9.瀬戸の牛若
6月14日(日)10時から1時間ごとに一気更新!
第一部完結までぜひ見届けてください。
竹原さんに拾われてから二週間近くが経ち、初めての給料をもらった。自己破産をしたため、会社の口座はもちろんなく、個人の銀行口座もいまだに数千円台であるが、給与は生活費の天引きということもあり、竹原さんから振り込みではなく現金で支払われた。もっともしっかりした雇用形態ではないため、当たり前と言えば当たり前だが雇用保険などの概念は一切ない。
都合一万円。
四月の半ばに拾われて、世間の給料振り込みにあわせて二十五日にいただいた。熊野さんの前借金もあったし、妥当な金額ではないか。むしろ、俺が仕事をしたと言えば店番二週間と野良猫の相手であり、研いだ包丁はわずかに五丁。
それ以外はひたすらに店の掃除と、練習用の包丁を研いで感覚を取り戻すことに費やしていたのだ。むしろこれだけの給与が与えられたことに感謝しなければならない。
茶封筒で竹原さんから渡された一万円だが受け取ったときのありがたみと重さは、初めて給料をもらった時よりもズシリとしていた気がする。
そして、俺はその金で竹原さんと熊野さんをご馳走した。もちろん、場所は若竹である。一年半ぶりの給与はどうしてもこの二人に感謝をこめて使いたかったのだ。
二週間ぶりの三人での宴会であった。下戸の熊野さんはウーロン茶を飲みながら、その巨体で笑う。竹原さんは焼酎のロックで冷ややっこをつまむ。俺はウーロンハイを飲む。
「福山君は将棋打てるんかあ。今度、こいつと打ったてくれや」
テレビの台座にある折り畳みの将棋盤を指さし熊野さんは俺の肩を揺らす。アルコールも入っていないのにまるで酔っているようだ。
「順二、ちゃわい。昔から言うとおけど、将棋は打つもんやのおて指すもんやけえ」
「そんなもん大して変わりゃあせん。福山君は聞いたか?こいつが昔、将棋打ちやっとったこと」
「いえ、聞いたことないですよ。竹原さん将棋指してたんですか?」
「昔の話やけえ、ええんや。今はしがない居酒屋の店主やけえ」
遠い目を細めてカウンターの上に飾っている写真を見上げた。やっぱり、あの写真は竹原さんと熊野さんだったんだな。
「お二人は昔からの友人なんですか?」
「友人というか、腐れ縁じゃ。こいつはガキのころから将棋だけは強おてのお」
自分で湯がいた枝豆を咀嚼する。焼酎が入ったグラスの氷がからりと音を立てる。
「まあ、ほうじゃなあ。腐れ縁やなあ。小学校んときからかのお?」
「小学生のときからですか?え?じゃあ、もう五十年近くですか?」
ウーロン茶のグラスが空になった熊野さんは自ら冷蔵庫まで歩く。勝手知ったると言わんばかりに我が物顔で冷蔵庫を開け二リットルのペットボトルからウーロン茶をとくとくと注ぐ。それに対して竹原さんも何も言わない。
「いや、五十年以上じゃなあ。一平が初めて将棋で大人を打ち負かしたのが二年生のときやったけえ、かれこれ六十年の付き合いやのぉ」
「確かにそうやのぉ。俺が十になる前の話やったけえ、それくらいになるのぉ」
昔を懐かしみながら焼酎ロックを飲みながら、枝豆を再び口に運ぶ。俺もその枝豆をつまむ。絶妙な塩加減で酒が進むのもよくわかる。
「あん頃はこの辺じゃあ負け知らずやったのぉ。あまりに強おてついたあだ名が瀬戸の牛若やったけんなあ」
カウンターに腰かけた熊野さんはウーロン茶に口をつけ、どこからともなく取り出したチョコレートを食べる。
「まあ、俺より強い奴がおらんかったけえの。あの頃はよかったのぉ」
さらりと竹原さんは言う。かつての強さを自慢するわけでもなく、ただ遠い過去のことを思い出しているだけのようだった。
「でも、喧嘩はめっぽう弱あてのお。いっつもワシの後ろに隠れよったけん、逃げるのが早いから瀬戸の牛若や言われとったのぉ」
「かかかか、そうやのぉ。喧嘩が強かったからのお、順二は。昔は瀬戸の弁慶って言われとったのぉ」
「あははは、そうやのお。今でも図体のデカさは変わらんが、おかげで体のがたがきたらえろうとおえんわ」
三人で長く笑いあった。昔話に花を咲かせる二人は楽しそうで竹馬の友というのか。羨ましくなった。
「もうええ時間やけえ、順二も帰らんと母ちゃんに怒られるけえ、そろそろ仕舞おうか」
店の時計を見ると深夜十一時だった。いつもと同じような時間だ。
「ほうじゃなあ。ぼちぼちいぬか。じゃあの一平。福山君、ありがとうな。ご馳走さん」
「はい、こちらこそありがとうございました。また、明日よろしくお願いします」
「おお、またの。順二」
そういって熊野さんは引き戸から出ていった。大柄な熊野さんが出ていった店内には小柄な竹原さんと中肉中背の俺だけになる。
「明日も早いけえ、ササっと片付けて休もか」
「そうですね、じゃあ俺洗い物しておきますね」
「おぉ、俺は先に風呂入らさせてもらうけえ、頼むでな」
「……あの、竹原さん、今度俺と一局指してもらえませんか?」
思い切って俺は提案してみた。
眉を少し上にあげて彼は「かかか」と笑った。あの写真のような少年の笑みだ。
「ほうじゃのぉ。また今度一緒に指そか、最近はお客さんとも指してへんしのぉ」
竹原さんが風呂に入っているとき珍しく鼻歌が聞こえてきた。とても音痴だったが、とても楽し気に思えた。
昔、祖母がよく「京の五条の橋の上 大の男の弁慶が~」というフレーズを口ずさんでいました。
※自転車の魔法使いもこれまで通り、毎週金曜日更新しています!あわせてごらんください!




