「届かなかった言葉と、新しい誓い」 第九話
◇届かなかった言葉
イリスの一撃が、ついに魔物の甲殻を打ち砕いた。断末魔の叫びを上げ、巨躯が地に沈む。
戦いが終わった後、山肌には、しばらくの間、誰の声もなかった。
「……終わった、のか」
ガイウスが、剣を杖代わりにして、その場に座り込んだ。全身、傷だらけだった。
「ミリア、みんなの怪我を診てやってくれ」
俺がそう言うと、ミリアははっと我に返り、慌てて回復魔法を唱え始めた。
治療が一段落した頃、ガイウスが、俺の前に立った。
「ラス。……お前、一体何者なんだ」
「まだ、うまく説明できることの方が少ないんだ」
「それでも、教えてくれ。俺たちは……お前に、命を助けられた」
ガイウスの声には、あの日の傲慢さは、もうなかった。
「俺の力は、『真名付け』って言うらしい。物や人の、本当の姿を見抜いて、名前を与える力だ」
「まさか……俺たちの武具は」
キャロルが、はっとした顔で自分の剣を見た。
「ああ。この一年、こっそりみんなの装備に、名前を付け直してた。……黙っててごめん」
「謝ることじゃない……!」
キャロルが、声を荒げた。それから、我に返ったように、うなだれる。
「謝らなきゃいけないのは、私たちの方でしょ。あんなに世話になっておいて……何も知らずに、追い出したんだから」
「キャロル」
「言わせて、ガイウス。ずっと、後ろめたかったのよ、私。あの日、ラスを止めなかったこと」
エリクは、俯いたまま、何も言えずにいた。ミリアも、唇を噛んで、視線を彷徨わせている。
俺は、しばらく黙って、四人の顔を見た。
恨みが、綺麗さっぱり消えたわけじゃない。あの日の言葉は、今も胸のどこかに、小さな棘として残っている。
それでも――目の前で項垂れる四人を見ていると、憎しみだけを抱き続けるのも、なんだか違う気がした。
「……許すとか、許さないとか、そういう話は、今はしなくていい」
俺は、ゆっくりと口を開いた。
「ただ、みんなが無事で良かったと思ってる。それだけは、本当だ」
ガイウスが、深く頭を下げた。
「……すまなかった、ラス。俺は、お前に対して、あまりにも不誠実だった」
「頭を上げてくれ。今更、格好つけたって、柄じゃないだろ」
俺の軽口に、ガイウスは僅かに笑った。泣き笑いのような、複雑な表情だった。
イリスが、いつの間にか人の姿に戻り、少し離れた場所からその様子を眺めていた。
「――行くのか、ラス」
エリクが、恐る恐る訊いた。
「戻るのか、俺たちのパーティーに」
その問いに、俺は少し考えてから、首を横に振った。
「いや。……俺には、今、やらなきゃいけないことがある」
◇白紙の教団
(聖名教会、その頃)
セイラは、王都へ戻る道すがら、報告書をまとめていた。
ムート村で見た光景は、彼女の想像を遥かに超えていた。
畑や井戸に宿る、説明のつかない力の気配。そして何より――村の青年が、竜を連れて空から現れ、瀕死の元パーティーを救ったという、にわかには信じがたい情報。
「……本物、かもしれない」
セイラは呟き、報告書に、ある一文を書き加えた。
『対象は「真名付け」を体現している可能性、極めて高し』
王都に戻ったセイラを迎えたのは、司教だけではなかった。
薄暗い一室に、黒い外套を纏った男が一人、静かに佇んでいた。顔立ちさえよく見えない、影のような男だった。
「――ご苦労だった、調査官殿」
低く、掠れた声だった。
「あなたは……」
「気にする必要はない。ただ、お前が持ち帰った情報に、深い関心を寄せている者だとだけ、思ってくれればいい」
司教が、居心地悪そうに視線を逸らした。
「セイラ、この方は――」
「教会内部の、しかるべき筋の者だ、とだけ言っておこう」
男は、セイラの報告書を、静かに手に取った。
「『真名付け』、か。千年ぶりに、その名を聞くとはな」
男の口元に、笑みとも呼べない、薄い歪みが浮かんだ。
「白紙の教団にとっても、これは――見過ごせぬ話だ」
セイラの背筋を、冷たいものが走った。
その名前を、彼女は聞いたことがなかった。だが、直感的に理解した。これは、教会の中でも、ごく一部の人間しか知らない、何か大きな存在なのだと。
「あの青年から、目を離すな」
男は、報告書を懐にしまいながら、静かに命じた。
「封じられた力が、再び世に出ようとしている。それを、迎え入れるべきか――消し去るべきか。それを見極めるのが、我らの役目だ」
窓の外、王都の空に、重い雲が垂れ込め始めていた。
◇新しい居場所
「暁の剣」との一件から数日後、俺とイリスはムート村へ戻ってきた。
「本当に、良かったの? あの誘い、断って」
イリスが訊く。
戦いの後、ガイウスから「良ければ、正式にパーティーへ戻ってきてくれないか」と、真剣に頭を下げられていた。その申し出は、素直に嬉しかった。
けれど、俺は断った。
「あいつらとは、また会えばいい。友達として。……でも、俺がやりたいことは、多分、パーティーで魔物を狩ることじゃない」
村に戻ると、フィアとダンカン、そしてゼノンが、心配そうな顔で俺たちを迎えた。
「無事だったのね、良かった……!」
フィアが駆け寄ってきて、それから、ふと真剣な顔になった。
「ねえ、ラス。これから、どうするつもりなの?」
その問いに、俺は少し考えてから、村を見渡した。
まだ完全には回復していない畑。少しずつ賑わいを取り戻しつつある井戸端。それでも、村を出ていった若者たちは、まだ戻ってきていない。
「――この村を、ちゃんと立て直したい」
俺は、はっきりとそう口にした。
「畑や井戸に名前を付けるだけじゃなく、ここを、誰でも安心して帰ってこられる場所にしたいんだ。名前を持たない奴でも、居場所をなくした奴でも、ここに来れば、ちゃんと名前をもらえる――そういう場所に」
「……大きく出たわね」
フィアが、驚いたように、それから嬉しそうに笑った。
「でも、悪くないと思う。手伝うわ、もちろん」
「わしも、老い先短い身だが、知恵くらいは貸してやれるだろう」
ゼノンが、杖を軽く掲げた。
「俺も、鍛冶の腕くらいなら、いくらでも振るってやる」
ダンカンが、珍しく明るい声で言った。
「私は、竜の力を貸そう。もっとも、お前の借りを返すだけだがな」
イリスが、静かに、けれど確かな声で言った。
村の中央に立つ、古びた孤児院を見上げながら、俺は思った。
この建物を、いつか――名もなき者たちが集う、新しい拠点にできたらいい。
それは、途方もなく大きな夢かもしれない。けれど、追放されたあの日には想像もしなかった未来が、今、確かに目の前に広がっていた。
「よし。……やるか」
俺の呟きに、フィア、ダンカン、ゼノン、イリスが、それぞれの形で頷いた。
名もなき村の、静かな再出発だった。




