33話 解決……?
「ん……――」
目が覚め、ゆっくりと瞼があがる。片頬に、床の冷たい感触が伝わった。
(何があったんだっけ)
ふわふわとしている頭をなんとか動かす。そして先程のことを思い出し、背筋に冷や汗が伝った。
そうだ。俺は廊下を歩いている途中、突如何者かに肩を捕まれ、そのまま腹から抱きつかれるようにして攫われてしまった。
どうやらその時、俺は生来のビビりが発揮され気絶してしまったらしい。
辺りを見渡そうと身体を起こす。
しかしその時、目が、突然何かに覆われた。
あ、デジャヴ。
「エミリオ…様……エミリオ様……」
以前、殿下にもこんな事をされたなぁなんて思い出す。しかし、以前と違いこの手は冷たくてヒンヤリとしている。必死に俺の名を呼ぶ声は震え、今にも壊れてしまいそうだった。
そしてこの声。とても聞き覚えがある。
それは、最近俺が避けていた最中の――――
「アーベント……?」
「っ……」
首筋に息を吸う音が伝わる。そのヒュッと息を呑む音がとても苦しそうで――俺は、この人物が誰なのかを確信した。
「アーベント、なんだね……?どうしたのさ、こんなことして。……何かあったのか?」
「……貴方は、こんなことをされても優しいままなのですね」
アーベントの聞き慣れた爽やかな声が、静かな教室にこだまする。アーベントは目から手を離すと、向き直り、俺の両手を包み込むように握った。
その顔は、まるで叱られるのを待つ子供のように、何かに怯えているようだった。
――続く沈黙。
先に口を開いたのは、今にも泣きそうに目を潤ませるアーベントだった。
「申し訳、ありません……こんなことして、許されるわけがない。でも……私は貴方に……嫌われたく、ない……」
その声は悲痛に満ちていた。背を縮こまらせ、肩が小刻みに震えている。両手が更に強く握られる。
しかし一方、俺の頭の中はハテナ状態だった。
(??嫌われたくない??)
アーベントの言葉――『貴方に嫌われたくない』という気持ち。
むしろ嫌われているのは俺の方なのでは?と頭の中で疑問符がクルクルと回る。
これは――盛大な誤解がある気がする。
俺の培った長年の勘が、そう告げていた。
「アーベント……何か誤解が――」
「何故、最近、私のことを避けていたのですか……。私は何か、貴方に嫌われることをしてしまったのでしょうか……。図書室に来なくなったのも、正体を知ったから?あぁ、やはり。やはりあの人に取られるくらいならば、いっそのこと――――」
「おおお落ち着け!!」
ドロドロと流れ出す思考の沼を、大声を出して断ち切る。アーベントは完全に沼にハマっているようで、俯きブツブツと言葉を続けていた。
この様子。明らかに何か誤解がある。それもかなり拗らせているようだ。少なくとも、こんな監禁まがいのことをするまでには。
「私は、私は――――」
「アーベント!」
「っ……」
アーベントの手を握り返す。そして目を見て、丁寧に説明をすることにした。
「アーベント。まず第一に、俺は君を嫌ってなんかいない。むしろ好きなほうだ。出来ることなら、もっと話したいし、沢山遊びたい」
素直に、思っていることを伝える。
その言葉に、アーベントはゆっくりと顔を上げた。そのまま言葉を続ける。
「君を避けていたのは……ごめん。確かに事実だ」
「何故……」
「俺が……アーベントをいじめているらしくて」
「は、え?」
アーベントは目をパチクリとさせ、先程の俺と同じように頭にハテナを浮かべた顔をしていた。
あぁ、やはり誤解があったのだ。これは早急に正さなければ。
という訳で俺は、ルイン先輩とエドに言われた「いじめてやるな」という言葉のこと。だから避けていたのだということ。そして、それの影響でかなり寝不足になったことなどを、アーベントにできるだけ素直に事細かに説明した。
「――――という訳なんだよ」
「……」
アーベントは口をポカンと開け呆けていた。まるで信じられない、とでも言うように俺のことを見ている。
「一応聞くけど、俺はアーベントをいじめては――」
「いません!!!」
力強い否定に、ふっと肩の力が抜ける。良かった、俺はアーベントをいじめていなかったのだ。そのことを知れただけで、心が随分と軽くなる。
しかしその直後、とてつもない後悔が襲ってきた。
勘違いして自分から彼を避けていたなんて――俺、最低じゃないか……?
「そっか、いじめてなかったのか、良かった……。ていうか本当にごめん。いきなり人に避けられたらいい気分じゃないよな……」
手を合わせて謝り倒す。アーベントはその様子に直ぐに慌てだし、逆に「こんなことをして申し訳ありません」と謝られることになってしまった。
良かった。これで粗方の誤解は解けただろう。
しかし俺には、“もう一つ”気になっていることがある。
「あのさアーベント……。さっき、図書室とか正体とか言ってたけど、それって……」
先程の呟きの中に聞こえた、図書室、正体、来なくなったという言葉。
それがどうしても引っかかっていた。なぜならその言葉には、とても覚えがあったから――。
「もしかして、なんだけど」
いや、そんなまさか。
最近、俺は図書室に全く行かなくなっていた。しかしそれは仕事が忙しかっただけであり、決してピアノを嫌いになったからなどではない。
むしろ、早く聞きたいと思っていたのだ。そのためならば、あんなに熱烈な手紙だって何通でも書けてしまう。
しかし、まさか。
その謎のピアニストの正体が。
「音楽室のピアニストって、アーベン……」
「エミリオ様。それは、秘密、ですから」
アーベントが顔を赤に染める。それは、ボホボッという効果音がつきそうな程に茹だっていた。
あぁ、確定だ。あんなに熱烈な手紙を宛てたのが同級生、しかもクール系イケメンのアーベントだったなんて、不釣り合いすぎて居た堪れない。
「あ、アーベント……あの、手紙ッ!捨てていいか――」
「捨てません!あれは私の宝物です!」
「お、おう……」
前のめりに主張するアーベントに、思わず後退る。
しかしやはり恥ずかしいものは恥ずかしいので、是非とも破り捨てて欲しい。という言葉は心の奥に仕舞うことにした。
何はともあれ。
誤解は解けたようでよかった、と安堵する。
しかし、それだけでこんな監禁まがいのような事をするだろうか。顎に手を当てて考える。
確かに彼――アーベントにはヤンデレルートがあったはずだ。そしてその状況は、今とよく似ていた。
確か、主人公が大怪我をするor主人公に避けられるというイベントが起こった時のみ分岐するルートだったはずだが……。
それは最愛の主人公だからであって、俺のようなモブにルートが解放されるはずがない。
となると考えられるのは、図書室の件だ。
もしかしたら、ファンレターが来なくなって、怒っていた(?)のかもしれない。
そうだ、そうに違いない。きっと熱烈なファンレターが届けられなくなり、アーベントが悶々とこじらせた結果、こうなってしまったのだろう。
いつ手紙の主が俺だと知ったのかは、さておき。
そうだとしたら、申し訳ないことをしてしまった。
「本当にごめんな、アーベント。レルネン終わりの長期休暇、一緒にどこか遊びに行こう」
「!ほ、本当ですか!でも、いいのですか?生徒会長とは――」
「?なぜルイン先輩が出てくるんだ?」
「え」
困惑した顔をするアーベント、珍しいななんて思いながら、なぜそんな話題になったのかを聞いてみる。すると、アーベントはとんでもないことを言い出した。
「え、エミリオ様は、生徒会長に懸想しているのでは……」
「は……はぁぁぁぁ!?」
俺は、今期最大の声量で大声を上げた。
「ないないないない!!あんな高嶺の花、無理だって!」
「え……で、では、好いている訳では……」
「誤解!誤解だ!」
俺は必死になって、いかに俺が先輩に不釣り合いなのかと、恋愛的に好きではない理由を説明する。アーベントはそれを聞いてぽかんとしていたが、やがてぐっと口を一文字に結んだ。
そして次の瞬間、口元に上品に手を当て笑い始めた。
「あっはっは……!なんだ……そうか、そうだったんですね」
「ど、どうしたアーベント!珍しい」
「ふふっ……いえ。まだ、希望があったことに、嬉しくて、つい」
こんなチャンス、みすみす逃しませんからね、とアーベント。よく分からないが彼が嬉しそうなのでよしとしよう。
こんな彼が、図書室の君と同一人物だなんて信じられなかった。随分と、明るくなったものだ。
「アーベント、その良い耳で何を拾ったのか分からないけどさ。気にしなくていいんだよ」
「俺は少なくとも、君の味方だから」
「……」
アーベントが顔を朱色に染める。首元まで真っ赤に染まっちゃって、照れているのが丸わかりだ。
ボーンと時計の音が鳴り響く。見ると、時刻は午後6時半を回っていた。
「今日はもう、生徒会室に行けないな。今日は一緒に寮まで帰ろう」
アーベントの手を取り、立ち上がる。
アーベントは真っ赤な顔を俯かせながら、一言言った。
「そういうところですよ、エミリオ様」
「エドにも言われたけど、だから何が!?」
音楽室の中。そんな俺たちの笑い声だけが響き渡っていた――――。
◇◇◇
夜中の寮部屋。アーベントは机の上で、青薔薇のメモが貼り付けられたノートを眺めていた。口元を綻ばせながら、心底嬉しそうに言う。
「あぁエミリオ様……」
「もう、逃がしませんから」
アーベントのその声は、闇夜へと溶けて消えていったのだった。




