↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Die off  作者: 千三屋きつね
第五章「ハンターヴェイル公爵領」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

29/36

第五節


目の前の大きな木製の扉は閉まっていた。その奥には人の気配があり、鍵も掛かっていない。こうしたチェックは盗賊(シーフ)の基本的な行動として、まるで常動型(コンスタントリィ)スキルのように扉を前にすればほぼ無意識に行っていると言って良い。

そこにいるのはひとりだけのようで、こちらに気付いた様子は疑えない。だが、エンジエルは気配を殺さず、ギギイ……と音すら立てて、その両開きの扉を開け放った。

何故なら、ここには魔法の結界のような物が張ってあって、中へ入ればどうしたってばれる――とデッド・エンドが言ったから。そう。この先にいるのは魔法使い(マジック・キャスター)。こちらの気配に気付かぬ程度の感知能力しか持たずとも、それを補って余りある魔法の力を有する者。

「……」

その魔法使いは無言のまま扉の方を見やり、闖入者を虚ろな眼で見詰めた。

そこは部屋で間違いないが、どうやら寝室として使っていたのだろう。いや。目当ての男が件の犯人であるならば、夢の魔法を発動する部屋なのかも知れなかった。

部屋の奥に大きなベッドがひとつあり、角度的に顔は確認出来無いが、誰かが横になっている。魔法使いは、そのベッド脇に椅子を置き、寝ている誰かの様子を見守っていたのだろう。

「……ちっ、こんな古い遺跡のガーゴイルなんて、真面に動きゃしねぇのか。」

随分と疲れ切った様子で、その魔法使いはゆっくり立ち上がる。銀糸を使った意匠を施した黒寄りの灰色長衣(ローブ)を身に纏っており、髪は茶色で短く、体形は痩身。歳の頃は三十半ばか。疲れは見えるが、眼光は鋭い。

懐から何かを取り出し口に銜え――煙草である。同時に取り出した短杖(ワンド)の先を煙草に宛がい、何事か呟くと小さな火が灯り、紫煙を(くゆ)らせた。

「ふぅ~~~~……で、貴様は誰だ。盗賊風情が入り込める場所じゃ無ぇはずだが。」

「……」

さて、どうしたものか。十中八九、ベッドの人物がホーンフリートであり、やはり夢の魔法使いその人だろう。だが、この男は何者か。その姿や態度を見るに、ホーンフリートの弟子と言ったところか。

「なるほど。無防備になる夢魔法の間、番をする手下くらい用意するか。」

エンジエルに聞かせる意味で、デッド・エンドは言葉にして発した。その言葉に、エンジエルは得心行って、落ち着きを取り戻す。片やホーンフリートの手下らしき男は、周りをきょろきょろ見回して、

「……他に誰かいるのか?……いや、感知には引っ掛からない。そんな訳無ぇよな。」

エンジエルは意を決し、改めてデッド・エンドを構えた。

「そこの人が人様の夢に侵入して悪さしてるんでしょ。起こして貰えない?そうして貰えると助かるんだけど。」

別に交渉するつもりは無い。ひとつ、明らかに敵である。ふたつ、結局古代魔族の遺産で対立する。みっつ、多分起きたくても起きられなくて向こうも困っている。これは言ってみれば、エンジエルなりの開戦の狼煙である。

「……ま、貴様が誰かなんてどうでも良いか。導師様を狙う曲者は排除する。簡単な話だ。」

少しふらつきながら、その男もワンドを構えた。距離は精々二~三m。圧倒的に、魔法使いに不利だ。人間族の魔法使いは、魔法の発動に詠唱を必要とする。そして、魔法の研鑽に人生を捧げるからこそ、体術など疎かになる。遠く離れていればともかく、室内と言う狭い空間で盾となる味方もいない魔法使いなど、大した脅威にはならない。

それが戦いにおける一般常識だ。魔法は大いなる脅威なだけに、相応の弱点も持つ。数少ないとは言え魔法使いが敵に回る事もあるのだから、対魔法使いを想定した戦い方と言うものも研究されているものだ。

だからこそ、この男の落ち着き払った態度は解せない。それは、エンジエルだけで無くデッド・エンドも感じている。違いは経験値。千古の勇士は魔法使いと何度も戦って来た。

「気を付けろ。先に詠唱を済ませておいて後から発動する、そんな魔法の使い方もある。部屋に魔法を仕掛けておく事もある。不用意に飛び込むなよ。」

これも声に出した。手の内を知られている。相手にそう思わせる為に。

「ちっ、やはり誰かいるのか!?だが、判ったところでどうにもなるまい!喰らえ、魔法の毒矢(ポイズン・アロー)!」

どうやら常に何かひとつ、詠唱を終わらせ即発動可能な状態を維持しているのだろう。もちろん、本来それは不可能だ。詠唱とは言葉を紡ぐ事。この男は普通に話していた。通常、別の言葉を発した時点で、魔法の詠唱は中断となる。

だが、それを可能にするスキルはある。|その魔法ちょっと待って《ホールド・オン・マジック》。魔法をひとつホールドした状態で、他の行動を取るスキルだ。当然、かなり高度なスキルとなる。千年前には使い手も数多くいて、デッド・エンドにはいつもの事。しかし現在、このスキルは高レベルスキルに分類され、魔法学を高度に修めた者が、頭の中で同時にふたつ以上の魔法を詠唱出来るようになって初めて体得可能であった。

名も知らぬ目の前の敵は、かなりの使い手であったのだ。

力ある言葉が紡がれ飛来したのは、まるで弓から放たれたような一本の矢であった。実際には翳したワンドの先端辺りから出現したものだが、魔法の矢とは言え誰にでも視える矢であった。

魔法が苦手な人間族が共通の手順で魔法を行使出来るようにしたものが古代語魔法であり、発動する魔法の名を詠唱の最後に発するのは定番だ。とは言え、千年をさらに遡る古代に開発された魔法言語を使用しているので、エンジエルには何の魔法が発動したかは判らない。

ただいきなり現れた矢が、ただの矢であるはずは無かった。エンジエルやデッド・エンドは、爆発なりする魔法の矢くらいに思ったが、それでも魔法と言う脅威である事に違いない。エンジエルは、構えた短刀(ナイフ)でそれを受けようとする。

にやり――と男は嗤う。ただの魔法の矢(マジック・アロー)でも、普通のナイフで受ければ魔法による衝撃でダメージを負うだろう。しかし、唱えたのはポイズン・アローだ。例え受け切っても、魔法の毒が相手を蝕む。無論、きっちり魔法障壁(マジック・シールド)などで防げば効果は無いが、魔法を使えぬ相手の場合、完全に回避しなければ魔法によるダメージは受けずとも毒までは躱せない。

魔法の毒とは言っても致死性は無く、毒に侵されても即戦闘不能と言う訳では無い。しかし毒に苦しみ行動を阻害されれば、敵の戦力は低下する。弱った相手をじわじわ(なぶ)る。そう言う男であった。

馬鹿なっ――と男は驚駭する。手にした得物で矢を受けてみせたのは、さすがこんな場所まで入り込む鼠らしく只者では無い。しかし、受けた刃で四散し体を襲うはずの毒波が、まるで壁にでも遮られたかのように女を避けたのは予想外だった。

まさか、この女も魔法使い!?しかし、魔法障壁を発動する素振りなど見えなかった。仮にホールド・オン・マジックでも、発動時には詠唱最後の言葉を発する事になる。男からすれば、あり得ぬ事態だった。

その一瞬の動揺を逃さず、エンジエルはふとももから数本投げナイフを抜き取り、男へ向けて投げ放った。同時に走り出す――が、すぐに足を止めた。

男の喉元へ吸い込まれた数条の銀光は、悉く視えない壁に弾かれたからだ。魔法相手に、普通の武器は通じない。これまでも、何度か経験した事である。

男はポイズン・アロー発動後、もしもに備えて魔法障壁を展開していた。ポイズン・アローが完全に防がれるなどとは思っておらずとも、念の為に反撃される事態を想定したものだ。男はどうやら、研究畑では無く実践的な魔法使いのようだった。

「それならっ!」

エンジエルは再び、ナイフを投げ放った。その手のデッド・エンドを男へ、続けて腰の得物を別の方向へ。すると、男の余裕の表情が崩れ、もう一方の標的(・・・・・・・)への軌道に体を割り入れた。そう、エンジエルは男とは別の標的に短剣(ダガー)を投げた。その標的は、ベッドの上。

この男が眠るホーンフリートを守っているなら、この攻撃は無視出来無い。そう考えての投擲であり、男の行動は予想通りであった。

さらに、そのダガーが弾かれたのは、男の予想通りだった事だろう。女が手にした得物(・・・・・・)を投げ付けたのを見て、距離を詰めたのはエンジエルの予想通りだ。

ワンドで殴り付ける戦闘技術も身に付けているのだろう。武闘派な男は丸腰となった女に思わず無防備で突っ込んだ。だがエンジエルのその手には、すでにデッド・エンドが握られている。

いくら武闘派魔法使いとは言え、体術において戦士(ファイター)や盗賊に勝るものでは無い。特に、一流の女盗賊には。

擦れ違いざま脇腹を薙いだ一刀は、魔剣が障壁を斬り裂き、致命傷とはならずとも男の戦闘力を奪うに値する一撃となった。どう――と倒れた床に、血の染みが広がる。

「ぐ……うぅ……」

エンジエルは、男のワンドを蹴り飛ばす。

「ふぅ。」

こうしてこの戦いは、エンジエルの勝利に終わったのであった。


デュースは、苦笑いしながら呟く。

「確かに俺の父は魔族だそうだが、俺が生まれてすぐ家族を棄てて去ったんだ。その姿を俺が知る訳が無い。」

そう、懐かしい顔触れを割って出た影は、不格好だが魔族を模した姿なのだろう。他の面々と違い、デュースの記憶からその姿を再現する事は出来無かった。故に、それっぽい魔族の姿でしか無かった。

「ほぅ、お前の父親は魔族なのか。……その所為なのかな、この状況は。まぁ良い。つまりお前は、魔族の血を受けし忌み子。それはそうだ。大切な者たちを斬って棄てるなど、とても人間の所業とは思えぬ。」

その言葉に、やはりまだ胸に痛みを覚えるデュース。だが耐えられる。今の自分なら。その決意で奥歯を噛み締めた。

「本当に痛いところを突く。だが無駄だ。こんな事を続けても、俺の心は折れない。」

「……本当にどう言う事だ。何故屈しない。これほどの後悔、自責の念。並みの人間に耐えられるものではあるまい。」

見知らぬ影は、苛立ちから困惑、畏怖へと思いが変じて行く。確かにまだ未完成な魔法だ。数人の被検体と、老いぼれ公爵への実践しか臨床結果が無い。しかし、基本的な効果は実証済みだ。睡眠と言う生きるに不可欠なものを阻害され、精神的な苦痛を喚起され、対象者は肉体的にも精神的にも衰弱して行く。即効性に乏しいかも知れないが、無防備な夢を襲われる以上、抵抗の術は無い。最凶の魔法と自負していた……

「何故だ!おかしいではないか!」

畏怖は怒りへと昇華した。こんなはずは無いのだ。夢渡りドリーム・インベージョンは完璧な魔法なのだ。

「……おかしくは無いさ。どんな事でも、数をこなせば慣れるものだ。俺には先例があってな。」

「先例――だと?」

「……どんなに心を苛む存在だろうと――斬れる。俺には斬れるからな。」

「馬鹿なっ!心を支える存在を斬るなど、出来る訳が無い!いや、よしんば出来たとて、斬ってしまえば心が壊れ兼ねんはずだ!」

この夢に現れた存在たちは、デュースが自らを責める後悔の念であるとともに、自らを形作った掛け替えの無いものでもある。そんな者を斬ったならば、確かに心を壊し兼ねまい。だが――

「慣れる――と言っただろう。以前の俺には無理だ。だが、斬ってくれたんだよ、あいつが。あいつも、心の痛みを耐えながら……」

俺には斬れる――そう(うそぶ)いて、ダイ・オフは家族を斬って捨てた。アレクセイの見せた幻は、幻であっても心を映す鏡。心の中に棲む者を斬るなど、本来出来る事では無い。

だが――心に棲む者より大切な者を守る為ならどうだ。つまりは、そう言う事だったのだろう。

そして今、デュースにも守りたい者がいる。ダイ・オフは言うに及ばず、もうひとり――

「だから!俺にも斬れる!」

心底から強い意志を絞り出し、デュースは一閃、仲間を義父(ちち)ごと斬り裂いた。その手にいつの間にか握られていた義父の剣で。

宿るその身の為せる業か、魔族の影はその速剣を何とか躱したたらを踏んだ。影だけのその表情は、驚駭で非道く歪んでいた。

「馬鹿な……あり得ない……あり得ぬ事だ……」

その影の表情よりも、デュースは深く高く、眉間に山脈を刻んでいた。

「……ふ、ふはは。本当にお前は、人間では無いのかも知れんな。」

「……確かにな。」

静かに影に対峙するデュース。影もすでに覚悟を決めたものか、ただその鬼気に圧されただけか、微動だにしなかった。

そしてそのまま、永遠のように永い一瞬が過ぎ去り――


呻く男を見下ろしながら、少し戸惑う女盗賊。このままこの男が死ねば、初めて人をその手に掛けた事になるだろうか。少なくとも、仕事の結果として意図せぬ死者を出した事はあったかも知れないが、意図して人を殺した事は無い。相手が敵であろうと、その生死は気に掛かる。

「……あの……大丈夫――」

そんな余計な言葉を投げ掛けたその時、予期せぬところから別の声が――絶叫が上がった。

「わっっっ、うわぁぁぁぁっっっ?!」

「きゃっ!?」

妖艶な女――を目指す可愛らしい盗賊は、思わず少女の声を上げ叫び声の方へと身構えた。その方向にあるのは――ベッド。

「うわぁ、うわぁ、あぁ、ぐぁ、あ……あぁ?」

激しく体を(まさぐ)りながら、涙を流して視線を方々へ彷徨わす男。ベッドの上で上半身を起こしたその男は、どうやら混乱の中にあるようだった。それはそうだろう。例え夢の中でも――いや、ただの夢では無い。飛び切りはっきりとした夢の中で、男は――ホーンフリート・アビリシャスは、敵に斬られたのだ。

男の様子がただ事では無い為、エンジエルは黙って成り行きを見守る事しか出来無かった。ただそんな中でも、エンジエルは相手の観察は怠らない。

多分この男が、魔術師ギルドマスターであるホーンフリート。年齢はかなり行っているように見える。四十~五十代では無いだろう。すっかり色の抜けた髪色をしていて、髭は生やしていないが眉毛が長い。眉毛も白い。眼付きだけは鋭く、少し痩せ型。

だが、それを窺い知れるのは、顔の半分だけ。もう半分は、仮面によって隠れていた。それは独特の鈍い光を放つ漆黒の仮面で、表面には魔法的な紋様が盛り上がるように描かれている。仮面自体のデザインは、閉じた瞳からひと筋の涙を流す女性に見える。

ローブの色は漆黒だが、金糸銀糸で意匠が施された豪奢なものだ。左右の五指それぞれにふたつ、みっつ指輪をしているが、周囲に杖は見当たらない。

「あぁ!?……あぁ?い、生きて……生きて……る……」

少しずつ落ち着きを取り戻したホーンフリートは、ようやく自分の状況を理解し始めた。怖ろしい。斬られると言うのは、こんなにも怖ろしい事なのか。まるで……まるで体が動かなかった。その癖、永遠かと思うほどに、時間を遅く感じもした。

夢で良かった。本心からそう思い、その後夢こそ怖ろしいと思い直す。夢渡りでこんな恐怖を味わう事になるなど――夢にも思わなかった。

「……」

エンジエルは、固唾を呑んで息を殺していたが、

「ぐ……うぅ……」

倒れた男が苦鳴を上げた。その呻きは、ホーンフリートの耳にも届く。

「?……、……、……!?」

そしてようやく、ホーンフリートは周囲の状況にも意識が向いた。一体どうなっているのだ。誰かが倒れている……グリチか?そして、もうひとりいる。何とも可愛らしい少女……だが、何をそう身構える事がある。……いやいや、そうでは無い。ここはどこだ。私の研究室だな。ならば、この女は一体誰だ?!

再び混乱し始めたホーンフリートの出した答え、それは――

「敵っ!貴様、あの男の仲間かっ!」

事実など、どうでも良かった。ホーンフリートの心にあったのは、ただただあの男への恐怖。殺された恐怖。それが甦る。

ベッドの上で立ち上がったホーンフリートは、混乱した頭ですぐさま魔法の詠唱に入った。

どんな魔法が来ようと対処出来るようエンジエルはデッド・エンドを構えていたが、正気を失った相手があんな魔法をこんなところで唱えようとは思ってもいなかった。その魔法は、いつか見たあの魔法と同じ魔法、且つ威力も遜色の無いものだった。

火球(ファイアー・ボール)っ!」

「え!?」

もちろん、魔法語などエンジエルには判らない。しかし、その光景には見覚えがあった。デッド・エンドを投げ込み何とか防いだものの、一瞬遅れればラヴェンナはその炎に焼き尽くされていたかも知れない。防いでさえ、大きく後方に吹き飛ばされていた。不死の魔導師(リッチ)などと言う伝説級の不死の怪物アンデッド・モンスターが使うような大魔法。そんなものをこんな場所で――

逆巻く炎は部屋中を嘗め回し、石の壁を焼き、ベッドなどの家具調度品を灰と化さしめた。さながら、石窯の中のよう。

ひと通りの仕事を終えた炎は魔力の消失と共に消え去り、そこにはただひとりホーンフリートだけが残され――るはずだった。だが、実際には他にも人影があった。先の女盗賊とその前に立つひとりの見知らぬ男。さらに、床に横たわるひとり、あれは――

「グ、グリチ!?」

そうだ、夢渡りの番をグリチにさせていた。(さっき)、床に倒れているのも視認していた。それなのに、あの男への恐怖から後先考えず……

「くっ!」

ホーンフリ-トは、敵からのみならず自身の所業から逃げる、目を背けるように背後を振り返り、壁の一点を操作し開いた入り口から逃げ出した。

エンジエルはそれを――追う事は出来無かった。まだ胸がどきどきしている。死んだかと思った。デッド・エンドすら、そう思った。さすがに、出張版の魔法の短刀(マジック・ナイフ)で防げるような魔法では無い。

「やれやれ、何とか間に合いましたね。」

「ぎげぎゃあ!」

火球の前に立ち塞がってくれたのは、他ならぬシェードその人であった。奇蹟――エンジエルは神に祈る気にもなった。

ギルドマスター執務室の隠し扉をそのまま放置したのは、別行動で魔術師ギルドへ来ているはずのシェードが後を追って来るのを期待したからだ。その意味では、蒔いておいた種が実っただけの話かも知れないが、本当に来てくれるかは判らなかった。ギルド内では姿を見掛けなかったのだし。

その上、こんな緊急事態に駆け付けてくれるなど、これ以上無いタイミングである。純真な乙女が奇跡と信じても仕方あるまい。

ただ、千古の老兵は少し考えが違う。多分、様子を窺っていたのだろう。どうもシェードの奴は、積極的に手助けしようとは思っていないようだ。だがしかし、いざと言う時は手を差し伸べてくれる。どう言うつもりかは知らないが、少なくとも頼りにはなる。……胡散臭いがな。

そんなデッド・エンドの考えが当たっているかどうか、真実は()のみぞ知る。

「……あ、ありがとうね、シェード。えぇ、大丈夫よ、ウーミン。」

エンジエルも――そして魔法を一身に受けたシェードも、少しの火傷も負ってはいなかった。自称傀儡師は、ただの魔法使いでは無かった。

「っ……っ……」

床に転がったままの男――グリチは虫の息であった。エンジエルが斬った傷もあるが、体の末端が一部炭化するほど重度の火傷も負っている。生きているのが不思議な状態だ。

「……彼までは守れませんでしたが、さすがギルドマスターの愛弟子。あの火球にも何とか耐えたようですね。」

「あ……まだ生きてるのね。……あ、あのね……」

「判りました。専門外ですが、何とかしてみましょう。」

エンジエルの言葉を最後まで聞かず、その意図を汲み取りグリチに歩み寄るシェード。この男は敵だ。別に死ぬなら勝手に死ねば良い。デッド・エンドもシェードもそう思っているが、そんなどうでも良い男の命を救う事でエンジエルの気持ちが軽くなるなら、路傍の石ころと言う重荷をエンジエルが背負い込まずに済むなら、こんな男の命も救う価値があるのだ。

シェードは、エンジエルたちには意味の判らない言葉を呟くと、

癒し(ヒーリング)。」

詠唱の完了とともに、グリチは淡い光に包まれた。徐々にゆっくりと、傷や火傷が消えて行く。真っ黒く変色していた肌が、赤みを取り戻して行く。

「あくまで肉体的な負傷を癒す魔法ですから、体力や気力までは回復しませんけどね。」

「……やっぱり凄いわね、シェード。」

「何がです?」

「何がって、魔法よ魔法。だって、確か神聖魔法って聖堂騎士が使う魔法でしょ。貴方も自分で専門外だって言ってたし。魔法って凄く難しいから、あれもこれも何でも使える――ってもんでも無いんでしょ。」

魔法には系統があり、力の源で分類しても古代語魔法、精霊魔法、神聖魔法とに分けられるし、古代語魔法にはさらに細かく力の傾向によって分類がある。人によっては煙草の力を借りて集中力を高めなければ使えぬほど、人間族にとって魔法は難しい学問、技術なのだ。短い一生を捧げてさえ、その内のひとつすら究めるに至れず。そんな人間も多い。ましてや、複数の魔法を相応の高みまで究めて修めるなど、伝説に残る賢者の類いでも無い限り無理な話だ。そして、そう言った賢者は大概人間族の寿命を超えて生き続けるから、そんな賢者でも五十~六十年と言う人間族に与えられる猶予では足りないとも言える。

「……そうですね。まぁ、私のは少し特殊で、正確には神聖魔法ではありませんが、神聖魔法は他の分野と一緒に修めるのが実は容易な魔法だったりするんですよ。」

「……そうなの?」

「はい。力の源泉が違いますから、要は信仰心を持てるかどうかです。神様から力を借りるので、神様を信じてさえいれば応えてくれます。古代語魔法を突き詰めながら、同時に神様に祈りを捧げられる人なら、これでふたつの魔法が使える訳ですね。」

とシェードは簡単に言うが、実は別の意味で難しい。学問としてもかなり高度な魔法学故、研鑽を重ねようと思えば自身の力を信じて学び続けねばならない。神様に祈って助けて貰おうなどと考えて、果たして魔法学を究める事など出来ようか。そんな自負を抱けば、信仰は逃げのようにも感じられる。それは精霊の力を借りる精霊魔法にも言える事で、理屈で言えばみっつの魔法系統は並び立てるが、実際に古代語魔法、精霊魔法、神聖魔法の垣根を越えて複数の魔法系統を扱う魔法使いは、かなり珍しい。

では、人間族以外はどうなのか。エルフは精霊魔法しか使わぬと思われているが、神聖魔法を使う事も出来るのだ。この世界の宗教は種族問わず全てアミリティア教である――が、ご存知のように宗派は数多い。エルフはエルフなりに神々を崇め奉る。その為、人間族にはあまり知られていないが、エルフにはふたつのシャーマンがいる。ひとつが精霊使い(シャーマン)。そしてもうひとつが、巫女(シャーマン)である。

精霊とは友達であり、神は崇め奉る存在。ふたつを同時に修める者は稀だが、エルフと言う種族として精霊魔法、神聖魔法のふたつを扱う事は、彼らにとっては当たり前の事なのだった。

「ぐ……うぅ……」

気付けば、グリチの傷はほぼ完治していた。とは言え、流れ出た血液まで元に戻るで無し、疲労が癒える訳で無し、どうやら気は失ったままのようである。

「さて、それでは一応、彼は縛っておいて下さい。どうやらワンドを魔法の発動体に使っているようですから、縛ってワンドを取り上げておけば、何も出来無いでしょう。」

「そ、そうね。判った。」

「それから、私が見張っておきますから、エンジエルさんは受付まで戻って色々説明して来て下さい。」

「説明?」

「公爵様を放っておくと、もうひとり奥方様が増えてしまいそうですし、その内彼ら(・・)もギルドへ駆け付けるでしょうから、ここまで案内して下さい。」

「!わ、判ったわ。すぐ行って来る。」

ホーンフリートが目覚めた。それが意味するところを察し、エンジエルは大急ぎでグリチを縛り上げて部屋を出て行った。

「……ウーミン、先に行ってて下さい。」

「ぎげぎゃあ。」

ひと声鳴いたウーミンは、部屋の奥、ホーンフリートが消えた隠し通路へと飛び立った。

「……さて、まだまだここからが本番ですね。」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。