◎改訂 37話 領主という名の檻
帰りの馬車の中、エリシアは会場での事をボンヤリとしか覚えていなかった。
(ナニか……ものすごくステキな事が起きて……
ココロがどっかに飛んでいってしまって……
ああ……、彼と踊った事はなんとなく覚えてる……
ヘッタクソな私のダンスをウマくフォロー
してくれてたな……
なんか夢心地だった……
ダンス終わったら、リンがスッゴく喜んでた……
いつの間にか戻ってきてた伯爵様も
ウットリしながら「やっぱりうらやましい!」
って連発してたっけ
……なんか夢心地で……
リンがなんで喜んでたのか……
伯爵様はナニがうらやましいのか……
よくわからなかったケド……)
実際、あの後のエリシアは、ほとんど足もおぼつかない様子で、アルベルトに支えられながらローズに挨拶し、終始ニンマリ笑顔を浮かべているリンとともに会場を後にした。
宿舎に着いてもエリシアは気もそぞろで、半ば放心状態のまますぐに寝室に倒れ込み、未だ去らぬその夢見心地のなかで眠りに落ちていった。
❖ ❖
翌日のエリシアは昨夜の様子から一転し、いつもと全く同じだった。
「(ヒソ)……ねぇねぇ、お姉ちゃん……」
「ん?なんだ、リン?」
「(ヒソ)夕べの舞踏会、楽しかったね、エヘへ」
「ああ、料理おいしかったろう。さすが大国の威信を賭けた料理だ。
まあ、私はコルセットのせいであまり満足には食べられなかったがな。もう少し緩めにしておけばと、今更ながら口惜しいよ」
「……え……?」
「(グスッ)エリシア様、エリシア様……」
「ん?なんだ、ロッテ」
「(グスン)夕べの舞踏会、ア、アルベルト様といったいナニがあったんですか!?グスン、ヒックヒック……」
「ああ、アイツな、自分の判断で滞在を1日延ばしていてな。私は感謝しているが、キミたちには申し訳ない事をした。アイツに代わって詫びよ……さっきからなんで半ベソかいてる……?」
「……え……?」
このエリシアの拍子抜けっぷりを受け、女性陣によってキッチンで男子禁制の緊急会議が催されていた。
「リンちゃん、リンちゃん。コレってどうなってるの?」
「え〜、わかんないよぉ」
「で、でも…ダンスしたんですよね、アルベルト様と」
「うん、ホサが跪いてお姉ちゃんに手を伸ばして……、お姉ちゃんが手を取って……。
お姉ちゃん、ソコからぽや〜んてしてて、昨日帰って来るまでずっとあんな感じだった」
「昨日の惚けっぷりからして、ナニかあったのは間違いありません。私がアルベルト様に殺意を抱くほどでしたから」
「確かにゴキゲンでしたね。朝から鼻唄混じりに散歩なさってましたから」
「だけど今朝アルベルト様に会ってもいつも通りでしたよ。ナニかあったなら、少しは態度に出てしまうと思うんですが……」
皆でう〜んと考え込むが、どうにもわからない。
不毛な堂々巡りと暫しの沈黙の後、ひとりのメイドがおずおずと挙手した。
「……あのぉ、もしかして……」
皆が一斉に注目する。
その圧に一瞬たじろいだが、意を決して自説を披露した。
「……あの、エリシア様って……
『恋愛脳』が……ものっ凄くちっちゃいのではないでしょうか……」
一同に衝撃が走った!
「……『恋愛脳』が……ちっちゃい……?」
「……はい、あまりにちっちゃ過ぎて、私たちが仕上げた渾身のドレス姿をお見せしたあたりが臨界点だったと思います。
そこに夕べ、容量を遥かに超える出来事が起きて脳が処理できなくなって……、その記憶をアタマの隅にしまい込んじゃった……んじゃないかと……」
また一同に衝撃が走った!
「……では……夕べの事は……すっかり忘れている……と?」
「いえ、あのゴキゲンぷりですから、うっすらとは覚えてはいるでしょう……。
ただ、ソレをハッキリ思い出すと、またたく間に脳に負荷がかかるので、防衛本能がソレを抑えている……のではないかと思います」
「……つまり、忘我の極致に至れるほどの甘美な想い出を……ハッキリ思い出すと脳がぶっ壊れるから、無意識に薄〜く希釈してチビチビ小出しにしてる……という事か……」
「……はい、そうではないかと……」
「……おしゃれした姿を見てもらっただけで、もういっぱいいっぱいになっちゃった、と?」
「色恋に疎い方だとは薄々気づいてましたが……、ソコまで恋愛弱者だったんですか、エリシア様!」
「……日頃ご自分を鼓舞するように未熟者と称していたのが……、実はコッチ方面だったとは……!」
「こ、これが……アタマの容量を政治・統治に全振りしてしまった乙女の最終形態……だというわけですか……」
エリシアの有り様を嘆く女性陣。
と言った具合に、キッチンでは全くもって残念な議論が重ねられていた。
❖ ❖
「……というワケで、キッチンでは緊急会議が絶賛開催中ですよ」
コーヒーを差し出すアレクを軽くいなすアルベルト。
「よくそんな魔境に足を踏み入れたね」
「ドアを開けた瞬間、投げナイフが3本、耳のヨコの柱に刺さってました」
「……修繕代置いてかなくちゃね」
「……で、これからどうなさるのですかな?
アルベルト様」
アルベルトの向かいに座り、アレクが少しイジワルな視線で問い掛ける。
だが、アルベルトは涼しい顔でソレを弾き飛ばして言った。
「彼女は、自分はまだまだ領主の器ではないと考えている。
今はいわば狭い窮屈な檻の中にいて、日々葛藤の連続だろう。
そこにはまだ異物が入り込むスキマなんてないさ。
無理にそこに潜り込んだら、おそらく彼女の心は圧死してしまうんじゃないかな」
「……領主という名の檻……ですか……」
「そうだ……。油断すればすぐに狭まり、普通の責任感程度しか持たぬ人間なら簡単に押し潰される、心の檻だ。
だが、その檻は少しずつ広くなってきている。
彼女自身が間違いなく着実に広げてきているんだ。
彼女が自覚するしないに関わらずね。
私は毎日傍らで、それを見て、それを感じている」
「確かに。私から見てもあのお方の成長振りは著しい」
「であれば急ぐ必要はない。
そうやってゆっくり檻を広げていってくれればいい。
私は傍らでそれを見守っていく。
力も貸すし、励ましもする、助言も与える。
彼女自身の力で、その檻が檻とは思えなくなるくらい広げられるまでね」
アレクは若干呆れも含む表情を作った。
「ハハ……、些か気の長い話に感じますが……」
「いや……、案外そんな事もないと思うよ……。
さすがに明日そうなるとも思っていないけどね」
アルベルトが立ち上がる。
そろそろカーライル侯爵邸に向かう時間だ。
「今日すべきことを済ませれば、明日が来る。その繰り返しでいい。彼女の傍らでね」
歩き出そうとしたアルベルトにアレクがまた声をかけた。
それまでとは少し違うトーン。
そこには愛惜の念が僅かに見え隠れした。
「……貴方は、それで……良いのですか……?」
アルベルトは立ち止まり、虚空に視線を投げた。
ほんの僅かだが、己が感情を表情に出すのを躊躇した。
しかし、それでも今の自分の心根には正直にあろうと、そう思ったのかもしれない。
アレクに振り向いたアルベルトは、満足気だがしかし、どこか儚げな笑みを湛えていた。
「それが今の私たちのカタチだ。
これからもその時々に応じた有り様がある。
それが私たちのカタチだよ」
窓の外にエリシアが見えた。
風がそよいだのか、その髪が少し流れ、涼しげに笑っていた。
儚げな笑みに慈しみが加わる。
あの時、彼女に贈らなかった言葉が、アルベルトの心の中に朧に浮かび、そしてまた眠った。
(我が最愛なる……レディ・エリシア……)




