↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

37/39

36話◎ 我が親愛なる領主閣下レディ・エリシア(マイ・ディア〜)

 リンがわきゃわきゃとローズに纏わりつき、先ほどのやり取りの見事さを称えていた。


「伯爵様、すごかったです。ホサみたいでした」


「まぁ、ありがとう。智略の泉と云われるアルベルト殿と同じ評価をいただけるなんて光栄だわ」


 ローズもまんざらではなさそうだ。


「で、アルベルト殿、ローレル子爵とはご面識はおありだったの?」


「はい、各国次官級協議に一度だけですが」


 ふぅ〜ん、とローズが流し目でアルベルトを見つめた。

(あ、来た!)

 その眼差しにエリシアは直感した。

 

「さて……、昨日の借りと今の恩義に対して、アナタは何を報いて下さるのかしら?」


(ハハハ……、ヤッパリか……)


 何があろうがこの舞踏会でローズがアルベルトに要求する事はただひとつ。

 あの些事はただの口実に過ぎない。

 エリシアも重々ソレを承知し、そして全くブレないローズの一貫性に笑いさえこぼれた。


 アルベルトも当然わかっている。

 儀礼の仮面が崩れ、柔らかい笑顔を湛えた。

 ローズに向き直り、その瞳の中にローズをしっかり捉える。

 それを受け、ローズも正面からアルベルトを見つめた。

 片膝をつき、ローズに右手をそっと差し出す。


「今宵この場で、あなた様と踊れる幸運を、私にいただけますか」


 精錬された所作、磨き上げられた口上。

 取れる全ての礼節をそこに注ぎ、彼女に踊りの時を与えてくれるよう乞う。

 極上のダンスへの誘い。


 また、エリシアの胸がチョットだけチクリとした。


 眼前の女傑はいたく満足気だ。

 フフン、合格よ、と言わんばかりにその手を取った。

 ご満悦な女傑の傍らにすぅっと立ち、アルベルトが耳元で囁く。


「……光栄です……親愛なる(ディア)レディ・ローズ」


 ドクンッ!!


 一瞬でローズの頭の中が白銀に染まった。


(ファ、ファーストネーム……ファーストネームで彼に呼ばれた……。

 ……ああ……、ダ……ダメ……

 なにも見えない……、……意識が……)


 ローズは肢体の力が抜け、アルベルトにしなだれかけた。

 一瞬、エリシアの胸を何かが焼いた。


 しかしアルベルトは全く構わず、そのままローズを抱えるようにワルツに身を委ね始めた。

 肩にもたれ掛かるように身体を預けながらも、ローズの足だけは、伯爵としての矜持を守るように、あるいは条件反射のように、かろうじてワルツのステップを踏んでいた。

 

(……ハッ、わ、私は……)

 ココロが身体にようやく戻った。


 傍目から見れば、その親密ぶりを示すような熱い抱擁の如き舞い。

 その優美さに、感嘆のため息がそこかしこから聞こえる。

 エリシアさえも、あの一瞬の胸の痛みを忘れ、その舞いに目を奪われていた。


(……ああ……いいな……、伯爵様……)


 だが、ローズにとっては、この甘美なひと時はある意味、凄まじい難行苦行だった。

 押し寄せる歓喜を、舌を噛みちぎらんばかりに捩じ伏せる。

 およそ2分半、天国とも地獄とも思える混沌の時を過ごし、双方が一礼した頃には、ローズはフラフラだった。


「……は……、伯爵様……?大丈夫ですか?ご気分でもすぐれませんか?」


 尋常ではないローズの様子に、エリシアは戸惑いを見せた。


「……いえ、ちょっとすぐれすぎちゃって……

ハァ……いえ、な……なんでもないわ……

 ごめんなさい、少しアセをかいてしまいました……。着替えをしてきます……」

「……そうですか……。ではお大事に……」

「ホホホホホホ……ゴメンナサイね。

 それでは失礼……」


 ふわふわと漂うような足取りで別室に入るローズを見届け、アルベルトとエリシアはほっとひと息ついた。


「特にお加減がすぐれぬわけではないようでひと安心だな」

「はい、よかったです。安心しました。

 結構加減をして踊ったつもりだったのですが、お疲れだったのでしょう。申し訳ないことを致しました」


 リンがトテトテとふたりのところに来た。

 クチいっぱいに食べ物を詰め込んで、モクモクしている。

 

「おへいひゃん、ホハ、伯ひゃくハマ、はいひょうふ?(お姉ちゃん、ホサ、伯爵様、大丈夫?)」


「こらこら〜、食べ歩きはお行儀ワルイだろー」


 ゲンコツで軽く頭をグリグリすると、キャッキャッ喜び、その様子がまた愛らしい。


(舞踏会で出る食べ物、楽しみにしてたモンなぁ。私も仕切り直して、ナニか食べよ)


「それじゃ私は食事を取ってくる。ここで待っていてくれ。

 アルベルトもナニも食べてないだろ。せっかくのリヒテンラーデ渾身の料理だ。みんなでいただこう」


        ❖   ❖



 料理をつまみながら、エリシアが誰にともなく独り言のように呟いた。


「初めての外遊ももう終わりか……。

 ハハ、そんな大層なものじゃないな。

 ほぼ観光旅行だ。でも……楽しかったな」


 アルベルトも静かに同意する。


「はい、楽しい旅行でした。

 しかし、エリシア様も立派に初外遊を全うしていましたよ。お疲れさまでした」

「ふふ……ありがとう……」


 エリシアがこの外遊中の事を思い出す。


(この1週間でいろいろなことがあった。

 毛嫌いしていたギャンブルだったが、いつの間にか没頭していたし。

 カーライル侯爵閣下との再会、アルテミア伯爵様との親交……。お会いできてよかった。

 オークションはヒヤヒヤものだったが、コイツのおかげで素描画を手にできた。

 ……あとは……)


 チラチラと横目でアルベルトを見るエリシア。

 当然気づいてはいるが、いつものように目線を合わせないまま、アルベルトが問い掛けた。


「……なにか……?」


「……い……いや……別に……、

 あ…そうそう!カ、カーライル侯爵閣下へのお見舞いだ!そう、ソレだ!

 明日、帰路の途中で立ち寄れるだろうか?

 どうしてもお会いしておきたいのだが……」


 ワタワタと赤ら顔で弁解するエリシアに、アルベルトがさり気なく答えた。


「ああ、お伝えしておりませんでしたが、出立は明後日に延期しておきました。

 リヒテンラーデの外務府を通じてテーゼにも連絡済みです。テーゼからも問題なしと返事が届いていますので、ご安心下さい」


「……へ……?」


「オークション参加を決めた翌日に手続きをしておきました。

 オークションの結果はご報告せねばならないし、慌ただしいご挨拶は侯爵閣下のご迷惑にもなりかねませんし、1日余裕を取った方が良いと考えまして」

 

「……相変わらずというか、ソツがないな……」


「素描画を観ていただきたいですし、おそらくは……」


 その後の言葉はアルベルトからは出てこなかったが、エリシアもその意味するところは理解していた。


「……そうだな……配慮に感謝する……」


 数少ない他国の知己……。

 淋しい事とはいえ、いたしかたない。


 少しセンチになりかけたところで、リンが大きなあくびをした。

 

(ああ、そろそろ子どもは寝る時間か……

 伯爵様にご挨拶したら退散しようか)


「ハハハ、リンはもうおネムか?

 淑女(レディ)はな、そんな大きなあくびはしちゃいけないんだぞ。

 アルベルト、伯爵様がお戻りになったらーー」


 アルベルトの方に振り返ると、彼はエリシアの前に立っていた。


 いつもよりも優しげな眼差しに包み込まれる。


「……え……?」


 アルベルトが微笑みを浮かべたまま、ゆっくりと片膝をついた。


 ドクン!


 エリシアの心臓が跳ね上がった。


 先ほどローズに捧げた所作と同じ。


 鼓動が早鐘のように身体の中で鳴り響いている。

 彼にも聞こえてしまうのではなかろうか、そう思ってしまうほど、胸の高鳴りが止まらない。


 アルベルトの右手がすっと差し出された。


「今宵この場で、あなた様と踊れる幸運を、私にいただけますか」


 先ほどのローズに捧げたセリフ。

 それが一字一句違えず自分に捧げられている。


 カァ〜ッと身体が熱くなり、更に心臓が飛び跳ね始めた。


 (……手……ふ、震えてる……

  ……手のひら……ダ、ダメ……

  手汗……手汗かいてるよ……

  ……こんなにじっとりしちゃってる……

  ……こ、こんな手を差し出しちゃったら……)

 

 どうでもいい事がグルグルと頭の中を巡る。

 だが、エリシアの身体はフラリと立ち上がり、その意思に関係なく、彼女の右手が勝手にアルベルトの差し出した手を取った。


(……か……身体が…… 

 勝手に……手……取っちゃった……

 ……ど、ど……どうしよう……

 わ……笑えばイイのか……?

 ……微笑みかける……?

 い……いや……もう……もうわかんない……)


 あっちこっちに舞い上がろうとする自分の心に手綱を付けて、必死に押さえ込む。


 アルベルトが一段と笑みを深め、ゆっくりと身を寄せてくる。


 周囲の音はもう聞こえない。


 耳に入ってこない。


 周囲の色もなくなった。


 アルベルトだけが色を保っている。


 瞳のなかに映る彼がそっと囁いた。


 その言葉は、彼女がこれまで抱いてきた不安も、嫉妬も、憧れも、すべて包み込んだ。


 彼女の左眼から一筋の涙を溢れさせてなお、心の中で響き渡り続けていた。




「……光栄です……我が親愛なる領主閣下(マイ・ディア・ロード)・レディ・エリシア」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。