第5話 残業と幽霊
今日も資料を作成しながらその時間を待つ。
20時、いつものように彼女が現れた。
側に近寄って仕事の愚痴を吐く。
「どうして俺だけ残業しているんだろうな。他の人は帰っているのに。俺だって本当は定時で帰りたいんだぜ。」
ひとしきり愚痴を話し終わると少しすっきりした。
申し訳ないと思い机に戻りクッキーを手に持つ。
「食べれるかわかんないが」
クッキーを彼女の横に置いた。
特にクッキーには反応せずずっとオフィスの方向を見ている。
見ている方向としては俺の座っている方向だろうか。
何か意味があるように思えるがわからない。
クッキーを口元までもっていってみる。
すると両手でそれを掴んでぽりぽりと食べ始めた。
かわいらしい。
ハムスターやリスの食事風景を見ているようだ。
きっとお菓子が好きなのだろう。
そのままクッキーを食べ続けてあっと言う間に1枚食べてしまった。
「おいしかったか?」
と語り掛けるがそれには反応してくれない。
2枚目を手元に持っていくと同じように掴んで食べ始めた。
ポリポリと食べていたが21時になりいつも通り消えてしまった。
明日はもっと上げよう、そう思い仕事に戻った。
それから彼女にはサラダチキン、ポテトチップスなど晩御飯ついでに買ったものを上げていた。
食べる時間は20時から21時までしかないがその間はずっと食べている。
好物は何かあるのかと思い色々試すがどれも同じように食べる。好き嫌いはないようだ。
そうとうお腹が減っていたのだろうなと思う。
俺以外気が付いている人はいないので彼女はずっと何も食べていなかったのかもしれない。
食いだめできるのかわからないが自分の体より大きなものを食べても彼女の食欲は衰えていない。
高橋さんとは同じオフィスだがあの一件以来会話はしていない。
どこが凹んでいる気がするのはあの日の出来事がショックだったからだろうか。
やっとの思いで作ったプリンター更改の稟議書を課長に提出した数日後、
「この前出してもらったプリンターの件だけど、上から物言いが入ってね。もっと安くならんのかと。」
「でも昨今は物価の値上げもありましたからこれ以上値段を安くさせるのは厳しいと思います。」
「それを何とかするのが担当者の役割だろう。」
言い方は優しいが要求は厳しい。
「前回のプリンター更改時の資料も添付しましたのは当時よりかは高いですが、それでも物価上昇を加味してもそれほど高くなっていないということを示すために添付したものでして。」
「いいからさ、もう一度業者と詰めてくれないかな。」
「はい、わかりました。」
「とりあえず今後の進め方を明日の朝一で話してくれ。」
「そんなに急ぎなのでしょうか。」
「そりゃそうだ、部長に見せたからね。部長も気にしておられる。こういうのは早い方がいいんだ。
まずは私に話してくれ。」
「はい、わかりました。」
手渡された資料を受け取り自席に戻る。
横に座る鈴木から「どんまい」と励まされた。
今日もまた残業確定である。
どうやって安くなる交渉を進めるべきか。
ファイルバインダーに綴じられている稟議書を見つめる。
出ないアイデアをどうにかして脳をフル稼働させていたら21時近くになっていた。
ふと手元のファイルバインダーを見てあることに気が付く。
この資料の原本を何日も自分で持っているという事実に。
通常は原本のコピーを取ってファイルバインダーは書庫に戻すのがルールである。
それを戻していなことに今さらながら気が付いた。
脳をフル稼働させて気が付いたのがそれだけというのも悲しい事実である。
ファイルバインダーも分厚く自分の机にしまっておくのもスペースを取っていて邪魔になる。
1週間以上ファイルバインダーを手元に置いてあることを誰かに指摘されたらまずい。
悩んだ末に該当の稟議書だけをコピーして書庫に戻しに行くことにした。
鈴木はそんなことは言わないし後輩ちゃんも言わない。課長も言わないだろう。
指摘してくるとしたら管理チームの3人の女性衆だ。
同じ島で仕事をしているが正直仲は良くない。
力仕事だから、若いからという理由で雑務をよく押し付けられている。
そのくせチームの成果だからみんな等しく平等にとか言ってくる。
明らかに仕事量は俺と鈴木に偏っているが課長は是正しようとしない。
課長の事なかれ主義が悪い方向に働いている。
あの3人なら見つけ次第言ってくるだろう。それこそ明日言われてもおかしくない。
思い立ったら吉日ということわざもある。
俺は夜の書庫に行くことにした。
夜の書庫と言っても廊下が暗いだけで部屋は照明をつければ昼間と変わらない。
元々窓がないので昼間でも照明がなければ真っ暗だ。
ファイルバインダーを元の段ボールにしまい部屋を出ようとしたとき背後で音がした。
ドキリとして振り返る。
そこに白い影のようなものが立っていた。
驚きのあまり体が金縛りのようになり動かない。
その白い影は段々と形を成していき一人の女性になった。
輪郭はぼんやりとしているが特徴的な長い髪がある。
高橋さんのスマホに映っていた橘さんだ。
髪は彼女の腰あたりにまで伸びている。一般的なロングヘアーの人と比べても長い髪をしている。
ゴム紐で縛ってまとめられている。
その人が後ろを向いた状態で立っている。
何かを探しているのだろうか。
冷静になってきたのか体が動くようになった。
彼女に近づこうと足を進めたとき彼女が振り向いた。
その表情は驚きから段々と恐怖の色に変わる。
俺に驚いたのか?この白い女性に意思があるのか?と思った時彼女は俺の横を通り過ぎるようにして部屋から出ていく。
俺も慌ててその後を追う。
彼女は全力で走っているのだろうこちらを振り返りもせずに走る。
そして廊下の端、突き当りの壁のところで停まる。
そして振り返って俺を見て怯えている。
華奢な体だと思った。
背はすらりと高くモデルのようだ。
身長も俺とあまり変わらない。
そんな彼女が怯え切って窓に張り付く様な格好になった。
その瞬間窓枠が外れて彼女は落ちてしまった。
慌ててその落ちた窓に近づくが実際に窓は外れていない。
これも幻覚なのだろうか。
しかし高橋さんは言っていた。
彼女は窓から飛び降りたのだと。
実際は飛び降りではなく彼女が窓にもたれかかったことで窓枠が外れてしまったことが原因のようだ。
彼女は誰かに追い詰められていた。
きっと書庫で彼女を振り向かせた誰かだろう。
彼女を追い詰めた人は実際にその瞬間を見ていたはず、しかし社内の噂は飛び降りしたと広まっている。
見た人、すなわち犯人が真相を隠してしまったのだ。
そして間違った噂が広まってしまった。
いや犯人が広めたのだろう。
それにしても彼女は何に怯えていたのか。
尋常ではない怯え方だった。
彼女はまだこの会社に囚われている・・・高橋さんの言葉を思い出す。
翌日朝一で課長へのプリンターの件の打ち合わせを無事に終えることができ気分上々な俺に後輩ちゃんから相談が舞い込んだ。
「昨日なんですがまたつけられていたみたいで。」
昨日は残業をしていたので帰りの付き添いができなかった。
しかし思い当たることもある。
「なんかタイミングが良すぎないだろうか。俺がいないときにストーカー野郎が出てくるってさ。」
「そうですよね、私もまさかって思いました。」
「つけられていたってのは本当?」
「はい、後ろから足音が聞こえて振り返ったら誰かが隠れるような仕草をしたんです。
それで走って逃げたんです。前に課長が歩いていて課長と一緒に駅まで向かいました。」
「課長がいてくれてよかったね。」
彼女はコクリと頷いた。
「俺が残業することを知っていたのはあのオフィスにいた人たちだけだ。
オフィスの管理部メンバーの中に犯人がいるってことか・・・。」
自分で言っていて寒気がする。
管理部内は他の部署に比べれば女性が多い方だ。
それでも半分以上は男である。
その中に犯人がいるというのか。
管理チームは課長と俺と鈴木。
経理チームは経理課長とベテランの男性社員である嶋さん。
情報チームは情報課長と田中さん、等々力さん、峠さん。
それと管理部長となる。
昨日は課長がいてくれたわけで、鈴木もストーカーをするとも思えない。
候補は7人か。
この中で怪しいと思われるのは情報チームだろう。
情報チームは同じ部だが仕事の絡みはほとんどない。
彼らは内輪でパソコン関係とかの話でよく盛り上がっている。
5年働いているが会話したのは数えるほどしかない。
犯人候補としては有力と言わざるをえない。
「え・・・でも情報のみなさんはパソコンとかスマホとかに詳しくて教えてもらったことありますよ。
忙しそうにしていても助けてくれるので。」
「そういう奴らが危ないんだって。声をかけられたから惚れちゃったんじゃないかな。
課長さんは結婚しているって話だから大丈夫として、あの3人が怪しいな。
最近会話した人とかいる?」
「んー、田中さんにエクセルの使い方を教わりました。
皆さんが席を外していたので助けてもらいました。」
後輩ちゃんは彼らを疑っていないようだ。
これ以上情報さん犯人説を推すと信頼が揺らぐかもしれない。
ここは思い切って高橋さんに相談してみよう。
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