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Die off  作者: 千三屋きつね
第五章「ハンターヴェイル公爵領」

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第六節


焼け焦げた部屋の中で、シェードは小一時間ほど待たされた。

目覚めたデュースは押っ取り刀でギルドへ駆け付けたのだが、フレデリクがアンジェリカの部屋でしっぽりし始めていたので、余計な時間が掛かったのだ。

「遅かったですね。」

「……まぁね。公爵様のお陰だけど、公爵様の所為よ。」

「いやぁ、面目無い。」

部屋へは、フレデリクとアンジェリカもやって来た。

「……これ……本当に導師様が……あ、グリチさん。」

アンジェリカは、恐る恐る横たわったままのグリチに近付いて行く。どうやら、部屋の有り様に動揺しているようだ。アンジェリカは完全な研究畑。火球(ファイアー・ボール)に焼かれた部屋など初めて見る。いや、部屋がここまで焼け焦げている様など、他の者とて見た事は無いだろう。

「……、……、……」

グリチはまだ、意識を取り戻してはいなかった。ただその呼吸は安定していて、もう命の心配は無さそうである。

「……間違いなく、ここは遺跡の一部だな。他の魔術師たちに隠れて、ホーンフリートの奴が独占していた訳だ。」

「……信じられません。いえ……信じたくありませんでした。」

いくら尊敬する導師様の事と言えど、自らの眼で見たものまで否定するようなアンジェリカでは無かった。

「それじゃあ、ここは公爵様たちに任せて、あたしたちは早速後を追いましょ。」

「いえ、急ぐ必要は無いでしょう。」

「?……どう言う事?」

シェードは空っぽの肩を示しながら、

「ウーミンに後を追って貰っています。それに――」

「それに?」

「俺からはもう、逃げられねぇ――ってこった。」

今は紅い瞳の傭兵が、背中の相棒の柄に手を掛け凄んで見せた。受付で合流した際、デッド・エンドは元の鞘ならぬ元の柄に収まっている。今その背にある魔剣は、元通りの知性ある剣インテリジェンス・ソードであった。

「……それってつまり、また声が聞こえる――って事ね。」

「そう言うこった。」

「どうやら導師様は、街の外へ逃げ出したようです。今は西、砂漠の方へ向かっています。」

「……何でそんな事まで判るの?」

「……あれ、言ってませんでしたっけ。私、ウーミンと繋がっているんですよ。彼の見たもの聞いたものは、私にも見えるし聞こえます。……まぁ、彼が許可してくれた時だけなんですけど。」

「初耳だけど……凄いわね。でも、主導権はウーミンなの?」

「はい。私は彼の飼い主では無くて、あくまで友人ですから。」

シェードは、何と底知れぬ男であろう。しかし、随分と間抜けでもある。ただそれは、わざとにも思える。やはり胡散臭い。旅の共連れ四人は、一様にそう思った。

「とは言え、後は追わんとな。」

「!……う、うん。」

瞳は碧。合流してから初めて、デュースが顔を出した。

「公爵閣下、ひとつ確認なんだが。」

フレデリクは、相手が先程出逢った男とは違う――と言う事が、感覚的に解った。そう言う事例を知っている訳では無い。目の前の事象をありのまま受け入れられる度量がある。ハンターヴェイルの現公爵は、血筋に胡坐を掻いたような男では無かった。

「あぁ、何でも聞いてくれ。」

「……デュースだ。」

それと察したデュースは、まず挨拶をした。

(さっき)エンジエルが話した通り、俺たちの目的は古代魔族の遺産だ。奴が秘匿していた遺跡だけでも魔法的価値は高いだろうが、当然、遺産はその中心。一番のお宝だ。」

受付にいなかった公爵をアンジェリカの私的研究室で見付け、エンジエルはギルド内での出来事をふたりに説明していた。先に公爵邸で説明した折には、デュース救出を目的に正直に話した。今度はその先、この街へ来た本来の目的も話した。

「何だ、そんな事か。」

「……」

「聞いた話では、とても人間がどうこう出来るような代物では無いんだろう?我が街自慢の導師様すら、そいつの所為でこの有様だ。」

その言葉に、グリチの様子を見ながら耳をそばだてていたアンジェリカが肩を落とす。

「そちらで何とかしてくれるなら、むしろありがたい話だ。自由にしてくれ。」

「……そうか。」

デュースが薄く笑う。それを見て、エンジエルも笑う。

「俺たちの目的は遺産だけだ。この遺跡の事も、そこの男の事も、全てそちらで好きにしてくれ。」

「うむ、判った。任せておけ。」

「あ、あの……」

思わず声を上げたアンジェリカだったが、顔は上げられなかったし、二の句も継げられなかった。

「……ギルドマスターの方も、もし命があればこちらに送り届けよう。さすがに、勝手に裁く訳にも行かないからな。」

「あ……ありがとう御座います。」

今度はアンジェリカ、しっかり立ち上がり深く頭を垂れた。

「け、あくまで生きてたらだぜ、生きてたら。」

同じ顔から似た声で違う口調では、普通は別人と思わない。態度の違いに、アンジェリカは戸惑った。

「もう、ダイ・オフ。そんな言い方無いでしょ。もしあれ(・・)が原因なら、何とか出来るじゃない。」

仮に、ホーンフリートが古代魔族の遺産によって変節したのなら、遺産の魔力を奪う事で元に戻せるかも知れない。だが――夢の魔法によって前公爵を衰弱させた事を思えば、その可能性は低いだろう。エンジエルにもそれは判っていたが、ここでアンジェリカを殊更不安にさせる意味も無い。

「それじゃあ公爵様、後は頼んだわ。」

「あぁ、そちらも気を付けてな。」

エンジエルを先頭に、一行は隠し通路を通ってホーンフリートの後を追う。いよいよ、この地の古代魔族の遺産との対面である。


まるでそこに生きる生命を焼き尽くさんとするような、強烈な陽差しももう傾き掛けている。数時間もすれば、今度は生きとし生きるもの全ての体温を奪おうと、体の芯まで寒風が突き刺さる。まだまだ端の端とは言え、砂漠の寒暖差は生き物を苦しめるのだ。

人間族としては圧倒的な魔力を持ち、多くを修めた賢人たるホーンフリートにとって、砂漠の過酷な環境は容易に克服可能で障害とも言えない。魔力さえ尽きねば、水だって生み出せる。感知魔法を使えば、どちらを目指せば良いか迷う事も無い。だが――

「くそっ……どう言う事だ。ふた手に分かれた?しかし、この短時間の内に、そこまで離れた場所へ移動出来る訳が無い。」

この古代の特級魔導器は、何者かにその存在を感知されたようだ。ホーンフリートは、今も仮面を装着したままの左頬を指でなぞった。反対に、こちらも向こうを感知出来た。折角手にした力を手放すつもりは無い。故に先に攻撃を仕掛けた。夢を介せば危険は無い――はずであった。

あの常識外れの男とその仲間であろう女盗賊(シーフ)が追って来るのは判る。……他にもこちらを嗅ぎ付けた者がいるのか?ホーンフリートは、ふた組の追っ手を感知していた。

しかし、やや北寄りから迫るもう一方の魔力には、今まで気付いていなかった。夢に囚われていた間に、新たに捕捉されたのだろうか。

最悪だ。

ホーンフリートは馬鹿では無い。こうして逃げては来たものの、状況は理解している。とても、自分が敵う相手では無かった。

己の心を支える者すら斬って棄てたあの男にも、思わず放った火球に巻かれながら無傷だったあの女盗賊――いや、多分その前に立ち塞がっていたもうひとりの男。あり得ぬ話だ。防御魔法などで耐える事は可能だろうが、完全に防ぎ切るなどあり得ぬ――あってはならぬ話なのだ。

何より、奴原を排せぬ以上、もうエルドリードへは戻れない。この歳まで築き上げて来たものを、取り戻す事も出来ぬ。今この危機を脱したとて、私に何が残されるのか。

ホーンフリートは、冷静に今の状況を確認する事で、絶望を抱き始めていた。それが綻びとなる。支配したはずの古代の魔導器がどれほど恐ろしい存在であるのか、高が人間族の魔術師ギルドマスター風情に、理解する事など不可能だった。


遺跡の隠し通路は、街の外まで続いていた。砂漠地帯の斜面にひっそりと穿たれた出口は、その扉が閉じてしまえば砂に埋もれて発見は困難だろう。

先を行く足跡はすでに風に流され、一流の狩人(ハンター)であっても辿れまい。これが普通の追跡行なら、取り逃がした事になるだろう。

しかし、魔力と言う痕跡は消せない。いや、繋がりは消せない――と言うべきか。今のダイ・オフには、はっきりと獲物の所在が感知出来た。わざわざ痕跡を辿らずとも、真っ直ぐ獲物の下へと突き進める。

それを知ってか、秘密の出口を抜けてすぐ、ウーミンがシェードの許へと帰参した。随分前に、ウーミンの方からシェードとの繋がりも断っていた。砂漠の空には砂が舞っているのか、肩に止まると羽繕いに精を出し始める。

「ウーミン戻って来ちゃったけど、ギルドマスターは砂漠の先にいるの?」

「そうですね。ここからしばらく進んだ後、その場に留まっているようです。待ち構えているのか、諦めたのか。」

「そうだな。今は動いてねぇ。どう言うつもりだろうな。」

シェードとダイ・オフが捕捉しており、ホーンフリートの動向は筒抜けだ。砂漠に入ったとは言え、追跡に苦労する事は無さそうである。

「それから、もうひとつ。どう言う訳か、声はふたつするぜ。」

「……声がふたつって……どう言う事?」

「……魔法都市の結界で気付かなかったが、どうやら別の古代魔族の遺産が近付いて来たんだろ。ここから、少し北の方だ。」

結界があっても、声は聞こえる。だからこそ、エルドリードの遺産の声も聞こえたのだ。だがしかし、街へ入ってからその声はまるで反響するようで、正確な所在は掴めなかった。街の外から別の声がしても、それは乱反射するエルドリードの遺産の声と誤認した事だろう。結界の外に出たからこそ、それが別の声だとようやく気付けた。

「……なるほど、確かに大きな魔力反応がありますね。古代魔族の遺産と言われれば、納得の魔力です。」

「ち、ちょっとぉ、それって一体どう言う事よ!?何で他の遺産までやって来るのよ。」

これまで複数の古代魔族の遺産が、一度に現れた事は無い。ひとつの遺跡にひとつの遺産。それを追い求めるのだから当然だ。だが、猿王のように目覚めて動き出した遺産は、その場に留まってはいない。遺産の方から近付いて来ても、不思議な事では無いだろう。

「偶然とは思えないな。少なくとも、その遺産――もしくは遺産の所有者の目的も、魔術師ギルドマスターの持つ遺産なのだろう。……俺たちは遺産の所有者をひとり知っているが……」

「あ?!」

デュースの指摘にエンジエルが声を上げたが、

「いや、違うな。こいつはお前の兄貴じゃ無ぇよ。別もんだ。」

ダイナスの遺産“世界”は、エンジエルの兄ヴァルハロスが手に入れた。そして猿王を巡り、その“世界”と戦いもした。魔力にも波長の違い――個性のようなものがあり、正確に感知出来れば個体の違いは認識出来る。今迫り来る遺産の波長は、見知らぬ魔力だ。いや、似ているかも知れない。“世界”にでは無く、ここエルドリードの遺産に。

それにもし、“世界”であれば簡単に感知など出来ぬだろう。猿王の時がそうであったが、近くに来るまで気付かなかった。きっと、ヴァルハロスが“世界”をある程度使いこなせるようになった事で、その存在を気取られぬように出来た――いや、そもそも古代魔族の遺産の方から呼び掛けねば、ダイ・オフに声は聞こえぬはずである。むしろ、所有されていながらその存在を感知出来る方がおかしい。では何故。猿王の時は、不適格者を除く為、猿王の方から呼び掛けていた。では此度は……

「とにかく、蜂合わせると面倒だ。先に馬鹿(・・)の方を何とかしちまおう。」

魔術師ギルドのマスターを馬鹿呼ばわりはどうかと思うエンジエルだったが、確かにそうかも――と思い直す。あんな場所であんな魔法を使った上、どうやら仲間を巻き込んだ事や思わずあんな魔法を使った事に、自分でも驚いている様子だった。エンジエルの眼から見ても、とても実戦経験豊富な魔法使い(マジック・キャスター)とは思えなかった。

「研究ばっかりしてる、頭の良い馬鹿(・・・・・・)――か。」

そんな男が、あの場を逃れたとて何が出来ると言うのか。

「あ!でもさ、ギルドマスターの遺産の能力が不明よね。夢は公爵様の話を踏まえれば、遺産とは関係無さそうだし。だったら、まだ何か切り札でもあるのかしら。」

「……どうかな。しかし、エンジエルが言うように、ギルドマスターが持つ遺産の力は判らない。油断しない方が良いな。」

「だな。猿の奴ぁ、かなり強かった。兄貴の方はまだまだだったが、俺たちが相手じゃ無きゃ充分強ぇだろ。むかつく話だが、さすが古代魔族ってこったな。」

古代魔族――か。シェードは思いを馳せる。確かに、ただの魔族では無いのだろう。何せ、本来自分たちより上位存在であるはずの、悪魔(デーモン)を魔導器の材料にしてしまうのだから。

シェードは知らないが、古代魔族の遺産猿王には悪魔アドルドムファスが縛り付けられていた。猿王とはアドルドムファスの異名であり、それをそのまま魔導器の名としたものだ。そしてシェードが感じ取ったのは、ホーンフリートが身に付けていた仮面にも、悪魔が縛り付けられていると言う事実だ。

とは言え、悪魔にも色々いる。俗に下級悪魔(レッサー・デーモン)と呼ばれるモンスター並みのものなら、人間族の魔法使いですら使役が可能だ。まぁ、名前持ち(ネームド)と言う時点で、明らかに格は違うのだが。そんなネームドすら、シェードが良く知る悪魔(・・・・・・)たちとは比ぶべくも無いが。

「とにかく、注意して進みましょう。追い詰められた獲物は危険なものですからね。」

一同は、一度眼を交わし合ってから歩を進めた。魔法都市最高の魔法の使い手と言う、危険な獲物の下へと。


「……ねぇ、何か変な感じしない?」

この丘を越えればもう獲物の姿を捉える事が出来る――と言うほど近くまでやって来た時、耐え兼ねてエンジエルが声を上げた。

「……なるほど。これは何かの魔法の影響だろうな。ほら、あれだ。旧男爵邸の空から落ちて来た遺産。あれが壊れた時に似てる。」

男三人(・・・)は何も感じていなかったが、魔剣の感覚は人間とは違う。エンジエルの言葉を受けて、いち早く違和感を分析してみせた。

見れば、ウーミンもシェードの肩で項垂れている。何かの影響があるのは間違いなさそうだ。

「……そうか?あの時みてぇに、魔力が漏れ出してる感じはしねぇぞ。」

「あくまで似てるってだけさ。何て言うか……中心から周囲に何かが撒き散らされてる。そんな感じか?こっちに向けて魔力を放出してるってのは違うと言うか。」

「……デッド・エンドさんの言う通りですね。どうやら、導師様から嫌な魔力が広がっているようです。」

シェードは眼を閉じ集中していたが、どうやら丘の先の様子を探ったようだ。

「魔法の種類までは判りませんね。覚えがありません。もしかすると――」

「古代魔族の遺産の力――か。」

「はい。エンジエルさん、私の傍に。」

かなり調子が悪くなって来たエンジエルは、言葉も無く素直にシェードの傍へ寄った。すると――

「……あれ?楽になったわ。」

「ぎげぎゃあ!」

エンジエルと、どうやらウーミンも、シェードの傍で元気を取り戻した。

「簡易結界のようなものを展開しました。この程度の魔法の影響なら無力化出来ます。ただ、魔法抵抗力の低いエンジエルさんとウーミンは、これ以上近付かない方が良いでしょう。相手は古代魔族の遺産です。近付くと、もっと強烈な影響を受け兼ねません。」

「う、でも……そりゃ……うん、そうかも。」

ここまで来て、最終決戦に加われない。自らの非力を、悔しく思うエンジエル。

「ぎげぎゃあ。」

「ありがと、ウーミン。でも大丈夫。相手が相手だもん。仕方無いわ。」

三人(・・)の足を引っ張る方が辛い。日々頑張ってはいるつもりだが、やはり魔法は話が違う。超常的過ぎる脅威なのだった。

「ここで待っていろ。シェード、エンジエルを頼むぞ。」

「えぇ、お任せ下さい。……どうやら向こう(・・・)も到着しそうです。お気を付けて。」

本当(ほんと)に気を付けてね。デュース、デッド・エンド。ついでにダイ・オフも。」

「け、お前ぇもそこで大人しくしてろよ、お転婆。」

ひとつの影の三人(・・・・・・・・)は、エンジエルに背を向けて歩き出した。シェードに任せておけば安心だ。どうせシェードは、力を貸そうとはしないだろうし。

三人(・・)は、傍観者を戦力として当てにするほど弱くなく、だが背中を預ける程度には仲間だと信頼していた。シェード、何とも不思議な男であった。


砂山を超えた先は盆地のようになっていて、その中心付近にひとつの人影があった。両膝を突き、掌を空へ向けた両腕は脱力していて、虚空を見上げた格好であった。

ダイ・オフは軽快に坂を駆け下りながら、

炎斬り(ファイアー・スレイ)!」

と叫んで、デッド・エンドを横薙いだ。すると、剣身に似た形の炎が一直線に飛んで行き、その人影に当たると爆散した。

「……何だよ、今の。」

いきなり振られた相棒が、呆れたような声を上げた。

「いや、ほれ、魔法使う時皆最後名前叫ぶだろ。真似てみたのさ。」

「それでファイアー・スレイ……炎でぶった斬って死にやがれ!ってとこか?」

「クールだしな(※)、(あち)ぃけど。……まぁ、使えるようになった劣化火球の形を刃みてぇにしただけで、対した威力は無ぇけどよ。」

爆炎と砂埃が吹き散らされると、そこには最前と何ひとつ変わらぬ人影が鎮座していた。

「……劣化と言うが、充分脅威的だと思うがな。あれは特別だ。」

魔剣の言う通り、劣化であろうと遠身から炎の塊をいくつも投射されれば、余程の使い手でも無い限り対処し切れるものでは無い。余程の使い手でも、それが続けばいつかは被弾するやも知れぬ。相応の魔法抵抗力を持たぬならば、ひとつ喰らうだけで致命傷だ。

対応出来るとすれば魔法使いであるが、ダイ・オフが近付いた時に対処出来ぬ。剣と魔法。ふたつの力を操る魔法剣士は、常識外れの存在と言えた。

そして、そんな炎塊の直撃を受けて、傷ひとつ付かぬとは確かに特別であった。

さらに、北より近付いて来ていたもうひとつの存在も確認出来た。

「こいつぁ……」

然しものダイ・オフも、感嘆の声を上げる。それは見知った顔だった。しかし、見慣れぬ格好をしていた。純白の長衣(ローブ)の上に白銀の胸甲(ブレスト・プレート)。これまた純白の外套(マント)を纏い、腰には戦棍(メイス)を吊っていて、左腕には少し小振りな白銀のアイロン型の楯(ヒーター・シールド)を身に付けている。その胸の意匠は、アガペー教の聖印である。

「馬子にも衣裳か?随分見違えたじゃねぇか。」

イリアス・ボードウィン。旧ボードウィン男爵領で出逢い、その後猿王探索の際世話になったアガペー教の司祭だ。どうやら、無事聖堂騎士となったようである。だが何故、こんなところに。

その疑問の答えは、その見知った顔にあった。見知った顔が確認出来るのは、顔の左半分だけだった。右半分には、見慣れぬ白い仮面を付けている。微かに光り輝いているように見える。

見慣れぬ仮面――いや、良く似ている。色こそ真逆と言って良いが、浮き出たような紋様により象られた意匠は、ホーンフリートが顔の左半分に付けている黒い仮面と、同種の仮面と言う印象を与える。それがきっと、彼がここにいる理由なのだろう。

ホーンフリートが明らかに自我を失い、特に反応も示さない事から、ダイ・オフもイリアスも警戒する事無く傍へ寄り、ホーンフリートを挟んで差し向かう格好となった。

「……」

イリアスからは声も無い。その面貌の仮面が古代魔族の遺産であるならば、もしや彼も支配されているのだろうか。否。その表情を見れば、とてもそうは思えなかった。どうやら、再会に感極まっているようだった。

「皆さんの目的が古代魔族の遺産ですから、もしかしたらとは思いましたが、こうして再び(まみ)える事が出来て、本当に……本当に。」

仮面のデザインは、眼を見開いた精悍な顔付きの男性で、今のイリアスの表情と合わせると何ともちぐはぐな顔に見えた。

「どうやら、無事見習いから騎士様に昇格したようだな。今や、どっからどう見ても、立派な聖堂騎士様だ。」

「いやいや、とんでもありません。何とかお許しを頂きましたが、まだまだ胸を張って聖堂騎士と名乗れるほどでは。」

「ま、いきなり強くはなれねぇさ。だが、立派なもんぶら下げてるし、それなりにはなったんだろ。」

「いえいえ、全く。結局、戦闘の方はからきしで、何とか楯で身を守る術だけ修めました。メイスは一応です。構えておけば、相手が勝手に警戒してくれるから持って行け――と。」

イリアスは、元々司祭であって戦士の類いでは無い。騎士とは言っても、教会に仕える魔法使いの総称が聖堂騎士なだけで、肉体を使った戦闘に関してはまるで役立たず。そんな聖堂騎士は珍しくない。

イリアスは正に、その魔法の才能によって聖堂騎士となった典型とも言える。とは言え、魔法も最近覚えたばかりで、これほど短期間に聖堂騎士となったのは異例だ。こんなに早く一人前として送り出されるのも、さらに異例であろう。

「しかしお前、何でこんなところにいるんだ?アガペーで再会した時点で魔法を覚えていたんだ。聖堂騎士への昇格は驚くに値しないが、国を出るとは意外だな。」

話し掛けられたイリアスは、ダイ・オフの背中を覗き込むように少し体を傾げて、

「デッド・エンドさん、お久しぶりです。国を出たのは……元々考えてはいたんです。ただ今回、本当は北へ向かうつもりだったんです。」

「北?」

「はい、ケイオス教の総本山は、もっと北に位置していますから。」

「ケイオス教……なるほど、あいつらの聖印を故郷まで届けてやるのか。」

あいつらとは、名も知らぬケイオス教徒のふたりである。猿王に支配されていた女性と、彼女を追って来たであろうケイオス教聖堂騎士の男性。亡骸はその場で埋葬したが、聖印は形見として故国へ届けようと、イリアスが預かっていた。思えば、その時すでに、旅立ちは決意していたのかも知れない。

「それがどうして、そんな物を身に付けている。」

碧い瞳が問い掛ける。そうだ、これはただの再会では無い。イリアスの顔半分は、尋常ならざる存在なのだった。

「デュースさん……最初は、北へ向かったんですよ。ですがすぐ、呼ばれてしまいました。」

「呼ばれた?俺みてぇに、声でも聞こえたか。」

「声――と言うほど、はっきりしたものではありませんでした。ただ、心に訴え掛けて来るものを感じ、見て見ぬ――いえ、聞いて聞こえぬ振りは出来ませんでした。」

声――それは、実際に古代魔族の遺産が上げる声では無い。その存在を感知したダイ・オフに、声と言う形で報せる能力のようなものだ。それは、特定以上の魔力塊を検知するものであり、実は古代魔族の遺産に絞ったものでは無いが、その事はダイ・オフ自身も知らない。

それでは何故、イリアスは呼ばれたのか。猿王の時もそうだが、遺産自身の意思で呼び掛ける事がある。その呼び掛けは特定個人に宛てたものでは無く、あくまで魔法の素養を持つ者や波長の合った者に届く、か細い信号の類い。故に、それを受け応える者は少なく、と言ってそれがダイ・オフとは限らない。

猿王の時は、猿王自身が不適格者から自由になる為呼び掛け、その呼び掛けは或るケイオス教聖堂騎士へ届き、“世界”へも届いた。

「そして、隠された遺跡へと導かれ、()と出逢ったのです。」

そう言って、イリアスは仮面に手で触れた。

「彼?」

イリアスは静かに眼を閉じると、しばらく沈黙した。覚えがあった。デュースとダイ・オフが、ふたりだけで会話する時に似ていた。

イリアスは静かに眼を開くと、

「……彼の名はゲーツォトゥリアス。古代魔族の遺産、栄光の仮面に縛り付けられた――悪魔です。」

「!悪魔だと?!」

「はい。古代魔族の遺産だけあって、本来であれば手にした時点で私は支配されていてもおかしくありません。ですが、ある目的の為に彼は協力者を求めていました。そのお陰で、私は今も私のままです。」

「悪魔の目的?そりゃ一体……」

「……妹を助ける事。」

「妹?」

「はい。彼の妹ゲーツォニナスは、対となった古代魔族の遺産、支配者の仮面に縛り付けられています。」

「!まさか。」

「そう、そこにおられる方が装着している仮面。それこそが、古代魔族の遺産、支配者の仮面です。」


「……ここは……」

イリアスは、何も無い空間に漂っていた。何も無い。自らの体すら認識出来無い。ただただ何も無い空間だ。

そこに、ひとつの仮面が浮かんでいた。輝くような純白の仮面で、しかしその精悍な顔付きは白さに似合っていないような気がした。何より、その仮面は右半分しか無い。仮面としては、用を成さないのではないか。

感覚も無い手でそれを掴もうとした時、仮面の瞳がイリアスを射抜いた。

「……また随分と面白い奴が応えたようだな。まぁ誰でも良いのだ。我は急いでおるのでな。」

明らかに、仮面の声だろう。しかし、その半分の口は動いていない。

「貴方は一体……」

イリアスは存在しない口で発言したが、声は出なかった。しかし、声は届いていた。

「我が名はゲーツォトゥリアス。畏れ多くも主よりゲーツォの名を賜りし一族の者。……ふむ、其方ら人間族にはこう言えば判りやすいか。悪魔である。」

「?!」

イリアスは驚いた。また悪魔だ。王都メラルティシアに帰還した後、ダイ・オフに色々と話を聞いた。猿王の中には悪魔が封じられていて、古代魔族の遺産の能力の基として利用されていたと。

神がいるのだから悪魔もいる――と言われれば道理だが、この時初めて悪魔の実在を知った。彼らと知り合ってから、イリアスの常識は著しく書き換えられている。

「ほぅ、悪魔にも縁があるのか?これはまた奇特な人間族だな。」

心を読まれた?

「なに、今は半ば融合した状態だ。感覚的な共有が発生しておるに過ぎぬ。だからこそ判る。古代魔族?ふむ、今はそう呼ばれておるのか。その超級魔導器――遺産か。その事も知っておるとは話が早い。我は今、その古代魔族の遺産に縛られておるのでな。」

そこでイリアスは思い出す。そうだ、私は不思議な遺跡で、古代魔族の遺産らしき物を発見したのだ。旧男爵領で、クシャルナム王国へと続く森の中で、世にも稀有な魔導器古代魔族の遺産をその眼で見たイリアスには、それが同種の存在であると確信が持てた。

「ダイ・オフさんたちにお報せしたいけど、今はどこの空の下やら――」

そこで記憶が途切れていた。

「我の呼び掛けに応え、眼の前までやって来たのでな。早速コンタクトを取らせて貰ったぞ。言うたであろう、我は少々急いでおるのだ。」

お急ぎ……ですか?

「うむ、どれほどの時間が経ったか知らぬが、意識が戻ったと言う事は、誰かが我を手にしたと言う事。それが本来の形だ。だが実際には、まだ誰にも見付けられておらぬ。」

どう言う事でしょう。

「ひとつ例外があるのだ。それが、対になったもうひとつの魔導器が目覚める事。つまり、我では無くもうひとつの方が誰かの手に落ちたのだ。」

対になった魔導器。つまり、この古代魔族の遺産は、ふたつでひとつなのですね。

「うむ。……そして、当然同じように、もう一方にも悪魔が縛られておる。」

心なしか、仮面の表情が曇ったように感じた。

「ふん……悪魔にも肉親の情と言うものはあってな。人間のそれとは違うと思うが、特に近しい者には心を砕きもする。」

……それでは、そのもう一方の悪魔は。

「うむ、我が妹、ゲーツォニナス。それがもう一方の古代魔族の遺産、支配者の仮面に縛られし悪魔だ。」

支配者の仮面……

「此方の魔導器を栄光の仮面と呼ぶ。周囲の者に善き影響を及ぼす魔導器であるが、悪魔の身としては心外であるな。我の力とは関係の無い効果である。悪魔を魔導器の魔力源に使うとは、本当に腹立たしい奴らよ。」

善き影響を及ぼす栄光の仮面……では、対となる支配者の仮面とは。

「呪いの仮面よ。周囲の者の精神をじわじわと蝕むのだそうだ。こちらもニナスの力とは関係無い。ニナスもただの魔力源扱いだ。忌々しい。」

善き仮面と呪いの仮面ですか。何故そんな物を作ったのでしょうね。

「さてな。古代魔族であるか。彼奴らは様々な魔導実験を繰り返しておったようだ。仮面そのものには意味など無いのかも知れぬ。栄光の仮面と支配者の仮面は、本来ひとつに組み合わせておく事でその効果を封じる事が出来る。言ってみれば、栄光の仮面は呪いを封じる為の魔導器だな。」

なるほど。……ですが、今は揃っていないのですね。

「ふん、どう言うつもりか、我が目覚めた時、ニナスは隣におらなんだ。どうやら、かなり南方に離れた場所におるらしい。」

南方?……誰かが持ち出した訳では無く、最初から離れた場所に安置されていたのでしょうか。

「であろうな。呪いの仮面と封じの仮面を離しておくなど、彼奴らの底意地の悪さを感じるわ。」

全く。……それで、何かお急ぎだったのでは。

「おぅ、それよ。どうやらニナスの奴、縛られておるだけで無く、今は支配されておるようでな。」

支配ですか?

「うむ、この通り我は自我を取り戻しておるのに、ニナスめは正気を失っておる。呼び掛けにも真面に応えん。あまつさえ、我に助けてくれなどと苦しげに申しておった。あの快活であったニナスめが……」

ゲーツォトゥリアスさん……

「ふん、おかしな人間だな。神に愛されておるのに、悪魔に同情するのか。」

同情……そうですね。でも、肉親の情に、人間も悪魔も無いのでしょう。

「……良し、ではこうしよう。我は自由に動く体を欲しておる。呼び掛けに応じた間抜けを支配してやるつもりであったが、協力するなら支配しないでおいてやろう。どうだ、協力するか。」

ありがとう御座います。支配されないのは助かります。どの道お困りのようですから力になりたいと考えていましたから、どうぞ体をお使い下さい。

「……本当に……まぁ、良い。では、こうしよう。一々我が其方の体を操るのは骨でな。其方が自由に動くが良い。我が指示を出す。必要であれば、我の力も貸そう。」

ゲーツォトゥリアスさんの力ですか。それは、周囲に善い影響を与えると言う。

「それは栄光の仮面の力である。栄光の仮面の力も使えるが、今の我ならば本来の力も振るう事が出来る。其方が聖堂騎士とやらの力で戦いながら、我が悪魔の力を振るってやれるのだ。正に無敵となろう。」

暫し黙考するイリアスだったが、

「何とも無欲な人間であるな。判った。其方の方針に従おう。今はニナスの許へ赴く事が肝要だからな。」

悪魔の力を振るうなど畏れ多い。そも他者と争う事は避けたいイリアスだ。心の中でどう断ろうかと思案したそれは、トゥリアスに筒抜けだった。


「そうして、ゲーツォトゥリアスさんの導きでここまでやって来ました。」

「……」

話を聞いていたダイ・オフは、心底呆れてしまった。どこまで人が良いのか、この男は。

「ふ、彼らしいじゃないか。」

デュースがそう微笑したから、今度はダイ・オフ、感心した。エンジエルのお陰であるが、デュースは随分穏やかになった。それでも、こうして微笑む事などそうは無い。それを為さしめるイリアスは、やはり只者では無い。

「今の話を踏まえると、どうやら導師の奴が仮面を支配していたんだろうな。だが今はこの有様だ。何がどうしたか知らないが、均衡が崩れたんだろう。あぁ~~……ゲーツォニナス、だったか。その悪魔の支配力と、こいつの支配力のバランスが崩壊して、今は魔力が暴走状態だ。」

魔剣として、肌身で魔力を感じるデッド・エンドには、眼の前の状況がより鮮明に理解出来た。暴走――支配力を失ったホーンフリートのみならず、遺産に宿った悪魔ゲーツォニナスもまた、仮面を支配出来ていない。

そもそも古代魔族によって仮面の魔力源として縛られたのだ。支配力など元より無いのかも知れない。いや、ゲーツォトゥリアスは自我を保っているし、力まで行使出来ると言う。この違いは、仮面自体の問題なのか、悪魔としての力の問題なのか。

「それで、どうする。こちらはダイ・オフが遺産の魔力を頂くのが目的だ。使い手がこの様だから、後はどうとでも出来るが、あ~……ゲーツォトゥリアスか。この仮面をどうしたい。」

デッド・エンドの問い掛けに、どうやらトゥリアスがイリアスに意思を伝えたようだ。

「……本当にそれで良いのですか?……いえ、構いません。直接お話し下さい。」

そう言って眼を閉じたイリアスは、数秒後口を開いた。

「……本当におかしな男だ。そう簡単に、悪魔に体を明け渡すのは感心しないな。ふ、我が言うのも何だがな。」

その声はイリアス自身のものであったが、明らかに口調が変わった。

「……ゲーツォトゥリアスか。それで、イリアスをどうするつもりだ。」

デッド・エンドの柄に手を掛けるデュース。とは言え、抜く気配は無い。

「ふん、どうもこうもあるまい。この男が勝手に引っ込んだのだ。直接説明しろとな。まぁ良い、我の目的はニナスだ。この男の体を奪う意味など無いわ。」

イリアスは――イリアスの体でトゥリアスは、ホーンフリートに近付き仮面に触れた。

「……駄目だな。ニナスは完全に、支配者の仮面に取り込まれておる。この弱き人間が下手な干渉をした所為で、残った自我も崩壊してしまったのだろう。」

弱き人間――ホーンフリートが如何にして仮面を支配下に置いたのかは判らないが、それこそ高が人間族の魔術師ギルドマスター風情が古代魔族の遺産を支配しようとすれば、相当無理をしたのだろう。

何某かの儀式や魔導器、秘術や禁術の類いも駆使して、捻じ伏せたのかも知れない。仮面に縛られ弱っていた悪魔が、その影響を受けて無事では済まなかったのだろう。

「其方らの目的は、この仮面の魔力であったな。丁度良い。好きにするが良い。」

「好きに?」

「うむ、魔力を吸い尽くせば仮面は壊れよう。それでニナスも死ねる。そちらのやりたいようにやれば良い。」

「!死ぬ?おい手前ぇ、それで良いのかよ。妹助けに来たんじゃねぇのかよ。」

人の――悪魔の生き死になどどうでも良いダイ・オフも、助けに来た妹を殺せと言うのは素直に聞けぬ。

「構わぬ。殺してくれ。」

「お前ぇなぁ――」

「このまま苦しみ続けるくらいなら、いっそ死なせて楽にさせてやりたい。そう言う事か?」

デッド・エンドのその推測は違ったようだ。一瞬イリアスの表情が元に戻り、

「駄目ですよ、そんな説明じゃ。その先を話して下さい。」

「……ふん、面倒な事だな。まぁ仕方あるまい。悪魔の事など、知る術も無いか。」

改めてイリアスの体でトゥリアス。

「死ぬ――とは言っても、定命の者とは理が違う。確かに今生の命は尽きるが、それで死滅する訳では無い。何時かは判らぬが、遠き時の果てに再び魔界で生を受ける。それが数千年先か、或いは数年後かも知れぬ。しかし、何時か再び見える事が叶うのだ。その忌々しき魔導器から解放してやれればな。」

「……なるほど。確かに、人間とは何もかもが違うな。」

すでに人間では無い魔剣が得心する。

「んあ~~~……ま、要するに、やっちまって良いんだな。」

「ふむ、古代魔族の遺産か。これほどの物を壊せると言うなら、それも見てみたい。見せてみよ。」

そうしてイリアスの体は、本―フリートから離れた。

「ち、一々偉そうなのは気に入らねぇが……悪魔ってのぁそう言うもんか。」

入れ替わりに、ダイ・オフがホーンフリートへと近付き、その手を仮面の上へ置く。すると、すぐさま周囲を覆っていた悪意ある魔力が渦を巻き始め、ホーンフリートへと――否。支配者の仮面へと収束して行く。その魔力の奔流は、そのままダイ・オフの中へと。

周囲に溢れていた膨大な魔力が、次第に空間ごと揺らぎ始め、仮面の漆黒が色褪せて行く。程無く表面にひび(・・)が走り出し、一瞬空間から魔力が枯渇した後、音も立てずに仮面は崩れ去った。

「……どう言う理屈か知らぬが、見事なものよ。完全にニナスも消え去ったわ。」

悪魔が感心したその時、残ったホーンフリートの肉体が倒れ伏し砂塵を巻き上げた。デュースはその首筋に手を当て、

「生きてるな。仮面の暴走のお陰で、戦闘にならなかったのが良かったようだな。」

「それは……良かった。」

気付けば、イリアスはイリアスに戻っていた。

「お前も無事のようだな。」

「えぇ、大丈夫です。彼は約束を違えるような悪魔では無いようです。」

笑顔で答えるイリアスだったが、心なしか仮面は表情を曇らせたように見えた。


「やっぱり。イリアスじゃない。」

少しして、砂丘を超えてエンジエルたちもやって来た。支配者の仮面が破壊された事で、周辺に撒き散らされていた悪意ある魔力の波動も消えたのだ。

それを感知したシェードの導きで、心配するエンジエルを伴って来たのであった。

「ほぅ、悪魔ですか。面白いですね。」

話を聞いたシェードが、胡散臭い笑顔のままそう漏らした。ここで数人は気付いたが、栄光の仮面の表情が明らかに変化した。この表情は恐れ――いや、畏れであろうか。

「もしかして、悪魔にも詳しいの?」

「そうですね……そうでも無いです。()の悪魔については、良く知りません。」

「……今の?」

「え、あぁ、気にしないで下さい。永く生きていると、悪魔と知り合う事もあるんですよ。ですが、昔の話です。」

あんた一体いくつなのよ。その言葉をエンジエルは呑み込んだ。例え真実を語ってくれても、信じられないような気がしたから。それが本当の事かどうか、判断も出来無いのだし。

「それで、この後はどうします?ダイ・オフさんは、目的を達成出来ました。そこの悪魔も、目的は達成ですね。残ったのは、今回の――いえ、それ以前からの諸悪の根源――ですかね。」

未だ目覚めぬホーンフリートを囲み、一同は思案していた。

(さき)の公爵を衰弱させ、街の実権を握ろうと暗躍したのは間違いないだろう。公爵に報告せず、遺跡を秘匿していたのも、思った以上に有能だったフレデリクに対抗する力を独占する為。

単に古代魔族の遺産の所有者とならず、太古の超級魔導器を支配しようとしたのも、自らへの過信と権力者足らんと、支配者足らんとする意志の表れであろう。そんな男が素直に従うのか。いっそ、この場で成敗した方が世の為人の為。

だがしかし、アンジェリカと交わした約束もあった。

「後は公爵に任せる。そう言う約束だ。」

「……判りました。それでは、彼の指輪(リング)を全部外して下さい。」

「指輪?指輪なんて外してどうするの?」

「魔術師ギルドマスターとは言え、彼も人間族の魔法使いですからね。魔法の発動体に頼っています。(スタッフ)短杖(ワンド)の類いでは無く、彼の場合は指輪を使っています。」

「……」

でもあんたは何も使ってないじゃない。この言葉も呑み込んだ。シェードを常識で測る事自体間違いだ。

エンジエルは、ホーンフリートの傍で片膝を突き、

「え~とぉ……どれを外せば良いの?」

「全部です。発動体以外の指輪も、何某かの魔導器のようですよ。全部外してしまえば、彼はもう何も出来無いでしょう。」

了解(りょおかぁ~い)。」

するりと一瞬で、左右の指輪総数六個を抜き取った。滅多に使わないが、盗賊の嗜みとしてすり(・・)技能も身に付けている。戦闘時で無ければ、ダイ・オフからもすり取れるほどの腕前だ。

指輪を奪われ無力化したホーンフリートは、そのままダイ・オフが担ぎ上げた。高齢で、且つ肉体的な鍛錬など無縁な魔法使い。荷物としては軽かった。

「さて、このお荷物はお届け先に送り届けるとして、お前はどうすんだ?イリアス。」

「そうですね……」

水を向けられたイリアスは、しばし黙考した後、

「このまま北に向かいます。」

「え!?一緒に来ないの?」

残念がるエンジエルに、顔が綻ぶイリアス。

「折角再会出来ましたが、本来私はケイオス教本山を目指して北上するつもりでした。え~と、エルドリードですよね。そちらに立ち寄ると、大分遠回りになりますし。」

「そっかぁ、それは残念。……でも、アガペー出てからこんなに早く再会出来たんだもんね。きっとまた逢えるわね。」

満面の笑みでイリアス、

「えぇ、きっとまたどこかで、お逢い出来ます。それまで皆さん、どうぞお元気で。」

そうしてエンジエルたち五人と一匹は、イリアスと別れてエルドリードへの帰路へと就いた。イリアスがそれを見送った。


「さて……」

皆の姿が見えなくなって、イリアスはもうひとりと向き合った。

「これからどうします?」

真意は判らない。だが、ダイ・オフは何も言わずに去った。ここにはまだひとつ、古代魔族の遺産が残っているにも拘らず――である。

「貴方にとって、何が一番なのでしょう。栄光の仮面を壊して妹さんの後を追うなら、今からでもダイ・オフさんに頼んで――」

「その必要は無い。」

トゥリアスの声は、イリアスの口から出ず頭に響いた。

「ニナスが復活するのと、我が死んで復活するのと、必ずしも同じ時期になるとは限らん。ニナスは弱っておったが、我は弱っておらぬからな。ふん、その気になれば、我は自力で魔界へ還る事くらい出来るわ。」

悪魔は死なない。それは真実でもあり嘘でもある。悪魔だって死ぬ。死ぬ方法、殺す方法はある。ニナスは間違いなく復活するが、場合によってはそのまま死滅する事もある。悪魔は永遠不滅の存在では無かった。

何より、古代魔族の束縛を破り、トゥリアスは自我を保っている。多分彼の言う通り、自力で自由になる事も可能なのだろう。

「……では、お還りになりますか?魔界に。」

「……いや、急ぐ事は無い。申した通り、ニナスが何時復活するか判らぬからな。急いで魔界へ還る意味など無いのだ。」

「……魔界とは、やはり畏ろしい世界なのでしょうか。還る事を躊躇われるような……」

悪魔たちの住まう悪魔たちの世界。魔界は最北の地にある極寒の厳しい世界と言われている。だが。それは魔族たちの住まうこの世界の魔界の話だ。人間族の知る神話、伝承など、世界の真実を正確に伝えてはいない。

悪魔の住まう魔界とは、この世界とは異なる空間に存在するもうひとつの世界。堕ちて流れ着いた先で創造した、悪魔たちの安息地。

「やれやれ、やはり人間は物を知らぬな。魔界は、美しい草花が咲き乱れる、とても穏やかな世界だ。人間どもは、魔界を荒涼とした草木一本生えぬ苦しみの世界だと思い込んでおるようだが、自分たちが暮らす世界だぞ。何故そんな荒れ果てて暮らしにくい世界を創らねばならんのだ。」

言われてみれば尤もだ。何故人間は、悪魔が好き好んで荒れ野に住むと考えたのだろう。

「我のような若輩には判らぬ事だが、原初の悪魔様たちは元は神。悪魔として魔界に堕ちるに際し、もう戻れぬ故郷の風景を魔界に再現したと言われておるな。我が足元にも及ばぬ孤高の存在であっても、心の平穏をお求めになるのだろう。」

「え?……元神?」

「……気にするな。あまり世の理について明かしてはならぬとされておる。」

世界の理が広まっていないのは、それを知る者が伝えていないから。分不相応な知識は、破滅の元にもなり兼ねない禁断の果実。

「……しかし、そんな夢のような世界は、神々が御座す天界の事だと思っていました。」

「……あ奴らは、その身を削ってまでしてお前たち人間を始めとした人類の為、奇蹟とやらを与えておるからな。あ奴らこそ、苦しみの世界でのたうち回っておるわ。」

神とは、すでに力ある概念に等しい。少なくとも、生物として暮らすような段階に無い。そんな事は、信仰の徒風情が知り得る類いの知識では無い。縋る相手は、ただただ大きい存在でなければならない。

「そう――なのですか。何故そうまでして……いえ、ありがたい事ではあるのですが……。これからは、出来るだけ神々に助けを乞わず、己の力で解決を図った方が……」

「ふん、無駄だ。好きでやっているのだからな。其方ひとり祈らずとて、世界中で弱き人間が神に頼り切っておろう。これはあ奴ら自身が望んだ事。むしろ、其方のように正しい心で祈る者の存在は、あ奴らを癒す事にもなるのではないか。……ふ、悪魔の我が言う事では無いがな。」

信仰は力だ。決して、人々の心から消える事は無いだろう。祈りが絶える事は無いだろう。例えそれで苦しむとて、それもまた神々の思し召しなのだろう。

「それでは、何故お還りにならないのです?」

「そうだな……其方には世話になった事だし、恩は返さねばな。」

「恩返しですか?」

「ふ、悪魔が恩義を感じてはおかしいか。」

「い、いえ、そう言う訳ではありませんが……」

「其方が望むままに、我の力を貸し与えよう。其方は神の奇蹟と悪魔の魔法を操る魔法戦士となるのだ。」

神の奇蹟と悪魔の魔法。神聖魔法と古代語魔法――とは訳が違う。悪魔は純粋な魔法種族であり、人間族のように魔法の行使に詠唱など必要としない。生命の本質として魔力を宿す為、その威力も桁違いだ。頭でこうと思い描くだけで瞬間的に発動する、人間族最高の賢者にすら勝る攻撃魔法。それはもう、常識を超えた力と言えるだろう。

「で、ですから、私はそのような力は……」

「……いつか必要となる事があるやも知れぬ。その時までは、栄光の仮面としてのみ使用するが良い。」

「栄光の――仮面として……」

「なに、この古代魔族の遺産は、対となる支配者の仮面を抑えるのが本来の役割。単体の力は大したものでは無い。周囲の者の精神にプラスに働き掛け、少し気分を高揚させ、少し健康にする程度の代物に過ぎん。其方の周りの者を少し幸福にするだけ。神に仕える者の力としては相応しかろう。」

「それは……そうかも知れません。ですが――」

「ニナスもおらぬでは退屈でな。暫し其方の旅に同道させて貰う。そう言う事だ。あまり深く考えるで無い。」

「は、はぁ……では、トゥリアスさんが私の体を――」

「そんな事はせぬ。其方も言うたであろう、我は約束を違えぬ悪魔だとな。」

イリアスは、人より早く神聖魔法を使えるようになった。それは、司祭としてすでに祈りの言葉が身に沁みていたのみならず、いずれかの神に見初められたからに他ならない。

神聖魔法の習得や行使、その効果は、神々からの寵愛の影響を受けると言われている。イリアスは神々に愛されているのだ。

イリアスの何が神のお気に召したのかは判らぬが、どうやらイリアスは神たらしなだけで無く、悪魔たらしなのかも知れなかった。

「……判りました。是非、御一緒させて下さい。」

「うむ。なに、人間族の一生に付き合ったとて、我らにとっては瞬きの一瞬に過ぎぬ。本の束の間の退屈凌ぎ。其方は其方の思うままに生きれば良い。」

「……はい。」

こうして、世にも奇妙な仮面の聖堂騎士が誕生した。この先、彼らがどんな旅路を歩むのか、それはまだ誰も知らない。

後世の吟遊詩人の詩に、イリアス・ボードウィンの名は登場しない。しかし、アガペー教が大陸中に広まる切欠を作った、とある聖堂騎士の活躍は詠われている。その聖堂騎士は、白い仮面を付けていたと云う。


その後、エルドリードを後にしたエンジエルたちが聞いた風の噂によると、ハンターヴェイル公爵領では高名な魔術師ギルドマスターが勇退し、魔術師ギルドを擁する為不要と見做され長らく空位となっていた、宮廷魔導師の地位に就任。公爵の傍に仕えながら――もしくは公爵が手綱を握りながら、前公爵の健康回復に尽力していると言う。

高名な長を送り出した魔術師ギルドの方は、新たに公爵の第四夫人となった先の副ギルドマスターが後を引き継ぎ、ギルドマスターに昇格。それにより、公爵家と魔術師ギルドの結び付きがより強くなり、ハンターヴェイル公爵の諸侯会議での影響力もさらに増したと言う。

災い転じて福と成す。やはりフレデリクはただの女好きでは無く、やり手の公爵閣下だったそうな。


つづく


※スラングとして、slayにはクールや格好良いなどの意味があるそうなので。

あとがき


第五章をお読み頂き、ありがとう御座いました。

今回は、デュース、ダイ・オフと言う超常の戦士の陰で活躍する機会の無いエンジエルが活躍出来るシティアドベンチャー回と言うネタと、何らかの形でデュースを失い狼狽えるダイ・オフと言うネタを合わせて、さらにボリュームが足りるかどうか判らなかったので、ふたつの古代魔族の遺産を梯子すると言うネタを足してひとつにまとめました。

ですから、当初イリアスの出番は無く、古代魔族の遺産の内容を練った際、登場の運びとなりました。

イリアスは北へ、デュースたちはしばらく北上はせず、と言う事で、イリアス再登場ネタは別途考えていたので出番が増えた格好。

古代魔族の遺産持ちになる事も予定に無かったので、イリアスはかなりパワーアップしちゃいましたね(^^;

現在の神や悪魔についてちゃんと設定はあるのですが、必要が無いから特に書く予定もありませんでしたが、悪魔の知り合いが出来た事で少しばかり触れてみました。

この辺の設定は、世界そのものが別世界なので、前作「異世界なんて救ってやらねぇ」とは違っています。書きながら混同しないように気を付けねば(^Д^;


今のところ、とある事件から事態が大きく動き出し、最終章である魔界編へと突入する事は決まっています。魔界編で書く予定のエピソードも決まっています。終わり方は未定ですが。

ただ、その事件が発生するまでは、古代魔族の遺産を巡る旅としか決まっていません。この旅路で、デュースとエンジエルの関係性や、ダイ・オフの強化、変化、ふたりとの関係性など、深めて行きたいと思っています。

その気になれば、そんな旅を続けて一年――とか言って事件までエピソードを飛ばす乱暴な展開も可能なので、この古代魔族の遺産巡りで物語に幅、奥行きを持たせられるかどうかが重要だと考えています。

とは言え、今のところ散発的なネタをメモしてあるだけなので、次章も細かい内容はこれから煮詰めなければなりません。……えぇ、言い訳です(^^;

また更新遅くなるかも知れませんが、どうぞご容赦を。気長にお付き合い頂ければ幸いです。

それではまた、次章でお会い出来る事を祈って、再見。


2026年6月 千三屋きつね

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