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Die off  作者: 千三屋きつね
第五章「ハンターヴェイル公爵領」

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第三節


白い空気の中、懐かしい顔はひとつでは無かった。

「デュース、今帰りか?」

背後からの懐かしい声に振り返ると、そこには黒髪の青年と優しい面差しの女性が連れ立っていた。

「……兄さん……母さん……」

十歳離れた兄も、この時はまだ二十歳前。今のデュースよりも若い。兄とは血が繋がっていないから当然かも知れないが、魔族の血が混じっているからか、デュースは母ともあまり似ていなかった。

「どうしたの、デュース?雪も降り出したのに、まだエミィちゃんと遊びに行くの?」

胸に沁み入るような母の声。

なるほど。俺が村を出る前――確かに迫害もあったが、愛しい者たちもいた。悪い事ばかりでは無かったのかも知れないな。

「だが、お前は村を出て行った。もしお前が村に留まっていたら……」

どこからか、デュースに語り掛ける声が響いた。この声には聞き覚えが無い。

「……あの悲劇は(・・・・・)起こらなかった(・・・・・・・)――とでも?」

そんな事は無いだろう。村の子供たち相手に喧嘩もしたから、腕っぷしには自信もあった。だが所詮、子供の――素人の腕っぷしに過ぎない。

仮にその時(・・・)デュースが村にいたとしても、母と兄と一緒に殺されていただけだろう。

「……エミィだけは助かったかもな。」

デュースはぽつり呟くが、確かにそれはそうかも知れない。エミーリアが殺されたのは、また別の機会だ。

もし事態を変え得たとするなら、やはり強さが必要だった。そしてその強さは、村を出た後身に付いたものだ。

「そう、お前は村を出て行き、そこで運命が変わる事になる。」

再び聞き慣れない声が響くと、風景が一変した。(まば)らに立っていたはずの建物が林立し、街路も石畳で整備されている。田舎のそれから都会の様相へと様変わりしていた。

「……タイタロスの王都か。」

ここでも俺は、掛け替えの無い人と出逢う事になる。デュースは、村を出た後流れ着いた街へと思いを馳せた。


街の中心から離れ、少し小高くなった一帯がほぼハンターヴェイル公爵の館――その威風から宮殿と呼ぶに相応しい城館となっていた。

この地方の特徴として、背の低い建物が多い。比較的広大な土地を有する為、縦では無く横へと広がる傾向がある。スラムだけで無く街のほとんどの建物が平屋造りで、公爵邸も一部二階、三階部分もあるが、そのほとんどは一階のみの造りである。

その分敷地が広く、城壁に遮られて中の様子がまるで見えない。街の中でも高台にあり、周りに宮殿を見下ろす建物も無い為、外から宮殿内を眺め見る事は不可能だった。

「その上、城壁にも警備の兵がわんさか。必要以上に厳重なのよね。」

宮殿から少し離れた茂みの中、思案顔で独り言ちるエンジエル。

エルドリードは、ヴィルドアード王国の中程にあり、仮に隣国と戦争になっても前線になるような場所に無い。内戦を繰り返すような物騒な国でも無い。ここまで厳重にしなくとも、誰かに攻められるような事態は起こり得ないだろう。

ただ、国宝級の魔導器を狙うような不届き者はいるかも知れない。それにしても、魔法都市たるエルドリード自体の治安はすこぶる良い。盗賊(シーフ)ギルドが魔法絡みでトラブルになる事を恐れ、裏で取り締まっている影響もある。

となると、仮想敵は――魔術師ギルド?

話で聞く以上に、公爵と魔術師ギルドマスターは不仲なのだろうか。聞いた話では、体調を崩し隠居した先代公爵とは、それほど仲が悪かった訳では無いとの事だったが。

「……とは言え――」

見える範囲の警備は厳重――と言うのは一般論であり、エンジエルにとっては大した警備とは言えない。潜入するなら、夜を待つ必要も無さそうだ。明るい内に、城壁から宮殿の全景を確認しておく。そう決めたエンジエルは、早速行動に移った。


人間の意識とは不思議なもので、気に留まらなければ見えていても認識出来無い事がある。盗賊の隠密(ステルス)スキルは、姿を消すのでは無く存在を消す。一流ともなれば、周囲を警戒する歩哨の前を堂々と横切れもするのだ。

エンジエルの腕も一流である。そうではあっても、見付からないよう細心の注意は払う。いや、一流であればこそ、そう言う細かいところにも手を抜かないものなのだろう。

城壁は、高いと言えど精々三mほどで、エンジエルは表面の凹凸を巧みに利用し、それを足掛かりに簡単に登ってしまった。四方八方に数か所設置された物見には屋根が備わっており、素早くその上まで上がって宮殿を眺め見る。

それを東西の物見で何度か行う事で、全景が把握出来た。中央に大きな建物があって、その周りを複数の建物が囲っている形だ。二階、三階を備えた建物は外周近くにあり、人の出入りを見る限り警備の兵が詰めている兵舎のようだった。

正門に近い部分は政務関係の建物らしく、中央の大きな建物が謁見の間だと思われる。その奥が公爵家の生活の場なのだろう。敷地の半分以上を占めており、外から見てすら神韻渺茫な趣が感じられた。

そんな奥の間に公爵はいるのだろうが、警備は薄い――のだが、それはそこまでがかなり厳重だからであった。確かにエンジエルの技倆を以てすれば、見咎められずに潜入する事も不可能では無いのかも知れない。

しかし、数が――眼が多ければ、それだけ意識に引っ掛かる可能性も増す。出来るだけ、人眼に付かない方が望ましい。

「……内側も観察したいし、試してみようかしら。」

「試す?何かするのか?」

「取り敢えず、すぐ戻って来てみて。」

そう腰の相棒に囁くと、抜き様庭先へと投げ捨てた。今その身は軽量の短刀(ナイフ)であるが、さすがに地面に落ちれば音くらいする。短く刈った草が敷き詰められていた為、がさ、っと小さな音がしただけだったが、真下の物見兵が何と無く庭を覗き込む。

「……気の所為か。」

音のした場所には、何も無かった。すでにエンジエルの手の中に、デッドエンドは帰還していた。

「なるほど、試してみる――か。確かに俺も、正規の所有者以外の許へ飛んで戻るのは、今のが初めてだ。試しておくべきだよな、うん。」

いきなり投げ捨てられた事が気にならない訳では無かったが、自分で自分を納得させる。

「それで、試して、次はどうする?」

「こうするのよ。きゃ~~~」

わざとらしい声を上げ、エンジエルは軽やかな受け身を取りつつ、物見兵の目の前に落ちてみせた。

「!な、何だ!?」

先程庭を覗いていた兵とは別の兵隊が、突然屋根から転げ落ちて来た何かに驚き、それに気付いた相棒も駆け寄って来る。

(さっき)のも気の所為じゃ無かったか。おい、貴様!何者だ!」

「痛たたたたたた……あ、足滑らしちゃった。」

本当は痛みもしない腰を(さす)り摩り、エンジエルは(おもむ)ろに立ち上がる。驚きと警戒に引き締まっていた兵たちの顔が、次第に緩んで行く。足を滑らせたおっちょこちょいな闖入者が、まるで天使のような美少女である事に気付いたからだ。

しかし、片方の表情が引き締まる。それこそ、立ち上がる際色々見えたほど露出の高い格好に相好を崩したものの、その意味に気付いたからだ。この女は盗賊だ。しかも、どぢを履んだようだが、素人では無い。それはそうだ。ここは公爵邸の城壁の上。簡単に侵入出来る場所では無いのだ。

「両手を頭の上で組んで、後ろを向け!抵抗しない方が身の為だぞ!」

杖のように突いていた(スピア)を両手に構え、少し緊張の面持ちで声を上げる兵士。その相棒の様子を怪訝な表情で見やったもうひとりも、遅れて状況を理解し槍を構える。

エンジエルは、素直に腕を頭の後ろへ回して、ゆっくり背中を向けて行く。

「ごめんなさい、抵抗なんてしません。本の出来心だったんですぅ。お宝――とっても立派なお屋敷だから、ちょっと覗いてみたいな――って。本当に、それだけだったんですよぉ。」

この場にダイ・オフでもいれば、思わず吹き出してしまうだろうわざとらしい演技なのだが、エンジエルの事を知らない人間から見れば、失敗に泣き出しそうな子供に見えるかも知れない。捕まるにしても、同情を誘えば下手に甚振(いたぶ)られる事も無いだろう。そう、敢えて捕まりに行ったのだ、エンジエルは。

なるほど。取り敢えず捕まっておいて、連行されながら内側から観察する。先の言葉はそう言う意味か。只のナイフの振りをしながら、デッド・エンドは状況を理解した。

その只のナイフと本来の得物である短剣(ダガー)、そして腰のポーチを取り上げられると、エンジエルは兵のひとりに促され歩き出した。


連れ立って歩きながら観察する宮殿内は、訪問客との謁見もある為充分豪奢な作りだった。ただ気になったのは、その造りが他の国と少し違っている事だ。

エンジエルは箱入りで、この旅の前にはほぼディアマンテを出た事が無い。それでもここまでの旅程で違いを感じた事は無く、文化風習や様式と言ったものは共通であった。

砂漠が近いからだろうか。水場の無い乾いた大地を連想させる砂漠だが、意外にも海が近い場所にも存在する。ここヴィルドアード王国より西部は、海に出るまで広く砂漠地帯が続く。今まで旅した大陸中央部とは、少し気候も変わって来る。

例えば、ディアマンテを始めダイナスでもアガペーでも窓は基本縦型の長方形をしている事が大半だが、この宮殿の窓は上部に曲線を取り入れたアーチ状をしている。窓に限らず、建物内に多くの曲線的デザインが目立つ。

そこに華美な装飾が施されているのは公爵邸だからであるが、街の他の建物にも同様の傾向は見られた。エンジエルは旅路の中で、初めて異国へやって来たのだと言う感慨を覚えた。

いやいや、観察すべきはそう言う事では無い。もちろん警備模様も吟味したのだが、厳重と言えば厳重。しかし、主に外側へ向けられた厳重さである。

内部は貴人も闊歩する政治の場でもあるので、最低限の警備は必要なれど、あまりに物々しくては高貴な方々の気分を害し兼ねない。故に、外からはかなりの兵が固めているように見えたものの、内部には――特に目立つ場所には、豪奢な甲冑を着せられた少数の兵が配されているのみ。

要所要所はしっかり固められているが、エンジエルの眼から見れば穴のある布陣である。

「思った通りね。」

「……黙って歩け……何がだ?」

つい聞いてしまう物見兵に、

「ふふ、(すっご)く豪華じゃない、そこいら中。足さえ滑らなきゃ、どんなお宝に巡り合えたのかしら。」

そう答えておいたが、もちろん嘘だ。いやに警備が厳重だから――厳重過ぎたから、もしかしたら宮殿の外側を中心に警備を厳重にして、客を迎えたり生活をする内側は手薄なんじゃないか。少なくとも、外から入り込むより中から出て行く方が簡単なんじゃないか。そう思った通りと言う事だった。

「残念だったな。しばらくは地下牢暮らしだ。……お前さんなら多分、非道い目に遭う事は無いだろう。公爵様は……いや、何でも無い。」

慌てて口を噤んだ物見兵だったが、そう言えば――とエンジエルには思い当たる事があった。自称トーマスによると、現ハンターヴェイル公爵であるフレデリクは、無類の女好きであると言う。武人として為政者として充分有能であるから、言ってみれば英雄色を好むと言うやつだ。

ヴィルドアード王国は、王侯貴族に限らず一夫多妻制を敷いており、ふたり目の妻を娶るのは比較的一般的だとされる。それ以上となると、養うにも財力が必要な為、やはり権力者に多い。

フレデリクにも三人妻がおり、それは公爵を継いでからの話では無いから、元々がそう言う性分なのだろう。

もしかしたら、牢で大人しくしているだけで、向こうから会いに来るかも知れない。エンジエルは、相応の見た目をしているのだから。しかし、ただ待つだけの女でも無かった。


謁見の間からは少し離れた場所ながら、衛兵の詰所の先から地下へと下る地下牢故に、兵の数は少ないと言える一画。外観と今歩いて来た経路を合わせて頭の中に見取り図を描けば、身を隠しながら移動する道筋も見えて来る。

「ここだ。しばらく大人しくしていろ。公爵様に報告が行けば、直に面会に訪れるだろう。あんまり良い環境とは言えないが、そう長い時間は掛からないだろう。」

賊に対するにしては優しい態度で、物見兵は乱暴な行いも一切せず、エンジエルを獄に繋いだ。エンジエルの見た目やどぢを履んだ可愛げからか、はたまた公爵が規律に厳しいからか。

「ありがと。貴方の言う通り、大人しくしてるわ。」

完全な嘘を天使の笑顔で語ると、相手は疑いもせず鵜呑みにする。この物見兵も、何の疑いも持たず――少しにやけながら、軽い足取りで踵を返した。その物見兵を見送る為に振ったエンジエルの手にはデッド・エンドが握られていたが、当然気付きもしなかった。

「見事なものだな。賊として捉えながら、まるでエンジエルの事を疑いもしていない。腰のポーチこそ取り上げられたものの、ボディチェックすらしなかったな。これなら俺様が手元に戻らなくても、牢くらい簡単に破れるんじゃないか。」

声の主をくるくる回して腰へ戻し、

「まぁね。七つ道具の代わりになる物なら、至る所に仕込んでる。でも、太腿の投げナイフまでそのままって、ちょっと不用心が過ぎるわよね。……それとも彼、初心だったのかしら。」

初心――と十代の少女に言われるほど物見兵は若く見えなかったが、こればかりは個人の性格による。ボディチェックが甘かった理由も、個人の問題なのかどうかは判らない。単に、賊が侵入するような事態など起きないほど、ここの仕事が平和なだけかも知れない。

そんな冗談を交わしながら、襟元から針金のような物を取り出したエンジエルは、物の一分も掛けずに錠を破って地下牢を抜け出した。牢は、鉄格子で区切られた簡素なもので、隙間から簡単に手を出せる。真っ当な――と言うのも何だが、真っ当な盗賊にとっては鍵が掛かっていないも同然だった。

「……さすがに、公爵邸に忍び込むような輩は、他にいないわよね。」

地下牢には、他に繋がれている者はいなかった。普段、使われる事すら無い牢なのだろう。それもあって、警備が手薄なのだろう。

「さて、ここからは本気出さなくちゃね。上に上がれば陰も減る。スキルに胡坐を掻いてちゃ、見付かっちゃう。」

エンジエルは意識を集中して、陰に溶け込んだ。もし今目の前に人がいたなら、エンジエルの姿が消えたと錯覚するだろう。それほど見事な隠形だったが、それを評価する者は誰もいない。エンジエルを発見出来る者がいないからだった。


薄暗い炎の灯りの中で、男たちは暇そうにカードに興じていた。今日はひとり客がいるが、普段は誰も使用しなかった牢の掃除を二、三日に一回行うだけの、簡単な、そして退屈な仕事だった。

その客にしても、直に主が検分にやって来て、きっと部屋へと連れ帰るのだ。常に気を張って見張る――などと言う必要はまるで無いのだ。

そんな男たちの背後を足音を消して通り過ぎる事など、エンジエルにとっては造作も無かった。いや、足音にまで気を配るところは、さすがに一流と言ったところか。

地下牢への階段は兵の詰所の奥になり、こんな場所を見張る者などいない。放っておいても、誰かしら兵が詰めているはずだからだ。しかし、詰めている兵の数など高が知れている。そもそも、ここを警備するつもりで詰めている訳では無いからだ。

その上、一応賊を捉えたばかりとあって、いるはずの兵たちは警邏へと出払っていた。予想以上に手薄であった。

その後、曲がり角の先を身を隠しながら覗くなど、やるべき事をやりながら進むも兵と遭遇する事も無く、使われていない無人の謁見の間を過ぎ、公爵家の個人的空間へと難無く侵入。

いくら何でも歯応えが無さ過ぎる。そう思いながらも、エンジエルは奥へ奥へと進み、ついには目的地へと辿り着いたのであった。


「それでは、よろしくお願い致します。失礼致します。」

丁寧に挨拶をして、ひとりの兵が扉を閉めた。踵を返し、持ち場へと帰って行く。その様子を壁に背をもたせながら見ていた影は、兵の姿が消えるのを待ってから、律儀に扉をノックした。

「……どうした。まだ何か報告でもあったか?」

中から返事をしたのは男。兵の態度、男の態度から見て、ここが目的の場所である事は間違い無かった。

影は異国の意匠に飾られた豪奢な両開きの扉を押し開け、堂々と部屋へと入って行く。

「あんまり遅いから待ち草臥れちゃった。こちらから会いに来たわよ、公爵閣下。」

影――エンジエルは、大仰な身振りで頭を垂れて挨拶をした。その一瞬で確認した部屋の様子は、見た事も無い家具調度に溢れた物珍しいものだった。街の様子も物珍しかったが、貴人の部屋などそもそも見る機会が無い。造りが珍しい上に金銀宝飾で飾り立てられた調度品に、繊細な模様に織られたとても大きな一枚物の敷物など、眼に入る物全てが市井で見掛ける事の無い高級品と見て取れた。

部屋そのものもかなり広く、そんな部屋の中央に立派な机が鎮座しており、その横にひとりの男が立っていた。他に人影は見えない。

「……失礼。こんなに可愛らしい客人が来訪するとは聞いていないが……なるほど。部下の報告は間違いだったようだ。」

「あら、どんなご報告を受けたんです?」

「うっかり足を滑らせた素人盗賊の女を捕まえた。ふむ……ひとつだけ正確な報告もしていた訳だ。」

「?」

その男は、好奇の視線でエンジエルの全身を睨め回したが、不思議と嫌らしさは感じない。そう言うつもりの視線ではあるが、実に手慣れていて不快感を与えぬ――助リック(※)な視線であった。

「盗賊の癖に、まるで見た眼は天使のようだと。」

「あら、それはどうも。……ただ、あたしは天使じゃ無いわ。そう呼ばれるのも嫌いよ。」

「これは失礼。あくまで、とても可愛らしい――と言う意味ですよ。え~と……それでは何とお呼び致しましょう、レディ。」

「……エンジエル。あたしはあたし、エンジエルよ。」

一瞬だけ考えて、ここは素直に名乗る事にした。

「エンジエル、素敵なお名前ですね。私はフレデリク。ハンターヴェイル公爵を務めさせて頂いている者です。」

そうして、こちらも大仰な身振りで頭を垂れるが、エンジエルと違い様になっている。不審者がいきなり部屋に入って来ても動じた風も無く、威風堂々とした佇まいである。

歳の頃は四十半ばか。豪勢な衣服を身に纏っているが、その立派な体躯によってまるで一角(ひとかど)の騎士のように見える。茶系の金髪、暗めの碧眼で、口髭顎髭を生やすが馴染んでいない。

自称トーマスの話によれば、まだ爵位を継いで数年。先代の父公爵が病で臥せる事が無ければ、こんな場所で大人しくしているような人物では無く、机上よりも馬上を好んだ事だろう。

「それでエンジエル嬢、今日はどのようなご用件で?」

机に腰掛け腕を組み、フレデリクはエンジエルと会話する事を選んだ。護身として剣に手を伸ばすで無く、どこかにいるのかいないのか人を呼ぼうとする訳で無く、目の前の為政者は不法侵入して来た不審者相手に客人を迎えるように振る舞った。

それだけ腕に自信があるのか、肝の据わった大人物なのか――誰にも邪魔されずに女を口説きたいだけなのか。

「……Ok、良いわ。これでもあたし、人を見る眼はある方なのよ。素直に話すわ。聞いて貰えるかしら。」

「勿論。」

にこやかに答えるフレデリクの笑顔は、まるで少年のように爽やかだった。あぁ~、こりゃ確かにモテそうだわ。エンジエルは心の中でそう評価した。

「さて、どこから話そうかしら。まず、古代魔族って知ってる?千年前の話なんだけどね――」


「……なるほど。俄かには信じられん話もあるが、いくつか思い当たる。嘘は言っていないのだろうな。」

どこまでを話すか――は思案のしどころであるが、エンジエルは正直に話すと決めていた。とは言え、わざわざ自分やデュースの罪まで告白する必要は無い。自分自身がディアマンテと言う箱庭から出て知った客観的事実――ダイナスでの経験などを素直に話した。

魔法都市を擁する公爵ともなれば、魔法や魔族の存在は当然知っているとして、古代魔族、その遺産、モンスターの実在などは荒唐無稽に聞こえただろう。それでも、知悉した事実と齟齬の無い繋がりを説くならば、その言葉は説得力を持つ。何より、実際に眼にすれば尚更だ。

「当然だ。何せ、俺様が生き証人だからな。」

いざと言う時を待たずとも、デッド・エンドはすぐにも役立った。今はナイフの身なれど、喋る魔法のナイフなど宮殿の宝物庫にもありはしない超級魔導器だ。自分の眼で見た物を疑う人間など、中々いないものだ。

「ふむ……となると、今度は私の方が身の潔白を証明しなければならないが……」

「その必要は無いわ。貴方の態度に怪しいところは無いもの。それに、あたしは自分の眼を信じてるしね。」

「そうか……それはありがとう。」

フレデリクは、もう一度深く頭を下げた。その振舞いは実に紳士的で、少なからずエンジエルが抱く貴族観を覆すものだった。

「……ところで、エンジエル嬢は若く見えるが、さすがにもう成人しているのだろうね。」

「え?えぇ、もちろん。」

成人していると認めた上での若く見えると言う言い回しは、エンジエルにとって決して気分の悪いものでは無かった。

「どうだろう。もし宜しければ、この後ゆっくり食事でもして、お互いの事をもっと深く知り合うと言うのは。」

は、っと我に返るエンジエル。何と言う事だろう。好き者と聞かされていたはずなのに、最前までこの色男の言葉に気分が良くなっていた。これでもし大事な目的も無く普段の会話としてフレデリクと接していたら、口説かれても悪い気はしなかった事だろう。何とも自然な女たらし――いや、もしかしたら人たらしなのかも知れない。

「えっと……ごめんなさい。本当に大切な目的があってここまで来たから……」

「あぁ、そうだったね。あんまり君が可愛いから、つい食事に誘ってしまったよ。古代魔族の遺産か。」

やんわり断りを入れても、フレデリクに気にした風は無い。今の可愛い(・・・)も、特に意識せず自然と口を突いた言葉のようだった。こんな事は日常茶パン事なのだろう(※2)。

そう思うと、自分だからでは無くどんな女も同じように口説くのかと、勝手に嫉妬心が芽生えもする。複雑な乙女心とも言えるが、それもフレデリクが女の心を射止めるテクニックのひとつだったりするのだろうか。

「それならば多分、いや十中八九あいつだろう。」

「あいつ?」

「うむ、魔術師ギルドのギルドマスター、ホーンフリート・アビリシャス。まず間違い無い。」

ホーンフリート・アビリシャス――確かにエンジエルも、この男が本命だと目している。だがそれは、魔法都市の魔術師ギルド、そのギルドマスターだから――と言う状況証拠程度の話で、自称トーマスから聞いた限り、評判の悪い男では無い。

「……何か確証はあるの?」

「無い――な。だが、そう思う理由はいくつもあるよ。まず、魔術師ギルドのマスターだ。古代魔族の遺産などと言う特別な魔導器に関して、もし知っている者があるならばあいつしかいないだろう。」

「それは判るわ。あたしだって、貴方よりそっちの方を疑ってたわ。今そっちは仲間に探らせてる。」

「そうか。普通に考えればそうなる――と言う事だな。だが、それは証拠にならない。」

「えぇ。」

「そこで、私や一部の者しか知らない情報を加味すると、真実味は増す。そのひとつが、魔術師ギルドは何かの遺跡の上に建てられていると言う事だ。」

「遺跡?何かの?」

「あぁ、その正体は不明のままだ。それこそ、正体不明な古代魔族の遺跡なのだろう。古代魔族など知らぬから、そう考える者はいなかった。調査を進めるに際し、情報を秘匿する為魔術師ギルドを立てて隠したそうだ。結局、目ぼしい物は見付からなかった――と報告されている。」

「……つまり、最高責任者であるギルドマスターなら、何か見付けても秘密にしておける――と言う訳ね。」

「その通り。一応、私を含め、歴代の公爵は遺跡を視察しているよ。判っている範囲では、本当に何も無い遺跡だ。だが、何かの拍子に隠し扉でも見付けたなら、それは内部の人間にしか判らない。この街は公爵家が管理しているのだ。本当であれば、私に報告する義務がある。しかし……」

「しかし?」

「うむ、ここでもうひとつの理由だ。私はあいつを信じていない。」

「あいつって……魔術師ギルドマスターよね。」

「あぁ……」

フレデリクの表情からは、魔術師ギルドマスターへの嫌悪感がありありと窺えた。

「え~と、街で聞いた限りじゃ、そこまで評判悪く無いわよね、ギルドマスター。でも貴方は……」

「端的に言わせて貰えば……大嫌いだね。あんなに胡散臭い男を、私は他に知らない。」

胡散臭い……一瞬シェードの顔が過ったエンジエルだったが、どうも胡散臭いの種類は違う気がした。シェードには愛嬌がある――と言うとおかしな話だが、悪意は感じられない。対して、フレデリクの魔術師ギルドマスターへの感情には、相手にその悪意を感じているような嫌悪感が含まれていた。

「評判が良いのは尤もだ。あいつには、裏の顔がある。それを上手く隠して今日の地位を築き上げたのだろう。しかし私は、公爵では無く公爵の放蕩息子だったのでね。あいつも私の前では油断していたのだろう。折に触れ、暗い面を覗かせてくれたよ。」

先代公爵が病に臥せた事で、フレデリクは予定より早く爵位を継ぐ事となった。魔術師ギルドマスターの眼中に、フレデリクは入っていなかったのかも知れない。それはそれで、詰めが甘いが。

「でも……」

「あぁ、判っている。あくまで私の勝手な考えだ。だが……私はね、エンジエル。父の病気もあいつの仕業だと疑っているのだよ。」

「?!……聞かせて。」

いくら何でも、根拠が無ければこんな話はすまい。証拠は無くとも、そう確信するに至る何かが、フレデリクにはあるはずだ。

「もちろん証拠は無い。しかし、私が知る限り、父は壮健そのものだった。こう言っては何だが、父は充分立派な公爵で、剣の腕も確かな偉丈夫だった。私の方が強いがね。」

そこでふと見せた笑みは、エンジエルをして良い男と思わせた。こうして会話をしているだけで、気付けば恋に落ちてしまうのだろう。天然の優男であって、女たらしとは違うのかも知れない。

「だからこそ、あいつの敵は父であって、私では無かったのだろう。表立ってはいなかったが、私の眼からは明らかに対立していると見えた。そして、父は急激に衰えて行った。聖堂騎士にも薬師にも、原因は突き止められなかった。ついには床に臥せ起き上がれなくなり、私に出番が回って来た訳だ。」

「……原因不明の病――ね。誰が犯人かは別にして、不自然なのは確か。そして、動機と手段を持っている者は限られる。」

「その通り。」

「……Ok。確かに証拠は無いけど、疑うには充分だわ。」

「良かった。理解が得られて。証拠は無い。だが私は確信している。だから事ある毎にあいつとやり合って来たのだが、如何せん。魔法については不案内だからな。糾弾に足る尻尾など掴ませては貰えない。」

それはそうだろう。エンジエルは当然として、学問としての魔法は知らずとも魔法を使えるダイ・オフ。魔法が衰退していなかった千年前に生きた元吸血鬼(ヴァンパイア)ハンターであるデッド・エンド。ふたりとて、魔法的な事柄には対応し兼ねる。

一行にはシェードが加わったのでこの先はその限りでは無いだろうが、普通の人間に魔法案件は手に負えない。

「……これは良い機会を得た。そう思うのだよ、エンジエル嬢。」

「どう言う事?」

フレデリクは、机の上の呼び鈴を鳴らすと、上着を脱ぎ始めた。

「乗り込むのさ。エンジエル嬢、君が切り札だ。」


※助リックは、助平の置き換え。助平の語源が“好き”の変化した“すけ”を擬人化したもの――と言う事なので、男性名○○平(兵衛)の代わりに○○リックと言う事で、助リック(^^;


※2日常茶パン事。説明の必要も無いとは思うけど、この世界ではご飯では無くパンが主食だとして、飯をパンに変えてみました(^^;

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