第22章 境界領域のクラフトライフ
1.ヒョウ
赤い二つの目。どこか聞き覚えのある足取り。一体、狼なのだろうか――?
目を凝らしながら、浩平は小さく声を上げて傍らにあった薪をつかむと、みんなの眠るテントへとぶつけた。
「おいっ! みんな起きろ!」
迫りくる気配を感じ取り、一行は焚き火をつけたまま、速やかに周囲の木々の陰へと身を隠した。
やがて現れたのは、薄汚れた人間……二人の原始人らしき姿だった。
彼らは片手に松明を掲げ、もう片方には手に馴染む大きさの、先が鋭く尖った石の鏃を握っている。忍び足で焚き火のそばまで近づくと、警戒するように周囲を見回し始めた。
物陰から観察していた浩平は、彼らがかつて遭遇したあの狼の毛皮によく似た衣服をまとっていることに気づく。どうやら、多少の知恵や道具を扱う文化はあるようだ。
彼らは恐る恐る、残されたテントや見慣れぬキャンピングギアへと手を触れようとしていた。
その時、浩平は意を決して、一人だけでゆっくりと彼らの前に姿を現した。
浩平が姿を現した瞬間、原始人たちは弾かれたように跳びのくと、十メートルほど走って後退した。
そこで足を止め、腰を落としてこちらを注視している。だが、手に持った鏃を投げつけてくる様子はない。
浩平は「こっちへ来い」と、手招きをしてみせた。
すると原始人たちは二人で顔を見合わせると、浩平の動きを模倣するように、まったく同じジェスチャーを返してきたのだった。
そこからは、お互いに同じ動作をくり返すばかりの時間が続いた。
きりがないと判断した浩平は、バッグの中に手を突っ込むと、取り出した「サザエモドキの燻製」を一つ、彼らの足元へと放り投げてみた。
原始人たちは慌てて後退したが、やがて恐る恐る戻ってきた。一人がかがみ込むと、鼻を近づけて匂いを嗅ぎ、手も使わずにそのまま直接かじりつく。それを見ていたもう一人が、相手の口から半分飛び出していた燻製を手で力任せに奪い取った。
物陰から観察していた浩平は「おもしろいな」と呟き、もう一つの燻製を投げ込んでやった。
彼らがそれも食べ終えるのを見届けてから、今度は少し手前の地面に二つ転がしてみる。
原始人たちはさらに浩平たちの近くまで歩み寄り、そこに腰を下ろして貪り食い始めた。
その様子を見て安全だと判断したのか、歩美、愛衣、澪の三人も、足音を殺しながら少しずつ焚き火のそばへと戻り、腰を下ろした。
愛衣が原始人たちを眺めながら、半ば面白がって声をかける。
「おい、原始人! サザエモドキは美味いか?」
すると、驚いたことに原始人の口から、愛衣の言葉によく似た音の連なりが返ってきた。
四人は思わず顔を見合わせる。
「……喋った!?」
浩平はさらに手元へとサザエモドキを放り投げた。二人は四つん這いになってすぐ近くまで寄ってくると、夢中で燻製を貪り食う。
「そりゃあ美味いだろ! 味付けだって完璧だからな!」
浩平がドヤ顔で胸を張ると、原始人はまたしてもその言葉を真似して声を上げた。ニュアンスこそ近いものの、発音は明らかに崩れている。
単なるオウム返しに過ぎないのだろうが、その言葉の意味ははっきりと四人の頭に理解できたのだった。
「浩平さん、どうするんですか? 敵意はなさそうですけど、鋭い鏃を持っていますし……」
歩美が小声で懸念を口にする。
だが、浩平は「自分たちの立場が逆なら、警戒して武器を持つのは当然だろう」と、特に気にした風もなく考えていた。
空がしらみ始めてきた。
野生動物なら、そろそろ動き出して獲物を探し始める頃合いだろう。
もしかすると、この二人の原始人も群れから離れ、腹を減らしてウサギか何かを狩りに来たのだろうか?
そんな考えが頭をよぎった、その時だった。
ヒョウ柄の毛皮に、口元から大きくはみ出した牙を持つ一匹の獣が、こちらに向かって勢いよく走ってきた。
まだ距離は十分にある。浩平は二人の原始人がどう対応するのか、静かに見守ることにした。
よく見ると、そのヒョウのような獣はそれほど巨大ではなく、原始人よりも小柄でシェパード犬ほどの大きさしかない。
原始人たちは素早く左右に散った。ヒョウは片方の原始人を目掛けて躍りかかり、鋭い爪を立てた前足で押し倒す。
だが、その瞬間――もう一人の原始人が飛び出し、ヒョウの頭部へ向けて掌サイズの鏃を叩きつけた。
それは運よく、ヒョウの片目を深く貫く。
さらに、覆い被さられた側の原始人も、体勢を崩しながらヒョウのみぞおちからへそ付近にかけて、鋭い石の刃を突き立てていた。
道具の殺傷能力自体は乏しいものの、片目を潰されたヒョウは怯み、たまらずその場から逃げ出そうとした。
まさに、その時だ。
「ファイアーボール!」
「ウォーターバレット!」
「行っけーっ!」
愛衣、歩美、澪の三人が、同時に攻撃を解き放った。
空気を震わせる声とともに、愛衣の放った真っ赤な火の玉がヒョウに着弾し、ドカン!とけたたましい爆発音を響かせる。
間髪入れずに放たれた歩美のバレット弾は、ヒョウの首と腹を容易く撃ち貫き、澪のスリングショットから放たれたパチンコ玉も鋭く皮膚へとめり込んだ。
目の前で起きたあまりの衝撃と圧倒的な破壊力に、原始人たちは完全に腰を抜かして呆然としていた。
おそらく、先ほど愛衣が放った爆発音に度肝を抜かれたのだろうと浩平は思った。
一人の原始人は地に伏したまま動けずにいた。
よく見ると、頭部から背中にかけてヒョウの鋭い爪でつけられた浅い傷があり、じんわりと血が滲み出ている。
それを見つけた澪はすかさず側に駆け寄り、傷口の上へ優しく手をかざした。
もう一人の原始人は、目の前で何が起きているのかまったく理解できず、目を丸くしながら澪の顔と淡い光を放つ手を何度も交互に凝視している。
その隙に、浩平は倒れたヒョウの解体作業にとりかかった。
以前、あの大型狼の解体処理を経験していたおかげで、手慣れた手つきでサバイバルナイフを振るい、手際よく処理を進めていく。
驚異的な火力を放つ少女たちに、傷を瞬時に癒やす光の魔法、そして迷いなく獣を捌く手練れの男――。
原始人たちは、自分たちの常識を遥かに超えた怪異でも見るかのような眼差しで、ただただ彼らの動きを見つめ続けていた。
仕留めたヒョウ柄の獲物を持ち帰るように、浩平は二人の原始人へ手渡してやった。
彼らは何かを嬉しそうに話し合っているようだったが、言葉の意味はサッパリ分からなかった。
その様子を眺めながら、浩平の頭の中では新たな構想が膨らみ始めていた。
(ここに見張り台となる櫓――高床式の物見櫓を作ったらどうだろうか? 梯子を設置して、床を少し高くして……そうとなれば、チェーンソーや金槌なんかも必要になってくるな!)
「よし、朝飯を食べたら一旦戻ろう!」
浩平が急にそう声を上げると、愛衣は「ははぁ……また始まったな」と苦笑いを浮かべた。
既に二十年以上の付き合いともなれば、彼が突拍子もない顔をして何を考え始めたのかくらい、愛衣にはお見通しだった。
いや、愛衣だけでなく、歩美もまったく同じことを考えて察していたようだった。
2.物見櫓の設計図
「ははぁ……また始まったな」
愛衣のその呆れたような、しかしどこか楽しげな声を聞き流しながら、浩平は頭の中ですでに完璧な構造の物見櫓を組み上げていた。
四本の太い丸太を基礎にし、しっかりとした筋交いを入れる。床面は地上から三メートルほど。これなら夜間の野生動物の襲撃にも対応できるし、何より見晴らしがいい。
「おい、いつまでもそこに突っ立ってないで、片付けを手伝えよ」
浩平が声をかけると、歩美と澪が慌てて動き出した。
ヒョウの解体肉を綺麗に切り分け、小規模ながら、手の隙間の異空間へと丁寧に納めていく。その手際よさは、最早プロのハンターさながらだった。
その様子を、数歩離れた場所でじっと見つめていた二人の原始人は、未だに腰を抜かしたまま固まっていた。
特に、愛衣たちの放った魔法の爆発と、澪が一瞬で傷を塞いだ奇跡がショックだったらしい。彼らにとって、少女たちは「神様」か、あるいは「触れてはならない脅威」そのものに見えているらしかった。
「ほら、これ持って帰れ」
浩平はヒョウの残りの肉の塊を適当な大きさに切り分け毛皮でくるんで、原始人たちの前にポンと置いてやった。
彼らはビクッと体を震わせたが、目の前の肉を見ると、我慢できずにパッと顔を輝かせた。言葉は通じなくとも、もらったものが恵みであることくらいは本能で理解できるらしい。
「ウ……ガ……」
一人が何かをつぶやきながら、頭を下げた。
自分たちに獲物を譲ってくれた浩平たちに対し、すっかり懐いた様子でその場を離れがたそうにウロウロしている。
「おい、お前ら。まだ帰らなくていいのか?」
浩平が声をかけると、原始人の一人がヒョウの肉をしっかりと抱え込みながら、もう片方の手で遠くの深い森の向こうを指差した。そして、何やら奇妙なリズムで「ウー、ガー」と声を上げる。
「……ん? あっちに何かあるのか?」
首を傾げる浩平の横で、澪がじっと彼らの身振りを観察していた。
「ねえ、もしかしてあの人たち、自分たちの村に来いって言ってるんじゃない?」
澪の言葉に、歩美も目を見張る。
「たしかに、指差した方向に何人かの気配というか……人影のようなものが少しだけ見え隠れするわね」
つい数時間前まで警戒し合っていた相手から、自分たちの集落へ招待される――それは、この異世界において大きな転換点だった。
危険が潜んでいる可能性もあるが、相手は道具や言葉の片鱗を共有できる知的な存在だ。もし彼らの集落と交易や情報交換ができるようになれば、このサバイバル生活の利便性は劇的に変わる。
「どうする、浩平くん? 行ってみる?」
澪がスリングショットを肩に担ぎながら、ワクワクした表情で尋ねる。
「……面白い。物見櫓の資材集めも兼ねて、ちょっとその様子を見に行ってみるか。ただし、いつでも魔法と武器を使えるよう油断はするなよ」
浩平の合図で、四人と二人の原始人による奇妙な道行が始まった。
木々が生い茂る獣道を抜けると、目の前に開けた谷間が現れる。その中央には、動物の骨や皮で作られた粗末ながらもいくつものテントが並び、数十人ほどの人間たちが慌ただしく動き回っているのが見えた。
——そこは、彼らにとって初めて理解し合えそうな「異世界の集落」だった。
そして、その集落の中心で、ひときわ大きな焚き火を囲む長老のような人物が、こちらに鋭い視線を向けながらゆっくりと立ち上がるのが見えた。
一筋縄ではいかない予感を漂わせながら、物語は新たな局面へと動き出していく。
3.未知の集落へ続く足跡
乾いた風が、ざわめく集落の空気を揺らした。
長老の前に差し出されたのは、浩平が二人の原始人に渡したヒョウの毛皮と肉、そして真空パックから取り出したサザエモドキだった。差し出されたそれを、長老はおそるおそる、しかしどこか神聖な儀式でも執り行うかのように両手で受け取る。
初めて見るサザエモドキの身を小さくちぎり、おずおずと口に運ぶ。
瞬間、老人のしわだらけの顔に、これまでに見たこともないような衝撃の色が走った。
「……こ、これは……っ!」
言葉は通じなくとも、その表情がすべてを物語っていた。パサパサした保存食しか知らない彼らにとって、その神秘の旨味は未知の美食だったのだ。
長老はガタガタと震える手でそれを飲み込むと、周囲の住人たちを振り返り、何か叫ぶように命じた。
次の瞬間、ガサリと音がして、集落の男たちが一斉にその場にひれ伏した。
ずるずると這いつくばるようにして地面に額をこすりつけ、いわゆる「五体投地」の姿勢をとる。長老自身も、杖を放り出してその場に膝をつき、浩平たちを見上げて両手を天にかざした。
「えっ……? ちょ、待って待って! やめてください、そんな頭上げてください!」
浩平は慌てて両手を激しく横に振った。だが、住民たちにはそれが「慈悲深い神の免罪のポーズ」にでも見えたらしく、ますます感涙にむせぶような声をあげる者まで現れる始末だった。
「……浩平さん、これ、完全に祭り上げられてないか?」
背後で愛衣が、そして歩美と澪も何とも言えない表情で呟いた。
「否定したいところだけど……相手の熱量がすごすぎて、今さら『普通の人です』って言いにくい雰囲気だぞ……」
こうして、浩平たちは意図せずして、その異世界の集落から「神」として祀られることになったのだった。
それからというもの、浩平たちの異世界ライフは少しだけ奇妙な方向へと忙しくなった。
「ただいまー……って、また集まっているし」
数日後、密林の転移台座を経て再びその集落を訪れた浩平たちを待っていたのは、以前よりも熱烈な歓迎の嵐だった。畑で採れたという謎の果物が山のように積まれ、最初に来た時には居なかった女性や子どもたちが物珍しそうに、しかし畏敬の念を込めた目で遠巻きに見つめている。
最初のうちは戸惑っていた浩平たちだったが、何度か足を運ぶうちに、お互いの言葉の端々を教え合う余裕も生まれてきた。指を指して単語を言い合い、簡単なジェスチャーを交わす。彼らにとって浩平たちは「遠い空からやってきて、奇跡の恵みをもたらす存在」であり、浩平たちにとっても、彼らは警戒すべき異種族から「話の通じる隣人」へと変わりつつあった。
ただ、一つだけ大きな問題があった。
それは、彼らが暮らす集落の住み家だった。
10回に一日ぐらいの周期で小雨が降る。
「やっぱり、あの湿地帯に近い造りだと、雨期になったら床から浸水するよな……」
集落の中心にある住居をしげしげと観察しながら、浩平は腕を組んだ。木を組んだだけの簡素な小屋は風通しが良いといえば聞こえがいいが、衛生面でも耐久性でも心もとない。
「ねえ、長老。ここ、ちょっと直したほうがいいんじゃないか?」
浩平が身振り手振りと、新しく覚えた片言の単語を交えてそう提案すると、長老はきょとんとした顔をした後、首をかしげた。
「なおす……? これが、私たちの先祖代々の……」
「いや、そうじゃなくて。こう、床を地面から離すんだよ。高床式って言ってさ」
言葉だけでは伝わらないと悟った浩平は、次の訪問時に現実世界の施設から「大工道具」と「エンジン式チェンソー」を持ち込むことにした。
数日後。
密林の転移台座から集落へと続く獣道は、浩平たちの手によって少しずつ整備されていた。足場の悪い泥濘地に丸太を敷き詰め、荷車が通れるように小石を退ける。これだけでも、往来の苦労は格段に減っていた。
そして、集落の広場。
「――ブォオオオオオンッ!!」
突発的に響き渡った凄まじい爆音に、集落の住民たちは一斉に腰を抜かした。
キャーッ、と悲鳴を上げながら地面に伏せる者、おそるおそる耳を塞いで丸まる者。そんな中、浩平は手に持ったチェンソーのエンジンをふかしながら、苦笑いを浮かべていた。
「ごめんごめん、音源がデカいからびっくりするよな」
チェンソーの刃がうなりを上げ、一瞬にして太い丸太をスパスパと滑らかに切断していく。木くずが舞い散り、ものの数秒で綺麗に切り揃えられた柱が姿を現した。
それを見た長老は、先ほどまでの恐怖をすっかり忘れ、目を見開いたまま開いた口が塞がらなくなっていた。
「き、きせきだ……木が、一瞬で……!」
「いや、これは魔法じゃなくて科学――というか、ただの道具なんだけどさ」
説明してもどうせ伝わらないだろうと、浩平は肩をすくめて笑った。
だが、その手際の良い作業と、圧倒的な便利道具の威力に、住民たちの視線はますます「神を見る眼差し」に変わっていく。
自分たちの知恵を貸し、便利な道具を分け与え、少しずつこの世界の環境を良くしていく。それは最初、単なる「迷い込み」だったはずの日常を、確かな「自分たちの居場所」へと変えていく作業でもあった。
従来の高さ10メートルもある大木と大木を削りそこへ横板を差し込む。
天然の自然に溶け込んだ梯子を付けた木の家を、作り上げていく。
――だが、順調に見えたこの開拓と交流の裏で、密林の深部から聞こえてくる不穏な地鳴りのような音が、まだ誰も知らない新たな波乱の予感をひそかに漂わせていたのだった。
つづく




