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不遇少女の初期化設定(バグライフ) ─エルフの気まぐれで殺されたパン屋の助手が、なぜか世界のシステムを書き換えている件について─  作者: 出汁
第一部 辺境の箱庭編

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第13話 焦土のシナリオ

 要塞の宿舎は、やはり静かだったが、それは平穏の静けさではなく、最初から音を殺しきっている場所にだけある、人工的で冷たい沈黙だった。壁は白く、床は磨かれ、寝台は広く、空調は一定で、部屋の隅に置かれた花瓶には夜明けでも萎れない花が挿してあるので、美しい箱庭としては完璧だった。だが、完璧すぎるものはすでに腐っているのと同じだと、ルキウスは知っていたので、窓際に立ちながら遠くの煙を見つめ、辺境の村が燃えていく様子を淡々と眺めていた。

 村はまだ完全には沈んでいなかったが、要塞の上層ではすでに次の手が進んでおり、焦土化、つまり村ごと焼き払う段取りが静かに固まりつつあった。ルキウスはその光景を見ながら、美しい箱庭を壊すのに美しい理由など要らないし、壊したいから壊すだけの世界にうんざりしているのだと改めて感じていた。昨日の戦場も頭から離れず、泥、硝煙、ルーティアの黄金の圧、カイエンの銃声、血の匂い、そして何より胸の奥に響いたあの「カチン」という音が、古い機械の起動音のように何度も思い返されていた。


「まだ起きてるの」


 背後から声がした。上級魔導師だった。長い外套に銀の縁、老いた顔に冷え切った眼だけが乗っている男で、まるで他人の部屋に勝手に入ることを当然だと思っているような気安さで、ルキウスの宿舎へ入ってきた。


「何の用だ」


 ルキウスは振り返らない。


「作戦会議か」

「そうとも言える」


 魔導師は窓際へ歩き、外の煙を一瞥してから淡々と言った。焦土作戦が承認され、辺境区画は明朝までに焼き払うことになったのだという。


「ずいぶん早いな」

「早いほうがいい」

「何が」

「壊すときは」


 その言い方に、ルキウスは少しだけ笑った。相変わらずだと返すと、魔導師も相変わらずだろうと返す。そういう感情のないやり取りがしばらく続いたあと、男は懐から黒い小箱を取り出した。表面は艶がなく、吸い込むような黒で、見ているだけで気分が悪いのに目が離せない。薄く走る紋様は普通の魔導石とは違い、封印、鍵、強制命令といった嫌な気配をいくつも含んでいるように見えた。


「何だそれ」


 ルキウスが問う。


「お前への補助」

「補助?」

「絶対服従の黒水晶だ」


 その名を聞いた瞬間、部屋の空気が重くなった。魔導師は、必要な時に噛み砕けば対象の呪印を過熱させてゴーレムのコアを内部から焼けるのだと説明する。ルキウスはようやく振り返ったが、その顔に浮かんだのは嫌悪ではなく、退屈の薄皮が少し剥がれたような興味だった。


「面白くない」

「面白さのためにあるものではない」

「言葉が軽いな」

「お前が軽くした」


 軽くしたというより、軽く扱うように育てられたのだろうとルキウスは思った。魔導師は淡々と、あの村の個体はバグであり、バグは放置すると広がるから排除するのだと告げる。ルキウスは黒水晶を受け取らず、指先で転がした。バグという呼び方が気に入らないわけではない。昨日のメイド型の少女は、確かに単なる機械よりはひび割れた器に近く、壊れかけているのに壊れ切っていないその中身が、妙に引っかかっていたのである。


「あの少女は、ただの個体ではない」

「知る必要はない」

「ある」

「なぜだ」


 ルキウスは少しだけ笑う。


「楽しいからだ」


 魔導師は眉一つ動かさない。なら壊す側に回れ、とだけ返し、お前は壊れたいのだろうと平然と突きつけてくる。その言葉に、ルキウスの胸の奥がわずかに鳴った。壊れたいのではない。壊れたくないからこそ、壊れるかもしれない場所へ行きたいのである。生と死の境目でしか、自分はまだ生きていると感じられず、不老の肉体は便利ではあっても退屈を薄めることはできなかった。


「焦土化の先鋒をやれ」


 魔導師は言った。


「ルーティアとやらを捕まえろ。生け捕りでも、破壊でもいい。だが、確保しろ」

「命令だな」

「そうだ」

「嫌いじゃない」


 ルキウスは黒水晶を手の中で握る。冷たい。だが、冷たすぎるものはむしろ楽しい。宿舎を出ると、要塞の廊下はすでに騒がしかった。指揮官たちが行き交い、魔導アーマーが整列し、下級兵が焦げた書類を抱えて走っている。焦土作戦の準備だ。美しい廊下が命令と軍靴の音で汚されていく。その汚れを、ルキウスは好ましいと感じた。ようやく世界が傷つくのであった。

 作戦室へ向かう途中、彼は階下から響く高い音を聞いた。キィン、と耳の奥をなぞる無機質な高周波であり、ルキウスは足を止める。


「今のは」

「気にするな」


 魔導師が先を歩いたまま言う。


「地下の古い設備が動き始めただけだ」


 キィン。もう一度聞こえた。今度ははっきりしていて、巨大な見えないサーバーが目を覚ましたみたいな音だった。古く、冷たく、そして妙に懐かしい。その響きに、ルキウスの背筋が薄く震える。


「下に何がある」


 彼が問うと、魔導師は少しだけ声を落とした。


「魂の揺り籠だ」

「なんだそれ」

「クレイドル。昔の遺産だ。今は封印している」


 魂の揺り籠という名だけで、ルキウスは嫌な予感を覚えた。何かが地下で稼働し始めている。何かが今まさに接続されようとしている。昨日の少女の圧と、この音がどこかで繋がる気がしたので、彼は黒水晶をポケットに滑り込ませる。


「面白い」

「何が」

「全部だ」


 その一言だけで歩き出すと、作戦室の扉が開いた。中では地図が広がっている。辺境村、地下格納庫、要塞の防壁、焦土化計画の射線、赤い矢印、目標地点、補助部隊、爆撃のタイミング。指揮官たちは彼の到着を待っていた。


「ルキウス殿」


 ひとりが頭を下げる。


「先鋒をお願いしたい」


 ルキウスは地図を見た。中央にはルーティアのいた村があり、まだ燃えきっていないし、まだ助かりうる。だからこそ、殺しがいがあるのだと彼は思った。生きたものを殺すには準備がいるし、手順もいる。命があるからこそ壊す価値があると、彼は本気で信じていた。


「いいだろう」


 彼は言った。


「ただし、条件がある」

「何だ」

「あの少女を、僕に最初に見せろ」


 作戦室の空気がわずかに引く。だが、誰も拒まない。ルキウスの笑みを見た者は皆、その背後にある熱を知っていたし、知っているから止められないのだった。止めるには彼のように壊れなくてはならず、彼はそれを知っていて、だからこそ笑うのである。

 その夜、彼は再び地下の音を聞いた。キィン。魂の揺り籠。何かが起動し、何かが今、世界の下で目を覚まそうとしている。窓の外の煙を眺めながら、ルキウスは静かに呟いた。


「いい」


 そして剣の柄を握り直す。だが、彼はまだ満ちていなかった。黒水晶はポケットの中で冷たく沈んでおり、触れるたびに妙な不快感があるのに、嫌なものほど使いどころがはっきりしているのであった。彼はそれを指先で確かめ、ほんの少しだけ笑う。殺すための道具としてはあまりにも綺麗で、そこが気に入らないが役には立つ。そういう矛盾が、今の彼をずっと生かしていた。

 ルキウスは昔の自分を少しだけ思い出す。まだ剣を握るたびに胸が高鳴っていたころであり、死の匂いに怯えながらも同時にそれを求めていたころだった。あの感覚は今よりずっと純粋で、いまの彼は退屈を埋めるために戦場へ行く。昔の彼は、ただ目の前の一振りで世界が変わると思っていた。どちらが幸せだったのかは分からないし、分かりたくもなかった。

 作戦室ではすでに会議が始まっている。地図の上を指が走り、焦土化の一次射で外縁を焼く、逃走路は潰せ、ゴーレムの反乱は想定外だ、村の個体は処理後に回収する、といった軽い言葉が飛び交う。だが、命を数字として扱う連中は、いざ自分の数字が減ると急に弱くなるので、その瞬間がルキウスは好きだった。

 上級魔導師が隣へ来て、もう一つ黒水晶を差し出す。


「これを持て」

「補助用だ」

「一本で足りるのか」

「足りるように使え」


 ルキウスはそれを受け取り、冷たさの奥にある脈のような気配を感じた。封印、制御、命令、誰かの不快な意思が閉じ込められている。彼はそれを嫌悪しながら、同時に少しだけ愛おしいと感じた。こういう露骨な手段は、実に分かりやすいのである。


「それで、あの少女は」


 彼が問うと、魔導師は地図から目を上げない。


「生きていたら、確保する」

「死んでいたら」

「核を回収する」

「雑だな」

「戦争とはそういうものだ」


 ルキウスは小さく肩をすくめた。戦争だけが本物であり、そこでは立場が剥がれ、言葉が剥がれ、命だけが残る。だから楽しいし、だから怖い。会議を途中で抜けて廊下へ出ると、要塞の奥でまたあの音が鳴る。キィン。金属ではない。風でもない。古い装置が長い眠りから戻る時の音だ。耳の奥に残り、どこか懐かしいのに思い出せない。その思い出せなさが、逆に彼を苛立たせるのであった。


「クレイドル」


 隣を歩く魔導師が言う。


「地下の装置だ。戦争の前からある」

「何をする」

「管理だ。記録だ。再生だ」

「再生?」


 魔導師は少しだけ黙ったあと、死んだものを次へ送る、と言った。その答えにルキウスは立ち止まる。死んだものを次へ送る。何だそれは。彼の不老の肉体は死を繰り返さないから、その言葉は薄気味悪いのに妙に引かれる。次へ送る、死の先へ、そんなものが実在するなら、どれほど退屈な世界が揺らぐだろうと彼は考えてしまった。


「くだらない」


 彼は言う。だが、口調は少しだけ熱を帯びている。


「それが本当なら、使い方次第で面白い」


 魔導師は振り返らない。


「お前は本当に性質が悪いな」

「褒めるな」


 その会話の後、ルキウスは宿舎へ戻った。窓の外には煙が増えている。辺境の村が焦土になる前の煙だった。彼はそれを見ながら、胸の奥の退屈が少しだけ薄れるのを感じる。明日、あの少女を見る。壊すか、生かすかはその時に決めればいいし、たぶんどちらでも構わない。大事なのは、彼女が自分にとって本物かどうかだった。

 ルキウスは黒水晶を掌に置き、指で弾いた。乾いた音。その音の向こうで、また地下の高周波が鳴る。キィン。彼は目を細めた。


「目を覚ましたのか」


 誰に言うでもなくそう呟き、剣を手に取る。彼の脳裏には昨日の少女の顔がよみがえっていた。ルーティア。従属しているふりをしながら、どこかで従っていない目だった。村の火の中でも、ただ怯えるだけでは終わらない目であり、あれは玩具の目ではない。少なくとも、壊した時に面白い音がする目だった。そう思うたび、ルキウスは喉が少しだけ渇く。

 怖いのではない。楽しみなのである。彼は指先で黒水晶の表面をなぞった。ひんやりとした感触が残り、これを噛み砕いた時、彼女の瞳がどう変わるのか、怒るのか、壊れるのか、自分を守るのか、あるいは別の何かが飛び出すのかを考えるだけで、胸の奥がざらつく。


「今度は、壊れないでくれ」


 それは祈りではなく、ただの本音だった。もし簡単に壊れるなら、それは期待外れだ。彼が求めているのは、壊してもなお立つ何かだけであり、そういうものだけが彼に死の実感を与えてくれるのである。夜が更け、要塞の灯りが落ちる。だが地下の高周波はまだ止まらない。キィン、キィン、キィン。ルキウスはその音に合わせるように剣の柄を握り直した。明日、すべてが動く。彼はその確信にひどく満足していた。そして、その満足がある限り、彼はまだ壊れていない。少なくとも今は。要塞は眠るふりをしていたが、それはただの予兆に過ぎず、まだ夜は明けないのであった。


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