第19章 分岐点と花と祈の掌
1.時間軸の歪み
見張り台のポータルに入った四人は、事務所には戻らずKサークルへと足を伸ばした。
澪が「祈りの異空間」をうまく作れるようになりたいと言い出し、小笠原正綱と祐介の墓参りをすることになったのだ。
あの時、愛衣と歩美もここで祈ることで空間を作れたらしく、澪も侍たちの墓石が並ぶ場所で、ひとつひとつに手を合わせている。
その間に俺はスクーターで洞窟へと一人でやって来て、保存してある補助食の缶詰や真空パックのサザエモドキを確認してみたが、相変わらず何も変わってはいない。
俺は久しぶりに先駆者の墓石の前へと行って、手を合わせた。
おそらくだが信濃町へ行って調べれば、この先駆者が誰なのか分かるのだろうとは思っていた。だが、今更それを調べて何になるというのかと考え直し、手を引く。
結局、あの時の薬莢は未だに使わないまま8発残っており、浩平はお守りのようにそれを持ち続けていた。
俺はあの時の熊を、この散弾銃の弾で討伐できないだろうかと考えていた。
猟銃はあるが、壊れたままで使えない。
「分解してみたらどうだろうか」とも考える。
だが仮に直ったとしても、あの原人に銃を持たせることすら難しいように思えた。
それなら、スリングショットやスリングボーをプレゼントする方が、よほど現実的だろう。
それに、あの原人にそれらを渡したら、あそこの未来はどう変化するのだろうか。そんなことが気になり始めた。
スリングショットやスリングボーを渡した未来と、渡さなかった未来——その違いを比較してみたい。
それを確かめるのに、ひと月もあれば十分だという現実を俺は知っている。
浩平は、試してみたいという衝動を抑えきれずにいた。
そして、三人が待つ墓の前へ行って、それを語って聞かせる。
だが反応は違っていた。
「待ってよ、……浩平くん!」
思わずといった様子で制止の声を上げたのは澪だった。
「やり直せばいいって……そんなの、失敗したらどうするの? 私たちが安易に武器を与えることで、その原人たちの未来がおかしくなっちゃったら……」
「大丈夫だ!」
俺は澪の言葉を静かに遮り、三人の顔を順番に見つめた。
「どうしてそんなに言い切れるの?」
愛衣が不審そうに眉をひそめ、腕を組む。
「巻き戻せば元通りって言うけど、予期せぬバグとか、変なパラドックスが起きて取り返しのつかない事態になる可能性だってあるじゃない。リセットボタンがあれば何をしても許されるわけじゃないよ」
「ねぇーっ、浩平さん」
「ひとりで失敗した世界線を抱え込むのは辛いよ」
歩美もまた、心配そうに俺の袖口をキュッと掴んで言った。
三人の言いたいことはわかる。だが、俺が言っているのは単なる「リセットできるからいいや」という楽観論ではないんだ。
「誤解させて悪かったな。でもな、俺たちが何をしようが、何を試そうが——最終的に辿り着く未来は『ひとつ』にしか決まらないんだよ」
俺の言葉に、三人が息をのむのが分かった。
「……どういう、こと?」
「透明な壁が存在する以上、あの時俺があの火の見櫓から降りない世界がまた訪れるからさ!」
「ループは常に繰り返している。俺がスリングショットを渡そうが渡すまいが、あるいは途中でどんなトラブルを起こそうが関係ない。この世界には巨大な『収束力』みたいなものがあって、最終的な結果は最初から決まった形に整えられるんだ。何をしたって、最終的に『決まった未来』以外には行き着けない」
「それって……」
「つまり、俺がここで実験をしようがしまいが、世界の大きな流れや結末が狂うことは最初から不可能なんだよ。最悪な変化が起きたとしても、それは途中のノイズに過ぎない。だから、宇宙を壊す心配なんて最初からいらないんだ」
浩平の迷いのない瞳と、淡々と世界の構造を語る口調に、澪たちは言葉を詰まらせた。
「……本当に、何をしても『決まった未来』に戻るのね?」
愛衣が確かめるように尋ねると、俺は静かに頷いた。
「ああ。だからこそ——試してみる価値はあると思わないか?」
「確かに、途中の出来事は『違う一ページの物語』としてどこかに残るのかもしれない。だが——」
しばらくの沈黙のあと、三人はお互いに顔を見合わせ、深いため息とともに小さく首を縦に振った。
あの「透明な壁」が存在する以上、過去で何をしようと、俺たちが関与している『今』という時間は一度きりだ。ループによって再び繰り返される過去から未来へと至るプロセスにおいて、俺たちの影響や痕跡は一切残らない。——つまり、何をやっても結果的には「何もなかったこと」になるのではないか?。
「前に澪を連れて行ったピラミッドの中で、変だと思わなかったか? あの金(宝)が元通りに戻っていたのを見ただろう?」
俺がそう問いかけると、愛衣と歩美は「まったく気づいていなかった」と首を振った。
「それとあの時、たしか現実世界の数日前に戻ったはずなのに、向こうの世界に『俺がふたり存在する』なんてことは起きていなかった。
多分だが俺達が居た世界だけがつながりがあって未来が変化はするが透明な壁の向こう側は、ループを繰り返すたびに出来事が一枚、二枚と重なっては消えていく世界の様に思える。だけど、壁の『こちら側』は常にひとつしかない。……そう考えると、正解はこっち(異世界)で、あっちの現実世界のほうがダミーのように感じないか?」
言われてみれば——と、三人はそれぞれ心当たりのある事象に思い当たり、浩平の言葉の真意に気づき始めていた。
浩平自身、うまく説明できているとは思っていなかった。それでも、三人がそれぞれに何か思考を巡らせているのは伝わってきた。
「俺たちがいた『現実世界』だけは、ポータルをくぐって行き来すれば、過去に戻ってやり直しても変化した時間軸のまま進んでいく。なのに他の世界は、俺たちがどれだけ関与したって、過去に戻れば俺たちが変えたことなんて『最初から無かったかのように』振る舞っているだう……。まったく、不思議としか思えないよ」
後は俺達が関与した時から分岐した未来が出来るのかもな?
2.植物
最近、分かってきたことがある。
現実世界から生花を持ち込んでビーチへ行くことはできるが、足印台座を通って他のKサークルや別の場所へ行くことはできないのだ。
当然、昆虫などの人間以外の生命体も持ち込めない。人間同士であれば、手を繋いでいれば台座を通れる。一方で、すでに茎から折ったはずの花が弾かれるということは、あれはあれでまだ「生きている」扱いになるのだろうか? まだまだ分からないことだらけの世界だ。
当然、植物の種もダメだった。
ポケットにしまい込んで台座を抜けようとすると、ご丁寧なことに、それだけが台座の足元あたりに転がり落ちる。
小笠原正綱と祐介の墓参りをする際、墓前に供えようと持ち出したときにその仕様に気づいたのだが、Kサークル内に決まった植物しか存在しないのも、きっとそのせいなのだろう。
そこで俺はふと思いつき、祐介の墓参りで実験してみることにした。手を合わせることで生み出せる、コンビニの袋程度の小さな異空間。そこに生花や種を収めてみたらどうなるか。
菊の生花とひまわりの種を手のひらの空間へ滑り込ませ、台座へ向かう。
――通過できた。
無事にKサークルへ着き、祐介の墓前に立つ。
両手を開くと、薄く透明な膜の向こうに、持ち込んだ菊と種が確かに収まっていた。俺はそっと右手を入れて菊を一本掴み、外へと引き出した。
ほんの一瞬だった。
取り出した菊はほんの数秒でしおれ、乾燥し、まるで一瞬でドライフラワーのようになっていく。鮮やかだった黄色は黒く変色し、最後には灰となって指先からパラパラと地面へ落ちていった。
ひまわりの種も、同じ運命をたどった。
「……気持ちだけ受け取ってくれ」
心の中で祐介にそう告げた。
どこまでも外部の存在を拒絶する世界なのだということだけが、痛烈に伝わってきていた。
3.澪にも出来た
数日して、澪、愛衣、歩美の三人が集まって何かを比べ合っていた。
ふと気づいた歩美に声をかけられる。
「浩平さん」
「どした?」
「澪がやっと出来たんですよ、『祈の異空間』!」
祈の異空間――いつの間にそんな大層な名前がついたのか。まあいいが。
「それで?」と尋ねると、愛衣が弾んだ声で割り込んできた。
「これ見てください!」
差し出された手元を見ると、合わせ手から広げた両手の幅が、それぞれ異なっていた。
今まで深く気にしたこともなかったが、言われてみれば確かに違う。明らかに澪の幅が一番狭い。俺の見立てでは、澪は20センチに届かない程度、愛衣と歩美は少なくとも30センチ以上はある。若干だが歩美の方が広いようだ。
「浩平さんも開いてみてくださいよ!」
促されるままに両手を合わせ、そっと横に広げていく。
開きすぎれば空間ごと消失してしまうため、いつもは無意識に限界手前で止めていたのだが、限界まで試すのはこれで二度目だっ!。
菊の花など余裕で収まるサイズを通り越し、手はどこまでも広がっていく。
「えぇ……!?」
三人が息をのんだ。
自分の肩幅を優に超え、およそ1メートル強か。これには俺自身が一番驚いていた。
もしかして、この空間の広さは保有する魔力の量に比例しているのだろうか?
――そして、もうひとつ思考が跳ねた。
最小の空間しか作れない澪が、あれほどの治癒能力を発揮しているのだ。もし成長したら、将来的に腕や足の一本くらい、簡単に再生させてしまうのではないだろうか。
俺はそんな、果てしない可能性を想像していた。
つづく




