「教会の影、届いた報せ」 第七話
◇教会に届いた報告
(聖名教会にて)
「――ムート村、か」
聖名教会の一室で、初老の司教が、机の上に広げられた報告書を睨んでいた。
「辺境の寒村だろう。何をそう気にかけている」
「気にかけているのは、私ではありません。教会の『感応石』が反応したのです」
補佐官の神官が、静かに答えた。
「感応石は、大陸中の魔力の乱れを感知するための、教会秘蔵の道具です。ここ最近、ムート村周辺で、これまでにない反応が続けて記録されています」
「反応の種類は」
「それが……分類不能、としか」
司教の眉が、僅かに動いた。
「分類不能、だと」
「はい。既知のいかなる魔法体系にも当てはまらない反応です。過去の記録を遡っても、似た事例は――」
補佐官は言葉を切り、一冊の古びた記録簿を差し出した。
司教がそれを開くと、そこには、千年近くも前の日付が記されていた。
長い沈黙が、部屋に落ちた。
「……まさか、な」
司教は、記録簿をゆっくりと閉じた。
「調査官を、一人向かわせよ。目立たぬように、慎重にだ。もしこれが、わしの考えている通りのものだとしたら――」
司教は、窓の外に広がる王都の街並みを、じっと見つめた。
「教会にとっても、大陸にとっても、看過できる話ではない」
補佐官は一礼し、静かに部屋を後にした。
ムート村――名もなき小さな村に、静かに、しかし確実に、大きな組織の目が向けられようとしていた。
◇旅の調査官
数日後、村に見慣れない旅人が現れた。
年若い女性で、灰色の外套を纏い、背には旅装にしては妙に頑丈な鞄を背負っている。表向きは「大陸の地誌を調べる学者」と名乗っていたが、村の隅々まで、やけに注意深く見て回っている様子が、俺の目には引っかかった。
「あの人、何者かしら」
フィアが不審げに囁く。
「さあ。……ただ、只者じゃない気はする」
俺たちがそんな話をしていると、当の本人が、まっすぐこちらへ歩み寄ってきた。
「失礼。少し、伺ってもよろしいでしょうか」
女性――名乗るところによれば、セイラという名の旅の学者――は、柔らかい笑みを浮かべながら、俺とフィアを交互に見た。
「この村、最近になって畑の実りが急に良くなったと、隣村で耳にしまして。何か、特別なことをされたのですか?」
「……肥料を変えただけですよ」
俺は、努めて平静な声で答えた。
「そうですか。それにしては、随分と急な変化のようですが」
セイラの目が、一瞬だけ鋭くなった気がした。だがすぐに、また柔らかい笑みに戻る。
「気を悪くしないでくださいね。ただの職業病です。珍しいことがあると、つい調べたくなってしまう」
そう言って、セイラは村の井戸の方へと歩いていった。
「……大丈夫、なの?」
フィアが不安げに俺を見る。
「分からない。……でも、あの人、何かを探ってる」
俺は懐のステータスプレートに、無意識に手をやった。相変わらず真っ白なそれに、今は小さな滲みが浮かんでいる。もし調べられたら、この滲みも、何かの手がかりになってしまうかもしれない。
その夜、ゼノンが村を訪ねてきた。彼もまた、セイラの存在に気づいていたらしい。
「教会の調査官だろうな、あれは」
「……やっぱり」
「案ずるな。すぐに何かをしてくる類の者ではなさそうだ。だが――遠からず、教会は本腰を入れて動き出すだろう」
ゼノンの言葉に、俺は静かに息を吐いた。
村の再建は、まだ始まったばかりだ。それなのに、もう次の壁が、目の前に立ちはだかろうとしている。
「どうする」
イリスが静かに問うた。
「……今は、様子を見るしかない」
答えながらも、俺の中で、小さな焦りが膨らんでいくのを感じていた。
◇届いた報せ
セイラという調査官が村に滞在するようになって、五日が過ぎた頃。
村に、一人の行商人が立ち寄った。彼は王都から仕入れてきた噂話を、機嫌よく振りまいていく質で、村の広場ではちょっとした人だかりができていた。
「聞いたか、王都の話。『暁の剣』が、大変なことになってるらしいぞ」
その名前に、俺は思わず足を止めた。
「――どうしたって?」
「なんでも、北の山岳地帯で、討伐依頼を受けたはいいが、想定より遥かに強い魔物に遭遇しちまったらしくてな。撤退しようにも退路を断たれて、身動きが取れずにいるとか」
「怪我人は」
「詳しいことは分からんが……救援要請が出てるって話だ。だが、あの山岳地帯まで駆けつけられる冒険者は、そう多くない」
行商人はそう言うと、興味を失ったように、また別の噂話へと移っていった。
俺は、その場に立ち尽くしたまま、動けずにいた。
胸の中に、様々な感情が渦を巻いていた。
――ざまあみろ、とは思わなかった。
正直に言えば、驚きの方が大きかった。あの日、あんなにも堂々と俺を追放したガイウスたちが、今、命の危機に瀕している。
「ラス」
イリスが、静かに俺の名を呼んだ。
「どうする気だ」
「……分からない」
俺は正直に答えた。
「助けに行く義理なんて、ないはずなんだ。向こうが俺を要らないって、そう言ったんだから」
「だが」
「だが――」
言葉に詰まる。
キャロルの、あの日の小さな「ラス……」という声を、俺はまだ覚えている。ミリアの、俺と目を合わせられなかった、あの気まずそうな表情も。ガイウスの、悪気のない、けれど確かに俺を傷つけた言葉も。
憎んでいるわけじゃない。ただ、簡単に「助けよう」とも思えない。
その両方が、同じ胸の中にある。
「フィア、悪い。少し、一人で考えたい」
「……うん。分かった」
俺は村の外れまで歩き、傾きかけた夕陽を眺めた。
北の山岳地帯まで、馬を飛ばしても三日はかかるだろう。迷っている時間は、それほど多くない。




