2.夜明け前の日の出海岸
6月14日(日)10時から1時間ごとに一気更新!
第一部完結までぜひ見届けてください。
知っていた。人間は一日、二日食事をとらなくても死なない。当たり前である。だが、間違いなく腹は減っているし、喉も乾いている。潮の香りだけが鼻をくすぐる。
朝の陽ざしはまだのようだ。昨日、ほとんどこのままの状態で眠っていたようだ。い
や、気絶というべきか。誰も警察に通報しなかったのか。まあ、こんな辺鄙な場所では通
りがかりの人間もそうそういないか。
「あぁ、腹減ったなあ……」
砂浜から上体だけ起き上がり、東の空をにらむ。日も差し込んでいない海岸線に昨日と同じ大小いくつかの離島が浮かぶ。デニムのポケットに手を突っ込む。昨日と同じで中は
空っぽだ。本当にどうしたものか。
「ん……あんた、こんなところで何しとるんじゃ」
「え……? いや、その……」
俺の背中から話しかけてきたのは老人だった。見た目のわりに足腰はしっかりしており、背筋が伸びている。灰色のジャージで右手にはポケットラジオを持っていた。ラジオからはご機嫌な声が流れており、午前五時であることを告げていた。
「いや、その……う、海を見てました」
俺はくだらない嘘をついた。恥も外聞もないとは言ったが、実際にはとても恥ずかしいものだ。潮風を一晩中あびた体は自分でもわかるほどにべたついているし、髪の毛に至ってはハードワックスで固めたかのようにごわごわだ。
「そんなわけなかろう、あんた、昨日もそこにおったじゃろ」
老人はラジオを消してそばの岩に座った。昨日、俺が座っていた岩だ。あたりを見回すと狭い海岸であったことに今更気づく。
「え、いや。その……」
「ええ、ええ。言わんでええ。人間、そんなときもある」
言えるわけがない。祖父から三代続くホームセンターを廃業の憂き目にあわせてしまい、共同経営者に裏切られ金を持ち逃げされてしまい、もうやぶれかぶれになってしまって、あげく大博打に賭けて無一文になったことなど。とても人には言えない。
「い、いや、本当は酔っ払って寝てしまってただけなんです」
老人は何を言うわけでもない。ただ、まだに日の昇らぬ瀬戸内の島々を見ている。
「海風にあたって酔いが覚めたんで、俺はこれで……」
どう考えても苦しい嘘だ。こんな浮浪者まがいの男はどこからどう見ても怪しく見える。犯罪の香りが漂うに違いない。俺はこの場を早く去って消えてしまいたい。でも、行くあてなんてもちろんないし、行くための金すらない。それでも、この場から消え去りたかった。
ふらつく足取りで立ち上がる。飯を抜いているから力が出ないのは事実だし、砂に足を取られる。
意図せずに足をひねって、倒れた。
……無様すぎる。
酔っ払ってもいないのに酔った振りが完璧すぎて泣けてくる。
老人は手を膝に当てながら立ち上がり、無様に倒れた俺の前に仁王立ちした。
「兄ちゃん、無理しちゃおえんよ。わしが二日酔いにきくンまい飯を食わせてやるけえ、
ほれ手を出しな」
老人の腕が差し出される。痩せてこそいるが、手は瑞々しく力強い。すがるものが何もなかった俺はその差し出された右手に自分の右手を預けた。
想像以上に老人の力は強く、俺が足に力を入れるよりも前にその腕力だけで引き起こされる。砂浜であることもあり、勢いあまって再びバランスを崩しそうになるが何とかこらえた。
老人に肩だけ預ける形になったとき、ふとその老人と近くで目線を交わした。年老いて淀んだ瞳であるが、どこか何かを見透かしている気配がする。
「す、すみません。やっぱりまだ酒が抜けてないみたいで」
何度となくくだらない嘘をつく。
行きずりの老人にこんな嘘をついたところで何になるのか。
だいたい、酒なんてしばらくありつけていないじゃないか。スーパーの発泡酒だって最後に飲んだのがいつか思い出せないほどだ。
老人は皴が刻まれた顔を崩して俺の肩をたたく。
「そうかあ、まだ抜けとらんかあ。まあ、じゃあ布団も用意しちゃるけえ、とりあえずうちにきんさい」
「あ、え、ああ、ええっと……すみません」
言われるがままに俺はその老人のあとをついていく。まだ朝日すら昇っていない波打ち際の海岸線をとぼとぼと歩く。
前を歩く砂浜という歩きにくい場所でありつつも老人の足取りはしっかりしており、すらりとした背筋はどこかしら高貴ささえ感じる。と言っても、思いきり方言でしゃべっているただの世話好きという可能性もある。なんだかいろいろなものが混じり合った老人というのが正直な感想だ。
にしても、どこに向かうのか。不安ではあったものの、どのみち行く当てもない俺はこの一筋の藁にすがるほかなかった。
日の出海岸。岡山県玉野市にある海岸だそうです。私も過去に玉野市は仕事で何度か訪れたことがあります。宇野駅で電車に揺られたのがいい思い出です。
※自転車の魔法使いもこれまで通り、毎週金曜日更新しています!あわせてごらんください!




