第四節
北限に位置した故郷の村から見れば、大分南に位置するタイタロス王都フレイムベルも、この時期は毎日白く煙る。目の前にある、すっかり頭が白くなった洋館には覚えがある。一時、ここが我が家だったのだから。
「デュースさん。どうしました?そんなところにいてはお寒いですよ。」
その洋館の玄関前には、ふたりの人影があった。今声を掛けて来たのは、デュースにとってふたり目の母親だ。
「アンナ様……」
貴族の妻とは思えぬほど柔和な夫人で、ただの乱暴者な平民に過ぎなかったデュースにも、最初から優しく接してくれた。とても敬愛し本当の母のようにも思っているが、アンナが本当の母への遠慮からかデュースさんと呼ぶものだから、心で母と呼びながらアンナ様と口には出した。
「おう、今日はもう上がりだろ。久しぶりに三人で食事でもどうだ?」
今度は隣の人影が声を掛けて来た。それこそ、彼自身仕事上がりなのだろう。豪奢な装飾で飾り立てながらも、その性能も確かな立派な甲冑を身に付けている。胸に輝く勲章は、栄えあるタイタロス王国騎士団長の地位を示すものだ。誰の眼にもその勲章が相応しいと見える精悍な顔付きの壮年で、十代の子を持つ親としては少々若いくらいか。
「……義父――ヴェサリア団長。」
大恩ある尊敬する義父、いや唯一の――ただひとりの父と思っても、相手が礼儀正し過ぎて素直に甘えられずにいる息子。ふた親の方とて、それを寂しく思いながらもどう接して良いか判らず。親子と言うものも、共に生きる内に徐々に形になって行くものであり、この親子は共々まだ未熟な親子であった。
「そしてこの街では仲間も出来た。」
聞き慣れない声の後に、聞き慣れた声が続いた。
「よぅ、デュース。これから一杯どうだ?どうです、団長もご一緒に。」
振り返れば、そこに並んだ懐かしい顔触れ。轡を並べた騎士団の仲間たち。気付けばアンナの姿は消えていて、目の前には義父と仲間、騎士団の面々が並んでいた。……彼らは――
「お前が殺した者たちだ。」
再び声がする。デュースの心の傷を抉ろうと、声がする。
「……その通り。決してダイ・オフでは無い。この俺が……この俺の手で……」
吐き出すように言葉を紡ぐが、表情は変わらない。声の主は、それが気に入らなかった。
「どうした。大切な者たちを斬っておいて、それだけか。」
騎士たちの間を縫い、ひとつの影が歩み出た。――そう、影だ。今まではデュースの記憶から幻像を作り出していたものが、それはただの影であった。しかし、少し人間より背が高く、頭に角状の影が伸びている事から、魔族のイメージなのだろう。この幻を描いた者の。
その滑稽な影を見てデュース、苦笑して表情を崩す。
「なるほど。確かに俺も、姿は知らんな。」
豪奢で広大な公爵邸は、街の西側に位置する高台に建っていた。街の正門は東側にあり、北側にはスラム街が広がる。目指す魔術師ギルドは、高台から望めば街の中心を超えた南側の郊外にあった。街の要衝としては辺鄙な場所と言えるが、なるほど古代の遺跡がそこにあると思えば、納得の場所と思われた。
エンジエルはあの後、公爵の私室にやって来た使用人たちに客人と紹介され、取り上げられた得物とポーチも返却された。どこを探しても立派な抜身の短刀だけは見付からなかったが、その事で兵が公爵に叱られる事は無かった。
「それにしても、良く単身で乗り込んで来たね。いくら腕に自信があるとは言え、随分と大胆な人だ。」
ギルドへの道すがら、フレデリクは気さくに話し掛けて来る。フレデリクの命で最低限の護衛しか同行していないが、その護衛たちも主のそんな態度を気にした風は無い。どんな相手にも飾らず接する人物と見做されているのか、相手が若い女であるからか。どちらだったとしても、いつもの事なのだろう。
「そうでも無いわよ。お宝を盗むなり――標的を消すなり、目的を達成しようと思えば難しい事もあるわ。でも、途中で諦めたり本当にどぢを履んだりしたなら、全力で逃げるもの。本気で逃げようと思えばあの程度の警備――っと、ごめんなさい。とにかく、逃げ切る事は難しく無いわ。それに今回は、頼れる相棒のお陰で丸腰になる心配も無かったしね。」
エンジエルは、その頼れる相棒を抜いて目の前でくるくる回した後、ぽい、っと投げ捨てた。
「え?!」
と、供の者もその主も思わずそれを眼で追ったが見失い、向き直ってすぐまた、
「え!?」
と、声を上げた。今投げ捨てたはずのナイフが、エンジエルの手に握られていたから。
「……いや、良いんだけどよぉ。そう、ぽんぽん投げ捨てられんの、あんまり良い気はしねぇんだぜ。」
「え?あら、ごめんなさい。そうよね。貴方、剣とは言っても生粋の剣じゃあ無いんだった。」
エンジエルは、便利な魔法のナイフとして当たり前のように扱ってしまったが、思えばこのナイフには自我がある。乱暴に扱われれば気分も害す。彼自身、この新しい人生――剣生に慣れていないから、まだ人間感覚が抜け切っていないのだ。
「……凄いな。正に奇術では無く魔法。手許に戻せる訳だな。」
エンジエルは、話の信憑性を高める為に、フレデリクにデッド・エンドを紹介していた。しかし、知性ある短刀である事は理解したものの、その性能までは知らない。ただ喋るだけでは無い事を、今実際に目の当たりにした。
「あたしを心配して付いて来てくれたのよ。心強い味方もいたから、潜入するのに不安は無かったわ。」
「なるほど。君の腕に、これほどの上級魔導器だ。確かに、あの警備では相手にならないな。」
実際、魔法さえ絡まなければ、エンジエルが困る事態などそうはあるまい。問題は、今向かっている先である。そこにはむしろ、魔法しか存在しないのだ。
街の南側一帯を占める広大な敷地に、目的の魔術師ギルドは存在した。公爵邸同様、平屋造りの建物は高い塀に囲まれて見る事が出来無い。魔法使いと言えば塔――と言うイメージはお伽話によって広まっているから、魔術師ギルドも塔なのだと思われがちだ。いや、他の土地ではその傾向があり、この地の文化が少し異質と言えた。
開け放たれたままの正門を潜り、一行はギルド内へと立ち入った。まずは広い前庭が出迎え、そこには草花が咲き乱れている。街を少し西へ進めば草木もまばらになる土地故、こうした緑豊かな庭園と言うのは、ある種権力の象徴とも言える。
公爵邸の場合、あまり緑は植えられていない。この土地らしさをそのまま体現した庭であり、建物や調度品と比べれば煌びやかさに欠ける。それでも、訪れた諸外国の要人がこの国の雰囲気を感じ取ると言う意味では、理に適っていると言えるだろう。
魔術師ギルドの方が、少し不必要な華美さを感じられると言って良い。そんなところも、フレデリクがホーンフリートに胡散臭さを感じる所以のひとつなのかも知れなかった。
ただ、贅沢なばかりの庭園でも無かった。少し多めに配置された石像たちは、単なる美術品では無い。そのほとんどが“眼”であった。防犯用として、石像が見張りを兼ねている。そう言うところは魔術師ギルドらしさであり、庭の豪華さも彫像が並んでいても不自然では無い演出と言える。
その事に来訪者は気付かないので、違う印象も受けるだろう。管理者たる公爵にも黙っている事には、含みを感じもするが。
建物の配置は、公爵邸と随分違った。一応ギルドマスターの私的空間も存在するが、基本的には魔術師たちの職場である。まず広い渉外窓口としての建物があり、奥にいくつも小さな建物が乱雑に広がっていた。そうした小さな建物ひとつひとつが魔術師たちの研究施設であり、建物同士はある程度距離を開けて建てられている。中には危険な実験をする者もいる為、いざと言う時巻き込まれない措置だった。
それに、建物同士が離れている事で、研究内容を秘匿しやすい。もちろん、ギルドの施設を使うのだから内容は申告しなければならないが、果たして真実を申告しているのかどうか。
そんな前庭を進み母屋へと辿り着く。建物の様式はやはり異国情緒に溢れているが、石壁の造りは荒く庭と調和していない。魔法使いの研究施設なのだから豪奢である必要は無い為、庭の方が合っていないと言える。
しかし、ただ荒い造りと言う事では無く、堅牢な造りであると見える。それこそ公爵邸よりも、戦に備えた建物のように見えた。国宝級の魔導器は公爵邸での管理であるし、ギルドは実務的な魔法施設だ。貴人を接待する必要は無い。
とは言え、一体誰が魔法都市における魔法の中心地を襲うだろう。仮想敵は誰であるのか。
重い樫の扉を抜けた先、受付ロビーも絢爛さとは無縁であった。採光も魔法の灯りも闇を払い切れないものか、何と無く薄暗くも感じる。魔法使いの類いは怪しい者だとの、先入観によるものだろうか。そこに屯する者たちの表情が、暗いからであろうか。
魔法使いは珍しく、そう多くは無い――と言う割に、ロビーに屯する人間が多かった。
が。その全てが魔法使いな訳では無い。魔法都市の魔術師ギルドだから、構成員数は抜きん出ている。それでも、二十人を少し下回る。ロビーにいる人間全てが所属魔術師だとしたら、すでに人数を超えてしまう。
つまり、魔術師以外の人間が数多く屯しているのだ。では、彼らは何者なのか。雑用をこなす施設職員。研究の手助けをする助手。助手を務めながら魔法を教わろうとしている、まだ魔法の使えぬ弟子。ギルドは職業組合であるが、職人だけで回るとは限らない。雑務を背負い込めば、仕事にも差し障る。だから人を雇いもする。所属する職人だけで持ち回れない規模のギルドであれば、運用の為には仕方の無い事。魔術師ギルドを取り回せるほど、魔術師は多くないのだった。
一行を出迎えた受付役も、受付の為に雇われた一般人である。
「ふむ、ここは相変わらずだな。あ~……君、ちょっと良いかな。」
顔見知りの受付役の名前を失念したようで、フレデリクは君と声を掛けた。受付役は男性だ。興味の対象外ではあるのだろう。
相変わらずと言うのは、ここの空気の事だろう。エンジエルも入ってすぐ感じたが、奥の方から覚えのある臭いが漂って来る。ギルド所属とは言え、まだまだ未熟な者も多いのだろう。煙草の助けを借りて何とかやっている者も、多いのだろう。
「あ、これはどうも、公爵様。今日はどのようなご用件でしょう。」
軽く会釈を返す受付役は、極度にへつらう態度を取っていない。フレデリクが市井の者とも肩肘張らずに付き合う性質だからだろうが、それは放蕩時代から変わっていないのだろう。受付役に、顔見知りなのに君と呼ばれた事を気にした風も無い。多分、いつもの事なのだろう。
「ホーンフリートを呼んでくれ。例の調査の件で話がある。」
例の調査とは正体不明の遺跡調査の事だが、一応一部の者だけが知る機密の類いだ。受付役は詳細を知らないが、例の調査と言う言葉は何度か耳にした事がある。しかし――
「あ……そのぅ……、アビー導師ですよね。少々――少々お待ち頂けますか。」
ホーンフリート・アビリシャスを、敬意と親しみを込めてアビー導師と呼ぶ者は多い。魔術師ギルド内では、ほぼそれで統一されている。いつもの事なので受付役はすぐに判るが、ホーンフリートと言われても誰の事だか判らない者もいるかも知れない。
「……それは構わないが、何かあったのか?」
「いえ、その、何がどうしたとかでは無くてですね……」
受付役が困っていると、横手から声が掛かった。
「公爵閣下。何かまたクレームでしょうか。」
その声の主は女だった。菫色の長衣を身に纏った壮年の女性で、背中まで届く長い髪の色は明るい金色。眼鏡を掛けているが、魔法使いだから珍しくは無いだろう。化粧は薄めだが目付きはきつめの美女の類い。
「おぉ、アンジェリカ。君はいつ見ても綺麗だね。」
言葉だけ聞くと軽薄な口説き文句だが、フレデリクからは軽薄さを感じない。女に飢えてなどいないから下心を感じさせないからか、心からの言葉だからか。
「も、もぅ……貴方はいつもそうやって……ん、うん。それで、今日は何のご用でしょう。」
アンジェリカの方は満更でも無さそうだったが、慌てて目付きを元に戻した。その表情の変化を見るに、普段は敢えてきつい目付きを意識しているのかも知れない。
「ホーンフリートに会いに来た。こちらは、盗賊のエンジエル嬢。」
す、っと半身になって背後のエンジエルを手で示し、
「こちらは、副ギルドマスターを務めるアンジェリカ女史だ。」
次いで、エンジエルにアンジェリカを紹介する。エンジエルは軽く会釈をし、すぐにフレデリクの陰に隠れた。この後の事を考え目立たぬように。
対するアンジェリカの眼が冷たい光を湛えているのは、エンジエルを女として敵視したものか。すぐその光が消えたのは、相手はまだ子供と――さすがにフレデリクも相手にしないだろうと判断したものか。
「ほら、例の調査。あれは今まで、専門家だからと魔術師ギルドに一任していたが、あくまで魔術師は魔法の専門家だろう?別の専門家ならば、違った視点から調査出来るんじゃないかと思ってね。彼女に同行して貰ったんだ。」
「……まぁ、そう言うアプローチも時には必要なのかも知れませんが……」
「だから、ホーンフリートの奴を呼んでくれ。これから一緒に調査を――」
「あ、いえ、それは……」
受付役同様、アンジェリカも言葉を濁す。それはそうだ。フレデリクは、ホーンフリートこそが犯人だと見込んでいる。エンジエルから聞いた話では、彼女の仲間に魔法を掛け続けている間、犯人も自由に行動出来無いはずだ。これはシェードの見立てであり、その通りであった。
だからフレデリクは、呼び出してもホーンフリートは現れないと踏んだ。それも証左のひとつになると。受付とアンジェリカの態度は、それを裏付けるものだった。
「どうした。何か都合が悪いのかね?」
他の者なら適当にあしらう事も可能だろうが、相手は公爵その人である。副ギルドマスターの立場では、否も応も無い。
「そのぅ、実は……ここしばらく、導師様のお姿をお見掛けしません。いえ、研究に没頭して表に出て来ない事は珍しくありませんし、少なくともギルドを出て行った形跡もありませんから、どこかに居られるとは思うのですが。」
ベンズ・ヒット!エンジエルは心の中で快哉を上げた。デュースを夢で攻撃し、自身も動けぬ状態であるなら、その間姿が見えぬのは道理。シェードも言っていたが、この術は普通では無い。手下に襲わせると言う方法もあるのかも知れないが、そんな術を使える者は相応の実力者であるはずだ。魔術師ギルドマスター本人である確率は高い。
そしてギルドを出て行った形跡は無いと言う。ならば標的は今、ここにいるのだ。
フレデリクはちら、と後ろを見やり、
「そうか。それならば、君が私の相手をしてくれないか?調査は今度にするとして、その打ち合わせをどこか静かなところでふたり切りで――確か君の研究室も奥にあったね。」
「え……えぇ、それはありますけど……ふ、ふたり切りは不味いですわ。えぇ、それは不味いです。」
嬉しさを隠し切れないアンジェリカは、言葉だけで拒否をする。
「そうか、それは残念――」
「い、いえ、駄目じゃ無い。駄目じゃ無いんですのよ。そ、そう、私は副ギルドマスターですからね。導師様が居られぬ間は、そう、私が責任者ですもの。」
わざと引き下がる振りをして、フレデリクは背後に、今の内だと手で示した。
しかしそこには護衛しかおらず、すでに天使の姿は掻き消えていた。
石造りの通路は実用的で、公爵邸のような豪華さは見受けられない。魔法は金食い虫だ。内装に金を掛けるくらいなら、実験器具や試料に金を掛ける。魔法使い――その中でも特に研究を生業とする者には、特にその傾向が顕著だ。内部の有り様は、正しく魔術師ギルドらしいものと言えるだろう。
陰に消えロビーから姿を消したエンジエルは、そんな石造りの通路を何食わぬ顔で闊歩していた。多少目立つが、誰かに咎められる事は無い。ギルド内には、雑用や助手として、多くの一般人が入り込んでいる。格好は珍しくとも、きっと誰かの客だろう。その程度にしか思わないのだ。
一応エンジエル、誰かを捜し歩く振りをして方々を見て回った。いや、嘘でも無い。姿を消したギルドマスターを捜しているのは事実だ。
周りの者たちは、その多くが白い長衣を羽織っていた。魔法使いが着るローブとは少し違い、頭からすっぽり被るのでは無く、前が開けている服の上から羽織る上衣である。
その為、上衣の下の衣服は統一感の無い物だ。この白い上衣は、雑務の為にギルドへ通って来る者の制服のような物なのだろう。
そんな白衣の者たちと比べれば少数、ローブ姿の者もいる。エンジエルは、彼らが魔術師なのだろうと考えたが、実は違う。彼らが着ているローブは、灰色をした地味なローブで、作りも安っぽい。
確かに、魔法使いは他の事にお金を掛けがちだが、ローブはその限りでは無い。その地位や実力を表してもいるし、中には魔法のローブも含まれる。魔術師なりの身嗜みには気を使う。あくまで、魔術師なりに――ではあるが。
灰色の安いローブを纏うのは、位の低い弟子や、そもそも魔法を習わず助手として雇われているだけの者たちである。
魔術師たちは、その多くが自らの研究室に引き籠っている。こうして通路を歩き回って遭遇するのは、それ以外の者たちばかりなのだった。
ギルド内の構造は、受付となっている母屋から奥にいくつも通路が伸びていて、そこから枝分かれしそれぞれの研究室らしき部屋へと繋がっている。通路同士も繋がっており、奥側へ放射状に広がる蜘蛛の巣のよう。
ただ、ある程度進んだ先で通路は一本となり、最奥には部屋がひとつだけ。言わずもがな、そこが最高責任者たるギルドマスターの執務室兼研究室である。鍵は――掛かっていない。
アンジェリカを始め、多くの者が散々調べに来たのだろう。執務室を兼ねている事もあり、研究室への出入りは自由のようだ。もちろん、ここは表向きの研究室――エンジエルはそう踏んでいる。
だから部屋へ付くなり物色するのは、部屋そのものの家探しでは無く、何某かの隠し装置。
部屋そのものは、かなり広い部屋だった。入ってすぐの空間は執務室で、立派な机と本棚が並び、応接セットも用意してある。そのまま奥まで部屋は続いており、様々な実験器具、試料、書と言った物が乱雑に積み上げられている。
エンジエルに研究内容までは判らないが、ここにあるものは誰に見られても構わない物だけのはずだ。ギルドマスターと言う表向きの顔用の研究室。
問題は、どこに本当の研究室が隠されているかだ。副ギルドマスターであるアンジェリカすらホーンフリートの所在を確認出来無いとなれば、彼女にも秘匿されていると言う事だ。
もう何日も姿を見せず、何度も捜しに来ていて見付からない以上、相応に警戒して隠した入り口であろう。魔術師では見付からない――つまりは、魔法で隠している訳では無い。
もし魔法で封印、結界を張るなどすれば、一般人には見付かるまいが、同僚には見付けられてしまうかも知れない。むしろここでは、魔法を使わぬ方がばれにくい。つまり、盗賊たるエンジエルならば、見付ける事など容易い。
果たして、それは執務机の陰にあった。なるほど、普段であればホ-ンフリート自身が塞ぐ格好だ。尊敬する導師の足元など、覗き込む者もおるまい。魔法の痕跡も感じぬとなれば、魔術師には盲点ともなるだろう。だが――机に対して椅子が大きく引かれている。席を立つ為に椅子を引いたと考えれば気にならぬ者もいるのだろうが、盗賊の眼には不自然極まる。
丁度、机の陰になる部分の床が蓋となっており、一度少し持ち上げ留め金を外すと、蓋が落ちる構造となっていた。少し下りたところで、その蓋を押し上げ留め金を掛ければ、床は元通りとなる。だが、移動させた椅子までは元に戻らない。見る者が見れば、ありありと痕跡は残っていたのである。
隠された入り口の下は立坑のようになっており、梯子が深くまで続いていた。数段下りたところで蓋を戻すのだろうが、エンジエルはそのままにしておいた。この入り口を見付け、後を追って来る者があるかも知れない。それは魔術師かも知れないが、ホーンフリートの手下――裏の顔を知る者とは限らない。何より、期待するのは別の者だ。
梯子は木製だが丈夫に出来ていて、大の男が何人か一遍に上り下りしても問題無さそうだった。木製――そう、これは最近据え付けられた物だろう。件の正体不明な遺跡の物と言う訳では無さそうだ。壁は剥き出しの土壁で、これも最近掘られたものなのかも知れない。遺跡と言った風情では無い。
しかし、四~五mほど下りた先、辿り着いた空間は風情が違った。魔法の灯りに照らされた石壁は苔生していて、遺跡と言われればそう見える。明らかに、梯子を掛けた縦穴とその下の空間は、別々の構造物のようだった。
そう言えば、遺跡の出入り口がどこにあるか聞いてなかったわね。ここが正規の入り口って事は無いと思うけど。
エンジエルは無言のまま思いを巡らせつつ、周囲をひと通り調べてみた。専門家では無いからはきとは言えないが、それでも見知った遺跡らしく見える。と言っても、ダイナスは時の止まった特別な地であったし、猿王はすでに目覚めていた。しっかり観察出来たのは、旧ボードウィン男爵邸くらいである。だが十中八九、ここは例の遺跡ではあるのだろう。
フレデリクの話では、遺跡自体は随分前に発見したものだ。魔術師ギルドを建てたのが、遺跡を秘匿する為でもあったのだ。となれば、つい最近掘られたような縦穴は、やはり遺跡とは別口。
新たに見付けた遺跡を隠し研究室にして独占。自分の部屋に出入口を繋げた。そんなとこかしら。
エンジエルの見立ては正解だった。どう見付けたかまでは判らないとして、遺跡の状態と縦穴の状態はエンジエルの考えを裏付けている。
そして、やはりベンズ・ヒット。ホーンフリートの姿が消え、ギルドから出た形跡が無い。ホーンフリートの執務室から隠し遺跡へと繋がっている。この先にホーンフリートがいるのは間違いなかろう。
「……」
エンジエルはしばし逡巡する。いくら頼れる相棒が居るとは言え、このままひとりで進んで良いものか。しかし、今からダイ・オフを呼びに行って、その間にホーンフリートが逃げてしまわないか。そもそも、魔術師ギルドの一番奥まで、ダイ・オフを連れて再度潜入出来るのか。
「……どうする。一度戻るか?」
頼れる相棒には、エンジエルの気持ちが理解出来た。まだ確信はあっても確証は無い。何より、間違いなくホーンフリートはこの先にいるとして、彼がデュースを夢で攻撃しているとは限らない。このまま乗り込みホーンフリートを倒し、デュースを救えるなら問題無い。最悪なのは、行方不明の魔術師ギルドマスターを殺害し、且つデュースが目覚めぬ事。
公爵は自らもホーンフリートを怪しんでいたから咎めないかも知れないが、アンジェリカ辺りからすれば押し入った暗殺者が尊敬すべき導師を殺害したとしか見えない。いや、デュースが目覚めなければ、その通りでしか無い訳だ。
「……行くわ。最悪、逃げ足には自信がある。可能性の芽は摘んで行かないとね。」
盗賊と暗殺者は違う。エンジエルは、あくまで盗賊だ。ディアマンテ盗賊ギルドには暗殺者もたくさんいたが、クロイツはエンジエルに暗殺仕事をさせようとはしなかった。相応の技術は身に付けさせたが、それを使わせる気は無かった。未だ、エンジエルの手は綺麗だ。デュースの為ならその手を汚す事も厭わないが、未だ手は綺麗なのだ。
「……そうか。取り敢えず、俺様を構えておけ。ある程度の魔法攻撃なら、直接刃で受けずとも威力を減衰してくれるはずだ。上等な魔法剣は、簡易結界にもなるんだぜ。」
ダイ・オフ自身が魔法の標的になった事は無いが、かつて不死の魔導師が放った火球にデッド・エンドを投げ込んだ事がある。そのお陰でラヴェンナは最小限のダメージで済んだが、幅広の剣身が盾代わりとなっただけでは無い。魔剣が持つ簡易結界が魔法障壁となり、火球の威力を殺してもいたのだ。
デュースはそんな事を知らずにデッド・エンドを投げ込んだが、魔剣は魔法に対する防衛手段としても優秀だ。その身がナイフと化そうとも、対魔法としても頼れる相棒なのだった。
「ありがと。心強いわ。」
言って、デッドエンドを逆手に構えると、陰に溶け込み遺跡を先へと進み始めた。
縦穴は通路の中程に位置し、梯子の向きから見て後ろ側は、少し進んだところで崩れていた。スキルで確認した限り、崩されて間も無いと見える。こちらの方向に遺跡と繋がった隠し扉でもあって、ここを崩す事で遺跡から入り込めないようにしたのではなかろうか。
通路自体は広めであり、人が並んで歩ける幅がある。四~五mごとに魔法の明かりが灯っているが、光源である魔導器は古さを感じさせない。と言って、多分ホーンフリートが用意したものでは無いだろう。遺跡の構造物として埋め込まれているからだ。千年を超えて劣化を感じさせないのも、古代魔族の技術が成せる業なのだろう。
通路の先は、何本か枝が分かれていた。しかし、エンジエルは迷わずそのうちの一本を選び、その先の枝分かれも迷わず進んだ。遺跡を探索するなら枝の先も確認すべきだが、今は目的が違う。痕跡を辿れば、目的の場所へと至る事が出来る。誰かが通った足跡など、エンジエルには丸判りだ。きっとホーンフリートは、誰かが侵入する事を警戒し、足跡を残さぬように――などとは考えていないだろう。素人が警戒もせず残した痕跡など、玄人には一目瞭然であった。
だからすぐに、そこへと至った。とある通路の行き着いた先、劣化の見られぬ立派な木製の両開きの扉が出迎えた。鍵など掛かってはいない。しかし閉まってはいた。エンジエルは、少し違和感を覚える。
「……要警戒ね。」
ホーンフリートが、日課のようにここへ入り込み、用が済めば執務室へと帰るつもりであったなら、こう言う重い扉までは閉めずにいるのではないか。デュースに夢による攻撃を仕掛けはしても、こうしてずっと目覚めぬのはホーンフリートにも予想外だったはず――と言うのがシェードの見解。本来であれば、目標が寝ている間精神攻撃をして、睡眠自体は普通に覚めるのではないか。シェードはそう考えていたし、事実本来はそうである。
であれば、足跡も気にせぬホーンフリートが、警戒して扉を閉めておくのはちぐはぐに感じた。本の少しの違和感。実際、その時の気分で何と無く閉める程度の事はあるだろう。それでも気を引き締める。エンジエルは一流なのだった。
そうして油断せず覗き見た扉の奥は、ほぼ正方形の部屋のようだった。ここにも魔法の明かりは灯っており、中の様子は良く見えた。奥にも同じような両開きの扉があり、さらに奥へと続いているのだろう。
エンジエルは構えを崩さぬまま部屋へと体を滑り込ませ、
「……ガーゴイル?何で、こんなところに……」
ぽつり呟いた。部屋の中には調度品の類いは無く、代わりに数体の石像が鎮座していた。
「ガーゴイルって、屋根の上に置いとく魔除けじゃなかったっけ?」
思わず構えを解こうとしたエンジエルに、
「気を抜くな!ガーゴイルはガーゴイルだが、普通のガーゴイルとは限らん。」
「え!?」
驚きはしたが、素直に構え直したエンジエル。普通では無いとは、一体どう言う事なのか。
「ガーゴイルってのは、元々は雨樋だ。」
「雨樋?」
「そう。屋根の上に溜まった水を流すんだが、その水口に装飾を施す文化があって、その延長線上に悪魔みたいな彫像の装飾ってのもある。」
「えぇと……動物の口から水が出て来る噴水とか、そう言う事?」
「そうそう、そう言う事だ。それが宗教と結び付いて、悪魔みたいな姿の彫像は魔除けにもなる――ってのが、今の一般的なガーゴイルだな。千年経っても、そこんところは一緒だろ。」
千年前には既に存在した雨樋としてのガーゴイルは、千年経った今もその意味合いを変えてはいなかった。ただ――
「そんなガーゴイルが、いきなり動き出したら吃驚だろ。だから、ゴーレムの一種として守護者に仕立てるのさ。吸血鬼どものねぐらにも良く置かれていたぜ。」
石像に疑似生命を与えて守護者にする。正にゴーレムそのものだ。違いがあるとすればその姿。現在のガーゴイルは、魔除けの意味を込めて悪魔を象った石像である事が多い。とは言え、本物の悪魔など人間は知らない。あくまで伝承で語られる、羽の生えた怪物と言うイメージに沿った姿である。
そして、その姿には意味がある。飛ぶのだ。背丈は人間の子供程度だが質量は数tに及び、しかし魔法生命体故に魔法の作用としてその羽は機能するのである。
とは言え、こんな地下の狭い部屋では、宙を自在に飛べはすまい。天井までは三mあるかどうか。仮に動いても、小型のストーン・ゴーレムと言う事になるだろう。
「それで。どれが動くガーゴイルなのよ。」
「さてな。ほれ、以前森で出遭った守護者としてのゴーレム。あれも動き出すまでは判らなかっただろう。普段じっとしている時は、魔力もほとんど感じない。動き出すまで判らない。そこが、ガーゴイルの利点だからな。」
「うんもう、それじゃあどうすれば良いのよ。」
「慌てるな。そこで俺様の出番って訳だ。」
すると、手の中のデッド・エンドの剣身が、仄かな光を帯びた。
「エンジエルは魔法を使えないから、ダイ・オフのようにはいかん。が、魔剣として俺様自身も魔力を帯びている。つまりは、俺様なら石の塊であるガーゴイルも斬れる――って寸法だ。」
「う、うん。」
「そして、普段眠っているゴーレム――ガーゴイルも、動き出すまでに少し時間が掛かるのさ。この狭い部屋の中で石像が動き出したら、森の中とは違いすぐ気付くだろ。そしたら、まだ上手く動けぬ石像に攻撃を当てるのは簡単だ。」
「そっか……でもさ。」
「……あぁ、そう言う事か。任せろ。動き出したら魔力もはっきり感知出来る。多分、俺でも核の場所は判るはずだ。」
「そっか。それなら何とかなりそうね。」
いくら剣身が通るとは言え、石像一体を細切れにするのは骨だろう。ゴーレムの時もそうだったが、魔法生命体を効率良く倒すには核の破壊が一番だ。ガーゴイルほど小型であれば、核が体の奥過ぎて刃が届かぬ事も無いだろう。シェードなら起動キーワードを看破して書き換える事も出来るのだろうが、普通の人間には不可能な芸当だ。むしろ、核の破壊が唯一の対処法と言って良い。
ガーゴイルは奥の扉手前、放射状に中央を向いて四体並んでいた。悪魔的な姿――とは言え、一体一体のデザインは微妙に違い、どれもこれもが怪しく見える。間隔が少し開いている為、一体に注視すると他の三体が視界から消える。
警戒して進むも、エンジエルの緊張は弥増すばかりで、気付けば額には球の汗が浮かんでいた。それもそのはず。エンジエルは一度、見えない敵に背後から斬られた事がある。どの石像が動くか判らぬ状況は、いつ敵に背後を取られるか判らぬ状況に他ならない。
そしてやはり、奇襲を掛けるなら敵の背後からと言うのはセオリーである。ゴゴ……などと言う音は立てず、一体が静かに動き出す。石の肌であっても生命故か、その体は柔らかさを兼ね備えていた。今まさに、エンジエルの背後で一体の悪魔が目を覚まそうとしていた。
「エンジエル、後ろだ!」
その言葉に即応し、
「……頭!」
続く言葉に従い行動を起こす。まだ完全に動き出す前の石像の頭部に、エンジエルはデッド・エンドを突き入れた。
哀れ四肢を伸ばせもせぬ内に、石像は元の石に戻って後ろへ倒れ込み、その拍子に腕と羽の一部が砕けて転がった。ひと突き。エンジエルは、会心のひと突きで守護者を葬ったのである。
「お見事。やはり、両手剣よりも扱い慣れてるな。」
「まぁね。もう十年以上も振り回してるんだから。それに、貴方がすぐ核を突き止めてくれたから簡単に倒せたのよ。」
「まぁな。これだけ近くで動き出せば、ばればれだからな。とは言え、感知出来て良かったよ。まだまだ新米魔剣だからな。核の位置を感知するなんて、元人間としちゃおかしな感覚だぜ。」
精神は元人間でも、体は全く異質な物となったのだ。そこから感じる感覚の全てに、まだ違和感を拭えない。大きな体から出て小さな体に移るなど、人間の時にはあり得なかった感覚だ。このナイフの体も違和感の塊だ。上手く出来て良かった。千古の歴戦の勇士も、正直自信は無かった。今は、安心したのに吐息も吐けやしない。
「……もう大丈夫そうね。」
残りの三体にも敢えて背中を見せて、動かない事を確認したエンジエルは、再び気配を消して奥の扉を潜り抜けた。その先もまた通路で、十mと行かず次の扉へと行き着く。
果たして、今度こそこの扉の奥に、ホーンフリートはいるのだろうか。




