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鉄火、錆を削ぐ  作者: 津山 みかり
第一部
30/32

30.真髄(前編)

6月14日(日)10時から1時間ごとに一気更新!

第一部完結までぜひ見届けてください。

いよいよ残り3話で第一部完結です!

(30話から32話まで前・中・後編ですが、最後は一時間ずつずらしての投稿となります)

 午後五時頃だった。十一月初旬、秋の日はつるべ落としですでに空は夜に飲み込まれつつあった。B級グルメ祭が終わり、俺も日常に戻っていた。竹原さんもくたびれたわ。と言いつつも「かかか」と笑い、終始満足気だった。なんとか利益も確保できたので、俺としても一安心だ。熊野さんにはお礼として他店のスイーツを渡したが、「暇なときに全部食べたやつじゃなあ」と言いつつも、しっかりと受け取ってくれた。相変わらずの甘党だ。


 熊野金物店の居間にあるモンスターマシンでエクセルデータとにらめっこしながら、俺は帳簿をつけていた。最近はこうした面でも熊野さんに任されるようになっていた。

 熊野さんの言う通り売り上げの六割はネット通販で、二割が大口契約の企業厨房機器維持と販売であった。そして残りの二割が御用聞きの仕事と金物の店舗販売。

 熊野さん自身、見たところ贅沢な生活はしていないが国民年金だけでは足りない日々の暮らしを補うとともに、遠方に住むお孫さんたちのために今も一線で働き続けているということらしい。それに俺の給料も少ないながら払ってくれているから本当に感謝しかない。

「ごめんくださーい」

 女性の声、お客さんだ。

「はーい、ちょっとお待ちくださーい!」

 俺はエクセルを別名保存し、画面をロックして店舗外へと向かう。ロックする必要がないのに妙な癖が残っている。

 店舗の軒先に出ると若い女性がトートバッグを片手に立っていた。ベージュのシャツとジーンズで、髪を簡単にしばっているだけで飾り気はないが、目鼻立ちがくっきりしていてどこか清楚な印象を受ける。

「すみません、この包丁って修理できますか?」

 トートバッグから桐箱を取り出し、俺に開けて見せた。桐箱からは赤錆にまみれた古い和包丁が顔を覗かせる。

「これはまた……なかなかですね」

「やっぱりもう難しいですかね?」

 正直なことを言うとこのレベルとなるとかなり労力と時間がかかる。赤錆をまずは落とさなければならない。

「少し失礼します」

 柄を持ち刃の痩せ具合を確認する。思ったよりも刃は痩せておらず、しっかりと残っている。これだけ残っていればある程度は復活させられるかもしれない。しかし、赤錆が多くかなり時間がかかることは明らかだ。本当は時間短縮でサンダーを使って赤錆を削りたいが、見たところ全鋼の出刃包丁であり、そういった類の方法ではやるべきではない。

「これ、この間亡くなった祖父のものでして、ちょうど遺品整理してたときに出てきたんです。母がもう捨てようかと迷っていたんですが、私も調理師の専門学校に通っていて。どうしても捨てることができなくて」

「なるほど…わかりました。今日中にはさすがにできないと思いますので、しばらくお預かりして修理させていただく形で結構でしょうか?」

 不安そうだった女性の顔は僅かな期待を持って俺を見る。

「直せそうでしょうか?」

「ええ、どこまできれいになるかはわかりませんが、出来るだけのことはやってみます」

「ありがとうございます、ちなみにおいくらくらいかかりますか?」

 ざっと頭の中でソロバンをはじく。赤錆を落とすだけで二時間。荒砥、中砥、仕上げでおおむね二時間。ざっくりと四時間というところだろう。

 ホームセンターの商売的に考えればそもそもこの状態ではお断りするだろう。しかし、ここは由緒正しき金物屋だ。断るわけにもいかないが、高すぎる金額提示はよくない。時間当たり千円と考えて五千円が妥当だろう。

「あまり状態がよくありませんのでそれなりに時間がかかりますから。おおむね五千円程度といったところですね」

「五千円ですか……やっぱり相場としては安いほうなんですか?」

「そうですね、専門店にお願いすると高いところだと一万円くらいはしますね。でも、うちはあまり店主の商売っ気がないというか、なんというか……ま、まあそんなところなので五千円くらいでさせていただきますが、いかがでしょうか?」

「なるほど……」

 少し考え込むようにして女性は「ちょっと電話してきます」と言い、俺から少し距離を置いて誰かに電話していた。数分しゃべってから女性は改めてこちらに戻ってくる。

「あの、改めてお願いしていいでしょうか?お支払いは後日にしたいのですが…」

「ええ。大丈夫ですよ、仕上がりは明日以降になりますが、明日は定休日ですので明後日の火曜日になりますね。お引き取りはいつごろいらっしゃいますか?」

「来週の日曜でも大丈夫でしょうか?」

「ええ、もちろん」

 事務的なやり取りを行い、時計を見ると閉店の午後六時だ。

 女性から桐箱ごとさび付いた出刃包丁を預かった。全鋼特有ともいえるこの重みは決してその錆だけではないのだ。この一丁は過去から代々預かってきて、今ここにいるのだ。

 御用聞きに出かけている熊野さんが今日はまだ帰っていない。一応帰ってくるまでは奥で作業を進めておくか。


 シャッターをおろし、作業台に預かったばかりの出刃包丁をのせる。蛍光灯の明かりをつけて細かく刃の状況を確認する。白い明かりが鮮明に状態を映し出す。やはりほぼ想定通りの錆具合だ。刃の七割から八割は赤錆がびっしりとついており、爪でコリコリとその感触がよくわかる。

 作業台の上にまな板を載せる。水道で包丁全体に水をいきわたらせ、柄を持たずに刃を水平にしてまずは軽く錆取りの研磨ゴムで大きな錆を落としていく。

 三十分ほどで大きな錆を落とし、そのあとにスチールたわしにクレンザーをかけ更に錆を落としていく。刃先には触れないように慎重かつ大胆に削っていかなければならない。神経と体力を使う内容だ。

集中して作業していると勝手口が開いた。

「おぉ、今帰ったぞ、福山君、今日は疲れたぞ……と、仕事しとったんか」

「あ、熊野さんおかえりなさい。どうしでしたか?今日は」

「まったく、相変わらずあのばあさんワシを何じゃと思っとるんじゃ?毎回、毎回しゃべる相手が欲しいだけで呼ぶけん、ほかの仕事がはかどらんわ」

「ははは、お疲れさまでした」

 平屋住まいの強敵のことだ。熊野さんは腰に巻いたコルセットを外しながら、腰をうねらせる。そして俺の手元をのぞき込む。

「ん? 手ごわそうじゃのお。鋼の出刃か。こりゃなかなか慎重になるのぉ」

「ええ、さっきお預かりしたんですけど思った通りというか、神経使いますよね」

「まあ、そうじゃのお。料理人でもなけりゃ最近はステンレスが便利やけんなあ。言うとくけど、残業代は出せんけんな」

「わかってますよ」

 笑いながら俺は全鋼の出刃包丁を再びスチールたわしで磨く。水洗トイレの流れる音が聞こえ、熊野さんがまたやってくる。

「疲れたらかわるけんな、奥でちょっとテレビみとるけん。ええ頃に声かけてくれや」

「ありがとうございます。でも、今日は錆を落としたら上がりますよ」

「ほうか、あんまり気張りすぎなや」

 そう言って熊野さんは店の奥の居間へと向かい、テレビをつける。たわしで磨く音とテレビのニュースが聞こえる。また、関東の方で地震があったらしい。最近はよく揺れるものだ。


 それから一時間ほどで赤錆はほとんどが落ちた。まだ細かい点は気になるが、今日はこれだけで十分だ。布巾でそっとふき取り、椿油を薄く塗っておく。赤錆が落ちた地金は蛍光灯の光を浴びてわずかに輝きを取り戻したように見える。

 再び時計に目をやると時刻は十九時半を過ぎていた。それもそうだ。包丁を預かったのが十八時。それから一時間以上かけて赤錆と格闘していたのだ。

 いつの間にか熊野さんの奥さんが勝手口から帰ってきており、夕食を済ませていたようだ。俺は目の前の出刃包丁に集中しすぎていてその気配すら感じ取れなかったが。

「福山君。もう時間が遅いから明日にしたらどうじゃ?」

「ああ、熊野さん。ええ、ちょうどキリがいいのでそろそろ上がります。すみません、遅くまでいてしまって」

「ええ、ええ。そんなんは気にせんでええけん。ただ、あまりに無茶すると身体を壊しかねんけん、気をつけんさい」

「ありがとうございます。では今日はこの辺りで失礼しますね。おかみさんにもよろしくお伝えください」

「ああ、お疲れさん。また明後日な」

 手についた錆と研ぎ汁を洗い落とし、トートバッグを下げて俺は勝手口から外に出る。

 木枯らしが吹き、落ち葉がざわめく。波の音が遠くから聞こえる。普段この距離ではあまり聞こえないのだが、今日は風が強いせいか波止で白波が砕けているのがよくわかる。

 熊野金物店は明日が定休日だが、若竹で働くだけだ。居候に休みという言葉はあってないようなものだ。秋の強い風に吹かれ、俺はジャンパーのジッパーを首元まで上げた。

11月の海は風が強く冷たいです。白波がテトラポットで砕けては引き、潮だまりにはごみが散乱していますが、この時期に釣り竿を垂らすのも乙なものです。


※自転車の魔法使いもこれまで通り、毎週金曜日更新しています!あわせてごらんください!

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