「荒れた村と、幼馴染」 第四話
◇荒れた村
村に足を踏み入れた瞬間、俺は思わず立ち止まった。
記憶にあるムート村は、決して豊かな場所ではなかった。それでも、活気だけはあった。畑には麦が実り、井戸端では女たちが笑い合い、子どもたちが泥だらけになって走り回っていた。
今、目の前にあるのは、その面影ばかりが残る、痩せ細った村だった。
畑の半分近くが、茶色く枯れたまま放置されている。空き家らしき建物がいくつも目につき、窓には板が打ち付けられていた。井戸端に人影はなく、村の入り口を守っていたはずの木柵も、あちこち崩れかけている。
「……こんなに、変わるものか」
隣でイリスが呟いた。竜の目から見ても、この変わりようは尋常ではないらしい。
「三年、だったな。お前がここを出てから」
「ああ。……こんなはずじゃなかった」
俺の記憶にある村と、目の前の村の差は、ただの時間の経過では説明がつかない。何かが、この村を静かに蝕んでいる。
村の中央へ向かう途中、痩せた老犬が一匹、力なくこちらを見上げてきた。骨が浮くほど痩せている。かつて村中の子どもたちに可愛がられていた犬に、俺は見覚えがあった。
「……お前、まだ生きてたのか」
しゃがみ込んで頭を撫でてやると、老犬は弱々しく尻尾を振った。その毛並みには艶がなく、瞳にはもう、若い頃の輝きはない。
けれど、その目の奥に、まだ小さな光が残っているのを、俺は確かに見た。
――名付けてやりたい。
そんな衝動が湧いたが、俺はそれを抑えた。今はまだ、村の状況をきちんと把握するのが先だ。真名付けは、思いつきでやっていいものじゃない。
「畑が枯れているのは、水のせいか、それとも土のせいか」
イリスが村の畑を眺めながら訊いた。
「分からない。……前はこんなじゃなかったのに」
村の奥、丘の上に建つ小さな孤児院の屋根が、木々の隙間から見えた。記憶よりも、随分と傷んで見える。
早く行かなければ、という焦りが胸に湧いた。だが同時に、この目で見る現実を受け止める覚悟が、まだ足りていないような気もした。
「行くのか」
「ああ。行く」
俺たちは、丘の上へと続く、細く頼りない道を歩き出した。
◇幼馴染との再会
孤児院に近づくにつれ、俺はある違和感に気づいた。
畑の一角――村の中でも特に荒れ果てているはずの区画に、明らかに人の手が入った跡があった。雑草が刈られ、土がならされ、小さいながらも青々とした作物が並んでいる。
その畑の前で、麦わら色の髪をした女が、腰に手を当てて溜め息をついていた。
「……フィア?」
思わず声が出た。
女が振り返る。日に焼けた顔、活発そうな目つき――記憶の中の幼馴染より、ずっと大人びていたけれど、間違いなくフィアだった。
「……ラス? まさか、本当に、ラスなの?」
フィアが目を見開き、駆け寄ってくる。土だらけの手のまま、俺の腕を掴んで、まじまじと顔を覗き込んできた。
「生きてたの! 冒険者やってるって噂は聞いてたけど、全然帰ってこないから、てっきり……」
「悪い。色々あって」
「色々って何よ、もう!」
フィアは怒ったような、泣きそうな、複雑な顔をした。それから、俺の後ろに立つイリスに気づいて、動きを止める。
「……こちらは?」
「イリスだ。……まあ、色々あって、一緒に旅をしてる」
「連れ、というやつだ」
イリスが静かに補足した。フィアは何か言いたそうな顔をしたが、ひとまず飲み込んだらしい。
「とにかく、中に入って。積もる話は山ほどあるんだから」
孤児院の中は、記憶よりも人が少なかった。院長――俺を育ててくれた老神官は、数年前に体を壊し、今は隣村の親戚の元で療養しているという。今は、フィアともう一人の若い神官見習いが、細々と孤児院を切り盛りしていた。
「正直、かなり厳しいの」
粗末な椅子に座ったフィアが、力なく笑った。
「三年前くらいから、急に畑の実りが悪くなって。井戸の水も、なんだか濁るようになった。そのうち、森の魔物も村の近くまで出るようになって……。若い人はどんどん街に出ていって、残ってるのは年寄りと、行き場のない子どもたちばかり」
「三年前、って」
「うん。……ちょうど、ラスがパーティーに入って、村を出た頃かな」
フィアは何気なく言ったが、その言葉が、俺の中で妙な引っ掛かりを残した。
三年前。俺がこの村を出た頃。
偶然だろうか。それとも――。
「どうかした?」
「いや、何でもない」
俺は曖昧に笑って誤魔化した。今はまだ、確信のない考えを口にする段階じゃない。
「ラスは、これからどうするの? しばらく、いてくれるの?」
フィアの問いに、俺は少し考えてから頷いた。
「ああ。……この村で、少し腰を据えようと思ってる」
「ほんと!?」
フィアの顔が、ぱっと明るくなった。その笑顔だけは、三年前と何ひとつ変わっていなかった。




