38.真剣(その2)
前回のあらすじ――
倉敷の老先生宅で剪定作業に勤しんでいた福山のもとに熊野から明日急遽、金物店が臨時休業になることを告げられる。
そんなとき、ふと竹原から聞いた五常という単語を思い出し老先生に尋ねる。
彼の答えは単純明快であり、それを聞いて福山は心の澱がどこか高い空へと消えていくように感じたのだった。
倉敷将棋センターは倉敷駅からほど近く歩いて行ける距離だ。以前、立ち寄った際には休館日であったものの場所だけは記憶していた。
前日、急遽休みになった俺は若竹に帰った後、竹原さんにダメ元で将棋センターへ連れていってもらうように頼んでみたわけだ。
「老人会の集まりやけえ、期待しちゃおえんよ」
雑居ビルの一室に入ると、外の寒さを忘れさせるほど静かな熱気に包まれ、無駄話をする者は誰一人いなかった。
年寄りの集まりだと竹原さんは言っていたが、中には若い人もちらほらいるようで、土曜日でそれぞれが指しあっている。年齢層でいうと老人が最も多く、その次に意外と子供が多かった。
そんな中、ある一席に人が集まっている。
「竹さん。ちょうどいいところにきたね、あそこ見てみ」
親し気に話しかけてきた老人がその人だかりができている席を指す。若い青年と口ひげを蓄えた中年が指しあっていたようだが、今さっき対局が終わったようで感想戦を行っていた。
「ん? どうしたんじゃ?」
「いや、あの若い子いるじゃろ。見たことない顔なんだけど、めっぽう強くてさ。オーナー負かせちゃったんだよ」
青年はひょろっとしており、インテリな雰囲気がある。
「ええ? オーナーが? そりゃ、相当やのぉ」
「オーナーさんってあの口髭の人ですか?」
誰がなんだか分からない俺は竹原さんに聞いてみた。
「おお。そうじゃよ。あのちょび髭がここのオーナーや。でも、あの人も強いけえ、それを負かすってのは相当やのお」
なぜだか妙に楽しそうな竹原さんである。元真剣師としての血が騒ぐのか。
「竹さん、どうせなら一局指してみたらどうじゃ?」
「うーん。指してくれるかのぉ、こんなジジイと」
腕を組みながら竹原さんは考え込むが、実際には指したくてたまらないのだろう。感想戦を続ける青年の手元に集中していた。ここまで集中する竹原さんは仕事中でもなかなか見ない。卵焼きを作っているとき以上にその視線は何かを感じているようだった。
「オーナー。竹さんとそこのお兄さん、やらせてみてよ。中国地方の元チャンプがやりたい言うとうけえ」
「そこまで言うとらんよ」
そういいつつも満更ではなさそうな竹原さんである。そして、オーナーが手招きする。
「竹原さん。この子強いよ。俺、あっさり完封だよ」
「かかかか、オーナーで負けよったら俺も勝てんよ」
「でも竹原さん、指したいんですよね?」
改めて竹原さんがその目の前にいる青年と指したいという表情だ。一局交えたくて仕方ないという少年のような瞳だ。
「勝ちゃん、よぉわかったのお。お兄さん、よければ今度は俺と一局してもらえませんか?」
お兄さんと呼ばれた青年は快く受け入れる。竹原さんもオーナーがさっきまで座っていたパイプ椅子に座り盤上を整えていく。
「おじいさんはアマ何段ですか?」
インテリな青年は何気なしに竹原さんに聞く。
「いやあ、そんな段位とかないけえ、気にせず楽しく指しましょうや」
「わかりました、楽しく指しましょう。何枚か落としましょうか?」
「いやいや、平手でやりましょう」
かつて中国地方のアマ選手権で最強を誇り、瀬戸の牛若という異名までもほしいままにした竹原さんは玉を自分の真正面に置いた。
先手が青年。後手が竹原さんとなった。俺がアドバイスなんてできるわけもないし、状況も読めないが近くのパイプ椅子に座り二人の対局を眺めていた。
局が進むにつれて竹原さんは首を傾げ、こめかみをトントンと指で叩いている。対局が始まり三十分が経過したとき、ふと竹原さんが口を開いた。
「お兄さん、独特な指し手やねえ、どこで勉強したん?」
何か埋もれた記憶を呼び起こしている様子だ。
「いや、最近は昔の人のコピーにハマってまして。今はAIを使って小池重明の指し手を勉強しながら更に洗練させてるんですよ」
こめかみを叩いていた指がぴたりと止まる。
「なるほどなぁ……」
竹原さんはいつもよりも鋭く、小さくつぶやいた。そのつぶやきはどこか重く、遠い記憶と今の状況がかみ合ったような顔になる。俺もどこかで聞いた記憶がある名前だ。
小さなノートに棋譜をつけていた目線をあげた。竹原さんの目つきが変わる。淀んだ瞳は爛々とした狂気を宿し、一瞬の間隙を突く牛若へと豹変していた。
空気が一変する。のらりくらりと考えながら指していた竹原さんの手が何かを渇望するようになっていた。
敵陣深く切り込み王将の喉笛めがけて銀と"と金"で猛然と追い込む。
小池重明――。
そうだ。「新宿の殺し屋」と呼ばれた男だ。ふと以前、熊野さんが話してくれて気になって調べたことを思い出した。
アマ最強の名を欲しいままにした真剣師。それはかつて棋譜だけで竹原さんの目の前に立ちはだかった、あまりにも強大すぎる壁。
地方アマ選手権の優勝者ですら歯牙にもかけないプロ顔負けの実力。
二日酔いでプロを圧倒し、旅館で寝る同行者を勝手に賭け将棋のパトロンにし、そして他人の女と駆け落ちする。破天荒の極みの男。しかし、将棋に関しては化け物だったという。
そして今の竹原さんはこのやせた青年を前に、かつて挑むことすら自ら避けてしまった巨大な壁に、胸を借りるように嬉々として指しているのだ。
戦況などの詳しいことはわからない。
ただ、このAIで「新宿の殺し屋」の棋風を学び、更に昇華させたという青年の指し手が殺し屋とは異なり鈍くなっていることに相違はない。
最初は余裕をみせていたが、局がさらに進むにつれて顔色が変化していき、今では竹原さんの一挙手一投足に注意を払うようになっていた。
狭い将棋センターの更に狭い一角に人だかりができ、固唾を飲んでその熱戦を見守っている。
パチリ、七四銀。一〇七手目。
ついに決着がついた。
小池重明氏(1947〜1992)は真剣と呼ばれる賭け将棋で、アマ最強と名高かった実在の人物です。
彼の生涯は作中の通り、常識破りでプロ棋士相手に互角に渡り合うなどの強者でした。彼に関連する書籍では、日本将棋連盟会長も務めた羽生善治永世名誉七冠や稀代の天才、村山聖氏とも不思議な縁があったようです。最近では現役最強と言っても過言ではない藤井聡太八冠も小池氏と大山康晴十五世名人(岡山県倉敷市出身)との棋譜を研究したことがあるようです。色々と評価に分かれる人物であることは間違いありませんが、事実は小説よりも奇なり。を地で行く人物だったように思えます。
※1.作中の色川氏および小池氏以外は架空の人物です。
※2.実在の人物に関する記述は公開されている事実に基づきます。




