第29話 親愛なる伯爵閣下(ディア・カウンテス)
思わぬ伏兵の存在。
その事にエリシア、アルベルトは危機感を覚えた。
嫉妬心、怨嗟…感情的な動機となると、合理性は二の次。金銭面の損得では抑制できない。
「あの素描画の落札価格はどれくらいと予想しておられますか」
アルベルトの問いに、ローズが虚空を睨む。
「難しいわね……、もともと適正価格なんてない品だし。侯爵閣下は金貨1000枚を落札ラインだろうって言ってたらしいけど、競り上がって2〜3割上乗せっていうのもよくある事よ。でも結局は持ち込んだ金の高よね。
オークションの預け金制度はご存知?」
「はい、ここに書いてありますね。
①開始前に金を預け、その範囲で入札する
②預け金の追加は認められない
③預け金を超える入札は禁止
④超過入札を行った場合は妨害行為
として罰する
参加者が落札したら、運営は預け金から落札代金を差し引いていく。回収リスクを排除した良い制度です。
預け金超過の場合の罰則には言及がありませんが、これは?」
「オークション毎に運営が決めてるのよ。
まあ、だいたい落札代金の倍返しか3倍返しだけど、今回はチャリティーオークションの趣旨を考慮して落札代金の5倍返しになっているわ」
「……5倍……ですか……」
エリシアが驚きの声を上げた。
意図的にやるならば、とても割に合う行為ではない。
「おいそれとペナルティは踏めないレベルでしょう。それが抑止に繋がり、より健全且つ公正なオークションを作っていくのよ」
アルベルトがローズに尋ねる。
今回の対決の肝の部分。
「学者殿の資力は如何ほどでしょうか。
今は騎士爵とはいえ、永年勤続と研究成果の謂わばご褒美ですから、代々の貴族とは収益構造が違う。貴族や商人と同列には語れないでしょう。
予想落札ライン1000枚の3割増として1300枚が必要です。学者殿に用意は可能なのでしょうか?」
「そうねぇ、騎士爵叙爵に下賜される報奨金って金貨2000枚なの。叙爵が2年ほど前だから、取り崩しはしているでしょうけど、それなりに残っていると見ていいんじゃない」
金貨2000枚…。
予想ラインの1300枚は用意できる。
ただ、残っていても、1300枚を充当すれば報奨金の6割5分、多少目減りしてればその7割以上に達する。
大枚を叩いて自分の研究に意味のない素描画を落札して、そのまま死蔵品にするのは考え難い。
とすると……本線の戦略は……
そこで扉がノックされた。
外から係員が声を掛けてきた。
「失礼致します。まもなく参加受付の締め切りとなります。預け金手続きがまだお済みでない方は、恐れ入りますがお早くお手続きいただけますようお願い致します」
声に促され、エリシアとアルベルトが立ち上がる。
「ああ、あなた方、まだ手続きしていなかったのね。早くしていらっしゃい」
エリシアが綺麗なカーテシーで、ローズに礼を示す。
「伯爵様、お会いできまして大変光栄でした。
この縁を自分の宝と致したく、伯爵様に――」
「ああ、そんなに畏まらないで。エリシア様。
あなたは私の大切なお友達よ。
こちらこそ、これからもよろしくね」
ローズが立ち上がり、エリシアに手を伸ばし、握手を求めてきた。
貴族の儀礼、身分に囚われない、親密さと友好の象徴。
エリシアの顔がほころび、その手をガッチリと握りしめた。
「ありがとうございます、伯爵様」
ローズは慈愛の眼差しをエリシアに向け、その後でアルベルトに視線を移した。
「アルベルト殿、エリシア様を大切にね。
私の”部下"になるのを拒否したのだから、全身全霊でエリシア様を支えなさい。
そうでなければ私の立つ瀬がないわ。
ああ、それから、私の”男”になるというのはいつまでも有効よ。
大人のオンナに癒されたくなったらいつでもいらっしゃいね、歓迎するわ」
エリシアの顔がボッと赤くなり、アルベルトが苦笑する。
(相変わらず剛毅なお人だ。
だが、エリシアを気に入ってくれたのは大変に喜ばしい。
彼女の庇護は、この国では強力な盾となる。
これだけでも大きな収穫だ)
「本日は誠にありがとうございました。
非才の身なれど、伯爵様のお言葉を胸に刻み、エリシア様を主と仰ぎ、お側に仕える所存です」
ローズのその瞳に、少しだけ違う成分が加えられた。
「あなたの事だもの、心配はしていないわ。
ただ……」
加わった成分……、それは忠告だった。
「エリシア様は伸びる。瞳の奥に未完成だけど彼女なりの"覚悟"が見えたわ。でもそれはまだまだ脆い。脆くて崩れやすい。
彼女はこれから多くの試練に見舞われるでしょう。おそらく彼女ひとりでは耐えられない。
守ってあげなさい、あなたの全身全霊で」
アルベルトは優しげな笑みを浮かべ、ローズに優雅なボウを取った。
「……承知しております、親愛なる伯爵閣下」
ゾクッ!
その言葉は、瞬時に彼女の心を天界まで導いた。
真っ白になった……
あまりにも甘美な刹那の時……
だが、それを誰にも気取らせない。
エリシアにも、アルベルトにも。
満足気に頷き、ふたりを送り出す。
扉が閉められ、ローズは全身の力が抜けたようにソファに倒れ込んだ。
紅潮した顔…… 潤んだ瞳……
ほぉっと熱い吐息が漏れる。
「はぁぁぁ……
たったひと言で……
反則よ……あんな呼び方……」
❖ ❖
「伯爵様について聞いても、な〜んか煮え切らない態度だったのは、そーゆー関係だったからか」
「そーゆー関係になるまいと抗っていたんです」
上目遣いでチクチク攻めてくるエリシア。
防戦に徹するアルベルト。
「女の私から見ても、とても魅力的な方だった。気高く美しく度量も見識も広い。あのようなお方が他国には大勢いるのだな」
感慨深げにため息をつく。
初めての外遊で初めて得た知己。
今の自分ではとても釣り合わない傑物。
傍らに立つことさえ憚るほどに。
その肩にポンッとアルベルトの手が降りてきた。
「伯爵様はあなたに言いましたね。
偽らず、飾らず、背伸びをせず、今のまま育てばいいと。
世に傑物と呼ばれる方々はたくさんいます。
その共通項は、誰のマネでもなかった、という点です。
偉人たちは、その独自性を以て偉人と称えられています。その後追いをしてもあまりに再現性に乏しい。
あなたは第二の彼女になる必要はありません。
その道行きを私が支えます。
伯爵にもキツく厳命されましたしね」
アルベルトに対し、好意以上の感情を示したアルテミア伯爵。
アレほどまでに露骨…いや素直に己が感情を表せる彼女に、大いなる憧憬とほんの少しの胸の痛みを感じる。
「親愛なる伯爵閣下……」
アルベルトが最後にアルテミア伯爵に掛けた言葉を思い返す。
おそらくは、アルベルトが彼女に寄せる信頼と親愛を表した至上の言葉。
「……いつか……、いつか私も……」
その小さな呟きは、誰にも聞こえなかった。
預け金保管手続きの場は、それなりに混雑していた。
まもなく参加受付が締め切られ、オークション開始となれば当然の事だった。
「私が手続きしておきますので、エリシアは先にお席に着いていて下さい」
「わかった、それじゃ先に行ってるぞ」
エリシアを見送り、次いでロビーに目をやる。
受付待ちはあと20人弱。このあたりか。
男が2人、アルベルトに気付き、近寄ってきた。
カインと路上賭博の男だった。
「よかった、来てくれたんだね」
アルベルトの声に、カインはにこやかに手を上げ、路上賭博の男はバツが悪そうにソッポを向いた。
❖ ❖
「ああ、アルベルト。よかった、間にあったな」
「はい、これで時間切れなんて笑えないですから」
指定の席に座り、改めて目録を開く。
基本的には掲載順に入札が行われる。
素描画は中盤だ。
さり気なく客席を見渡す。
客席の埋まり具合から見て、参加者は400人弱といったところか。
もうここまで来たら、あとは資金力の勝負だ。
やれる事は全てやった。今はその時を待とう。
「アルベルト、始まるぞ」
司会者が舞台に上がった。
いよいよスタートか。
「紳士淑女の皆様、本日はご来場ありがとうございます。
大変お待たせ致しました。
オークション、開始致します」




