6.一流の本質
6月14日(日)10時から1時間ごとに一気更新!
第一部完結までぜひ見届けてください。
「では、改めて行ってきます!」
「おお、気を付けてなあ」
真新しいジャージを着て、古い引き戸をガラッと開ける。春の日差しはまぶしい。わずかに潮風が吹くと、バケツの水たまりにどこからともなく桜の花びらが舞い落ちる。
なんだか生まれ変わった気がした。俺は何て単純な男なんだろう。いや、男なんてみんな単純なのかもしれない。
腹いっぱいの飯を食わせてもらい、働く場所を与えてもらい、あまつさえ寝床も用意してもらった。これ以上、望むものなんて何もない。
風呂場のシャワーも極端に熱いか、水のようなぬるま湯しか出なかったのなんて些細な出来ことだ。汗を流して、ごわごわの頭を真水と石鹸で洗えるだけ十分だ。
スマホをふと見た。
着信はない。
笑えるものだ。ちょっと前まではこのスマホに何か通知がないかと思っていたのだが、この数日間でそんなことはどうでもよくなってしまった。
大体、自己破産がすんで金融会社からの催促もなくなったじゃないか。両親なんてずっと前からいないし、兄さんも今はもう別の会社を経営してて順調だ。俺が出る幕なんて微塵もない。
トートバッグにスマホを放り込み、昨日と同じ道を歩く。
玉野の町は瀬戸内特有の穏やかな空気を帯びている。どこか懐かしい町を歩くと正面には直島行のフェリー乗り場見えてくる。海鳥が港を我が物顔で闊歩し、漁船からのおこぼれを狙っていた。
随分と遠くまできたものだ、本当に。道に転がる小石をこつんと蹴とばしながら、故郷のことを思い出す。海のない街に育ち、何の変哲もない幼少期から学生時代を過ごし、なんとなく親父から事業を継承し、行き当たりばったりだった会社になんとか融資してもらったものの、逃げられたあげく会社は潰れた。祖父の代から続いた五十周年を迎えた記念すべき年に福山鉄器、もとい福山センターは倒産したのだ。
本当にみっともない話だ。とことん自分が嫌になる。それでも、まだ今日も生きているんだし、なんとかさせてもらっている。
それならばその恩義に報いねばならないし、土俵際でも踏みとどまるしかない。そんなことを考えながら俺は熊野金物店までたどり着いた。
今日はまだシャッターは開いていない。勝手口に回り、押しボタンだけのインターホンを鳴らす。じりりりり。と建物の中から聞こえた。ちょっと待ってや。という大きな声がして、中からはガシャンと何かが落ちる音も聞こえた。大丈夫だろうか。
勝手口の引き戸がガラリと音を立てる。小さな勝手口の中からぬうっと巨体が現れる。
「おお、時間通りじゃな。待っとったぞ。今日のなりは昨日よりだいぶマシやな」
しっかりとジャージ姿をチェックされる。歓迎されているのかどうかわからないが、ひとまず今日からここでお世話になるわけだ。本当に何をするのだろうか。
「熊野さん、今日からよろしくお願いします!」
「挨拶はええ、ええ。とりあえず、今日から色々とやってもらうけん、よろしく頼むで」
「はい!」
表玄関にまわり店のシャッターを上げる。錆びつき、年季の入ったシャッターは重い。ガタガタと今にも壊れそうな悲鳴だ。シャッターが上がり切り、店内には春先の光が差し込む。さらに熊野さんは店内の明かりをつけた。
埃をかぶった鍋、これまた埃をかぶったカセットコンロ、剪定ばさみ、金づち、くわ、たらい、包丁、ちりとり、デッキブラシ。まさしく町の金物屋といったラインナップで雑多なもの数々が並んでいたことに気づく。
昨日はわかりにくかったが、正直なところ売れる金物屋ではない。俺一人を雇ってくれるのは助かるが、そもそも給料という概念はあるのだろうか。それが危うければ俺はタダメシぐらいだ。
「まあ、昨日も言うたと思うがこんな田舎でこんな商品を買うやつはまずおらん。けど、わしは親の代からあったこの店を継いできたし、なんとか今も利益は出しとる」
事業経営に失敗した俺には耳が痛い話だ。
「福山君、理由がわかるか?」
昨日から抱いていた疑問を相手から切り出してきた。
「利益を出せる理由ですか?」
「おぉ、ほうじゃ」
軒先に並ぶバランスの悪い商品を見る。何一つ売れそうなものはないし、熊野さん自らこんな商品を買うやつはいない。とまで言っている。となれば、やはり御用聞きで儲けるのか?
「その、昨日言われてた御用聞きってやつですか?」
「違うな。あれも売上だけで言えば数パーセントや。店先に並んでないものをわしは売りようけん」
「というとどこか大口の契約先があるんですか?」
「まあ、あるにはあるがあれも半分にはいかん」
そうなると何だ?まったく予想がつかない。
「なかなかわからんか。インターネットを使うんや」
「インターネット? 通販ってことですか」
「そのとおりや。何もわしは事業を拡大したわけやない。むしろ縮小しようとした」
事業を拡大せずになぜ経営が続くのだろうか。そして、なぜ利益が出ているのに縮小しようとするのか。それにネット通販こそこの老人にとっては悪手に思える。
午前八時。熊野金物店が開店するのは午前九時だ。もしかして、熊野さんはこの話をするために俺を早く呼びつけたのかもしれない。
腰をさすりながら、熊野さんは店の奥まったスペースに俺を案内する。わずか三畳程度の空間に作業台があり、椅子はない。周りにはグラインダーやサンダーなどの電動工具、ノミ、大きなナイフ、いくつもの砥石が整然と並べられている。
「話せば長おなるけどな」
作業台に腰を預けながら、腕を組む。その目つきは職人というよりかは経営者だ。
「幸いうちには固定客がついとる。ただ、その固定客も毎日、鍋や包丁を買うわけなかろう? 包丁一本を研いでもせいぜい千円くらいよ。福山君も一端の経営者ならこれだけで飯が食えんのはわかるじゃろ」
「はあ、ある程度は」
当然だ。金物担当をしつつ事務業務も行い、貸借対照表や損益計算書だって作ってきたし、ホームセンター業界再編の波も十分に見てきた。波に乗るどころか早々と淘汰されてしまったが。
「こんな仕事だけでは飯は食えん。厚生年金がないから今もこうして働いてるわけや。インターネットでワシはこの金物屋であることを活かして”目利き”をしてきた。プロ相手にな。プロの料理人とか最近は素人でもこだわる連中が多てな。それ相手にええ商品を大手よりも割安で卸すんや」
「そんなことでですか?」
はっきり言ってそんな程度で?と思った。だいたいどこのホームセンターでも商品知識が強い人は大勢いるし、ネット通販だってしているのだ。そんなことで渡りきれるものなのか?
「馬鹿にしちゃあおえん。相手はこっちも見とるんや。こいつなら、信頼できるということを理解してもらわにゃならん。この客は何を目的にしてるのか?を見定めてやらんといかんし、客のニーズに答えて商品を提供する。極々当たり前のことや。それに俺が売るのは確かに商品やけど、同時に信頼も売るんじゃ」
作業台の金づちを手に取り肩をトントンとたたき出す。
「一流は本質の一流を求めるもんじゃ。ブランドや名前やなくて、その道具が持つ性能とでも言うべきかのお。それで、その道具を長お使う。俺が信頼を売れば、この商売人に任せればええ。この人間に修理や新しい品物を頼もうとなるわけじゃ」
それはわかる気がする。どのみちのプロも自身が持つ道具に並々ならぬ愛着を持つ人も多い。弘法は筆を選ばず、とは言うが実際には腕のいい人が一級品で物事をなすとそれは格段に質が高くなる。そして、使い込まれた道具は主人にあわせるようになっていく。
「ようはこだわりの品をアンタだけに選んでやる。というようなオーダーメイドではないけどもぴったりの一品を探すということをコンセプトと、末永く続く役務…まあ、サービスを提供したわけじゃ」
「たしかに。ですけど、うまくいったんですか?」
愚問だった。熊野さんは利益がある程度出ていると言った。これはまさしく野暮な話だ。
「最初はなかなかやったけど、地元の料理人や料理好きからは認められてな。そういった縁を辿って、ぼつぼつと全国から仕事が入りはじめた。そこからは軌道にのったわけじゃ。インターネットは世界中どことでもつながる。無論、運もあったと思うしワシも経営がうまいと自分では思わんかった。けど、こいつらにエエもんを使ってもらいたい。という考えでワシはここにたどり着いた。まあ、もう少しいうと利益は半ば二の次やったときの話やな。わりと我武者羅にまだ働けとったし、インターネットも出始めたころやからそこまで商売敵が多くなかったんも事実じゃ。まあ、ニッチな層を取り込めたというとこやろうな」
「でも事業を縮小しようとしたんですよね?どうしてですか?」
「ああ、それはこの前ぎっくり腰になってもうてな。それでじゃ」
「通販ならそこはカバーできるのでは?」
「違う。そっちやない。御用聞きの仕事じゃ、あれもなかば地元のジジババの安否確認をかねてやっとったが、そういうワシも年寄りじゃ。やから、この店の御用聞きの暖簾を下ろしてネット通販専業と包丁研ぎとか修理とかの訪問客だけにしたろうと思ったくらいじゃ」
なるほど。それもそうだ。熊野さんも竹原さんと同級生であり高齢者である。頭がしっかりして、体は割と元気でもやはり急にガタがきたというわけだ。理由としてまっとうである。
「お、そんな間にも開店やけん表行っとくか」
「わかりました」
スマホをさっと確認すると時刻は九時少し前だった。
これから再び俺は働くことになるのだ。そして、さっきの話を聞いて少し安心した。一定の利益が出ているのであれば、安いながらもある程度の給料は出るのだろうと。
金物店や雑貨屋がつぶれない理由は往々にしてありますが、大体は不動産をもっていたりするので潰れないパターンが多いように思います。
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