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鉄火、錆を削ぐ  作者: 津山 みかり
第一部
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27/32

27.鉄火場の雄

6月14日(日)10時から1時間ごとに一気更新!

第一部完結までぜひ見届けてください。

 昨晩遅くまで竹原さんと瀬戸内B級グルメ祭りのゲスト出店について打ち合わせをしていて、寝不足気味だ。夏休みが終わり数日、海ではしゃぐ子どもたちの声が少し遠ざかる季節がまた始まる。


 今朝、竹原さんは世羅さんに電話をして出店の意向を伝えていた。電話の声は興奮を抑えきれずに熊野金物店に出かけようとした俺の耳にすら届いていた。

 竹原さんは笑いながらも「耳がちょっと遠くなっとたけど、よお聞こえたわ」と俺を見送ってくれた。

熊野さんは俺に今日の店番を預け、整骨院に行っている。週に二回通院をしているのだが、調子が悪いと思うと予約なんてお構い無しに車で治療に出かけてしまう。

 俺は屋内作業場の奥でスマホのテキスト画面を凝視し、竹原さんが提示してくれた予算額と開催時期十月末の気候を予想し若竹から出すベター、いやベストな品を考えていた。

 実際には世羅さんや地域振興課側の希望もあるのだろうが、ある程度こちらとしても推したい品があるのも事実でそこのすり合わせを進めるためにもこの下地作りは重要だ。認識の齟齬が生まれると後々大きな影響が出てくる。

 世羅さんからもらった概要書によるとこのB級グルメ祭は春と秋に開催されており、次の秋で第九回目となる。人手は上々で年々、来場者数は増加していた。近年、秋の開催は伊部(いんべ)駅周辺で備前市が実施している備前焼祭りと日程をあわせているようで、相乗効果を狙っていることも見受けられた。瀬戸内B級グルメの開催地は電車での移動よりも車での移動に適した場所であるが、SNSや個人のブログを調べた限り、この備前焼祭りからもいくらか人が流れていることがわかった。

「すみませーん」

 店の表から鼻声の若い男性の声が聞こえた。珍しいこともある。この店の常連客はおおむね六十代から八十代だ。緊急でなにか必要な金物でもできたのか。そんな金物あるのだろうか。

「はーい、今行きまーす」

 屋内作業場から表に向かう。空調を効かせた涼しい室内とは違い、店の軒先は残暑でジリジリと焼ける。

 逆光であるが、がっしりとした体躯であるものの、贅肉のない引き締まった男性だ。顔つきは俺よりも少し歳上といった印象を受ける。

「すみません、この包丁研いでほしいんですけど」

 男性は紙袋から包丁を取り出し、俺は受け取る。オールステンレスの三徳包丁だ。今までしばらくここで働いていたが、この包丁とこの人物は初めて見る。大きな刃こぼれこそしていないが、あまり研いでいない印象だ。

「かしこまりました。お時間、三十分ほどいただきますが今日お持ち帰りされますか?」

「あー。三十分ですか。夕方また受取にきてもいいですか?」

 スマートウォッチを見ながら、男性は顎に手をやる。

「ええ、大丈夫ですよ」

「おいくらですか?」

「ステンレス包丁ですので、程度的に千円ですね」

「あ、現金ない。クレジットは……」

「すみません、現金だけでして。よければお引取りの際にでも構いませんが」

「マジですか。ありがとうございます、じゃあ、それでお願いします。五時前には来ますので」

「かしこまりました。では預かり証としてお名前と電話番号お願いします」

 エプロンからさっと預かり用のカーボン紙とボールペンを渡す。

「はい。っと……はい、お願いします」

「えーっと。新庄透さ……ん? え、もしかして競輪の新庄選手ですか」

「あ、気付かれてないと思ってたのに。もしかして、お兄さん競輪好きですか?」

 逆光で気づきにくかったが、見覚えのあるシルエットだった。何せ俺をどん底に突き落としたもう一人の男なのだから。それにしても、こんな短期間で立て続けにプロの競輪選手と出会うとは。本当に世間は広いようで狭い。

「いや~、久しぶりに実家に帰って晩飯たかろうとしたら、お袋からこのお使いですよ。お兄さん、でも俺が競輪選手だなんて気づくなんてやっぱり好きなんじゃないんですか? Sクラスでもないのに」

「いや、まあ多少知ってるくらいですよ」

「ほんとかな~」

 腕を組みながらこんがり焼けた素肌の新庄選手はにやついている。いや、やめてくれ。過去の記憶がよみがえって殴ってしまうかもしれない。彼のせいでないのであるが。

「でも、やっぱり競輪選手ってそこまでの知名度じゃないからなあ」

「実は俺、四月のレースで笠岡選手に突っ込んで、新庄選手が一着になったんですよ。それで文無しになりまして」

 思わず嫌味たらしく俺は口にする。この人が悪いことはないのだが。

「ああ! 俺が今年一勝目したときか! いやあ、あれはラッキーだったんですよ!」

「どういうことですか?」

 俺はあの時の青い四番枠を一生忘れない気がする。

「あのとき誠一君も走ってたんですよ。彼、大逃げか差し切りかがわからなかったんですけど、あの日はどっちでもなく。で、後になって話を聞いたら腹壊してたって」

 唖然とした。本当に腹を下していたとは。

「笠岡選手ともお知り合いなんですね」

「もちろん。彼、身体能力が高いからSクラスで十分勝負できるし、一年通してあそこに立てれば多分グランプリにも出れるんじゃないかと思うんですけど、いかんせんメンタル面からの不調が多くてね。多分、生真面目すぎてダメなんじゃないかと俺は思うんですよね」

 偶然、一緒に数時間飲んだだけの俺よりも付き合いが長い新庄選手のほうが笠岡選手の実力を把握しているのは当然だ。そして、その言い分も理解できるほど笠岡選手は生真面目だった。

 競輪自体のことを俺は詳しくはなかったが、酔った笠岡選手から聞く競輪とは極限のスポーツであると熱い持論を持っていた。競艇、競馬、オートレース、そして競輪。この公営ギャンブルで己の肉体のみで戦い抜くのは競輪だけなのだと。

 言われてみればそのとおりである。競艇やオートレースはエンジンが付いており、競馬は人馬一体で馬が駆ける。競技にはいずれも特性があり、才能のうえに凄まじい努力を重ねるという世界であることには違いがない。

 しかし、その中でも競輪は己の力を試される場だと熱っぽくコップを握りしめていた。レーサーと呼ばれるバイクにまたがり、霊長類にのみ許された「漕ぐ」という操作でバンクに全身全霊で挑む。

 クライマックスに至るまでにラインを組み、相手の出方を見る。鐘が打ち鳴らされ、その間隔が短くなるにつれて肉体の限界を超えるようにレーサーを駆る。

 戦略、計画、戦術、打算のすべてを振り払うように、ラスト一周の世界は鐘の音は消え失せ、車輪のけたたましい悲鳴と男たちの剥き出しの魂がぶつかり合う。

 

 これが、競輪。

 人間ドラマの極致であると。

 

 そんな笠岡選手の情熱に俺は男として惚れたのだ。もし次に何か競輪で賭けることがあれば彼に再び賭けるだろう。一言でいえばファンになったのだ。

 一方でこの新庄選手はどうか?彼からは笠岡選手程の熱量を感じることはできなかった。口調も軽く、のらりくらりとしたような性格に見受けられる。シラフのせいかもしれないが。

「笠岡選手は確かに真面目でしたね。この間、若竹でたまたまご一緒したときにその熱量がとても常人のそれではなかったですから」

「え? 若竹で一緒に飲んだのってお兄さんだったの? うわあ、世間は狭いねえ。実は、俺が誠一君と行く予定だったんだ」

「そうだったんですか」

 お互いに目を丸く見開きながらその事実を知ることとなった。偶然にしては出来すぎだと思うくらいだ。本当にこんなことが起こるとは。

「いや、マジか。はあ〜すごいね。え、お兄さん名前は?」

「私は福山勝と言います」

「福山さんかあ、若竹で毎日飯食ってるんでしょ? 話聞いたよ。いいなあ。あそこ絶品でしょ? だから俺あの子を誘ったんだよ。ろくに遊びも覚えない真面目だから息抜きにと思ってね」

 確かに本人もあまり酒を飲まないようなことを言っていた。

「新庄選手はよく来るんですか?」

「俺はまあ、玉野に帰ってきたときに一回は行くかな。って感じですよ。でも、今年はまだ行けてないから、行っておきたいんだけどなあ」

「俺、そこでも働いてるのでまたぜひ来てくださいよ」

 おべっかにも近いが営業トークをしておかなければ。これからのことを考えると少しでも軍資金を集めなければいけない。

「マジですか。あははは、じゃあ誠一君とまた行かせてもらいますよ。あ、あと福山さん、また今度、俺と誠一君が玉野で走るんでぜひ見に来てくださいね。じゃあ、また五時ぐらいに引き取りにうかがいますね」

「ありがとうございました。お待ちしています」

 こちらの営業トーク同様、新庄選手もさりげなく営業してくる。踵を帰してどこかへ向かうその背中は笠岡選手以上に逞しく、雄々しかった。

競輪は公営ギャンブルであり、それに出場する選手たちは八百長禁止のために、レースの期間中はスマホなど通信機器の類を持ち込めないという厳格なルールがあります。現代人からすると厳しいルールかもしれませんが、公営である以上は致し方ないのかもしれません。


※自転車の魔法使いもこれまで通り、毎週金曜日更新しています!あわせてごらんください!

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