37.言うは易し行うは難し
前回のあらすじ――
不思議な縁で一堂に会した四人、福山勝、熊野順二、世羅弘子、三次恵美。三次恵美が妙に福山の包丁研ぎに入れ込んでしまい、師匠呼ばわりまで始まってしまう。
世羅と三次の帰り際を見送りしんみりとしていた福山だったが、その空気に慣れない熊野は照れ隠ししながら店の奥へと消えていった。
「え? 明日休みですか?」
倉敷の老先生宅にある松の木を剪定しているときにかかってきた電話は熊野さんからであった。脚立の上でワイヤレスイヤホンをしながら、汗をぬぐう。暦の上では冬はとうに過ぎ、十一月も終わりに差し掛かっているが、今日は日差しが強くて暑い。先週の木枯らしが嘘のようだ。
「ああ、臨時休業じゃ。さっき、パソコンが壊れたんじゃ」
「あのモンスターがですか」
「おお、どうも電源がおえんわ。うんともすんとも言わん。さっき見たんじゃけど、マザーボードのランプも光らんわ。やけん、明日岡山のビックカメラに買いに行ってくるけん」
俺は一度脚立から降り、剪定ばさみを脚立に預ける。
「電源ですか。でも、それなら熊野さんが買いに行ってる間、俺が店番できますよ」
足元に置いていたペットボトルのお茶を飲む。程よく動いた身体に水分が行き渡る。急に休みと言われても俺もすることがないのが本音だ。それならまだ仕事をしているほうがいい。
「それも思うたんじゃが、たまには福山君も休ませてやれって相談役がうるさぁてのお」
相談役。なるほど奥さんのことか。熊野さんは時折、奥さんのことを相談役や顧問などとと冗談交じりに呼ぶときがある。
「それか、俺が今日玉野に帰るときに適当なパソコンショップで買ってきますよ?」
パソコンの電源くらいは俺もわかる。ハイエンドのゲーミング用のパソコン電源でも一二〇〇ワットあれば十分なはずだ。とは言え、熊野金物店のパソコンはそのオーバースペックを持て余している。無駄にキーボードが輝くことを除けば。
今の使い方であれば、八五〇ワットでも差し当たりないはずだ。
「いや、ビックカメラのポイントが明日までじゃって言われての。そんなもん、ワシはどうでもええんじゃが……まあ、そのことは気にんで、今日の先生とこの剪定終わらせたら帰ってきんさい」
「わかりました。では終わり次第、また連絡します」
「おお、先生によろしくの」
「はい。では、失礼します」
ワイヤレスイヤホンのボタンを押し、通話を終える。さて、どうしたものかな。急遽身体が空くことになり、俺は明日一日の過ごし方に悩む。
縁側の大きな窓が開くのが見えた。
「おおい、福山君。剪定はどうじゃ? 昼時じゃけん、一息いれるか?」
老先生がお盆におにぎりと栄養ドリンク、そしてチョコレートというお決まりの三点セットを持って縁側から手招きしている。
「ありがとうございます。ちょうど一息入れようと思っていましたので」
少し声を張って老先生に返事をする。
さて、少し休憩したら最後の仕上げをしよう。剪定ばさみを敷板に倒し、脚立も横に倒し、ペットボトルを拾い上げる。残りは半分くらいだ。
「先生、ありがとうございます」
縁側まで歩くと老先生は近くの座椅子に腰掛ける。使い込まれた座椅子と近くにある小さなテーブルはずっと縁側にあるのだろう。小さな旅館の一角を思い起こす。
「いやいや、ご苦労さん。福山君、さあかけてかけて。今日は暑いのぉ」
「ありがとうございます、ではお言葉に甘えて。それにしても本当に暑いですね。十一月も末なんですけどね」
縁側に敷かれていた座布団に座る。晩秋の陽光を吸い込んで、中綿が膨らんでいるのがよく分かる。熊野金物店の居間にある座布団とは雲泥の差だ。
「ほうじゃなあ。もう来週は十二月じゃろ? 歳を取ると一年間があっという間に過ぎるのぉ。お、福山君、遠慮せずに食うてくれな」
座椅子に座ったまま、老先生は器用にお盆をすすっと俺のそばに寄せる。
「すみません。では、遠慮なく。いただきます」
仕事が終われば改めて昼メシに行くのだが、なにせ貧乏隙無しだ。借金がないとは言え、贅沢はできない身である。過度な施しは求めないが、好意は素直に受け取ったほうがお互いに気持ちよく過ごせるということをこの歳になって気付いた。
ふと今、竹原さんが前に教えてくれた五常という言葉を思い出した。
「先生、差し支えなければ伺いたいんですが」
「んん? なんじゃあ?」
「先生にとって五常ってどんな意味ですか?」
「どの"ごじょう"じゃ?」
そうか。ごじょうと言う言葉はこれ以外にもたくさんあるのか。
「えっと、漢数字の"五"に"常"と書く五常です。この前、知り合いに教わりまして」
「……孔子、儒教の話じゃな。難しく講釈垂れる奴もおるけど、単純なもんじゃ」
「単純なものですか」
「ああ。人を思いやり、欲に目を曇らせず、師を敬い、学び、嘘をつかない。これだけのことじゃ。なーにも難しいことはなかろう?」
老先生はまるで小さな子供を見るように俺を見たあと、すぐにおにぎりを指さした。
「その握り飯もワシが福山君を思ってこしらえたもんじゃ。君も熊ちゃんやその知り合いを慕って、学んでいるじゃろう? 難しいことはない。ただただ、真摯に生きろという教えじゃとワシは思うておる」
「真摯に生きる……ですか」
「ああ。もちろん、口で言うは易いが、実践は難しい。やけど、小さなことを一つずつ積み重ねていくしかワシらはできん。子どもはこういう言葉を素直に受け取って、綺麗な瞳で見てくれとったよ」
昔を懐かしむように老先生は空を仰ぐ。
お盆のおにぎりを頬張る。いつも通り大きくてまん丸なおむすびで、炊きたてのお米だ。
人を思いやる味、か。しっかりした塩気は舌を通して身体にダイレクトに染み込む。この塩味は生涯忘れない気がした。
トンビが空高く円弧を描き飛ぶ。
明日……何をしようかなあ。
「言うは易し行うは難し」いかがだったでしょうか。
「五常」は儒教(儒学)の言葉で、
仁、義、礼、智、信という五つの人として守るべき徳目です(ここに忠、孝、悌が加わると八犬伝ですね)。こういった言葉を実際になすことは難しいと思います。聖書や仏典などにもこうした言葉があります。何を信じるにしても人のために生きるようなことができればいいのではないかと思う今日この頃です。




