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不遇少女の初期化設定(バグライフ) ─エルフの気まぐれで殺されたパン屋の助手が、なぜか世界のシステムを書き換えている件について─  作者: 出汁
第一部 辺境の箱庭編

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第10話 黄金の圧と、泥の底の遭遇

 黒い雷が走った瞬間、世界が一度だけ完全に反転したかのような錯覚に襲われるなか、ルーティアの視界にはカイエンの腹部が真横から無残に裂ける決定的な光景が鮮明に焼き付き、生温い血が泥の上へと次々に滴り落ちていった。その血はあまりにも赤く、腹を必死に押さえた彼の指の隙間からじわりと暗い流れが滲み出していたものの、彼はまだ倒れまいと踏みとどまっていたが、その膝は苦痛によってわずかに沈み込んでいた。


「隊長!」


 ミリーの悲痛な叫びが戦場を激しく切り裂くなかで、ルーティアの胸の中では今までバラバラだった何かが一気に噛み合い、それはカチンという軽い響きではなくカチリという、もっと重く長い、古い城門がゆっくりと閉じるような巨大な機構の音だった。彼女はその音と同時に自分の中へ深く押し込められていたものがさらに一段解けるのを確かに感じており、押し寄せる怒りや恐怖、そして喪失感がすべて一つにまとまって巨大な圧となり、胸の奥から黄金の魔力圧となって一気に噴き上がっていった。

 ルーティアの髪がその圧力で激しく持ち上がり、メイド服の裾が不自然に震えるなか、周囲の空気は目に見えて沈み込んで足元の泥が頑丈に踏み固められ、対峙する敵兵たちの膝が一瞬だけ恐怖で崩れ落ちた。そこにいる誰もが何が起こるか分からない未知の事態に直面していたものの、分からないままでも原初的な恐怖だけは確実に伝わっており、生き物というものは理由のない圧倒的な圧力に対して最も敏感に反応するものだった。


「カイエン!」


 自分の口から出たはずの声がやけに遠くで響くように感じられるなか、呼ばれたカイエンはゆっくりと顔を上げたが、彼の顔からは完全に血の気が引いていたものの、その目の奥にある光だけはまだ死んでいなかった。死んでいない鋭い眼光でなおも銃を強く握り直そうとする彼の凄まじい執念に、ルーティアは強く胸を打たれながらも、これ以上彼を傷つけさせまいと心に決めていた。


「動くな」


 彼女は言った。


「今、治します」

「来るな」


 その返事は短く鋭い拒絶だったが、明らかに無理をして声を絞り出しているのは明白だった。


「来るな、じゃない」


 ルーティアが強い意志を込めて一歩踏み出した瞬間、その黄金の圧が前方のエルフ兵を無慈悲に押し潰し、槍を構えていた二人の兵が背後の壁へ容赦なく叩きつけられてそのまま膝から崩れ落ちていった。ミリーがその決定的な隙を見逃さずに即座に火薬を投げつけて激しく炸裂させ、散弾が飛び交うなかでバルドの砲座も別の一角を派手に吹き飛ばしたため、混迷を極めていた戦場の秩序がほんの一瞬だけ人間側へと大きく傾いた。

 だが、そんな絶望的な状況にあってもルキウスはなお不気味に笑っており、爆発によって裂けた白い外套の下で自身の魔力をさらに過熱させて熱を上げていくと、剣を平然と肩へ担ぎ、血の滴る頬を指で拭ってその舌の先で味わうような狂気的な仕草を見せた。


「そうだ」


 彼はうっとりしたように言う。


「その圧だ」


 ルーティアは目の前のルキウスをじっと見つめていたが、この男だけは明らかに戦場における常人の感覚とは一線を画しており、恐怖がないのではなく、むしろ恐怖そのものを興奮として喰っているかのようだった。傷つけば傷つくほどに自分の生が濃く鮮明になると本能で知っている顔だからこそ、彼はどんなに追い詰められても楽しそうに笑い、決してその足を止めようとはしないのだった。


「あなたが」


 ルーティアは低く言った。


「村を焼いた人たちの一人ですね」


 ルキウスは、少しだけ目を細めた。


「そうかもしれない」

「曖昧ですね」

「事実はいつも曖昧だよ。だが、君は面白い」


 彼が一歩前へ足を進めると同時に、やはり君は壊れておらず、壊れそうでいて壊れきらないその危うさがたまらないと告げてきたが、その弄ぶような言い方がルーティアにとっては心底不快だった。彼女は返事をする代わりに怒りを込めて拳を振るい、黄金の圧によって空間そのものが歪んでルキウスの身体が横へ強引に流されたものの、彼は押し返されるのではなく、その押し流される勢いを前提にして鋭く剣を振るってきた。

 凄まじい風圧が走り抜けてルーティアの頬を浅く裂き、そこから血が滲んで確かな痛みが走ったものの、その痛みが彼女の動きを止めることはなく、むしろ胸の奥のロックがさらにひとつ緩む引き金となった。この痛みはただの負傷ではなく、自分が今ここで戦って生きている証拠そのものであると認識した彼女は、もう一度鋭く踏み込んでルキウスの脇腹へ強烈な掌底を叩き込み、骨の軋む鈍い音とともに彼の足を泥の中に沈ませたが、彼は笑いながらわざと一歩遅れて剣を返し、殺し合いという言葉を口にした。


「いい」

「何がです」

「殺し合いだ」


 そのふざけた答えに対して、ルーティアの胸の奥からは激しい怒りが沸き起こり、誰もそんな軽い言葉で済ませていいはずがない戦場において、現にカイエンが血を流し、ミリーが必死に弾薬を詰め、バルドが砲座を支え、ゴーレムたちが震えながらも前へ出ているという現実があった。それを目の前のエルフがただの遊びの名前で呼ぶことがどうしても許せず、嫌悪感が強くなった瞬間、彼女の胸の奥でこれまでになく重い金属音が幾重にも鳴り響いた。


カチン、カチン、カチリ……!


 その異様な音とともに周囲の空気が完全に静止したかのように重くなり、見えない巨大な錠前が最も強固なものから順番に外れ始めると、彼女の背後に巨大な古代のルーンが幾重にもホログラムのように浮かび上がった。それらは鎖、輪、枷といったすべてが古く重い封印の形をとっており、ひとつひとつがかつて封じられた強大な力の証として顕現しながら、黄金の圧がさらに膨れ上がって地面を割り、周囲のエルフ兵たちを次々と泥の上へ跪かせていった。


「なに……」


 ミリーが息を呑む。


「第二段階、じゃない」


 バルドが低く唸る。


「もっと上だ」


 ルキウスの瞳が初めて驚愕で大きく開かれたが、その視線は恐怖ではなく底知れない興奮に濡れており、まだこれほどの力が隠されていたのかと心底嬉しそうに呟くその気持ち悪さが、ルーティアの怒りをさらに激しく煽り立てた。彼女は剣を握る代わりに圧倒的な圧そのものを武器にして戦い、ルキウスが肉体を過熱させて踏み込んでくるのを真っ向から押し返したが、その余波が要塞司令塔の残骸に叩きつけられたことで、壁の一部が凄まじい爆音と煙を上げて瓦礫へと崩壊していった。

 瓦礫が飛び散るその中心で、ルーティアは自分の身体が今まで経験したことのない超常的な速度と威力で動くのを感じており、走る足は速く、振るう腕は重く、繰り出す拳は鋭く、そのどれもがただの人体の範囲を完全に凌駕していた。

 やがて彼女の掌から放たれる圧が凝縮され、光輝く黄金の大剣としての形を取り始めると、それは魔法による具現化ではなく純粋な質量を持った圧の塊であり、彼女がそれを一気に振り下ろした瞬間、巨大な司令塔の残骸は一刀両断にされて泥と鉄と石が四方に激しく吹き飛んだ。その凄まじい衝撃によってルキウスの頬が大きく裂けたものの、彼は流れる血を意に介さず、まるで欲しかった最高級の玩具をようやく与えられた子どものように、その歪んだ笑みをさらに深くしていった。


「いい」


 彼は繰り返す。


「もっと」


「離れろ」


 だが、その狂気に満ちた声が伸び切るよりも早く、腹を押さえながらも執念で立ち上がっていたカイエンが二人の間に割って入り、人間の兵たちが彼を支えようとするのを頑なに振り切っていた。ミリーが死なないでくれと叫んだのに対し、カイエンはまだ死なないと力強く言い放ち、ルーティアはその言葉に息を詰めたが、死なないと平然と言い切る人間の強さのすぐそばで、ルキウスは楽しげに鼻を鳴らした。


「いいね」


 彼は、カイエンの血を見た。


「本当にいい」


 ルキウスが懐から取り出した不気味な黒い水晶を迷いなく奥歯で噛み砕くと、硬い破砕音とともに、ルーティアの首筋に刻まれた呪印がこれまでにない禍々しい紫の光を放ち始め、それは脳の奥まで強制的な命令が走り抜けるような激しい拒絶の感覚だった。魔力回路が異常に過熱して全身が激しく痺れ、耐えかねて膝を折った彼女の口から泥の中に鮮血が吐き出され、視界が歪むなかでカイエンが必死に彼女の名前を叫ぶ声が、ぐしゃぐしゃに潰れた世界の隅から微かに聞こえてきた。

 カイエンは腹の傷から血を流しながらも執念で銃を下ろしておらず、ミリーの支えを振り払うその手に力が入っていない痛々しい姿を見て、ルキウスはそれこそが自分が求めていた最高の絶望の顔だと言わんばかりにうっとりとした声を上げた。

ルキウスが静かに剣を持ち上げ、その切っ先がカイエンではなく膝をついたまま苦しむルーティアへと向けられるなか、彼女が吸い込む空気のたびに呪印が激しく焼け、頭の中では拒絶、服従、停止、再起動、エラー、駆除といった知らない声が何層にも重なって耳の内側を不快にこすり続けた。


 嫌だ!嫌だ、嫌だ、嫌だ!この命令は嫌だ。この痛みは嫌だ。この男の笑い方が嫌だ。


 その強烈な嫌悪感が自身の閾値を完全に越えた瞬間、ルーティアの胸の奥で、今までで最大にして最古の歯車が轟音を立てて回り始めた。


カチン、カチン、カチリ……!


 古い巨大時計が永き眠りから目を覚ますかのように黄金の圧が周囲に爆ぜ、跳ね上がった泥の向こうでルキウスが振り下ろした剣が一瞬だけ完全に静止したが、それは止まったのではなく、彼女の放った圧倒的な質量によって真っ向から押し返されたのだった。

 ルーティアがゆっくりと顔を上げると、その瞳の奥には神聖な金色が満ち溢れており、彼女の周囲に展開された見えない巨大な質量によって空気も呼吸も視線さえも耐え難いほど重くなり、近くのエルフ兵たちが次々と地面に這いつくばり、遠くの魔導アーマーまでもが姿勢を大きく崩した。ルキウスの余裕に満ちていた笑みがようやく少しだけ歪むのを見つめながら、彼女は静かに、しかし確固たる足取りで立ち上がった。

彼女が踏み出したその一歩だけで周囲のエルフ兵たちがまとめて地面へと無残に押し潰され、鎧が引き絞られるように軋んで額を泥へ叩きつけられる光景を見下ろしながら、ルーティアは自分が何をしているのかをはっきりと理解していた。自分は誰かを守るためにこの力を振るってすべてを壊しているのだとしても、あの無力に壊される側に二度と戻るのだけは嫌なのだという強い意志が、彼女の身体を支えていた。


「退け」


 彼女の声は静かだった。


「すばらしい」


 彼は息を呑むように言った。


「やはり君は、ただの玩具じゃない」

「黙れ」


 ルーティアが容赦なく拳を振るうと、黄金の圧が見えない破壊の大剣となって襲いかかり、ルキウスはそれを紙一重で避けたものの、完全にはかわしきれずに肩口が深く裂けて鮮血が飛び散った。しかし、彼はその激しい痛みを感じてむしろ興奮を煽られるように息を荒くし、その笑みは今や完全に常軌を逸した狂気そのものへと変貌していた。

 ルーティアは手を緩めることなく続けて踏み込み、重く、速く、正確な圧の連続によって、細かい戦闘技術をすべて置き去りにした圧倒的な存在そのもので相手を物理的に押し潰していった。ルキウスが必死に剣で受け止めたものの、その強力な圧によって剣身がわずかに曲がり、彼が繰り出す決死の切り返しも、もはやルーティアの領域の速度には全く追いつかなくなっていた。

 その決定的な隙を見逃さずにカイエンが放った徹甲弾がルキウスの膝を正確にかすめると、ルキウスは初めてほんの少しだけ大きく体勢を崩し、その瞬間を捉えたミリーの叫びとともに背後で残っていた魔導アーマーの一台が横転して爆発した。火花と硝煙が周囲を包み込んで敵の連携が完全に断たれたその切れ目に、ルーティアが容赦なく掌を叩き込むと、凝縮された圧によって地面が激しく跳ね上がり、エルフ兵の二人が壁へと吹き飛んでそのまま動かなくなった。

 満身創痍となりながらも一人だけまだ立っているルキウスは、空っぽの片目で笑いながら、低い熱っぽい声でこれが戦場だと狂い咲いていたが、その声にはかつての高貴さは微塵もなく、ただ戦場に焼かれた一人の男の成れの果てだった。ルーティアはその醜い顔を見て初めてはっきりとした嫌悪感を抱き、楽しいから戦い、壊れる可能性を愛し、死のリスクを求めて笑うというその歪んだ精神構造が、彼女にはどうしても理解できなかった。


「あなたは」


 彼女は言う。


「死にたいんですか」

「違う」


 ルキウスはその問いに少しだけ目を見開いた後、即座に否定して笑った。


「死ぬかもしれないから、生きている」


 その理解を拒む返答にルーティアは黙り込むしかなかったが、理解できない存在だからこそ最も危険であると認識するなかで、カイエンが激しく血を吐いてついにその膝を地面につきかけたものの、それでも銃だけは決して手放さなかった。ミリーが叫びながら走って彼を支えようとし、バルドが火薬箱を蹴飛ばして別の砲座へ走り、格納庫から共に戦ってきた人間もゴーレムも、誰もがまだこの絶望的な戦いを諦めてはいなかった。

 その泥臭くも尊い光景を見てルーティアの胸の奥が締め付けられるように熱くなったのは、人間たちが自分のために死にかけていること、そしてこの場にいる全員が互いの命を繋ぐために命を懸けているという事実が、痛いほどに嬉しかったからだった。

ルーティアは強い決意を胸に、再びルキウスへと真っ直ぐに向き直った。


「もう、終わりにしましょう」

「終わり? まだ始まってもいない」


 その冷酷な返答の直後、彼の外套の下から黒い水晶の破片がさらにこぼれ落ち、呪印の残滓がルーティアの首筋でこれまで以上の激痛を伴って熱を持ち始めたため、彼女は思わず呻き声を上げて膝をついた。だが、ここで自分が完全に倒れてしまえばカイエンが確実に死ぬという未来が分かっていたからこそ、彼女は執念だけでその身体を踏みとどまらせていた。

 ルキウスが容赦なく剣を振り下ろしてきたのに対し、ルーティアは迫る刃を金色の圧の壁で真っ向から受け止め、ギィンと鼓膜を刺すような耳障りな金属音が周囲に響き渡ったが、その直後、ついに限界を迎えたカイエンが地面へと崩れ落ちた。腹を押さえていた彼の重い手から血が泥の上へと一気に広がっていき、黒い雷に裂かれた傷口は致命的なまでに深かったものの、彼は倒れ伏しながらも、その視線をルーティアから外してはいなかった。


「……お前」


 かすれた声が響くなかでルーティアが驚いて振り返ると、カイエンは銃を泥に突き立てて杖代わりにし、ボロボロの身体を震わせながら必死に立ち上がろうとしていた。しかし、その瞳に宿っていたのはさっきまでの敵に対する敵意ではなく、目の前の少女に対する圧倒的な驚き、困惑、そして強い警戒のすべてが混ざり合った複雑な光だった。

 彼は泥にまみれながらも禍々しく神聖な黄金の圧を周囲に激しく噴き上げているルーティアの姿をじっと見つめ、その震える声で、戦場にいる誰もが気づかなかった戦慄すべき事実を絞り出すように言葉にした。


「……魔力がない。それなのに、神を素手で引きちぎっただと?」


 カイエンの手にある銃口がゆっくりと持ち上がっていったが、その狙いはすでに眼前の強敵であるルキウスではなく、黄金の光を纏ったルーティアの心臓へと真っ直ぐに向けられていた。彼は信じられないものを見る目で激しく息を呑みながら、銃を構えたまま彼女に対してその正体を厳しく問い詰めた。


「お前は一体、何者だ」

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