32話 ヤンデレルート
「――…オ様エミリオ様エミリオ様――…」
暗闇の中、夕方の音楽室でブツブツとそんな声が響く。美しい白髪を持つその声の主は、猫足ソファのに座りながら1人の青年の名前を連呼していた。
――最近、青年……エミリオからの手紙が無い。
図書室を覗いても、彼の姿は見えなかった。それどころか、どこか避けられているようで、話しかけても軽くかわされてしまう。
アーベントの心は限界だった。
先日、生徒会が繁忙期だった日。
その日はいつものように机に向かい書類を片付けていた。
隣から聞こえてくる独り言や鉛筆の走る音が心地よい。これも全て“彼”が奏でた音色だと思うと、心にじんわりと染み渡るような感覚がした。
あぁ、この時間が続けばいいのに。なんて思いながら、書類を片付ける。その時までは、彼にそこまで執着はしていなかった――はずだった。
彼が立ち上がり、生徒会長の元へ行くと言った時。
ドクンと胸が音を立てた。
資料室で盗み聞いた、生徒会長に好い人が居ないと分かった時の、彼の安堵するような声色。
それが何度も、頭の中で反芻される。
ドクン、ドクン。嫌だ、生徒会長と話さないで。
そんな気持ちが、波のように押し寄せる。
気がつけば、アーベントは、エミリオから書類を奪い取っていた。
はっと我に返ると、エミリオが困惑した表情で自分を見ている。
しかしそれさえも心が満たされる感覚がする。あぁ、他人に見られるのは嫌だけど貴方ならいつでも見られてもいい。
心の中で、何かがぐちゃりと音を立てて、動いたような気がした。
レオナルド殿下がカラッとした執着なら、自分のコレはドロドロとした執着なのだろう、と。そう、アーベントは思った。
「これは私が持っていきます。私も判子を貰わなければいけない書類がいくつかあるので。ついでです」
そう言うと、エミリオは両手をわたわたとさせ慌て始めた。そしてこんな事を言う。
「じゃあ俺が全部持っていくよ。アーベントは書記。特に書く書類が多いだろう?」
――あぁ、そんなに貴方は好い人と話したいのか。ぐっと叫びたい気持ちを堪え、眉間に皺が寄った。
そして最悪なことに、その後に現れたのは紛れもない生徒会長だった。
「別に取ったりしないわ」
「なぜそんなに警戒しているの?」
その言葉が、アーベントの低い自己肯定感を煽ってしまった。
なんだ、それは。馬鹿にしているのか。
思わず激昂し、キッときつく睨みつける。
それを見てエミリオはまたあわあわと慌てていたが、今は笑顔を返す気力も無かった。
生徒会長に去り際に言われた、
「応援しているわ」
という言葉が、頭の中に響き渡った。
きっと生徒会長は本心で応援してくれているのだろう。しかし、彼が好きなのは紛れもない貴女なのだ。
そう思えば、心がギュッと苦しくなった。
俯いたまま席へと戻る。
その後も生徒会長とエミリオが話していたが、ちらりと伏せ目で見ることしか出来なかった。
――あぁ、その日からだったな、と思う。
エミリオはその日から、アーベントに必要以上に話しかけてこなくなってしまった。
挨拶をすれば返してくれる。しかしそれ以上のことがない。
『アーベント、最近この曲ハマっててさ』
『あ、お前隈酷いぞ!はぁ、ちゃんと寝ろよ〜』
そんな、今までにした他愛のない会話が思い起こされる。常に気を張っていたアーベントにとって、そんな何て事ない日常は愛すべきものだった。
(何故。何故話しかけてくれないのですか?)
(私は何かをしてしまったのでしょうか。これだとあの人にエミリオ様を取られてしまう……)
(あぁ、そうだ)
(取られるくらいなら……)
(いっそ……――)
「大切なものは、“隠さなきゃ”」
――アーベントが、ヤンデレルートに分岐した瞬間である。
◇◇◇
「ふわぁ……」
口を開け、大きな欠伸をする。
朝、食堂は生徒たちで賑わい、天窓からは気持ちの良い朝日が差し込んでいた。
「どうした、寝不足か?」
「うん、最近ちょっと眠れなくて」
最近はどうしてもぐるぐると考えてしまい、中々深い眠りにつけない。そのせいで俺は最近、毎日が寝不足だった。
これも全て、アーベントとの関係によるものだった。最近、俺はアーベントと関わるのを最小限にしている。具体的に言えば、挨拶はするがそれ以上は話しかけない、などだ。
アーベントの態度は変わらず。挨拶は返してくれるが、それ以上は話さない。やはり仲良くなったと思っていたのは俺だけだったのだな、と1人心寂しくなった。
そもそもレルネンの開催準備で、生徒会での仕事が比べ物にならないくらいに多い。
最近は図書室でのんびり、なんてことも出来ず。俺は寮の部屋で、泣く泣く缶詰状態でノルマをこなしていた。
「ご馳走様でした」
「ご馳走様。この後は国学だな」
「げぇ、苦手なんだよなぁ……」
Cランチを食べ終わり、手を合わせて挨拶をする。他愛のないことを話しながら鞄を肩にかけると、ふと見覚えのある白髪が横を通り過ぎた。
「アー……」
(ベント)
言葉の尻は切れ、心の中に溶けていってしまった。アーベントはちらりとこちらを見たが、ふいと直ぐに目を逸らされる。
はぁと1つため息を吐けば、エドが不審そうにこちらを見た。
「エミリオ……アーベントに何をしたんだ?」
「え……?」
「最近、親衛隊の令嬢たちがこぞって、『アーベント様がお元気でないわ』と話しているぞ」
「あぁぁぁ……」
俺がいじめていたからだ、なんて言えない。
しかしエドは分かっているだろうに、何故今それを言うのか。俺の心はますますどん底へと落ちていった。
今日もきっと寝不足だ。人間関係というのは前世から苦手だったが、こうも胃を痛めるものなのか。
(やっぱりもう少し、関わるのは辞めておこう)
そう考え、俺はエドと並んで国学の教室へと向かった。
◇◇◇
放課後。陰鬱な気分で生徒会室への廊下を歩く。
座学を終え既にヘロヘロだというのに、この後のノルマのことを考えると思いやられる。
「はぁぁ〜〜…嫌だなぁ……」
ぼそりと独り言を呟く。アーベントに会うと、どうも色々と考え込んでしまう。心当たりは無いが、やはり俺はいじめをしていたのだろうか。
――しかも、無意識で。そんな自分に、吐き気がする。
「はぁ……」
またため息を1つ吐く――――しかしその直後。
視界が暗転した。
「え」
後ろから腕を捕まれ、声をあげる間もなく何かに、どこかの教室の中へと引きずり込まれる。胸の辺りに腕が回されていて、それが人だと分かった。
そして――――
――バタン。
廊下には、“エミリオ・バーンデッド”と記された鞄だけが、落ちていた。




