「軋む剣と、封じられた魔法」 第六話
◇軋み始めた剣
(暁の剣、その頃)
ラスが去ってから、半月ほどが過ぎていた。
「暁の剣」は、王都からほど近い遺跡群の調査依頼を受け、旧坑道の奥へと足を踏み入れていた。
「エリク、前方に反応!」
キャロルの声に、エリクは咄嗟に杖を構えた。
「――風刃!」
いつものように呪文を唱える。だが、放たれた風の刃は、明らかに勢いを欠いていた。魔物の表皮を浅く裂いただけで、致命傷には程遠い。
「くそっ……!」
「エリク、下がれ!」
ガイウスが前に出て、剣を振るう。かろうじて魔物を斬り伏せたものの、ガイウスの息は上がっていた。
戦闘が終わった後、エリクは自分の杖を睨みつけていた。
「……おかしい。最近、明らかに魔法の切れが悪い」
「気のせいじゃないの? 遠征続きで疲れてるだけよ」
キャロルがそう慰めるように言ったが、エリクの表情は晴れなかった。
「いや……この杖は、もっと、こう……何と言えばいいのか。手に馴染んでいたんだ。ここ半月、その感覚がどんどん薄れていってる」
その言葉に、キャロルは何も言えなかった。彼女自身、自分の剣にも、似たような違和感を覚え始めていたからだ。
以前はもっと軽く、まるで自分の腕の延長のように振るえていた。今は――何かが、少しずつ手から離れていくような感覚がある。
「気のせいだ」
ガイウスが、それだけ言って歩き出した。だが、その声には、自分に言い聞かせるような響きがあった。
野営の焚き火を囲みながら、ミリアがぽつりと呟いた。
「……ラス、元気にしてるかな」
誰も答えなかった。
エリクは苛立たしげに焚き火を蹴り上げ、キャロルは膝を抱えて俯く。ガイウスだけが、じっと炎を見つめたまま、動かなかった。
追放を言い渡してから、半月。
パーティーの空気は、あの日を境に、確実に何かが変わっていた。連携がどこかぎこちない。軽口も減った。誰も口には出さないが、全員がうっすらと気づき始めている。
自分たちが失ったものの大きさに。
「……次の依頼、少し休んでからにしないか」
ガイウスが、珍しく弱気な提案をした。誰も反対しなかった。
炎に照らされた四人の顔は、それぞれに、言葉にならない不安を抱えていた。
◇森の隠者
謎の遠吠えから三日後、俺とイリスは、その正体を探るべく森の奥へと足を運んだ。
「気配は、この先だ」
イリスが囁くように言う。竜の勘は、人間の俺よりもずっと鋭敏らしい。
木々の合間を縫うように進んでいくと、やがて、苔むした石造りの廃墟が見えてきた。かつては何かの祠だったのだろう、崩れた柱の間から、細い煙が立ち上っている。
「……人の気配だな」
イリスが鼻を鳴らす。
廃墟の中には、小さな焚き火と、その傍らに座る一人の老人がいた。白い髭を長く伸ばし、杖を傍らに置いて、何かの書物を読んでいる。
「ほう」
老人が顔を上げ、俺たちを見た。その目には、驚きよりも、興味の色が強く浮かんでいた。
「珍しい。この森で、竜と人間が連れ立って歩いているとはな」
「……分かるのか」
イリスが僅かに身構える。
「わしの目は誤魔化せんよ、竜殿。もっとも、今のお前さんの気配は随分と穏やかだ。誰かに、真名を与えられたばかりと見える」
その言葉に、俺とイリスは思わず顔を見合わせた。
「――あんた、何者だ」
「わしか。ゼノンという、しがない老いぼれの学者だよ」
ゼノンと名乗った老人は、緩慢な動作で立ち上がり、俺の顔をまじまじと覗き込んできた。
「して、お前さんが――『真名付け』を使う者か」
心臓が、跳ねた。
「その言葉、初めて聞いた。……俺のやってることに、そんな名前があるのか」
「あるとも。もっとも、この世でその名を知る者は、わしを含めても、片手で足りるかどうかだろうがな」
ゼノンは楽しそうに笑うと、俺たちに焚き火の傍らへ座るよう促した。
「話せば長くなる。だが、ちょうどいい。最近、この森の様子がどうにもおかしくてな。誰かに話を聞いてほしいと思っていたところだ」
「村のことか」
「うむ。ムート村――お前さんの故郷だろう。あの村を静かに蝕んでいるものについて、わしにも多少、心当たりがある」
ゼノンの声が、僅かに低くなった。
「だが、それを話す前に――お前さん自身のことを、少し聞かせてもらおうか。名は?」
「ラスだ」
「ラス、か。……ふむ、なるほどな」
ゼノンは何か納得したように頷くと、焚き火に薪をくべた。
「では、話そう。真名付けという力の、本当の姿について」
炎が、ぱちりと爆ぜた。
夜はまだ長かった。
◇封じられた魔法
「今から千年ほど前――」
ゼノンは、炎を見つめながら、静かに語り始めた。
「この大陸には、真名付けという業が、当たり前のように存在していた。対象の本質を見抜き、真の名を与える。それによって、人も、獣も、道具さえも、秘めた力を存分に発揮できた。今の『命名式』などより、遥かに深く、豊かな魔法だったのだよ」
「……それが、どうして廃れた」
「悪用されたのだ」
ゼノンの声が、僅かに翳った。
「ある帝国が、真名付けを戦のために使い始めた。捕虜たちの真名を、無理やり上書きする形でな。本来、真名付けは対象を深く理解し、慈しむ心がなければ発動せぬ。だが帝国は、恐怖と強制によって、それを歪んだ形で成立させる術を編み出した」
「上書き、って」
「服従の名を、強制的に刻んだのだ。名を奪われた者は、己の意志を失い、ただ命じられるがままに動く兵となった」
背筋が、冷たくなった。
俺が今まで感じてきた真名付けは、誰かを想い、その本質に寄り添うことで初めて成立する、優しい力だった。それが、真逆の目的のために使われていたという事実に、胸の奥が重く沈む。
「その戦は、大陸中を巻き込む惨劇となった。多くの国が、名を奪われた兵によって蹂躙された。戦が終わった後――生き残った諸国と、当時の聖名教会は、ある決断を下した」
「……真名付けそのものを、封印した」
「その通りだ」
ゼノンは頷いた。
「二度と同じ悲劇を繰り返さぬために、真名付けの知識は意図的に隠され、代わりに、もっと安全で、力の弱い『命名式』が広められた。今の世で当たり前とされているステータスやら職業やらの制度は、いわば――かつての自由な魔法を薄めた、檻のようなものなのだよ」
「……じゃあ、俺みたいなのが生まれてくるのは」
「稀にだが、ある。血筋や家柄など関係ない。ただ、誰かを、何かを、本当の意味で理解しようとする心を持つ者――そういう者の中に、時折、真名付けの力が眠ったまま芽吹くことがある」
ゼノンは俺の目を、まっすぐに見た。
「お前さんが、そうなのだろう。誰に教わったわけでもなく、ただ、名もなきものへの憐れみから、その力を育ててきた」
その言葉が、じんわりと胸に染みた。
「じゃあ、村のことは……」
「そこまでは、わしにも断言できん。だが――もし村の異変が、真名付けに関わる何かだとするなら」
ゼノンの表情が、初めて険しくなった。
「封印されたはずの力に、再び目を向け始めている者たちが、いるのかもしれぬ」
森の奥で、風が一段と強く鳴った。
まるで、その言葉を裏付けるかのように。




