第12話 素描画の公開
翌日の素描画公開。
アルベルトたちは会場に向かった。
リンにはあらかじめウィッグを被らせた。
リンの綺麗な白銀髪を隠すためだ。
素描画にはリンが描かれている。
周囲にどのような視線があるかわからない。
描かれた本人を無防備に素描画の前に立たせるわけにはいかなかった。
会場に着き、係員に目録を提示する。
周囲を見ると、やはり貴族とおぼしきカップルが多数出入りしている。
「ようこそ、3名様ですね。このままあの入り口にお進み下さい」
「じゃあ入ろうか」
エリシアがリンと手をつないで並び、その後ろにアルベルトが付く。
広い会場の中、出品物が整然と並んでいた。
壁には絵画類が掲げられ、多数置かれたテーブルの上には刀剣や陶磁器などの美術品。
それを囲むように来場者が佇んでいる。
リンは身体が小刻みに震えていた。
緊張が後ろから見てもわかるほどだ。
「リン、大丈夫かい?」
リンはハッとしてアルベルトに顔を向けた。
「……うん、大丈夫!」
はぁ~と身体中の緊張を吐き出す。
ふんっと鼻を鳴らし、前を向いた。
目当ての素描画を探す。
どこだ……、どこに飾ってある……
エリシア、アルベルト、リンの目が全方位を窺う。
目につくのは大きな絵画ばかり。小さな素描画は見当たらない。
3人の視線が会場の奥を探りーー
同時に、一点で止まった。
出口とは反対側の壁に、小さな額が2枚並んでいる。
あれか!
リンが走り出した。
アルベルトもエリシアもその後を追った。
壁に掛けられた2枚の素描画。
周囲には人はいなかった。
リンがその前に立つ。
リンの蒼い瞳が2枚の素描画を映し、そのまま視線が動かなくなった。
視線と同様にリンも動かなかった。
蒼い瞳も、表情も、身体も、素描画に縫い止められていた。
素描画に描かれていたのはーー
笑顔の壮年の男性と、肩車されている少女
壮年の領主は、肩車した少女の足を片手で支えていた。
少女は父の髪を両手で掴み、声が聞こえてきそうなほど笑っている。
そこには、後世の人間が知る「破滅の閃光」の影など、どこにもなかった。
もう1枚は―――
少女の顔の描かれた素描画
やはり、とびきりの笑顔をしている。
あの頃の、幸せだった日々の、その残滓。
それが確かにここにあった。
リンがポロポロと大粒の涙をこぼし始めた。
300年ぶりの父親との再会。
(……父上……)
傍らのふたりは、リンの声にならない声を聞いた気がした。
笑顔でそう言おうとし、それが崩れた。
ただただ涙が落ちる。
アルベルトとエリシアが、リンを支えるように両脇から寄り添う。
そこには他に誰もいなかった。
まるでこの一角だけが切り離されたように静かだった。
❖ ❖
暫くしてリンも落ち着きを取り戻した。
「リン、大丈夫か……?」
「……うん、お姉ちゃん、ありがとう……」
赤く充血した蒼い瞳が、ようやく素描画から離れ、エリシアとアルベルトに向いた。
「あの男性がウォーケン卿で、あの子が……君だね……」
アルベルトの問いにリンが頷く。
「……そう、私と……」
リンがそこで言葉を切った。
刹那の逡巡……
そして、リンが言葉を紡いだ
「……前の…お父さん…」
リンのこの答えに、アルベルトはひどい胸の痛みを感じた。
ウォーケン卿を”お父さん”と呼んだ事ではない。
ウォーケン卿を"前の"と呼ばせてしまった事に対してだ。
「……リン……」
必死に何かを抑え込もうと小さな身体が抗っているのがわかる。
「……リン、ウォーケン卿も……君のお父さんだろう……。
今も前も関係ないよ。君の優しいお父さんだ……」
リンの顔が歪んだ。
感情が溢れる。涙が溢れる。
声は立てない。必死で堪える。
アルベルトがリンを抱きしめた。
エリシアがふたりを庇うように傍らに立ち、出口に向かう人々の視線をさり気なく遮る。
幸い帰路に着く人々の動線はこちらに向いていない。
よかった、誰も見咎めない。
「……ホサ、ごめんなさい、ありがとう……」
ようやく泣き止んだリンに、諭すように言う。
「ああ、謝る必要なんてない。ウォーケン卿は確かに君のお父さんだ。君はその想いを大切にしている。それでいいんだよ。
さあ、君とお父さんの絵だ。明後日オークションで買って帰ろうね」
リンがにぱぁっと笑った。
少し泣き顔が残っている笑顔だが、それはそれで愛らしい。
「それではそろそろ戻ろーー」
エリシアがそう口にした時、声を掛けてきた人物がいた。
「おお、エリシア嬢、アルベルト殿、君たちも来ておったか」
「カ、カーライル侯爵閣下……!」
侯爵との鉢合わせ。正直意外だった。
体調が良くない様子だったため、ここには来れないと考えていたが。
「閣下、お身体の具合はもうよろしいのですか」
「ああ、心配は無用じゃ。具合が良かろうと悪かろうと……、これだけはこの目に焼き付けておかんと、わしは死んでも死にきれんよ」
そこでようやく侯爵がリンの存在に気がついた。
「おや……?そのお嬢さんはどなたかな……?
エリシア嬢に妹御はおらんはずでは……」
その疑問にアルベルトが笑顔で答えた。
「閣下、この子は私の遠縁の娘で、名をリンといいます。
事情あって私が保護者をしておりまして。
さあリン、カーライル侯爵閣下にご挨拶を」
「リンと申します。侯爵閣下」
アルベルトに促され、リンは行儀よく綺麗なカーテシーを侯爵にしてみせた。
「おうおう、これは、見事なカーテシーを。
さすがアルベルト殿のお身内、この年でこんなしっかりとした礼儀作法を身に着けとるとは。
リン嬢、わしがカーライルじゃ、よろし……」
突然、侯爵の目がリンに張り付いた。
アルベルトとエリシアに緊張感が走った。
なにか勘づいたか……?!
アルベルトが、警戒するエリシアを隠すように前に進み、リンの横に立った。
しかし、その視線もすぐに解かれた。
「いやぁ……スマンな。少し目まいがしてな。
リン嬢、驚かせたかな、申しわけない」
単なる目まいか……。
アルベルトとエリシアも密かに安堵する。
侯爵の目はもうリンから移動し、素描画に釘付けになっていた。
「……素晴らしい…」
侯爵の口からこぼれたのはたったひと言。
その目からはその何倍かの涙がこぼれ落ちていた。
それを拭うこともなく、彼は長い時間、絵から目を離さなかった。
侯爵が素描画からエリシアたちの視線を移したのは、かなり後のことだった。




