第29話 資料室でのこと
「……」
「……」
カツ、カツと静かな廊下に足音が響く。
ルイン先輩のお使いで、アーベントと資料室へ行くことになったが、どうも会話が続かない。
沈黙が続き、実に気まずい空気が流れていた。
ちらりと横を見れば、無表情で前を見るアーベントの姿。窓から差し込んだ光に当てられ、その美しい白髪が淡い橙に染まっている。
流石攻略対象とでも言うべきか。無表情な事でさえも長所となりうるその顔面は、彼に専属の親衛隊(非公式)があることにも納得だ。
暫く歩くと、突き当たり奥の資料室が見えてくる。俺は少し小走りで資料室前へ向かい、鍵を開ける。
「うわぁ……埃臭い」
ギギッと軋む音を立て扉を開くと、中は埃にまみれた資料たちが、あちこちに散らばっていた。少なくとも足の踏み場は無く、天井には蜘蛛の巣が巣食っている。
壁にはカビが蔓延っていて、お世辞にも管理されているとは言えない場所だった。
「……」
遅れて到着したアーベントは、部屋の惨状を見るや否や、怪訝そうに顔を顰める。そこで、アーベントは潔癖症だったと思い出す。
ゲーム内では、その潔癖症がギャップ萌えだと騒がれていたが、今はそんなことを言ってられる場合ではない。
潔癖症の彼に、この惨状は辛いだろう。
(仕方がない)
レルネンの資料は見た感じ、部屋の奥の青い棚にしまってあるのだろう。毎年使われているからか、その棚だけが妙に綺麗だ。
「アーベント、君は外で待っててよ。軽く清掃するからさ」
とりあえず、足の踏み場だけでも作らなければ。
近くの教室から箒と雑巾を借り、バケツに水を並々と入れる。
そして埃を吸わないように、口元にハンカチを当て頭の後ろで結んだ。簡易マスクを作り、清掃準備はバッチリだ。
「清掃って……ここをですか?そんなのやる意味がありませんよ」
アーベントは心底嫌そうな顔でそう言う。
その問いを背後で聞きながら、箒を手に取った。
「何故そう思うの?」
「何故って……掃除をしても、どうせまた汚くなります。ここは管理人がいませんから」
アーベントの言葉にぴくりと身体を止める。
そうか、ここは管理人がいないのか。だからこんなに汚いのかと一人納得した。
確かにここは汚い。そして誰も来ないような端にある小さな部屋だ。アーベントの言い分も一理ある。しかし俺は、そうは思わないのだ。
「確かにそうかもね。でも、俺がやりたいからやるんだ。これは、ただの自己満足だけど」
「でも、」
「でもも何も無い。いいか?今からここに理屈は存在しないよ。あるのは俺の勝手なわがまま。こんなのに付き合わせてごめんだけど、10分くらい外で待ってて」
黙り込むアーベントに、少し感情的になってしまったと反省する。俺は再度手を合わせて謝りながら、埃まみれの教室の中へと入っていった。
「ふぅ」
1つ息を吐く。
5分程経っただろうか。とりあえず床に落ちている書類をひとまとめにしたことで、床が見えるようになった。これならギリギリ足の踏み場にもなるだろう。
幸い棚の中にある書類は、埃をかぶっているだけで散らかってはいない。これなら案外早く終わるかもしれないな、なんて思いながら埃を払っていく。
箒で床を掃けば、ごっそりと埃が出てくる。
そして丁度全体に箒を通した所で、背後の扉が静かに開く音がした。
「……」
「……ど、どうしたんだ?アーベント」
振り返ると、そこには俯いたアーベントの姿があった。下を向いていて顔は見えないが、何となく怒っていることが分かる。
恐る恐る聞くと、アーベントは無言で、棚の上にある時計を指した。
「あ、え!? 」
時計を見ると、掃除を始めてから5分だと思っていたはずが、10分が経過していた。
「うわ、ごめん!すっかり夢中になってたよ」
「……終わったんですか」
アーベントは俯いたまま言う。
「いや、まだだよ。まぁでも、あとは雑巾がけだけだから生徒会が終わったらやろうかな」
「そう……ですか」
「うん。待たせてごめんね、資料取りに行こうか」
アーベントに謝りながら、青い棚の前に向かう。
棚の扉を開くと、意外にもぶわりと埃が出てきて、俺は軽く目を瞑り咳き込んだ。
「ケホッ……思ったより量が多いな……。アーベント、ちょっとこっち来て――……」
余りの資料の多さに、これは1人では持ち運べないとアーベントを呼ぶ。しかし肝心の人物が中々来ない。
そこで思い出す。そうだ、彼は潔癖症だった。
この埃の中入ってくるのは、アーベントにとって至難の業だろう。
(悪いことをした)
そういえば、彼は一度もこの部屋に足を踏み入れていない。俺は一旦資料を置き、入口扉の方へ足を向かわせた。
「ごめんごめん。埃、無理な人?」
「っ……はい」
「じゃあ分けて資料持ってくるよ。それでも多少埃が出るから、はいコレ」
申し訳なさそうに俯くアーベントに、胸ポケットからハンカチを取り出す。
サリーの教えでハンカチは常に2枚常備しているのだ。まさかこんな所で役立つとは。さすが我が妹である。
俺がつけている無地のものとは違い、青薔薇の家紋が入ったそれをアーベントはおずおずと受け取る。しかし、それを数秒見つめたあと、彼はピタリと動かなくなってしまった。
(……え?)
まるで石像のように、目を見開いて固まるアーベントに、俺は困惑の表情を向ける。
(……バグ?いや、この世界でそんなことあるのか?)
いくらゲームの世界だからといって、現実にバグが発生することなんてないだろう。
「おーい、アーベント?」
声をかけても返事はない。
まさか本当にバグか……?なんて汗をかいているところで、やっとアーベントが口を開いた。
「あ、いえ。……ありがとうございます」
「あぁ、うん。じゃあ、資料、持ってくるから」
(なんだったんだ?)
不思議に思いながらも、アーベントがいつも通り――さらにはお礼までしてくれたことに、安堵と少しの嬉しさが込み上げる。
それを悟られないよう、俺は足早で入口までを往復し、資料を運んでいった――。
◇◇◇
「いやぁ助かった。ありがとうね、アーベント」
資料を胸に抱え、廊下を進んでいく。同じく資料を両手に抱えたアーベントからの返事はない。
何故だか、先程から彼の元気が無かった。
資料の移動が終わり、貸したハンカチを受け取ろうとすれば、「洗って返す」と言って聞かない。
これは、普段あまり感情を出さない彼にしては、かなり珍しいことだった。
何が彼をこうしてしまったのだろう?もしかしてそんなに埃が嫌だったのだろうか、と一人自問自答していると、後ろから静かに声がかかった。
「バーンデッド様。今まで、不遜な態度をとり申し訳ございませんでした」
「…………えぇ!? 」
突然の謝罪に、思わずドサリと書類を落とす。
それを見てもアーベントは無表情だったが、どこかふっと柔らかに口元が綻んだ気がした。
「ど、どうしたんだよ急に……」
落ちた書類をかき集めながら上を見上げる。
アーベントは少し俯き、また頭を下げた。
「いえ。ただ……貴方様は随分と噂と違う人物でした。それを確認せずに横柄な態度を取ってしまったこと、お詫び申し上げます」
「あ、あぁ。昔の噂、あぁ。いや、別にそれは気にしてないというか――それより頭を上げて!」
先程から周りの視線が痛い。ここはさっきより人通りの多い大広間だ。
俺は資料をまとめて立ち上がり、アーベントに頭をあげるよう促した。
「アーベントは遠い国から来たから仕方がないよ。というか、昔の俺は本当に噂通りの人間だったし」
「そう、なのですか」
「うん。だから本当に気にしないで」
そう言って、さぁ生徒会室へ戻ろうとアーベントに袖を引く。アーベントは相変わらず俯いたまま、引かれるがままに歩みを進めた。
その後生徒会室に戻り、遅い!とルイン先輩から軽くお小言を受け、事情を説明すると資料室の管理人が俺になったのは、また少し後の話である――――。
◇◇◇
夜中、アーベントはふかふかのベッドに顔を埋め、静かに息を吐いた。
「手紙の主が……バーンデッド様、だったなんて」
顔を真っ赤にしながらじたばたと足をばたつかせる。まさか、そんな。今日、掃除の時に判明したあの方の本当の姿。それは故郷で耳にした悪評とは、あまりにかけ離れたものだった。
そして手渡されたハンカチに施された、猛々しい青薔薇の家紋。あれは間違いなく、手紙に書いてあるものと同じだった。
――あの方は、あんなに美しい感性を持って、あんなにも美しい文を書くことが出来るのか。
「あの言葉も……全部……」
噂とあまりに違うじゃないか、という独り言は、闇夜に溶けて消えていったのだった。




