18.金物店は金物店?
6月14日(日)10時から1時間ごとに一気更新!
第一部完結までぜひ見届けてください。
岡山県玉野市。さすがは晴れの国だ。梅雨明けから二週間ほど経ち、晴天が続いている。
店先の丸椅子に腰かけてお得意さんから聞いた仕事を分別していく。どういった順番で回るかをスマホ片手に検討する。
今日はやることが少し多い。新しく預かった中華鍋の修理に、ハチの巣駆除、家具の組み立て……本当に金物屋の仕事なのかと疑問だったが、最近は考えることをやめた。金物屋か金物屋でないかなどは些末な話だと俺は気づき始めていた。
もっとも、働く前に御用聞きと高齢者の生存確認とは聞いていたので、それなりに早くなじむことができたこともある。
蚊取り線香のか細い煙が風にほだされ、霧消していく。店舗の奥からはパソコンのクリック音とキーボードをたたく音がする。
熊野金物店の凄腕経営者が仕入れと販売を中古のゲーミングパソコンで行っている。まるで株の相場でも見ているのではないかと思うほどに前衛的であるが、これには熊野さんらしい理由があるようだ。
ネット通販の運営にはオーバースペックであるが、安物買いの銭失いをするくらないならと、キーボードが七色に輝くモンスターマシンを手に入れたらしい。
五年前に経費で落とした際に税理士からもこんなに高いマシンスペックが必要かどうか聞かれたようだ。
しかし、そこは熊野さんも海千山千の猛者であり、プロ相手の商売ゆえ動きの悪いノートパソコンでは満足に仕事にならないという経営者らしい理由と、スマホは老眼で見えないという老人のごり押しにも近い屁理屈で合意をとったそうだ。
とは言いつつも、熊野さんはデジタル機器にも精通しており、強面の見た目とは裏腹に繊細な作業も得意であり、メモリや電源の交換くらいは自分でしてしまうそうだ。
一度、御用聞きについてもWebサイトかSNSでどうかと聞いたのだが「ワシはともかく、客がついてこれんけんのぉ」というごもっともな回答を得た。
「福山君、昼から一回倉敷の先生とこ行くけんな」
モンスターマシンとの対話を終えた熊野さんが店先に現れる。蚊取り線香の煙が再び頼りなく揺らぐ。
「先生のところっていうと、例のハチの巣駆除ですか?」
「ほうじゃ。わりかし大きいハチの巣ができたらしいけん、専門の業者に見積もりとったらでーれー高い金額で出されたらしいけん、ワシんとこに話をもってきたみたいじゃ」
「はあ、なんか気乗りしないですけど……」
「福山君は手伝いで構わんけん。その前に中華鍋の修理じゃな。よっしゃ、ティグでちゃっちゃとやってしまうけん。もう一回見とりや」
勝手口から外に出て屋外の作業場に案内される。簡単な屋根とトタンの壁しかない場所であり、普段はあまり来ない場所だ。作業台には分厚い鉄板が敷かれており、大きな万力と中くらいの万力が取り付けられていた。ゴムマットの屋内の作業台とは一線を画しやや荒れている印象がある。
どん、どん、どん。とアルゴンと書かれた灰色のボンベが三本鎮座している。その隣には溶接機がある。おそらく熊野さんがティグといったのはTIG溶接のことだ。ホームセンターでも直交一〇〇ボルトの製品を置いていたが、金物担当と言いつつ使い方までは詳しくない。前に大鍋の修理も少し見せてもらったが、あいにく店舗にお客さんが来て俺が応対している間に手早く修理してしまっていたのだ。
「そういえばこれって俺も使えるんですか?」
「使えんことはないけど仕事やけん今は無理じゃな。趣味でやるぶんにはええが、仕事となるとアークの特別教育を受けとかんといかん」
アーク溶接のことだろう。受けようか迷ったことはあるが、基本的には外注で済むと判断して当時は受講しなかった。
「熊野さんは受けてるんですか?」
「もちろんじゃ。あんなもん二日、三日あれば取得できるけんのお」
そういって溶接の準備を進めていく。ボンベに何かのメーターを取り付け、そこにホースを取り付ける。
「悪い。福山君、これをグラインダーで削ってきてくれ」
細い鉄の棒を渡される。見た目は本当に先端が黒ずんだ鉄の棒だ。しかし、鉄にしては少し重たい気がする。タングステンか。
「これは?」
「タングステンの電極棒じゃ。この先っちょの黒いところを四Bの太い鉛筆みたいにとがらしてくれ」
「四Bの太い鉛筆?」
「そうじゃ。感覚的には尖らせすぎてもおえんし、丸すぎてもおえん。ああ、そうじゃな、サインペンの芯みたいな感じじゃ。まあおえんようじゃったらワシがもう一回やるけん」
「はあ、サインペンですか」
俺は渡された電極棒なる細いタングステンをグラインダーにかける。サインペンといえばどんなものか。思い出してみる。おそらくそこまで鋭利なものは求められていないということだけはわかった。
高速回転するグラインダーに電極棒をあてて慎重に削り出す。高い金属音とわずかな火花が散り、電極棒は次第に丸みを帯びつつ山なりの先端へと変化していった。
外の作業場に戻るとTIG溶接の準備を終え鉄仮面のようなマスクを手にする熊野さんがいた。
「どうじゃ?」
「こんな感じですか?」
「お。なかなかええ塩梅じゃの、これを付けてと……」
タングステン電極棒をTIG溶接のトーチにつけて準備は完了したようだ。取っ手がグラグラになった中華鍋を万力に固定し、TIG溶接機の電源を入れる。
「今からやるけん、このマスクつけとり」
大きなマスクを渡される。どうも防塵マスクのようだが、耐久年数は遠の前にすぎていそうだ。熊野さんも似たようなマスクをするのかと思ったが、つけたのはゴーグルだけだった。
「まあ、見とり」
熊野さんはガス抜きを最初にして、溶接棒と先ほど俺が削った電極棒を中華鍋の傷んだ取っ手に緻密に溶接していく。
じじじという地味な音と、まぶしい青白い光がぱっと光っては消える。それを何度か繰り替えす。思ったよりも地味だ。
「よし、こんなもんかの。福山君、今度は君も練習がてらなんかくっつけてもらうけんな」
TIG溶接機の電源を切り、溶接した部分をじっと見る。しばらくその様子を見守った後熊野さんは片付け始めた。練習がてら何かをくっつけるってそんなものあるのか?
「ぼちぼちかのぉ」
万力で固定していた中華鍋を熊野さんは太い腕で持ち上げる。取っ手と本体を両手で持ち、ぐっと力を込めて接着具合を確認する。
「うん、まあ悪くないの。ほれ、もってみんさい」
真っ黒な重たい鉄製の中華鍋を渡された。俺はそれを熊野さんと同じように取っ手と本体を動かしてみるが、びくともしない。見違えるほどに中華鍋は取っ手がしっかりと溶接されており、溶接ビードが美しく盛り上がっていた。新品同様の中華鍋に戻っている。相変わらず熊野さんの器用さには驚かされる。
「相変わらず、熊野さんは何でもできますね……」
「ん?まあ、器用貧乏いうやつじゃの。よし、昼飯食ってから爺さんとこ行ってハチ退治じゃの」
TIG溶接は実際の現場でも使用されています。旅客船やタンカーなど、巨大な構造物にもその精密な技術が用いられており機械的な工作だけでは決して到底作れないものが職人の手で生まれています。ガス溶接やガス切断を行う人のことを「ガス屋」などと呼ぶこともあるようです。
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