第21章 様々な生態
1.朱色の羽根
そもそも、あの時AAサークルで二人に出会った結果がこれだった。
もし別の選択をして、三人で十和田湖へキャンプに出ていたら……それもまた、巡り巡って今の状況を作っていたのだろうか。
ぐるぐるとそんな思考を巡らせているうちに、澪が起き上がり、その物音につられるように歩美も目を覚ました。
「浩平さん、そろそろ交代しますから少し寝てください」
歩美がそう言うので、俺はその言葉に従ってテントへと戻った。
ジッパーを閉め、カサカサと音を立ててシュラフに潜り込むと、あっという間に眠気が押し寄せてきた。
次に目が覚めた時、外はすっかり賑やかになっていた。
「嘘、私10時間も寝てた!?」なんていう愛衣の騒がしい声が聞こえてくる。
それと一緒に漂ってきたのは、香ばしく焼けたソースの食欲をそそる匂いだ。
手首の腕時計を見ると、寝てからちょうど四時間が経っていて、寝たっ……大きく両腕を頭上にのばした。
テントのジッパーを下げて「おはよう」と顔を出す。
すると、起きぬけの愛衣がすかさず「浩平さん! ホットサンドありますよ!」と声をかけてきた。
「おー、ありがたい」と体を起こしながら歩美へ視線を送ると、彼女は満足そうにニコニコと微笑んでいる。
これはこれは……歩美さん、相変わらず手際がいい。
一方の愛衣は「私が作りました」と言わんばかりのドヤ顔を浮かべているが、誰が見ても嘘だと分かる。
だって、あいつの顔つき、寝起き丸出しの俺とまったく一緒じゃないか!
いつもの調子で、わざと場を盛り上げているのは知っている。
「コーヒーでも淹れようか」
誰ともなしに三人に声をかけると、「いいですね!」と歩美が真っ先に頷いた。
残る二人もそれに応じるように顔をほころばせる。
「よし、それじゃあ」と俺は湧き水をケトルに汲み、焚き火にかけた。
『俺特製』と謳ってはみたものの、馴染みの職人に焙煎してもらった豆を使っているだけだ。それでも、淹れたてのコーヒーを皆に振る舞う。
立ち上る強い香りと、アメリカン特有のすっきりとした味わい。どこまで伝わっているかは分からないが、みんな嬉しそうにカップを傾けていた。
朝食のホットサンドも平らげ、一行は移動の準備にかかる。
今日の目的地は草原エリアだ。
撤収作業と荷造りを概ね終えたその時、ふと視線の先で大きなうさぎが草を噛んでいるのが見えた。
緊張が走り、一瞬全員の時が止まる。
――シュンッ、と静寂を破ったのは歩美のウォーターバレットだった。
寸分の狂いもなく、一発でうさぎの頭部を弾き飛ばす。
見事な命中率だ。俺ももう少し射撃精度を見直さなければと痛感させられる。
手慣れた手つきで血抜きをし、手早く内臓を取り出す。内臓は湖面へ放り込み、魚の餌にした。
「よし、これは今夜の――」
「お昼ご飯、決定ですね!」
満面の笑みで宣言する愛衣の勢いに押され、俺は残りの言葉をそのまま飲み込むのだった。
湖面から湧き出した水が流れ出し、小川を作っているのを横目に見ながら、俺たちは鬱蒼とした茂みを抜け、台座の方へと歩き始めた。
俺が先頭に立ち、その後ろに歩美、澪、そして殿には愛衣を据えた。たくさん寝たご褒美である。いつもなら最後尾は歩美なのだが、たまにはいい経験になるだろうと思ったからだ。
「愛衣が最後を歩けば、皆が見えて良いですね」
愛衣は嬉しそうにそう言ったが、俺は笑いながら釘を刺した。
「警戒するのは、お前の後ろなのだよ、愛衣!」
途中で休憩を挟みながら進み、六時間ほど歩いた頃には、かなり台座の近くまで来ていた。
「何か聞こえませんか?」
後ろから愛衣が声を潜めて呼び止める。澪と歩美も足を止め、耳を澄ませた。
かすかだが、
バサッ、バサッ――バサッ。
と羽ばたくような音が聞こえてくる。
「行ってみましょう、浩平さん」
歩美の言葉に頷き、俺たちは音のする方へ警戒しながらゆっくりと進んだ。
音の正体は羽音だった。
かつて俺たちから魚を横取りしていった、あの大型の鳥だ。あの時は一瞬の出来事で、木々の陰になってよく見えなかったが、今は朱色の翼を片方だけ地面に打ち付けるようにもがいていた。
木と木の間に張られた数本の蔦に足が絡まり、飛べなくなっているらしい。すでに体の半分は地面に落ちており、息も絶え絶えに見えた。近づいても暴れる気力すら残っていないようだ。
「食べ切れますかっ!」
と愛衣。
「外してあげましょう!」
と歩美。
澪は俺を見つめ、
「どうしますか」
と指示を仰いできた。
あの時、魚を奪われたのは悔しかったが、こうして弱っている姿を見ると、さすがに可哀想に思えてくる。
俺たちはゆっくりと朱色の鳥へ近づいたが、襲いかかってくる気配はなかった。大きな目は、どこか涙で滲んでいるようにも見える。
歩美はサバイバルナイフを取り出し、足の付け根に食い込んでいる蔦を切っていった。鳥は数回首をもたげたが、それが痛みによるものなのかは分からなかった。
愛衣と俺で暴れないように体を押さえ、澪はなぜかそっと嘴に手を添えて落ち着かせていた。
蔦を切り終えると、太ももの傷口から血が滲んでいた。それを見た澪が静かにその部分へ手を当てる。
俺と愛衣、歩美は少し距離を取り、周囲を警戒した。
すると間もなく、その傷口は綺麗にふさがっていった。
「澪、もういいぞ」
声をかけて少し離れ、様子を窺う。
朱色の鳥は自力で立ち上がると、嘴で足の傷跡を確かめるようにつついた。
やがて鳥は振り返り、森の奥へと向き直った。
そして首を少しこちらへ傾け、まるで会釈をしたかのような仕草を見せる。
一歩を踏み出したかと思った瞬間、それは大きな翼を広げて羽ばたき、空高く舞い上がっていった。
「浩平さん、あれ……お辞儀、しませんでした?」
愛衣の言葉に、俺たちは深く頷き合った。
飛び立ったあとに舞い落ちた朱色の羽根は、五十センチほどもある立派なものだった。俺たちはそれを拾い上げ、それぞれのバッグに一本ずつ括り付けた。
2.恐怖の野獣
転移台座へ戻った俺たちは、少し遅めの昼食の準備に取りかかった。
愛衣が「昼に食べたい」と言っていたウサギ肉を、一口大に切り分けていく。
その間に、三人は手分けして薪を集め、石を円形に並べて焚き火の準備を進めていた。
以前、四つに切り分けてジッパー付きの袋に入れ、両手を合わせた『祈の異空間』にしまっておいた肉は、まるで今さっき解体したばかりのような鮮度を保っていた。量も十分で、とても一度には食べ切れそうにない。これなら今日の晩餐にも使えそうだ。
焚き火の上に少し高さを出してからプレートを置き、油を引く。そこへ切った肉を豪快に並べ、塩を振った。
じゅうっと香ばしい音を立てながら、肉の表面が焼けていく。片面にこんがりと焼き色がついてひっくり返し、もう一度塩を振る。
肉を焼くのと並行して、ポットに汲んできた湧き水をケトルへ注ぎ、火にかけた。
お湯が沸くのを待つ間に、コンソメスープの固形キューブを皆に配る。これは俺のおすすめで、肉との相性がとても良い。
ウサギ肉はジビエの中では比較的クセが少なく、鶏肉に近い淡白な味わいだ。以前食べたときにコンソメスープとの相性が抜群だと知っていたので、今回の組み合わせには自信があった。
「熱いから気をつけてな」
そう声をかけながら、各々のカップにケトルのお湯を注いでいく。
「どちらにせよ、ポットに汲んだ湧き水はもう使い切ってしまう。今夜は歩美の水でコンソメスープを作って、その時にみんなで感想を言い合おう」
そんな風に話がまとまり、俺たちはさらに歩を進めて鬱蒼としたジャングルを抜けた。
視界が一気に開け、以前、大型のバッファローを見かけた緩やかな斜面の草原が広がっていた。
「きっとあの辺りに窪みがあって、水でも溜まっているから動物が集まるんじゃないかな。ほら、まるでアフリカの象やキリン、ライオンなんかが出てきそうな雰囲気だし」
言った瞬間、『ライオン』という言葉の響きに自分で少し腰が引けた。
まだそれらしい猛獣を目撃したわけではない。だが、ここならもっと巨大で凶暴な生物がいても不思議ではないと、俺は思っていた。
「ヒョウとか!」と俺。
「大蛇とか?」と愛衣。
「ゴリラとか!」と歩美。
皆が口々に危険な生物を挙げていき、最後に澪が困ったように少し首をひねった後、
「……ドラゴン!」
とつぶやいた。
見通しが良すぎて身を隠す場所がない広い草原は、かえって警戒が必要だ。これならまだ、密林の中にいた方がマシだったかもしれない。
湧き水が湛えるあの湖畔の穏やかさとは一転し、この広大な草原には、肌を刺すような緊張感が漂っていた。
四人はどこまでも広がる草原を視線で追いながら、密林との境界線をなぞるようにして右回りで進もうとする。
「浩平さん、一体どこまで行くんですか?」
静寂を破るように、歩美が問いかけた。
その声に引かれるように、残る二人――愛衣と澪も浩平へと視線を向ける。
浩平は近くにあった大木の幹に鮮やかな蛍光テープを巻き付けながら、人差し指を立てた。そして、目の前に広がるジャングルと草原の境界線を右回りに辿るようにして、はるか遠くの反対側を指さす。
「これから、取り敢えずあそこまでを目指そう」
短く告げると、三人は納得したように頷いた。
隊列を整え、一行は再び歩みを進める。
先頭に愛衣、続いて歩美、澪、そして最後尾を浩平が固めた。
左手にはどこまでも広がる荒涼とした草原、右手には陽光を遮る鬱蒼とした密林――二つの世界を分かつ狭間を、四人の足音が静かに響いていた。
3. 痕跡
骨らしきものがそこかしこに転がっており、かつてここで凄惨な争いがあったことを物語っていた。
進んだ先は、少し右側に落ち込んだ平坦な広場のようになっている。
「これって……人骨じゃないの……?」
三人は息をのんで凝視していたが、誰も言葉を発することができなかった。
転がっている頭蓋骨は十体ほど。どれもかなり古いもののようにも見えたが、細かく破砕されていたり、獣に貪られたような痕が痛々しく残っていたりした。
日がだいぶ傾いてきたことが気になった浩平は、ひとまずその場所から少し離れた安全な地点まで戻り、今夜のキャンプを張ることにした。
テントの設営を済ませ、焚き火と食事の準備を三人に任せると、浩平は一人でさっきの現場へと引き返した。
この辺りは「Kサークル」の内部とは違い、昆虫や小動物が生息している。おそらく微生物も存在しているはずだ。
しかも小雨や霧が出る。
もしその影響で腐敗や風化が進んでいるのだとしたら、これらの骨は思っているほど古いものではないのではないか――そんな疑問が頭をよぎる。
どこからやって来て、ここで何が起きたのか?
薄暗くなった地面を、小型懐中電灯の光で照らし出していく。
遠くでキャンプの設営を終えた三人からも、暗闇の中に揺れるそのささやかな光が見えていた。
やがて調査を終え、焚き火を囲んで座る三人の元へと戻った浩平は、拾い集めてきたものを差し出してみせた。
彼の掌の上にあったのは、黒く鈍い光を放つ、鋭く尖った石の鏃だった。
「どう思う?」
浩平が問いかけると、歩美が小さく呟いた。
「……原始人、でしょうか?」
愛衣と澪も、深く頷いた。
愛衣と歩美は、昼間の光景を思い返していた。
あの大型の狼の群れやビッグ・ベア――もしそれと対峙したのだとしたら、こんな石の鏃で抵抗するなど到底無理だろう。二人はそんな思いを抱いていた。
一方、浩平は別のことを考えていた。あのゴブリンのような「グレー原人」のこと、そしてこの世界には魔獣だけでなく、他にも厄介な存在がどこかに潜んでいるのではないかという懸念だ。
当の澪といえば、その鏃を焚き火のそばにあった平らな石の上に載せ、火の光を反射してキラキラと輝く様子を無邪気に楽しんでいた。
だが少しすると――パチンと小さく乾いた音が弾け、鏃はあっけなく割れてしまった。その欠片は、そのままメラメラと燃える火の中へと転がり落ちていく。
このジャングル高地の台座へとやって来て、二回目の夜。
浩平は三人に最初の見張りを任せ、シュラフ(寝袋)へと潜り込んだ。
昼間に目にした骨の長さや頭蓋骨の大きさから、彼らの平均身長を頭の中で割り出そうとしていたが、いつの間にか深い眠りに落ちていた。
三人が交代で浩平を起こしにきたのは、およそ五時間が経過した頃だった。
そこから一時間ほど、四人で火を囲みながら短く言葉を交わしたあと、三人はそれぞれのテントへと戻っていった。
浩平は火を絶やさないよう、静かに薪をくべる。
ミルでコーヒー豆を粉砕すると、夜の冷気の中に芳醇な香りがふわりと広がった。
昼間見かけた、扉を開けたままの状態で乗り捨てられていたグレー原人の見張り台。
「早くあのスリングショットを渡して、彼らがどう使うのか未来を見てみたいものだ」
そんな取り留めのないことを考えていた、その時だった。
草原のはるか向こうから、かすかな音が夜の静寂を破って聞こえてきた。
つづく




