4.瀬戸の弁慶
6月14日(日)10時から1時間ごとに一気更新!
第一部完結までぜひ見届けてください。
老人がくたびれた顔で戻ってきたのはそれから五分くらいしてからだった。ひどく疲れた顔をしているようにも見えたが、どこか晴れ晴れした顔でもある。
「おお、兄ちゃん。お前さん、働き先決まってけえのお。よかったのお」
「ええ?ほ、ほんとですか?」
いざ働き先が決まったと聞いてもにわかに迷うし、ピンとこない。そう、あんな電話一本で働くことが決まるなんて今まで人生で一度も聞いたことも見たこともないからだ。
「そんで、履歴書書けって言うんじゃけえ、うるさいわ。って言うてやったわ」
履歴書書けっていうのは当たり前である。それに対してうるさいわって…なんだかメチャクチャな老人だな。
「その前に、名前じゃなあ。兄ちゃん、名前は?」
「え、あ、お、俺は福山勝と言います」
「福山、勝かあ。ええ名前じゃのぉ。うん。わしは竹原一平じゃ。よろしゅうな、勝ちゃん」
「は、はい、竹原さん」
「じゃ、早速行くかねえ」
「え?行くってどこへ?」
「ん?ああ、店番先じゃよ」
「え、こ、このままですか?」
「勝ちゃん、替えの服もなかろう。どうせ、あいつもそんなこと気にせんし、わしが一発ガツンと言うちゃるけえ、大丈夫じゃ」
何が大丈夫なのだろうか。失うものはないといったものの、不安でしかない。
竹原さんと共に店を出る。古い鍵をガチャガチャとおもちゃのように回して鍵をかける。店の外に出ると鼻に潮風がさす。昨日嗅いだ匂いよりもどこか安心する。
この老人こと竹原一平氏はここ玉野市の玉野競輪場の近くで長く小料理屋をしているらしい。店を初めて早四十年は過ぎるらしく、近所でも評判は上々と本人談だ。ただ、冠婚葬祭の仕出しなどは最近、めっきり注文が減ったと嘆いていた。たしかにここ十数年で法要の文化ががらりと変わった気がする。地元ではまだまだ盛んであったが、徐々にこういう空気の変化を感じる。
俺が世話になるのは熊野金物店という店だそうで、竹原さんの竹馬の友で熊野順二という人だそうだ。世話になる。といったものの、まだ確定はしていないだろうが。
「見た目は厳ついけど、中身は俺以上に情け深いから、大丈夫やけえのお」
「はあ」
そうは言われても赤の他人と連続して会うのはどう考えても大変だし、見た目厳ついという言葉が気になる。それにまだこの竹原という老人の素性もろくに知らないのだ。用心するに越したことはない。
ぼさぼさの頭を何とか手ぐしで整える。その姿を見て竹原さんは「かかか」と独特な笑い方で俺に聞く。
「そんな頭なんぞ、気にしても問題ないけえ。わしがついとるからどーんとしとりゃあ、ええんじゃよ」
「いや、そんな無茶な…」
老人特有の俺に任せておけ。という自信も根拠もない言葉にますます不安になる。店を出て十分くらいだろうか。とあるしなびたスーパーの前で立ち止まった。
「さあて、見舞いついでになんかウマいモンでも買うてってやるかのぉ」
竹原さんはそのスーパーに入る。何か料理をしてふるまうのだろうか。料理人ゆえに目利きは確かなのだろう。と思ったら、直行したのはお菓子売り場。そこでチョコレート菓子とラムネ菓子を選ぶ。なんとも拍子抜けするチョイスだ。
「あの、竹原さんこれ買うんですか?」
「んん?おおよ。あいつは酒が飲めんかわりに甘いもんに目がのおてなあ」
数点のお菓子を慣れた手つきでセルフレジに通し、そのままさっと店外に出る。
「さあ、もうじきやけえのお。勝ちゃん、ビシッと行くけえのお」
再び歩き出す。玉野の土地をこうして歩くことになるとは夢にも思わなかった。潮風が吹き、町全体がどこか懐かしい。故郷の町を歩いている気分にもなる。
昔、一度だけ事業がまだうまく行っていた頃に遊びで玉野競輪をした。そのときに少し勝ったからという理由だけで玉野競輪に賭けてここまで流れてきたのだが、人生なんて本当に何が起こるか分からないものだ。
今や一時間前に出会った老人にすべてを託している。人生の転び方の教科書の気分だ。
「ここじゃ、ようし」
熊野金物店。と大きく書かれた看板の前で立ち止まる。スーパーからは五分ほどの距離。小料理若竹からは都合十五分ほどの距離だった。
すすけた看板に、ガラス障子の扉、中をのぞけば埃をかぶった鍋やカセットコンロ、果ては臼や杵まで置いてある。金物店とはいったい何なのだ。
「おーい、順二。店番、連れてきたぞ~!」
インターホンなどという概念すらこの竹原さんには存在せずに、ガラス障子に手をかけて何のためらいもなく大声で店主らしき人物の名を呼ぶ。
一体、どんな人物なのか。
俺はどのようにすべきなのか。
まったく分からん。
こんな状況人生でなかなかないだろう。普通の面接とはわけが違う。
返事がなかった。
「ん? あいつ、いよいよくたばったか?」
「え? 誰もいらっしゃらないんですか?」
咳払いが聞こえ、真後ろに影ができた。
「誰もくたばっとらんわ」
パッと振り返るといかにもな大男が仁王立ちしている。
身の丈は優に一八〇センチは越えており、一九〇センチ近い。この年代の男性にしては相当に大柄であり、恰幅もよく堂々としたたたずまいだ。短く切り揃えられた白髪頭は厳めしい顔つきと相まってどこぞの筋モンと言われても何ら不思議ではないほどの威圧感にあふれている。
その姿に俺はたじろぐ。さすがに竹原さんの同級生と聞いていたし話通りであったが、想像以上にこれは厳しそうな人だ。
「なんやあ、歩けるんけえ?」
素っ頓狂に軽口をたたく竹原さんは自分よりも身長が高い熊野さんを見上げる。
「リハビリじゃ、動かんかったら余計におえんと医者に言われての。朝っぱらから電話かけてきおって」
「かかかか、まあええじゃなか。モーニングコールや」
スマホを振りながら竹原さんは「かかか」と笑う。
「で、そこの若いのか?」
「おお、そうやそうや。この子じゃ。この子は勝ちゃん。福田勝ちゃんじゃ」
「いや、竹原さん、俺、福山勝です。福山です」
「ん?おお、すまんすまん。そうそう、福山勝ちゃんじゃ」
大丈夫か?この人。
「なあ、一平よ。お前さん、俺の心配もええけど、自分の跡取りも探さにゃならんのじゃろう?自分のところで働かせたらどうや?」
至極もっともな意見だ。
「まあ、それも思うたけど、順二が腰いわせちょるから、俺がわざわざ連れてきたんじゃ。なあ? 勝ちゃん」
いや、なあ。じゃないんですけど。俺に話を振られても困る。
「いや、あの、まあ、そんなところです」
熊野さんはごつい身体をグッと近づけて俺を吟味しようとした。が。その強面がさらに強張る。
「あ、いたたたた。おえん、この姿勢はおえん。とりあえずまあ、中に入れや。茶の一杯くらいは出すけん」
やはり腰を痛めているせいか本調子でないことは赤の他人にも分かった。
この人も本当に大丈夫なのか?
居間に案内された俺と竹原さんは座布団に座り、熊野さんは椅子に腰かけた。辛そうであるが、何とか日常生活はできているといったレベルのようだ。
湿気た座布団は座り心地は悪いが、座っている自分もこんなナリだから何も言えないし、何も言わない。
ちゃぶ台に不揃いの湯呑茶碗で竹原さんと俺にお茶を入れてくれる。
強面そのものだが、表情はどこか穏やかだ。きっと、竹原さんが見舞いに来てくれたのが内心嬉しいのだろう。見舞いのチョコレートとラムネ菓子を躊躇なく開けてむさぼっていた。
「で、どうや? 順二、この子は?」
早速本題に入る竹原さんであるが、俺を見て熊野さんはいぶかしむ。
それもそうだ。どこの馬の骨かもわからない男を急に雇えと言っているのだ。
今の時代は令和八年だ。昭和の戦後すぐじゃないんだから無茶苦茶を言うにも程がある。
「この子はどうもこうもあるか。事情も経緯もなーんも説明せんと、家に若い衆連れて行くから店番で雇えなんて、お前は相も変わらず無茶言いよるのお」
「まあ、俺とお前の仲じゃ。ここは頼むけえ」
「頼むって……さすがに無理じゃ、うちには母ちゃんもおるし、あれもあれで気難しいけえ、絶対に許さんと言われるわ」
熊野さんのその言葉を聞いて少し安心した気がするし、同時に振り出しに戻ったとも思えた。その何とも言えない緊張感は俺の腹にくる。
「あの、すみませんお手洗いはをお借りしてもいいですか?」
「ん。ああ、奥行って右じゃ」
いわれたとおりに指さされた扉へと向かう。古い扉を開くとタイル張りであったものの、便器そのものは温水便座であり自動で蓋まで開くタイプだ。
まあ、人生そううまくはいかないよな。
「また変なモン拾うてきよってからに」
用を足しながら少し考えをまとめていると二人の会話が聞こえてくる。
「ええんじゃ。順二。もしあの子が変なことしたら俺が責任取るけえ」
「責任取るもクソもあるか。どこまでお前はお人よし言うんじゃ。だいたいどこの馬の骨ともわからんようなワッパ持ち込まれたこっちの身にもなってみいや」
もめている。当然と言えば当然だ。
「固いこと言うなや、この前のお母ちゃんのつけはタダにしたるけえ」
「あほ。あれは母ちゃんの払いじゃ。ワシは関係ない」
「ほうじゃ! じゃあ、うちから通うのはどうや?」
「お前なあ……なんで、あんな奴に……はぁ。そんな義理堅いやつ、こんなご時世どこにもおらんけん、お前はアホな奴じゃのお」
「アホで結構……どうじゃ? 順二、俺のワガママ聞いてくれんか?」
「……好きにせぇ」
これ以上トイレで盗み聞くような真似ができなかった。俺は不誠実だった。今までの疑念とともに水を流す。
「で、君は……えーっと、福井君はどうなんじゃ?」
しかし、この人たち俺の名前覚える気あるのか?
「いやあの、福山です」
「ああ、悪いの。福山君はどうなんじゃ?」
トイレから出て急に話を振られて俺は少し焦ったが、名前を訂正したことと話を聞いていたことから余裕ができた。
そしてこれはある意味千載一遇の好機である。働かせてもらうしかないだろう。さっきまで疑ってばかりいたが、トイレから聞こえた会話は俺を貶めるような会話ではなかった。信じていいはずだ。
「是非。働かせてください、何でもしますので」
正座していた背中をピッと伸ばして、頭を下げる。畳の匂いがつんとした。
熊野さんは椅子にかけたまま腕組みをしてうーんとうなる。俺は頭を下げたまま気配を探る。やっぱり駄目なのかもしれない。俺の疑念を空気から気づいていたのかもしれない。
まあ、それもそうか。名前だけしか知らない相手を雇うのはどう考えてもリスクしかない。それにしたって、なぜこの竹原さんはこんなにも俺に優しいのだろうか。
「福山君……と言ったか、君前職は何をしとった?」
「は、はい。お、俺…いや僕は北陸のホームセンターで働いていて、その…」
自分で言いよどんだ。これを言えばどうなるのだろうか。
「その?なんやね?」
もう言うしかない。
嘘でもないのだし、これは事実なのだから。
「その、一応は金物担当でして…」
パチンと竹原さんは手を打ち、大きく笑う。
「おお、そうじゃったか! 勝ちゃん、ホームセンターで金物やっとたか! そりゃあ、都合がええのお! なあ、順二!」
呆れたような困ったような表情で熊野さんはつぶやく。
「都合がええ言うが……まあ、悪いことはないがのぉ」
「一応、包丁研いだり、剪定バサミとか鍋の修理くらいはしてました」
更に竹原さんは膝を叩く。狭い居間に竹原さん独特の笑い方が響いた。熊野さんはポリポリと頭をかく。
「のお、順二。俺からも頼むわ。この子、悪い子じゃないけん。どうかしばらくの間、店番させてくれんやろか?」
やれやれと言った表情を浮かべ熊野さんはため息をはく。
どのみちここにつれてきた時点で断らせる気なんて微塵もないのだろうと言わんばかりだ。
そして竹原さんは観念したかと自慢げな表情だ。それにしたって、竹原さんは人が良すぎだ。見ず知らずの俺になぜここまで世話を焼けるのか。
「雇うてやることはできるが、給料も大して出せんし、何より半分は御用聞きみたいなもんや。それでも大丈夫なんか?福山君は」
だが、この人たちならば俺もこの身を預けてもいいのかもしれない。俺は自分の疑心暗鬼を恥じた。
「は、はい!もちろんです。今、何もできないより、俺はここでやり直したいんです…!」
「……わかった。そこまで言うなら、早速明日から来てもらおうかの」
「あ、明日からですか?」
「なんじゃ、無理なんか?」
「い、いえ。とんでもないです!今日からでも!」
「今日は定休日じゃ。このアホが来るからシャッターもあけとったんじゃ」
「誰がアホじゃい」
竹原さんは嬉しそうに熊野さんを小突く。
「まあ、明日の朝八時にここに来んさい。それから、服は……それ以外ないんちゃうけん?」
見抜かれていた。この竹原さんといい、熊野さんといい人を見抜くことに以上に長けている。不思議な人たちだ。
「給料前借でちょっと金渡してやるけぇ、適当にエプロンとジャージでも買うてきんさい」
「え……いいんですか?」
くたびれた革財布から一万円を熊野さんは俺に手渡す。俺はキョトンとした顔でその札を受け取る。久しぶりの一万円だ。これほど質量が軽いのに重たい一万円は久しい。
「いいも何もその砂まみれのジーパンとシャツじゃ仕事にならんけんのお。とにかく詳しい話は明日するけん、今日は一平に何かうまいモンでも食わせてもらえばええ」
「あ、ありがとうございます!」
「よかったのお、勝ちゃん。ようし、今日は昼めしもおごってやるわ」
「おい、一平。俺もおごれよ。母ちゃんがぎっくり腰の旦那をほったらかして旅行に行っとるけん、お前の家で宴会じゃ」
「仕方ないのぉ、今日だけじゃぞ。よし、そうと決まればいったん帰るかのお、よかったのお、勝ちゃん」
「は、はい!」
この老人たちはなぜ、こんな俺に優しいのだろう。俺は分からなかったが、人の温かみに触れた気がした。
ここでなら、俺はもう一度頑張れるかもしれない。そう思えた。
シャッター通りにあった金物店や雑貨屋はどうして潰れないのか。いまだに謎です。
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