して緩やかな坂道へと踏み出した。
左手には、以前死に物狂いで泥沼を避けながら下ってきた、背丈ほどもあるシダ植物の群生地。右手には鬱蒼とした密林。ちょうどその境界線の木々を伐採し、この一本道を切り拓いてきたのだ。
今回は、その道を逆へと上っている。
(もし、これが下りじゃなく上りからのスタートだったら……)
想像するだけで寒気がした。上り傾斜だったからこそ、切り出した重い材木を下の建設地まで転がすように運ぶことができたのだ。
緩やかとはいえ、切り拓いたばかりの坂道を上るのは想像以上に体力を削られた。
「……覚悟を決めて準備してきたんだ。大丈夫だ!」
自分に言い聞かせるように呟きながら、一歩一歩踏みしめていく。
数日間かけて登り続けていくと、周囲の景観が次第に変化し、木々がポツポツと点在する開けた景色へと変わっていった。目を凝らすと、十ヶ月前に自分が折り曲げておいた枝の痕跡が、はっきりと残っている。
ルートは寸分狂いなく合っていた。
それにしても、相変わらず生き物の気配すら存在しない代わり映えの無い世界だ。
自分以外の動植物(脅威)など存在しないと半ば確信できるせいで、緊張感や警戒心はどこか薄れていた。その生存確率、実に99.999%――そんな無意味な数字が頭をよぎる。
結局のところ、自分は猛烈に寂しいのだ。
とにかく、今の絶対鉄則は「怪我をしないこと」。一人きりの世界で動けなくなることこそが、唯一の死を意味していた。
それからさらに五日が過ぎた頃――。
目指す視界の先、一本の樹木に巻きつけられたあの赤色の蛍光ナイロンテープが飛び込んできた。
まだ一年も経っていないというのに、涙が出そうなほど懐かしい。
いよいよ、始まりの場所への到着だった。
3. ×印と異世界の秘密
そろそろだな――。
浩平は、胸の奥で微かな興奮が跳ねるのを感じていた。
さすがに二週間の行程は過酷だった。魚貝類を食べて体力がついたとはいえ、今回は草木を刈り払い、道を整備しながらの移動だ。
当然、帰り道も崩れた場所を整えながら戻らねばならない。
それでも、ついにここまで戻ってきた。
あの思い出深い洞窟の前に立つのは、実に十ヶ月ぶりのことだった。
浩平は肩から重いバックパックを降ろし、岩肌に預けた。
何気なく、洞窟の奥深くにひっそりと置かれた先駆者の猟銃へ視線をやる。
そして、あの初日に拾い上げた、転がっていた一発の薬莢のことを思い出していた。
あの一発は、決して獲物を狙って撃ち放たれたものではない。
自分の存在を誰かに知らせるため、命の限り引き金を引いた「最後の叫び」だったのではないか――。
そう考えると、胸が締め付けられるような切なさがこみ上げる。浩平は小さく自嘲の笑みを漏らした。
その後、壁面に刻まれた歪な地図の前へと歩み寄る。
洞窟を出て以来、ずっと頭の片隅から離れなかった、あの不気味な「×印」。
先駆者は、間違いなくあの場所まで辿り着いたのだ。
そして、一体どんな思いを抱いて、あの×を刻んだのだろうか。
「……行ってみるしかないな」
しばらく地図を凝視したあと、浩平は洞窟の外に放置されている愛車へと向かった。
ドアは閉まっていたが、鍵は開いたままだ。
車内には着替えの衣類が少しと、まだ使えそうなキャンプギアが残されているだけ。四ヶ月前と何ひとつ変わっていなかった。
「……まあ、そうだよな」
誰もいないのだから、変わるはずもない。
そう納得する一方で、胸の奥が妙にざわついた。
誰も来ていないことに安心すると同時に、耐え難いほどの拒絶感と不安が押し寄せてくる。一人きりであることに安息を感じているのか、それとも発狂しそうなほど寂しいのか、自分自身の感情すら見失いそうだった。
バックパックの中の保存食には、まだ十分な余裕がある。
浩平はしばらく思考を巡らせた。
「よし……少し足を延ばしてみるか」
機動力を上げるため、車内にあった不要な荷物を降ろし、必要最低限の装備だけを手元に残す。
地図を読み解く限り、洞窟の裏手に位置する「北の×印」の地点はそれほど遠くないはずだ。何しろ、十二日間もかけて険しい坂を登り詰めてきたのだ。今の体力と足腰なら、目と鼻の先のようにすら感じられた。
もちろん、未知の領域である以上、甘い行程など存在しない。それでも知った土地の周辺ゆえに、ある程度の勝手は分かっていた。
翌朝、浩平は洞窟を出発した。
洞窟を形成する巨大な岩盤の裾野をなぞるようにして、その北側へと回り込んでいく。
道中、先駆者が残したと思われる目印を発見した。古びた麻紐が、太い枝に力強く結び付けられている。
さらに奥へ進むと、鬱蒼とした木々の隙間に、かつて誰かが踏み分けたかすかな痕跡が残されていた。参道と呼ぶにはあまりにも頼りないが、確かにそこには石を敷き詰めたような「道」の形跡が存在していた。
浩平はその先人の足跡をなぞるように、慎重に前進した。
途中で休息を挟みながら、七時間ほど歩き続けた頃――。
陽が傾ききる前に、地図に示された×印の指定ポイント付近へと辿り着いた。
「……たぶん、この辺りだよな」
足を止め、荒い息を吐きながら周囲を見回す。
記憶の中の地図と照らし合わせても、位置に狂いはないはずだった。
朝から半日近く歩き詰めたが、浩平の胸には疲労を上回る奇妙な高揚感が満ちていた。
いよいよ、あの「×印」の現場だ。
あの先駆者がここまで踏み込み――そして、この地に×を刻んだ。
「一体、何があったんだ……?」
改めて周囲を克明に観察する。
だが、そこにあるのは辺り一面を埋め尽くすどこにでもある樹木と、腰を下ろすのにちょうどいい低い岩肌、そして足元を覆い尽くす雑草だけだった。
道中に転がっていた石ころや景色と何ら変わりなく、異質なものなど何ひとつ見当たらなかった。
「……なるほどな」
思わず苦笑が漏れる。これなら、ここに×印をつけたくなる気持ちも痛いほど理解できた。
何か価値ある発見や、ましてや元の世界へ戻る出口の気配など、どこをどう探しても存在しそうにない。
あの先駆者もここまで来て、何も見つけられなかった。だから失望とともに×を刻んだ。
理屈としては、それがすべてだろう。けれど――。
「……何もなかったんじゃなくて、見つけられなかっただけ……だったりして」
声に出した瞬間、浩平は己の未練がましさに自嘲の笑みを浮かべた。
さすがに考えすぎだ。
それでも、なぜかどうやってもその場を立ち去る気になれなかった。
「……日も落ちてきた。今夜はここで明かすとするか」
バックパックから温くなった缶ビールと乾物を取り出す。
樹木にハンモックをセットし、ビールを喉へ流し込みながら、静まり返った夜空を見上げた。
先駆者は、この場所で何を思っていたのだろう。無事に帰れるよう、この岩を祭壇に見立てて祈りでも捧げたのだろうか。いや、あの武骨な猟銃の持ち主がそんなロマンチックなことをするはずもないか。
地球とは異なる歪な星座や、夜空に不気味な緑色の光を放つ巨大な惑星を眺めながら、とりとめのない妄想に耽っているうちに、浩平は微睡みの中へと落ちていった。
翌朝――。
目覚めてからも、浩平は諦めきれずにしばらく周囲を捜索してみたが、やはりそれらしい痕跡は見つからなかった。
「……やっぱり、何もないか」
溜息を吐き、探索を切り上げて洞窟へ引き返すことにした。
戻る前に腹ごしらえを済ませようと、バックパックから貝の干物を取り出す。そして、すぐ脇にあった腰掛け代わりにちょうどいい平たい岩へ、どかと腰を下ろした。
ガクンと、目線の高さが低くなる。
立っていた時にはまったく視界に入っていなかったものが、ふと彼の目に飛び込んできた。
低い木々の向こう側――林の先、地面を覆う草むらが不自然な直線状に途切れていたのだ。
浩平は干物を握りしめたまま弾みをつけて立ち上がり、その場所へ近寄った。
覆いかぶさる雑草を手で掻き分けると、土の上に細い石の溝のような筋が走っていた。雨水で削れたような自然の造形とは、到底思えない精巧さだった。
「……なんだ、これ?」
膝をつき、震える指先でその溝をなぞる。
筋は岩の陰から伸び、さらに奥の鬱蒼とした深林へと続いていた。
浩平は、ハッと息をのんで振り返った。
さっきまで自分が腰掛けていた、あの平たい岩。
そして、地図に記された「×印」の地点。
「……まさか」
浩平は引き寄せられるように、もう一度その岩へ腰を下ろした。
今度は、さっきと寸分違わぬ姿勢で。
目線の高さを、正確に合わせる。
すると――。
林の陰に隠れていた溝が、はっきりと一本の「線」となって繋がって見えた。
いや――単なる線などではない。
それは、緻密に隠された細い「道」だった。
立ち上がった目線では、生い茂る草と地面の起伏に紛れて完璧に死角となっていたのだ。
だが、この岩に腰を下ろした特定の視点から見れば、一目でわかる。誰かが幾度となく踏みしめたように草が一定の幅で押し潰され、石の溝が刻まれていた。
「……道、なのか……!?」
浩平の胸が、激しく高鳴り始めた。
その瞬間、頭の中にくすぶっていた違和感のピースが、一気にひとつへと繋がっていく。
あの壁の×印。
腰掛けにちょうどいい、この岩。
そして、視線の先に隠されたこの道。
「……あの先駆者も、ここに座ったのか……?」
応えてくれる者は誰もいない。
けれど浩平には、先駆者が自分とまったく同じようにこの岩へ腰掛け、この道を見つけ出した瞬間の光景が、はっきりと目に浮かぶようだった。
「――よし、行こう」
草を力任せに押し分けながら進んでいく。
細道は、思っていたよりも長かった。
十五メートル……いや、二十メートルほどだろうか。
足元の草を踏み分け、時折顔にかかる枝を払いながら進む。周囲の密林は相変わらず鬱蒼としているというのに、この細道だけは不自然なほど真っ直ぐに伸びていた。
誰かが何度も往復したことでできた道。
そう思っていた。
だが――。
不意に、目の前の視界が劇的に開けた。
「……え?」
浩平は、思わず足を止めた。
そこだけ、世界が切り取られたかのようだった。
周囲を取り囲む木々や草むらとは明らかに異なる、地面一面に広がる硬い岩盤。
しかも、ただの岩場ではない。
ほぼ完全な「円形」を描いて岩盤が広がり、その表面は長い年月を経ても崩れた様子がない。苔や草が一切侵食しておらず、まるで誰かがそこだけを極限まで削り出し、平らに整えたかのようだった。
浩平は息を殺し、慎重に一歩を踏み出した。
靴底から伝わる感触が、明らかに違う。
土の柔らかさもない。
風雨に削られた自然の岩肌特有の凹凸もない。
異常なまでに硬く、そして滑らかだった。
「なんなんだ、ここは……!?」
抑えきれない声が漏れる。
さらに目を凝らす。
円形の岩盤の表面には、細い溝が刻み込まれていた。
一本や二本ではない。
落葉と埃に埋もれてはいるが直線と曲線が規則正しく組み合わされ、円や三角形、四角形といった高度な幾何学模様を描き出している。
落書きや偶然の傷などでは到底あり得ない。一定の間隔で整然と並び、互いに繋がり合いながら、ひとつの巨大な回路のようなパターンを形成していた。
まるで――高度な文明の設計図。
あるいは、巨大な魔導装置の一部。
浩平は息を呑み、その模様の中心へと視線を向けた。
そこには、一段高くなった「台座」が存在していた。
高さは膝ほど。大きさは、さっき自分が腰掛けていた岩とほぼ同じくらいだ。
だが、それは自然の産物では断じてなかった。
側面は垂直に切り立ち、上面は寸分の狂いもなく平らに削り出されている。角のラインすら完璧な直角を描いていた。
さらに近づいて上面を覗き込むと、そこには決定的な異匠が施されていた。
中央に刻まれた幾何学模様の中に溶け込むようにして、あきらかに「人間の足形」を模したと思われる二つのくぼみ――足を乗せるための台座マークが、並んで刻み込まれていたのだ。
――祭壇。
浩平の頭に、そんな言葉が浮かんだ。
しかし、何を祀るためのものなのか、あるいは何を作動させるための装置なのかは分からない。
そもそも、この文明の存在しない荒涼とした異世界に、このような精巧な場所を作り上げた存在がいるという事実そのものが、理解の許容範囲を超えていた。
浩平はゆっくりと周囲を見回した。
鬱蒼とした木々、生い茂る草むら、どこまでも続く密林。
それらは、今まで見てきた異世界の景色と何ひとつ変わらない。
なのに、この円形の空間だけがあまりにも異質に整いすぎている。自然の偶然で出来上がったとは、万に一つもあり得なかった。
浩平は吸い寄せられるように台座へ近づき、その滑らかな表面にそっと手を触れた。
刻まれた足形のくぼみを、指先で慎重になぞる。
冷たく、そして恐ろしいほど硬い。
「……これ、誰が作ったんだ……?」
つづく




