第28話 脱出と覚醒
1.覚醒の兆しと、消えた千秋
その頃――異世界キャンプ施設にて。
「なぁ、拓郎。この台帳さ、計算間違ってないか? ちょっと再確認しておいてくれよ」
「マジか? 俺、間違えてたか?」
「もし訂正するなら、二本線引いて小さいハンコ押しておいてくれよな」
「あぁ、分かった分かった」
そう言って電卓を叩き始めた拓郎だったが――
「……やっぱり間違ってるわ!」
定規とペンで修正しようとするが、「あれ、ペンがない!」と気づく。隣の部屋に置いてきたかと思い、立ち上がろうとしたその瞬間だった。
机の上の台帳の脇で、コトン、と小さな音が響く。
何気なく指先を見つめた拓郎の動きが、ピタリと止まった。
「――ペ、ペンが出たぁぁぁっ!!」
拓郎の大声を聞きつけて、千秋が慌てて部屋に飛び込んできた。
「何があった!? どうしたんだ拓郎!」
拓郎はプルプルと手を震わせ、デスクの上に転がる1本のボールペンを凝視している。
「ペ、ペン! ペンが……っ!」
「……ついに狂ったか」
千秋が心底呆れたように呟く。
「そうじゃないんだよ! なぁ千秋、このペン! 突然出てきたんだよ!」
「空間から?」
「そう!」
「何をバカな……」
千秋は「面倒なことに巻き込まれそうだ」と、そっと後ずさりした。
――しかし、これはただの勘違いでも錯覚でもなかった。
かつて浩平に連れられて転移台座を一度くぐった影響が、ここに来て二人の体に現れ始めていたのだ。彼ら自身はまだ知る由もないが、二人の体内で『魔法』が目覚めつつあったのである。
のちに拓郎が覚醒させるのは、想い描いた物体を空間から取り出す『錬金術(アイテム作成)』の力。(ただし、ボールペン程度の小さな物しか出せない)。
そして、面倒事から隠れたいという強い執着を持つ千秋が目覚めさせるのは、触れた物質と同じ硬さになって姿を覆い隠す『擬態・硬化』の力であった――。
拓郎は手にとったペンで台帳に書き込もうとしたが、紙にはかすかな傷がつくだけでインクは出なかった。
少し冷静になった拓郎は、ペンをかざしてインクが入っているか確かめようとする。
しかし、観察すればするほど不気味な事実に突き当たった。それは精巧に作られた「ペンの形をした何か」であり、実用品としての構造をなしていない、単なる模型のようなシロモノだったのだ。
一方の千秋は、「拓郎はいよいよ頭がおかしくなったのかもしれない」と本気で恐怖を感じていた。関わったらろくなことにならない、と心の中で唾を呑み込む。
(誰でもいいから早く、早く帰ってきてくれ……! 俺には拓郎の言っている意味がさっぱり分からないんだ!)
千秋が内心で必死にそう願っていた、まさにその時だった。
部屋に入り、拓郎が振り返って話しかけてくる。
「なぁ千秋、やっぱりこのペンおかしいよな。見ろよこれ……」
――次の瞬間、拓郎の視界から千秋の姿がふっと消え去った。
影も形もなく、一瞬にして目の前から消失したのだ。
「ち、千秋……!?」
空間から突然現れた謎のペン。そして今度は目の前で消えた仲間。
キャパシティを遥かに超えた怪現象の連発に、拓郎の思考は完全にフリーズした。彼は声もなくその場に倒れ込み、そのまま白目をむいて気を失ってしまった。
2.転移台座が姿を表す
「浩平さん、そろそろ大丈夫じゃない?」
作業の手を止めた歩美が声をかける。
浩平は「どれどれ」と崩落から救い出した足印台座にかがみ込み、鍵穴の中に泥や土砂が入っていないかをじっくりと凝視した。
「……いや、まだ内部が濡れているな。変に湿った状態で鍵を差すのも危険だし、少し乾くのを待とう」
浩平の慎重な判断により、その日は洞窟の外へ出て野営を行い、一夜を明かすことになった。
パチパチと薪がはぜる焚き火を囲み、愛衣が香ばしく焼いた肉をかじりながらポツリと呟く。
「ねえ……あの二人、ちゃんとやってるかな?」
「台座から向こうに出られたら、真っ直ぐ一旦帰ろうか。あれからしばらく日にちも経っているしね」
歩美もどこか心配そうに頷いた。
すると、静かに火を見つめていた澪が、ふと思い立ったように口を開いた。
「……ふたりとも、そろそろ魔法が使える頃かもよ?」
「えぇっ!? まさかぁ」と愛衣たちが笑い合う中、夜は静かに更けていった。
――そして翌朝。
しっかりと乾燥した足印台座の前に立った浩平は、意を決して鍵穴へと琥珀色の鍵を差し込んだ。
「よし……起動するぞ」
浩平が台座の鍵穴に琥珀色の鍵を差し込み、ゆっくりと回す。
しっかりと乾燥した足印台座が神秘的な青白い光を放ち始め、一人、また一人と、四人の体をその光が包み込んでいく。
一瞬の浮遊感と視界の歪みを抜けたあと、彼らが飛び出したのは、見覚えのある「ブロック部屋」の中だった。
(ん……? ここは……?)
全員が同じ疑問を同時に抱く。まさか、あのドワーフの集落の――?
愛衣がすぐさま小窓から外を覗き込み、息を呑む。
「この風景……もしかして、隣の部屋じゃない!?」
「どれどれ?」
浩平が窓から外を覗き、隣の壁沿いへと視線を移す。そして、小さな小窓(出るだけの台座)がある部屋の右側の壁を指差すと、低く鋭い小声で合図を出した。
「……よし。ここの壁をぶっ壊すぞ!」
「歩美さん、行けるか?」
「はい、任せてください!」
歩美はすかさず魔法を発動し、コントロールされた超高圧の水流で、分厚い壁を綺麗に正方形へと削り取っていく。
削り屑がパラパラと落ち、ぽっかりと開いた穴の向こうを覗き込んで、浩平は確信を込めて笑った。
「――やっぱりだ! 外に出られるぞ!」
そこに広がっていたのは、紛うことなき――懐かしい異世界キャンプ施設の匂いと、慣れ親しんだ空気そのものだった。
――懐かしい、異世界キャンプ施設の匂いと空気。
「ふぅ……無事に帰ってこられたね!」
愛衣がほっと胸を撫で下ろし、歩美も緊張の糸を緩めて笑顔を見せた。
「うん。まずは千秋と拓郎に無事を知らせて、それから——」
浩平がそこまで言いかけた、まさにその時だった。
「……ん? なんだあれ……?」
リビングの床の中央で、拓郎が白目をむいてピクピクと倒れていた。
そのすぐ脇には、なぜかポツンと放置された1本のボールペン。
「た、拓郎っ!?」
浩平と愛衣が青ざめて駆け寄る。
「おい、しっかりしろ拓郎! 一体何があったんだ! 魔物の襲撃か!?」
浩平が肩を揺さぶると、拓郎は「……はっ!?」と跳び起き、脅えた目で周囲を見回した。
「ほ、浩平さん……!? 愛衣ちゃん!? 帰ってきてくれたのか!!」
「拓郎、大丈夫!? 何があったの? 千秋くんはどこ!?」
愛衣が周囲を見渡すが、部屋の中には千秋の姿が見当たらない。
「眼の前から消えた!」と拓郎が言った!
すると、誰もいないはずの壁際――ただの壁紙しか見えない空間から、情けない声が響いた。
『……こ、浩平さん……そこにいるのか……?』
「うわぁっ!? 壁から声がする!?」
歩美が思わず身構える。
その瞬間に、千秋は安心したのか姿が見えだした。
浩平が探査の電磁波を軽く壁側へ伸ばすと、そこにはハッキリと「人の形をした反応」が存在していた。
「千秋、お前……そこにいたのか? なんで壁と同化してるんだ?」
『拓郎がいきなり空間からペンを出したと真剣に言い出して頭がおかしくなったと思ったら、今度は目の前の俺まで消えて見えないって言いだして……! 怖くて動けないんだ!』
パニックになって叫ぶ千秋と、半泣きで「俺のせいじゃない!」と訴える拓郎。
カオスすぎる部屋の状況に、浩平と愛衣は開いた口が塞がらない。
そんな中、後ろで静かに様子を見ていた澪が、フッと満足そうに口元をほころばせた。
「……ね? 言ったでしょ。魔法、使えるようになってるって」
澪のツッコミが部屋中に響き渡り、長旅の緊張感は綺麗さっぱり吹き飛んでしまうのだった。
3.二人の能力
翌朝、キャンプ施設の会議室に全員が集まっていた。
浩平は二人の前へ昨日の『ペン』を置き、静かに切り出した。
「――それで、昨日の現象について俺の考えを説明する」
浩平は置かれたペンを見つめながら言葉を続ける。
「見た限りで言えば……拓郎。お前は『錬金術』が使えるようになりつつある。覚醒の瞬間、心の中で何か『物』を強く望んだんじゃないか?」
「あ……確かに『ペン、ペン!』って考えてたかも……」
拓郎が思い当たる節に頷くと、浩平は視線を千秋へと向けた。
「そして千秋。お前はおそらく『触れた物質に擬態する魔法』だ。なぜその力なのか理由は分からないが……」
「……俺、あの時『拓郎の関わりから消えたい、身を隠したい』って切実に願ってたんだよな……」
千秋が遠い目で呟く。
「とにかく、二人とも『攻撃魔法』ではないことだけは確かだ」
浩平が締めくくると、横から澪がひょっこりと割り込んで微笑んだ。
「うふふ、私と同じで攻撃魔法じゃなくて良かったじゃない! 仲間が増えて嬉しいわ」
澪にそう慰められたものの、拓郎と千秋はどこか「ド派手な攻撃魔法が良かったな……」と言いたげな、残念そうな顔を浮かべていた。
そんな二人の肩を、浩平がポンと叩く。
「落ち込むなよ。ハッキリ言って、二人の魔法は使い方次第で最強のサポート能力になる」
「えっ……本当か、浩平さん!?」
二人がパッと顔を上げた。浩平は指を一本立てて説明を始める。
「拓郎の錬金術は、イメージ次第でダンジョン内での予備の矢やロープ、解体ツールなんかを瞬時に補給できる『歩く弾薬庫』になれる。そして千秋の擬態は、魔物の目を欺いて気配を消す『最高のスカウト(偵察役)』だ。正攻法じゃ進めない場所も、お前の力なら突破できるかもしれない」
「歩く弾薬庫……!」「最高のスカウト……!」
単純な二人の目が輝き始める。
「よし、今度二人の能力の精度を上げる特訓だ。
とは言っても今直ぐにどうにかなるわけでもないが。
それと――拓郎の錬金術の構造を完璧にするために、もっと単純なものを作る練習をすれば良い」
魔法は普段から使っていれば徐々に上手くなる。
「浩平のその言葉を真に受けた二人は、さっそくキャンプ施設での日常生活の中で魔法の練習を始めた。
拓郎の課題は、まず「構造が単純な身の回りの道具」を完璧にイメージすること。
ターゲットに選ばれたのは、スープを飲むための金属製スプーンだった。
「よし……丸くて、柄があって、すくう凹みがある……!」
拓郎が唸りながら手をかざすと、ポンッと空間から金属の物体が飛び出した。
「出来た! 見ろよ浩平さん、完璧なスプーンだ!」
「どれどれ……。……拓郎、これ『すくう部分』が無くなってるぞ。これじゃペンだ」
「えっ!?」
イメージが大雑把な拓郎の錬金術は、あと一歩のところで詰めが甘かった。
その後も練習を続けたものの、柄が棍棒並みに太いペンや、純金製の重いペン、時には強度不足でふにゃふにゃのペン、色鉛筆が量産され、部屋には「惜しいペンの山」が築かれていくのだった。
一方、千秋の課題は「触れた壁や物体に自然と同化すること」。
彼は廊下の柱やリビングの壁に張り付き、気配を消す練習に励んでいた。
だが――集中力が切れると『一部だけ同化が解ける』という事故が発生した。
「きゃあああぁぁぁっ!! 壁から千秋くんの顔が生えてるぅぅっ!!」
夕食の準備をしようと廊下を通りかかった愛衣の悲鳴が響き渡る。
壁と一体化していた千秋がうっかり意識を緩める、顔の部分だけ同化を解除してしまったのだ。
壁からぽっかり浮かび上がる千秋の生首――ホラー以外の何物でもない光景に、施設内は大パニックとなった。
「千秋……お前、壁と同化するときはノックしてからにしろ」
「壁にノックしてどうするんだよ浩平さん!?」
呆れる浩平と、怒られる千秋。
二人の魔法はまだまだ未熟でトラブル続きだったが、こうした賑やかな日常の失敗を通じて、二人の能力と魔力は着実に、そして確実に研ぎ澄まされていくのだった。
(つづく)




