21.壁
6月14日(日)10時から1時間ごとに一気更新!
第一部完結までぜひ見届けてください。
ハチ退治から一週間が経ち、俺は竹原さんと念願の一局を交わすことになった。この日、熊野金物店で仕事を終えて俺はいつも通り若竹の営業を手伝っていた。
今日は雨と言うこともあってかお客さんもみな早めに引き上げ、夜九時になって店の中は俺と竹原さんだけになっていた。九時になったら新規で若竹に入るお客さんはあまりいない。
「勝ちゃん、前に言うとった将棋、指してみるか?」
「今ですか?」
「ん? おえんか?」
「いえいえ! ぜひやりましょう」
「ちょっとのどの調子が悪いから先に生姜湯だけ入れとくけえな。勝ちゃんもこの前のハチ退治でちょっとのど調子悪なったんじゃろ?」
「あはは、よくご存じで」
何を隠そうこの前のハチ退治の際に、思ったよりも煙を吸い込んでのどを痛めてしまった。あのときはアドレナリンが出ていたからそんなことお構いなしだったのだろうけど、二日後くらいにそのいがらっぽさ顕著に出てきて、今も少し調子がおかしい。
湯呑茶碗にタッパーから出した生姜湯の素を入れ、お湯を注ぐ。真夏にこの生姜湯もなかなか乙なものである。
テーブル席に俺と竹原さんは向かい合って席に着く。プラスチックの安っぽい駒を盤面にぶちまけ、竹原さんは訥々と語り出した。
「勝ちゃん、俺が真剣を辞めた理由、教えたるわ」
「真剣を辞めた理由……ですか」
熊野さんからとてつもなく強い相手の棋譜を見て諦めた。という、断片だけしか知らない話だ。
「ああ、真剣から足を洗ったのはもう四十年以上前じゃ」
その口調はどこか遠く、自分ではない他人の過去を伝え聞いたかのようだ。
「あんな棋譜を見とりゃあ多少筋のいい奴は俺ならどう指すかを考えるもんや。けど、俺は思うたよ。こんな化け物どもには手も足も出ん。追いすがるところか、そもそも話にならんとな」
傷ついた将棋盤にパチリ。パチリと二人で駒を並べていく。歩、香車、金将、飛車……次第に本将棋の盤上が整う。
「太刀打ちできん。という言葉ですら生ぬるく感じるほどじゃ。ああ、そもそも次元が違うんじゃ。おめえなんざ野辺の捨て石にもならねえ。ってな」
湯呑の生姜湯を口に含む。湯気が立ち、ほのかな甘みと辛みが溶け合い混ざり合う。
「昔はそれなりの強さやと自負しとったし、この辺りじゃ負け知らずやった。あの写真、見てみ。ありゃあ、中国地方アマ選手権で優勝したときのやつや」
台所の奥の写真。若かりし頃の竹原さんと隣は熊野さんに違いない。熊野さんがトロフィーを持ち、竹原さんの肩を抱いている。そして今更気づいたが、大勢の真ん中で映る二人の後ろに見切れ気味の女性がいた。小柄で優しそうな表情を浮かべている。どこか二人を見守るような目線だ。もしかして、竹原さんの奥さんか?でもこの自宅兼店舗で奥さんの写真や奥さんの面影を感じるものは一切なかった。
「アマ選手権って……竹原さんは真剣をやってたんじゃないんですか?」
「ああ、もちろん表向きにも指しよったよ。これでも奨励会を目指しとったけえのお。でも、あいつらの棋譜を見て俺は瞬時に悟ったよ。格が違うなんてもんやない。二枚落ちでようやっと勝負になるかどうか。これがプロとの決定的な差やな。俺は怖気づいてしっぽ巻いて逃げ帰った臆病モンよ」
自嘲しつつも表情は穏やかだ。竹原さんは片膝に反対の足を乗せ湯呑の生姜湯を一口つけて続けた。
「さあ、やるか。順二は将棋を指せんからのお。にしても、あいつはいまだに将棋を打つ言いよおけえのお。将棋はうつんやのおて、指すんやけどなあ。麻雀とは違うのにのぉ」
「はは、確かに。熊野さん、将棋を打つっていいますよね」
「ま、そういうことでちょっと遊びにつきおおてくれな。勝ちゃんは指せると聞いたから、お互いへぼ将棋楽しもうや」
へぼ将棋と言いつつも、かつて中国地方アマ選手権で最強となり、瀬戸の牛若と異名をとったほどだ。竹原さんを満足させられる自信はない。
「ほな、俺は飛車、角の二枚落ちであとは金もぬいとこかのぉ」
ひょいと金を二枚と飛車角を盤上から抜き取る。自らの大駒と守りの要である金を二枚落として痩せた盤面にポツンと王将が寂しげに見えた。
「さあ、どこからでもきんさいね」
「よろしくお願いします」
完敗だった。手も足も出ないとはこのことだ。
その異名に違わぬ牛若丸のように華麗に俺の攻めを受ける。俺とて二手、三手程度なら読める。しかし、それだけだった。俺が平手の総力で押し攻めていたはずが、いつの間にか盤上の形勢は逆転しており、防戦一方となっていった。
俺が大駒で攻めていたと思っていた中、竹原さんは銀や桂馬を巧みに指し、盤上の主導権を握っていたのだ。
俺が盤上とにらめっこしている間に竹原さんは視線をそこにくれるわけでもなく、テレビのBSサスペンスの再放送を見ていた。パチンと俺が指した時にだけ反応し、数秒だけ盤面を見て駒を指す。俺はテレビを見る間もなく、再び盤上にくぎ釘付けとなるのだ。
「勝ちゃん、将棋はええのお。ええのお。ほんまにええ」
唸りながら次の手を指す。数秒足らずで竹原さんはそれに応じる。この繰り返しをしていた。そして、番組が切り替わりニュースが流れ始めた頃に決着はついた。
「勝ちゃん、あと八手で詰みや。玉将さん、頑張って走らせやぁ」
その言葉と違わずに残り八手で俺の玉は竹原さんの銀やと金に足元を絡めとられ、身動きが取れなくなっていた。
「参りました」
まだ逃げようと思えれば逃げれたが、俺も二手先は読めてしまい勝ち目がなくなったことに気づいた。もっとも、これだけ玉を動かしていればその時点で負けは決まったようなものであるが。
手にした生姜湯はすでに冷めていた。時計の針は深夜零時を指し、窓の向こうは車のライドで照り返す霧雨が光っては消える。
「ああ、楽しかったのぉ。勝ちゃんと指せて、よかったわあ」
二時間に及んだ竹原さんとのやり取りは一時間半以上、俺が考えていた時間だった。それでも竹原さんは「かかか」と笑う。
「やっぱり強いですね、攻めてたと思ったのにいつの間に守ることだけになってましたから」
「かかかか。勝ちゃんも十分よ。二手、三手程度読めれば楽しめるじゃろ」
「感想戦もしますか?」
冗談交じりに俺は聞く。
「ええ、ええ。あんなんプロやら上手がやるもんじゃけえ、俺らみたいなヘボ将棋は勝った、負けた。楽しめたで十分よ。片付けよか」
その一言で盤面の整えられた駒をじゃらじゃらと集めて紙の箱に入れる。折り畳み式の盤を折ってテレビの台座にしまった。
将棋は私もルールは知っていますが、まさにヘボ将棋です。NHKの将棋中継をぼんやり見つつ、同級生が指しているかどうかを見ています。
※自転車の魔法使いもこれまで通り、毎週金曜日更新しています!あわせてごらんください!




