13.研ぐべきもの
6月14日(日)10時から1時間ごとに一気更新!
第一部完結までぜひ見届けてください。
熊野さんとの営業ドライブを終え、俺は若竹へ戻った。
確かに最後のお客は強敵だった。まさか夕方四時半からお茶一杯で二時間捕まるとは。
雨がしたたる縁側に座りひたすら二時間、似たような話を繰り返すおばあさんだった。別に認知症と言った感じではなく話すのが楽しくて仕方ない感じだ。これから週一回、あの時間があると思うと空恐ろしい。どうすれば早く切り上げられるのだろうか。
できれば御用聞きは熊野さんに任せたいが、帰りの車中で「月二回。あれの相手してくれ。交代制じゃ。ワシもほとほとえらいけん」とだけ雨と似たトーンの口調で俺に伝えた。なんでも、前はもっと長かったらしい。聞くだけで寒気がする。
第二、第四水曜が定休日の若竹に帰ると、竹原さんは外出中だった。
平日の日中は仕入れか仕込みであり、休みの日は新聞を読んでいることもあるが、玉野競輪に行ったり、宇野港や田井新港あたりに釣りに行ったりとアクティブに休日を過ごしていることもある。
なかなかにバランスのいい生活感であるが、時折深夜まで出かけている日もあり、その日は居間のちゃぶ台に書置きがあるだけだ。
ズタボロのビニール傘を閉じ、預かっている合鍵で玄関を開ける。店舗を通り奥の居間へと向かう。今日も書置きで「遅くなるから飯は自分で準備してください」と癖の強い字で記されていた。
俺の寝床は居間から階段を上がった物置として使用されていた四畳半ほどの部屋だ。段ボール、新聞紙にくるまれた食器類、大きな衣装箪笥がそれとなく場所を占領している。
それらほとんどが埃をかぶっているが、衣装箪笥のわずかな一角だけなぜか日焼けしておらず埃もかぶっていない。布団一枚を敷く面積はある。
東側にはすりガラスの窓があり、朝日が差し込むいい場所なのだが竹原さんはこの部屋をなぜか物置にしていた。結果的に居候の俺が寝床として間借りしているわけだ。
しかし、雨の日は建屋自体が古いせいか湿気が凄まじく、ダイレクトに湿度の高さを感じる。白アリとか大丈夫だろうか。
トートバッグを布団の上に置いて階段を下りる。
台所に立つ。何を作ろうか。というわけではなく俺は熊野さんからもらった包丁を取り出す。研ぎの練習用でいただいたものだ。
包丁は新しく、刃を研ぐまでもない。かと言ってせっかく頂いた好意を無碍にするわけにもいかない。
竹原さんが使っている砥石を借りて研ぐことにする。頭と手の感覚のミスマッチをいかになくしていけるか。そのために研ぐ。
若竹には四つの砥石がある。荒砥の四〇〇番、中砥の一〇〇〇番と三〇〇〇番。そして仕上げ砥の六〇〇〇番と一定とり揃えられている。
摩耗の状態からみると最も使用頻度が高そうなのは三〇〇〇番あたりだ。あらかじめ竹原さんにも砥石を借りることの許可は得ているが、無難に一〇〇〇番を借りることにする。
厨房のたらいに水を張り、中砥を水に沈める。その間に、俺は新聞紙と濡れ布巾を準備していく。ここまでの準備は昔と何一つ変わらない。
ステンレスとパッケージに書かれた包丁を取り出し、刀身を見る。ずいぶんと長い間店にあったものなのだろう。税込み価格すら表記されていない。
中砥が十分に水分を吸ったことを確認し、研ぎ始める。
頭と手が別々。まさしくその通りだった。指先や手元は準備や、研ぎ方、そのあとの仕舞までを覚えている。もちろん、頭の方もだ。しかし、それでも特に研いでいるときにあった「ずれ」は言いようのない不快感に近いものだった。
確かに研ぐことはできた。ただそれだけだ。使うのには問題ないというだけだ。
技術的な問題だけなのか?いや、もしかすると俺の技術はそこで打ち止めだったのではないのか?
逡巡しながらも包丁を研ぐ。
新聞紙でバリを落としながら、最後の調整を行う。
久しぶりに研いだときからやはり感覚はそのままだった。数を打てば感覚が戻るのか?それとも、やはり俺の昔は研げていた。というのがそもそも幻想だったのか?俺はこの前も決めたはずだ、使い心地のいいものを提供しようと。それは傲慢なのか?
わからない。
だが、今はとにかく目の前にあることにひた向きに挑んでいくしかない。
落ちる所まで落ちたのだ。これ以上、落ちることはない。あとはなんとか這い上がることをしなければ。
昔、真冬の公園で缶コーヒー一杯で二時間付き合わされました。あのとき知り合いは大関ワンカップで私は缶コーヒーでした。凍える記憶です。
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