第7話 三つ巴の格納庫
地下遺跡の格納庫は、要塞の胃袋みたいな場所だった。広い、暗い、冷たいといった空間が広がり、配管がむき出しになった天井からはときどき水が落ち、床には古い油が染み、その上に積み上げられた木箱と金属コンテナが何代もの抵抗者の汗を吸っているような有様だった。壁の一面には弾薬、もう一面には修理途中の車両、反対側には古代人類の文字が刻まれた機材ラックが並んでいたが、どれも半壊しているものの、壊れているからこそ使えるものもあるのである。
カイエンは、扉を蹴って中へ入った。
「全員、動け」
短い号令だったが、それだけで格納庫の空気が一瞬で変わる。作業していた男たちが顔を上げ、火薬袋を抱えた少女が棚の陰から飛び出し、古い装甲車の下に潜っていた整備兵がレンチを振りながら這い出てくるなど、皆疲れているが死んではいないので、まだ戦える顔をしていた。その先頭にいたのがミリーであり、小柄で、髪は短く、ゴーグルを額に載せ、火薬を詰めた袋を肩に担いでいる。笑うと歯が見え、人を小馬鹿にしているようで、同時に自分自身も小馬鹿にしている、そういう若い目をしている子である。
「隊長、戻るの遅い」
「文句はあとだ」
「その後ろの子、誰?」
ミリーの視線がルーティアへ向くと、ルーティアは自分がここで完全に場違いなことを理解していた。メイド服は汚れているし、裾は裂けているし、胸の奥では見知らぬ重いものがまだ脈打っているが、彼女はもう逃げないと決めていた。逃げないと決めることが、こんなにも怖いとは知らなかったのである。
「村の子だ」
カイエンはそう言ったが、それがどこまで本当で、どこからが嘘なのか、ルーティアにはわからない。だが、その曖昧さを彼は選び、誰だとは言わないし、人形だとも言わずにただ守る対象としてここへ持ってきたため、その扱いにルーティアは少しだけ腹を立てた。
「私は、物ではありません」
ぽつりと言うと、ミリーが目を瞬かせる。
「うわ、喋った」
「ミリー」
「だって、隊長が連れてくる女の子って、だいたい泣いてるか殴られてるかのどっちかだから」
「余計なことを言うな」
その軽口の往復のせいで、張り詰めていた空気が少しだけ緩んだが、それは本当に少しだけだった。格納庫の奥では、バルドが油の染みた手袋で装甲車の腹を叩き、何かの配線を見ており、老ドワーフは人間と同じように疲れているが、目だけは非常に鋭かった。
「この子か」
バルドはルーティアを見た。
「壊れ方が派手だな」
「壊れていません」
ルーティアは反射で言い返したが、バルドは鼻を鳴らす。
「壊れてないやつが、胸を金色に光らせて地下の壁を揺らすか」
ルーティアは黙った。言い返せないが、黙るのも癪だったのである。そんな些細な感情がまだ残っていることに、彼女は少し驚く。死の匂いと機械の内部と地下の冷たさの中で、まだ怒れるし、まだ照れくさく、まだ傷つく。それが救いか呪いかは、今の段階ではまだ分からない。
「隊長」
格納庫の奥から、別の兵士が叫んだ。
「ハッチが騒がしい」
その言葉の直後、天井の上で何かが走る音がしたが、それは薄く、速く、金属が金属をこするような嫌な高周波だった。それを受け、カイエンの顔が変わる。
「索敵ドローンだ」
ミリーが舌打ちする。
「早いね。もうバレた?」
「遅いくらいだ」
バルドが手元の端末を叩いた。
「外周の監視網が切れてる。誰かが要塞側のログを弄ってる」
その一言で、マキアの顔が脳裏に浮かぶ。まだ出会っていないが、いる。どこかで確実に何かを動かしているのである。カイエンは格納庫の端に積まれた箱から対魔力散弾の弾倉を引き抜く。
「戦闘準備」
その声で皆が動いた。人間たちは散弾銃を構え、整備兵は防護シールドを引き出し、ミリーは爆薬袋を二つに分けてひとつをルーティアへ投げた。
「持てる?」
「持てます」
「なら、落とさないで」
軽い調子だが、瞳は真剣そのものである。ルーティアは頷いたが、爆薬袋は重いものの不思議と嫌ではなく、手の中で感じる重さが逆に現実を確かめさせるのである。彼女は、机の上に置かれた古いライフルも見たが、それはカイエンのものであろう、フレームの端には古い刻印があり、錆びた文字や古代の紋章は昨日までの世界とは違うものの匂いを持っていた。
「来る!」
誰かが叫ぶ。次の瞬間、格納庫の天井が内側から裂け、球状の索敵ドローンが群れで降りてくる。赤い眼、回転する刃、冷たい外殻は、数が多いし多すぎるほどであり、壁の裂け目から一気に侵入してきた監視の眼である。名前だけは可愛いがやることは可愛くなく、索敵、追尾、切断、通報、その全部を機械の体で行う。
最初の一体がミリーへ飛ぶ。
「はいはい、こっちね!」
ミリーが転がるように避け、肩越しに散弾を撃つ。外殻に穴が開くが止まらないため、別の一体が横から回る。ルーティアは反射で前へ出たが、その時、胸の奥で何かがカチンと鳴る。それだけで周囲の空気が重くなる。彼女の手のひらがドローンの刃を受け止めたが、痛いながらも耐えられる。掌の下で機械が軋み、黄金の圧がそれを押し潰す。
ミリーが見て、目を見開いた。
「すごっ」
「感心している場合じゃない」
カイエンが二発撃ち込む。ひとつはドローンの眼を貫き、ひとつは背面の推進部を叩く。機体が床へ落ち、そこへ整備兵が足で踏みつけ、銃床で叩くため、壊れた残骸が床を滑る。火花、オイル、焼けた金属の匂いが漂うが、戦闘は綺麗ではない。汚いからこそ助かるのである。
人間は汚れているぶん壊し方が上手いが、一方、ゴーレムたちはまだ戸惑っていた。従属の名残が残る者もいれば、初めて武器を握る者もいる。だが、マキアの命令が地下の回線を通じて波のように届く。
『撃て』
『止まるな』
『武器を取れ』
『自分で選べ』
その命令は従属ではないため彼らは動いた。ひとりが修理用のバールを振り上げ、ドローンの腹を叩く。ひとりが火花を散らす配線を引きちぎる。ひとりが自分の首筋を押さえながら、それでも前へ出る。誰も上手くないが、下手なままでも撃てるし、壊せるし、抵抗できる。
「マキアか」
バルドが唸った。
「あの女、管理者権限を奪いやがったな」
「知ってるの?」
ミリーが訊く。
「昔、工房で見た。目つきが違う」
老ドワーフは、ぼそりと答えた。
「目の奥が空っぽのやつは、何かを壊す時に迷わない」
その言葉が終わる前に、二体目のドローンがルーティアの背後へ回り込む。彼女は振り向きざま拳で打ったため砕ける。だが、その破片がカイエンの頬をかすめ、血が一筋流れる。彼は気にしないが、気にしないからこそ強いのである。
「ルーティア」
カイエンが、彼女の名前を初めて呼んだ。胸の奥が妙に熱い。
「右だ」
指示は短い。だが、何を言っているのかすぐ分かった。右側の通路から追加のドローンが来る。ルーティアは身体をひねり、突進してきた一体を肩で受け止める。そのまま壁へ押しつけ、金色の圧で押し潰したため、機械が悲鳴を上げるわけではないが、壊れる音はある。その戦いの最中、ルーティアの頭の中に別の音が重なる。
キィン。
あの高周波だ。エルフの命令音、首筋を焼いたあの冷たい反応である。彼女は思わず身を硬くしたが、その直後、胸の奥のもっと重い音が応じた。
カチン。
一段、深く。
自分の中で、まだ何かが起動しかけている。それは恐ろしくもあり、頼もしくもあった。
「ルーティア」
ミリーが叫ぶ。
「そっち、壁が弱い!」
ルーティアが振り向く。壁の一部が、ドローンの衝突で崩れかけていた。先に抜ければ外へ出られるし、外には地下の別区画がある。だが、そこへ出る前に、足元の床に埋め込まれた古い監視ルーンが赤く点滅した。反応。遠く。要塞の側から。誰かが、こっちを覗いている。
「見つかった」
カイエンが低く言う。
「いや」
マキアの声が格納庫全体の通信に割り込んだ。静かだったが、その静けさは妙に鋭い。
『見つけたのよ』
彼女の声だ。
『要塞の連中が焦土化を前倒しにした。残り時間は少ない。ここを抜けるしかない』
通信の向こうで、何かが爆ぜる音がした。
『核心、ひとつだけ伝えるわ』
マキアは少しだけ間を置いた。
『この格納庫にいる人間もゴーレムも、今からは同じ敵に向かいなさい』
その言葉に、誰も返せない。だが返せないまま、理解した。敵は上だ。上層のエルフである。格納庫の空気がほんの少しだけ揃う。
「隊長」
ミリーが、いつもの軽口をやめて言った。
「そろそろ、地面の怖さを思い出させよう」
カイエンは頷いた。そしてルーティアを見た。
「お前は、どこまで耐えられる」
問いは短い。だが軽くない。ルーティアは自分の胸を押さえた。そこでは重い歯車が動いている。
「……分かりません」
正直に答える。
「でも、まだ立てます」
カイエンは、それを聞いて短く笑った。
「通じる、十分だ」
その一言で、彼女は初めて、地下の空気が少しだけ人間のものに近づいた気がした。だが戦闘はまだ終わっていない。格納庫の奥で、警報が二重に鳴る。単なる索敵ではなく、外周門が破られた合図だ。バルドが端末へ走り、古いモニターを叩く。画面に走るノイズ、赤い線、地上側からの圧力、カウントダウンのようなものが細く表示されている。
「まずいな」
老ドワーフが歯をむいた。
「要塞の側が、神の雷を落とす準備を始めてる」
「何だって?」
ミリーが声を上げる。
「天井ごと焼くつもりだ。地下を潰せば、面倒は片づくとでも思ってる」
その言い方に、ルーティアの胸が冷たくなる。村を焼いたのと、まったく同じ理屈だ。遊びが飽きたら消す。不具合なら消す。それで終わると思っている。ルーティアは、気づけば拳を握っていた。指先に力が入る。掌の傷が痛むが、その痛みは嫌ではない。痛みこそが、ここが現実だと教えてくれるのである。
「隊長」
ミリーがカイエンへ銃を差し出した。
「これ、まだ使える?」
「使える」
「じゃあ、次の波で壁を抜ける。バルド、外の照準は?」
「今から回す」
老ドワーフは短く答え、別のレバーを引いた。古い装置が唸る。格納庫の壁面が開き、隠されていた対空砲座が露出する。古代の刻印が錆びついたまま残る巨大な砲身だ。人間たちはそれを見て少しだけ笑う。笑うというより、戦える道具を見つけた時の、野戦兵らしい安心である。
「まだ隠し玉があったか」
「ないと思ったのか?」
バルドが鼻を鳴らす。
「この地下は、三回滅びてもいいように作ってある」
ルーティアは、その言葉の意味を考えた。三回滅びる。そんな前提で作られた場所、そんな前提で生きる者たち。彼らは、最初から壊れることを知っているので、壊れるたびに立ち上がるのだろう。自分は、その中に入っていけるのか。不意にカイエンが彼女の前へ立った。
「怖いか」
「……少し」
「それでいい」
「良くないです」
「良くないが、必要だ」
彼は、いつものように冷たく言う。だが、その眼差しはもう少しだけ柔らかい。戦場でしか作れない種類のやさしさがあるのである。
「怖くないやつは、前に出るだけで死ぬ」
「怖いほうがいいんですか」
「怖いから、周りを見る」
その答えに、ルーティアは少しだけ息を吐いた。怖い、確かに怖い。でも、その怖さが自分を壊す前に、別のものが胸の奥で押し返してくる。大きくて重い、黄金色の何かだ。それはまだ完全には開いていないが、扉の向こうで脈打っている。
彼女は自分の胸に触れた。その奥で、古い歯車がゆっくり回る。カチン。一度。聞こえた時、ルーティアは不思議と泣きたくならなかった。むしろ少しだけ腹が立ったのである。まだ終わっていないのに、なぜこんなにも胸が重いのか。なぜ自分だけが、毎回、思い出してしまうのか。
「ねえ」
彼女はカイエンに訊いた。
「私、あなたたちの役に立ちますか」
カイエンは即答しなかった。少しだけ間を置いた。彼にしては珍しい沈黙だった。やがて、彼は言う。
「今は、立っているだけでいい」
その答えは優しくない。だが、必要以上に飾ってもいない。
ルーティアは頷いた。立っているだけでいい、それならできる、いや、できるはずだ。
そのとき、上層からの警報がさらに強く鳴り響いた。何かが接近している、多すぎる、速すぎる。ミリーが再び叫ぶ。
「来るよ、今度は本物!」
カイエンが銃を上げ、バルドが砲座の照準を合わせ、ゴーレムたちが武器を握り直す。ルーティアは、その真ん中で深呼吸をした。胸の奥で、何かがひとつ、確かに外れかけている。次の瞬間に何が起こるか、彼女にはまだ分からない。ただ、一つだけ分かることがあった。このままでは全員が焼かれる。だから彼女は前へ出た。




