20.便利屋熊ちゃん(後編)
6月14日(日)10時から1時間ごとに一気更新!
第一部完結までぜひ見届けてください。
(前後編のため2話同時掲載します)
夜八時。俺は竹原さんとの将棋の約束に詫びを入れ、熊野金物店にいた。竹原さんは笑いながら俺を見送ってくれ、本当におかしそうな顔だった。
「福山君、これに着替えまあ」
渡されたのは古びた白いカッターシャツだ。
「え? これは?」
「ハチは白いもんは襲いにくいんじゃ」
「いや、あの防護服とかないんですか?」
俺はたじろぐ。あんなハチの大軍を相手にするのに熊野さんが準備していたのは昼間と同じ白い長袖のシャツと麦わら帽子と不織布のマスクだけだった。
手渡したこのカッターシャツも今の俺に白い服がないといったせめてもの情けなのか。
「そんなもん、あるわけにゃーが」
次にスプレーも手渡される。ホームセンターでも市販されているプレスロイド系を含む製品だ。何なら俺も百本単位で仕入れていたことがある。
「マジか……あ、あれってスズメバチとかじゃないですよね?」
俺はビビり散らかす。さすがにあれだけ群がっている姿を見て特攻する気にはなれない。
「知らん」
しかし熊野さんはやる気満々だし、ハチの種類なんてお構いなしだ。
この人も相当狂っている。さすが瀬戸の弁慶と呼ばれただけはある。諦めにも似た覚悟をするしかなかった。
倉敷の先生宅についたのは夜の八時半過ぎだった。事前に準備したものは、目の細かい洗濯ネット、穴をあけた一斗缶、段ボール、ガムテープ、木炭、薪、着火剤、種類の異なる殺虫スプレー、そしてゴミ袋。以上だ。
害虫駆除のプロではないし、専門外がゆえに俺にとってこの準備の過不足は一切分からないが、言いようのない不安だけは分かる。
熊野さんは一斗缶の中に木炭と薪を入れて着火剤を数個置く。その一斗缶の側面に段ボールをガムテープで貼り付けていき煙突のような形にした。
「まあ、こんなもんじゃろ」
「熊野さん、懐中電灯はないんですか?」
「いらん。と言うよりかは使えんな。明かりで向こうが気づくけん。車のライトを消して十分もその場におれば目が馴染むけん、問題ねえ」
何とアナログな手法だ。しかし、実際にはその通りだ。夜の寝静まるタイミングでライトを照らされれば昆虫も興奮してこちらに向かってくる。しかも相手はハチだ。襲われて刺されるのが目に見えてしまう。
「じゃあ、先生は危ないけん家の中におってくれ」
「頼むなあ、熊ちゃん、福山君」
老人先生は縁側の窓を閉め、家の中に消えていった。
「よし、さっきの段通り通りいくけん、福山君は下でワシの言う通りにしてくれ」
「わ、わかりました」
俺はビビりを隠せてはいないが、覚悟を決める前に熊野さんは昼間に立てていた脚立を音もなく昇る。図体の割にしなやかだ。ぎっくり腰で体を痛めているとは到底思えない。
ハチは巣をうごめくように歩いており、外からの外敵に警戒しているようだった。睨みを利かせつつ、静かにそして素早く洗濯ネットで巣を覆い、ぶら下がる樋の根元にガムテープでぐるぐる巻きにしばり、逃げ道をなくす。
異変に気付いた一部のハチがネットに体当たりするが、袋のネズミ。もといネットのハチで行き場を失っていた。
「福山君、今じゃ。火つけて巣の真下におくんじゃ」
「はい!」
指示された通りに急ごしらえの煙突を巨大な巣の真下に立て、一斗缶の穴から火をともす。即座に着火剤から木炭、薪へと燃え移り不完全燃焼の黒煙が納屋の壁沿いに立ち上る。
ネットの異変に気付いたハチだけでなく、巣の奥からもパニックになったハチが飛び出してくるがネットのせいで外に出ることが叶わない。これが一匹でも出てきたら俺がパニックになるだろう。なんなら今でも軽くパニックだ。
耳元でもないのにハチの殺意がとどろく。脚立で眼前にいる熊野さんに向かって猛然と向かうがネットがあり立ち向かえないようだ。
カチカチと顎の音が聞こえる。これ、ネットを噛み切ろうとしていないか?
「福山君、燃料くれ。あと、これいれたらスプレーを同時にかけるぞ」
俺は薪を脚立の上にいる熊野さんに手渡す。暴れるハチは次第にネットを切ろうとしているようだ。これまずくないか。
そんな状況でも顔色一つ変えずに材木を淡々と煙突に放り込む。俺たちの唯一の防具は煙対策の不織布マスクと白いシャツだけだ。ホント狂ってる。
「よし、今じゃ。かけるぞ!」
「りょ、了解です!」
バズーカタイプの殺虫スプレーを遠慮会釈なく熊野さんは吹き付ける。勢いよく噴霧される薬液が洗濯ネットごとハチの巣を揺らす。
俺も援護射撃と言わんばかりに地上から違うタイプの殺虫スプレーを吹きかける。
敵意むき出しだったハチたちはネットの中で、ぽつり、ぽつりと沈黙していく。
恐ろしいほどのスピードでネットの底やあちらこちらに死骸がたまり、薬液が真下の炎に滴下し一瞬で蒸発していく。
「もう大丈夫ですかね?」
一度吹き付けた手を止めるが、熊野さんは攻撃の手を止めない。
「いや、こういう駆除は薬をみな使い切ったほうがええけん。それ、みな使い切れ」
「わ、わかりました」
その言葉に従い再びスプレーを吹き付ける。
熊野さんの使っていたスプレーが先に底を尽きた。ノズルを押してもわずかなガスですらもう出ない。完全に出尽くしたようだ。
「よし、カラじゃ」
脚立から腰をかばうように降りてきて、熊野さんはマスクをずらしながら俺に一言漏らした。
「福山君、やっぱり熱帯夜じゃ。マスクは暑いのぉ」
ハチのことなど一切触れずに地面に置いていたペットボトルのお茶を飲む。納屋にぶら下がる巣はいまだ黒煙に燻されている。田舎でなければ火事と間違われるような黒煙だ。
段ボールもかろうじて燃えていない。絶妙な火加減である。
「一息いれるか」
「はい。でも、これ凄いことなってますね」
「ん? まあ、サイズが大きかったけんなあ」
そんな問題なのか。作業が一段落したのを見計らったように老人先生が縁側から呼ぶ。
「熊ちゃん、お兄ちゃん、ご苦労さん。一息つきーや」
老人先生はおにぎりが四つと栄養ドリンクが二本、そして小さなチョコレートを二つのせたお盆を持っていた。
「ああ、先生。ありがとう、よっしゃ。じゃああとは一時間ほど待って、最後にも一回スプレー振ってしまいじゃな」
熊野さんと俺は出されたおにぎりを頬張りながら、夏の夜空を見上げた。作業中に蚊に血を吸われたのは言うまでもない。
実際にハチの巣退治をしたことがあるのですが、アシナガバチの巣でそこまで大きくはなかったのですが、父と二人で夜に二種類の殺虫剤を同時に振りかけました。混ぜるな危険ではないのですが、有効成分が異なりハチに刺されることもなく巣を沈黙させることができました。そのあと、姉と二人で線香を立ててハチに対してわずかながらの供養をしました。
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