5.玉野の朝日
6月14日(日)10時から1時間ごとに一気更新!
第一部完結までぜひ見届けてください。
昨日、久しぶりに酒を飲んだ。少し頭痛がするが、心地よい朝焼けで目が覚める。
いつぶりの酒だっただろう。奮発して竹原さんがいい日本酒を注いでくれたのだ。自身も焼酎の水割りを飲みながら昔話をしていた。熊野さんは食べてばかりで一切酒に口はつけなかったが、彼も楽しそうだった。過去に賭け将棋指しで竹原さんが一流の腕前だったこと、そしてそれの用心棒として熊野さんがそばにいたこと。
そこで俺の身の上も話すことになった。祖父から継いだ金物屋を父がホームセンターに事業拡大し、俺がそれを事業継承したものの、共同経営者に裏切られ破産。それだけ聞くと竹原さんは酒も入っていたせいかわんわん泣くし、熊野さんなんて酒も入ってないのにすすり泣いていた。
涙もろい老人たちに囲まれ宴会は夜遅くまで続いた。そして目が覚めたのは朝の光を感じる午前六時だった。東の窓からは陽光が差し込み、湿った布団と畳を照らしている。畳は年季が入っており、消えぬシミがたくさんあるが、贅沢は言えない。今の俺にとっては十分すぎる寝床だ。昨日の海岸で寝た夜を想えば雲泥の差である。
階下の台所からは包丁の小気味良い音と、味噌の豊潤な香りが漂ってくる。人間とは欲張りな生き物で、また腹の虫が鳴いている。
もう、起きて仕事しているのか、竹原さんは。俺よりも深酒だったのに。俺は急いで昨日買ったシャツとジャージに袖を通す。エプロンはまださすがに開けないが、一緒に買ったトートバッグに詰め込んで階下に降りる。
「竹原さん、おはようございます! 昨日はありがとうございました!」
「おお、勝ちゃんおはよう。元気やなあ、大したもんできんけど朝飯こしらえたから食べていきんさい」
「ありがとうございます!」
「寝床と飯の代金は順二から徴収するから気にせんでええけえのお」
相変わらず抜け目なく竹原さんが言う。どこまで本当かどこからが嘘かは全く分からないが、この飄々とした感じは何ともつかみどころがない。
カウンターには麦ごはんとみそ汁、香の物にめざしが二本。何ともいい朝飯だ。酒の抜け切らない日本人の朝にはちょうどいい。
昨日と同じカウンターに座り、昨日とは違う飯を食べる。
うまい。みそ汁はシンプルに豆腐とわかめだけだが、小料理屋だけあって出汁の味に奥行きがある。旨さの中に懐かしさがあり、この味こそ日本の味噌汁。と言わんばかりだ。ふんわりと舌の上を温かな汁が踊り、喉をくだる。
香の物も冷蔵庫から出してきてヒンヤリとしている。一口かじり頭をシャキッと目覚めさせる食感だ。パリ、パリッと食べて麦飯をかっ食らう。濃い目の塩分が舌の上で中和されていく。
白米とは違った旨味があり、噛めば噛むほどほのかな甘みと深みがあふれ出る。
極めつけはめざしだ。何の変哲もないイワシのめざし。だが、それがいいのだ。頭から容赦なくかじりつく。固い頭をかみ砕き、バキッと背骨を折って咀嚼する。
少し塩辛いのと内臓の苦味がさっきの麦飯の甘さがそれとマッチして実にいい。口の中の水分をめざしが奪っていくが、それを味噌汁でカバーする。ひたすらに旨い。
「ゆっくり食えばええ、飯は逃げんで」
「は、はい。いや、飯がほんと旨くて……」
カウンターの隅においている丸椅子に腰掛け、新聞をめくりながら竹原さんは自分の椀に注いだ味噌汁をちびり、ちびりと日本酒をたしなむように飲む。時折、少なめの麦飯と香の物を口に運ぶ。実にゆったりとした朝餉だ。
食べ終わる頃にタイミングよく竹原さんは熱いほうじ茶を出してくれた。昨日のうどんもうまかったが、この朝食。いや朝飯も最高だった。朝に湯気の出るものを食べたのは何年ぶりだろう。思わず鼻をすすってしまう。
「ありがとうございます、ごちそうさまでした。なんというか…その、めちゃくちゃ旨かったです」
「ええよぉ、俺はこげんことしかしてやれんし、順二からしっかり給料天引きするけえのぉ」
竹原さんは昨日と同じしわくちゃの笑顔で俺に言う。
午前七時。熊野さんの店に行くにはまだ時間があった。新聞から目を離し、テレビのニュースをボウっとした表情で眺める竹原さんに、疑問だったことを素直に口に出した。
「竹原さんは、なんで俺にこんなによくしてくれるんですか?」
普通の感覚であれば、こんな見ず知らずの男なんてあのまま砂浜に放おっておくだろう。どうせ酔っぱらいかなにかだと思って。よくても警察に連絡して即、迷惑だからと追い払われてしまったに違いない。
テレビから少し目線をよこして、お茶をすする。
「さあなあ。なんでかよおわからん。でも、なんとなく放おっておけんかっただけよ」
なんとなく放おっておけなかった。理由のようで理由ではない。率直に言えば俺を助けるメリットなどなにもないはずだ。こんな海岸線で行き倒れている男を拾って、あまつさえ仕事すら与えることに一切の利は見当たらない。
それでも竹原さんは俺に手を差し伸べてくれた。蜘蛛の糸ではないがそれにすがるほかなかったのだから、俺にとって竹原さんは嘘偽りなき命の恩人だ。
その理由がたった「なんとなく放おっておけない」。そんなことあるのだろうか。
――でも、俺はそれ以上竹原さんに聞くことはできなかった。この人に、そんな理由を喋らせてはいけない気がしたのだ。
この人はこの人の理屈で生きているのだ。何が正しいのか、何が間違っているのか。人の評価よりも自分の価値観でこの人は生きてきたのだ。そして、今もそれはおそらく変わっていないのだ。
この人が何を見て、何を思い、何を感じているのか。今の俺には何もわからない。だけど、きっといつか竹原さんと同じ景色を見て、思い、感じたい。この人の横に並び立ちたい。
たった昨日の朝に出会った名前以外がわからないこんな老人に憧憬を抱くことは馬鹿げているかもしれない。でも、この老人は生活保護寸前の男を拾った馬鹿げたことを平然と成し遂げている。
それならば、俺だって馬鹿げた憧れを描くことぐらいいいはずだ。
よく旅館やホテルに行くとパンよりもご飯を選びます。パンもおいしいですが、ご飯も好きです。
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