第13話 リンとカーライル侯爵
「エリシア嬢、アルベルト殿、すまなかったな。
つい没頭してしまった。
これも余命僅かな年寄りへの最後の慰めとして笑って収めてくれればありがたい」
「いえ、閣下……、お気になさらず」
エリシアの言葉にひとつ頷き、侯爵がリンに目を向けた。
「リン嬢にもお詫びする。こんな立派な淑女を立ったまま待たせてしまって申しわけない」
リンは慌てて首を振る。
侯爵に謝られるなんて、しかも自分を立派な淑女と評してくれた事もうれしかった。
この人になら……
リンは、思い切って侯爵に問い掛けをした。
今自分が一番聞いてみたい事を。
「……侯爵様は……この絵がお好きなんです……か?」
問われた侯爵は驚いた顔をする。
リンの顔をジッと見つめた。
ジッと見つめて、リンに満面の笑みを送った。
まさに破顔一笑。
「好き……か。……そう、わしはこの絵が好きじゃ、大好きじゃよ。
ご覧、この絵のふたりを。
笑っているじゃろう。
なんと幸せそうな笑顔か……。
この笑顔が当時を雄弁に物語っておるよ。
いかに平穏で安らぎに満ちた日々だったか……
いかに豊かで満ち足りた日常だったか……
今日に至っては、ウォーケン領は悲劇でしか語られておらんが、いや、実際はそんな事はない。
そこに生きた人々には確かに幸せな日々があった。
この絵はその日々の営みそのものじゃ……」
リンの心に侯爵の答えが響いた。
浸透していった。
あの遠い日々……
悲劇はあった。全てが失われた。一瞬だった。
その事のみが語られる。
しかし……本当はそうではない。
そうではないのだ。
あの悲劇の一瞬。
それより遥かに長い、比べられないほど長い。
そんな幸せな日々が確かにあったのだ。
笑顔で答える侯爵に、リンも微笑みかけた。
花開くような、陽が注ぐような、そんな微笑み。
「私もそう思います……、侯爵様」
侯爵はその答えがよほどうれしかったのだろう。
満面の笑みを更に深め、うんうんと頷いている。
「ほほう、リン嬢はお年に見合わぬ達見じゃのう」
侯爵が絵を指差す。
「これも縁……かのう。
ほれ、リン嬢、見てみなさい。
リン嬢と絵の娘子……、よく似とると思わんかな。
あなたに彼らの平穏で幸せな日々を感じてもらえて、彼らも喜んでおると思うぞ」
アルベルトとエリシアは内心ギクリとした。
しかし、ふたりの危惧をよそに、リンが正面から侯爵の言を受けとめた。
「はい、私もそう思います。よく似ていらっしゃいます。
はい……、とてもよく……。
あの笑顔……
あの子は幸せだったのでしょう……。
まるで……」
リンが言葉を切った。
「……まるで今の自分みたいです」
「おお……、そうか……そうか……」
侯爵は満足気に頷いた。
「リン嬢、会えてうれしかったぞ。
エリシア嬢、アルベルト殿。
今日この場で会うことができて本当によかった。
わしはこれで失礼させてもらうよ」
そう言って侯爵は3人に手を振り、その場を立ち去ろうとした。
しかしーー
数歩歩いたところで、歩みが止まった。
侯爵が胸のあたりを押さえる。
「……閣下?」
エリシアの心配気な声。
振り向き、心配無用と笑みを向けようとしたところで、侯爵はそのまま倒れ込んだ。
「……こ、侯爵閣下!」
❖ ❖
「すまんな……、君たちには最後の最後まで世話を掛けてしまった」
自邸のベッドで詫びる侯爵に礼を尽くし、3人が侯爵邸を出た。
侯爵を運び込んだ時に、執事から聞いた事を思い出す。
”医者から、もう余命僅かと診断されております
あと数ヶ月かと……
閣下もその事はご存知で……
せめて今日の出品物公開にだけはと
申されまして……やむなく……
領主閣下には大変なご迷惑をおかけしました
深くお詫び申し上げます"
「ホサ……、侯爵様……お身体お悪いんだ」
「あまり時間がないことは確かだね……。
素描画を見せてあげられたのがせめてもの救いだ……」
余命僅かの老人が無理を押して会場に足を運んだ。
素描画をその目に焼き付けるために。
最後まで情熱を注いだ、見事な生き様だ。
「……アルベルト、帰る前にもう一度侯爵閣下に会いに行ってもいいか?」
「もちろんです。」
エリシアも淋しさを滲ませている。
数少ない他国の知己だ。
「私も行きたい」
リンも同行を望んだ。
短い邂逅だったが、当時の人々の営みをあれほど大切に想ってくれていた侯爵は、彼女にとっても大きな存在になったようだった。
「そうだね、みんなでお会いしよう」
おそらくはそれが最後の機会となる。
皆、それをわかっていた。




