62. 試練と証明
カタ……カタカタカタ……
……?……っ?!……
小刻みに揺れる振動によって、エルは目覚を覚ました。
次第に意識がはっきりしてくるものの、なぜか目の前は目を閉じているかのように暗闇のままだ。
ザラザラとした感触の何かが顔に当たる。どうやら気を失う前にかけられた袋のようなものがそのまま掛かっているらしい。体を動かそうとしたものの、手足を縛られているため身をよじることしか出来ない。
だが、確かなのは……身体をよじるとすぐに壁にあたるので、何かに閉じ込められているようだ。そして、この細かい揺れ方は馬車に乗せられているのだろうか。
ーーどうやら自分は何者かに気を失わされたあと、どこかへと運ばれているようだ。それにしても、一体、何のために? とにかくここから出なければ……
と、彼は何も見えない空間の中で、その方法を思案した。
しかし、そうこうしているうちに突然振動が止んだ。馬の嗎が微かに聞こえる。目的地へ到着したのだろうか。
ガタンという大きな音が聞こえると、自分の入れられた何かが引きずられ、持ち上げられたのか急にフワッとした無重力感をエルは感じとった。
……誰かが自分を運ぼうとしている! 襲った人間の仲間だろうか。もちろん、その可能性の方が高いだろうが、もし自分が中に入ってるのだと知らない人間だとしたら……
一か八かの賭けで、そう思いながら自分がこの中に閉じ込められている事を知らせようと、エルは必死に身体を動かしたり、大声を出した。
だが、その希望は虚しくも消えた。まるで何も聞こえていないかのように、外にいる人間はエルの叫びを無視したのだ。
さらに不気味なことに、外から掛け声はおろか彼らの声が一切聞こえないまま、エルの入れられた何かは彼らによって運ばれていった。
◆◆◆
ギイッ……
建物内に入ったのだろうか。古い鉄扉が開けられたような音が聞こる。
同じような音が何度か聞こえたのち、ずるりと足が下に落ちる。急に縦に角度をつけられたようだ。
先程の馬車とは異なる振動が身体に伝わる。この感じはきっと階段を上がっているのだろう。
何十段か上がったのち、再び扉が開けられるような音が聞こえると、揺れは収まり今度は微量の振動すらしなくなった。
その代わりにガチャンという音が彼の耳に届いた。
辺りは静寂に包まれている。運んで人間たちが居なくなったのだろう。
それでも、エルは出せ出せと喉が痛くなるまで叫び続けた。
日が地平線にようやく隠れたくらいの時だった。
突然、ガチャガチャという金属音が響き、扉が開くような音が聞こえた。
コツ…コツ…と足音をゆっくり響かせながら、エルの入った何かに誰かが近づく。
そして、その人物は何かの前で立ち止まりしゃがみこむと、スッとそれの蓋を開けた。
叫び続けたことですっかり疲れ果てていたエルを少し肌寒い空気が包む。
さらに、その人物が彼を縛っていた縄や袋を手早く外すと、誘拐された時と同じ、甘ったるい香水の匂いが彼の鼻腔に届いた。
「あんたか……! 俺をここまで連れてきたのは。一体、あんたは誰なんだ! どういうつもりだ?!」
疲れていたのを忘れたのかのように、開口一番、エルは美しい顔をした黒衣の婦人に対してそう叫んだ。
彼女は臆することなく、余裕を含んだ軽い笑みを浮かべると、冷たい手をそっとエルの頬に添えた。
「うふふ……心配しないでちょうだい。これも、必要なうちなのよ……大丈夫。すぐにラウルにも、クリスティーヌにも会えるわ」
クリスティーヌとラウルが!? 彼女たちもここにいるのか? クリスティーヌは無事なのか? ここまで連れてきたのはラウルの指示なのか?! エルは矢継ぎ早に質問した。
しかし、黒衣の婦人はそれ以上何も言わず、すっと立ち上がると鉄の扉の方へと向かった。
エルはこのチャンスを逃すまいと、彼女について行こうとした。だが、彼女がくるりと振り返り、エルの事を見つめるとなぜか体がまた縛られたように動かなかった。
やっと動き出せたのは、彼女がそこの扉の鍵を閉めて、どこかへ去ってからだった。
……そもそも、ここはどこなのだろう……
彼女が居なくなったあと、そう思いながら月明りだけが頼りの薄暗い室内をエルは見回した。
室内といっても、全て石造りになっており、窓は鉄格子がはまった小さなもののみだ。それも彼の身長よりずっと高い位置にあったので、そこから脱出するのはまず無理だった。
さらに、天井が異様に高い。自分は今どこかの城か屋敷の塔に閉じ込められているのかもしれない、と彼はそれを見てようやく理解した。
そして、彼を運んできた何か……それはまだ比較的新しい棺桶だった。よりにもよって、こんなものに入れるだなんて、どういうつもりだったんだろう、とエルは寒気を感じた。
◆◆◆
日の出と日の入りを数えて二日後。
結局、彼をこの塔に閉じ込めた日以降、あの黒衣の女性はそれっきり姿を見せなかった。
また、彼女はおろか、エルのいる独房には誰一人と来ることはなかった。
しかし、ご親切にも自分の体質の事を知っているのか、例の液体が入ったビンを数本、彼女は置いていった。
そのため、エルは空腹に襲われる事はなかったが、同時に何日間自分をここに閉じ込めるつもりなのだろうかという疑問に駆られた。
そしてさらに、もし、閉じ込められている間にあのビンが空になってしまったら……と、エルは時折、ちょこちょこと壁穴から抜け出るネズミを忌々しそうに見つめた。
食事を取れなくても我慢できるのは、せいぜい二日が限度だ。
幼い頃、酷いイタズラをして罰として食事を抜きにされた経験から、それが限界だとわかる。
もしそれ以上なら……あのネズミはおろか、確実に人を襲ってしまうだろうとエルは頭を抱えた。
しかし、それは杞憂に終わった。
その日の晩、状況が変わることになったのだ。
またコツコツと誰かの足音が響き、エルのいる塔の部屋の前で立ち止まると、扉の鍵をガチャリと開けた。
ふわっとした、甘ったるい女物の香水の香りが漂う。
扉を開けたのは、自分をここまで連れてきた黒衣の女だった。
エルは膝を抱え座り込んだまま、彼女をじっと見つめた。彼はいっそのこと、彼女を襲い脅そうかと考えた。
自分の恐ろしい本性を見せつければ……彼女を冷たい床に押し倒し、その細い首筋に鋭い歯を当てれば、化け物と彼女は叫び恐れおののくだろう。
そして、殺して欲しくなければ、すぐにここへクリスティーヌを連れてこいと要求するのだ。
だが、なぜか実際に行動することを彼は思いとどまった。
彼の良心が咎めたから、もしくはこの後に及んでも自分の本性を知られたくないという臆病な心からだろうか。
いや、彼女に対してその行為は危険だとなぜか彼の本能が必死に訴えたのだ。
実はエルは棺桶から出された時に、彼女に奇妙な違和感を抱いていた。
確かに彼女は人ではあるのだが、どこか血の通っていない置物のように感じられた。強いて言えば、人の形によく似せた人形が動いているような……
それは彼女の肌の白さ、滑らかな肌質、顔立ちの美しさによるものからかもしれないが、その完璧すぎる美しさは、同時になんとも言えない不気味さを醸し出していた。
すると、彼女はエルの心を見透かしたように
「怖がらないで」
と静かに声をかけた。
「待たせたわね……さあ、あなたの愛おしい人へのもとへと行きましょう」
そう言葉を続け、エルに立ち上がるよう促すと、扉の外へと導いた。
◆◆◆
その日、クリスティーヌは早くに目が覚めた。苦しい。既に呼吸など関係ないはずの体だったが、生きていた時に感じたことのあるような酷い喉の渇きが彼女を襲っていた。
彼女は少しでも楽になろうと、身体を横に向け背を丸くしたが、それでも苦しい事に変わりはなかった。
これの原因はわかっている。飢えによるものだ。一昨日と昨日は我慢できたが、今日、もしラウルが少年にしたようなことを見せつけたら、自分を抑える自信はないと彼女は思った。
……お願い、今日は誰も連れてこないで……
ただひたすらに、彼女はそう祈るしかなかった。
しかし、今日もラウルは牢屋の前に現れた。しかも、この時を待っていたと言わんばかりに、特にここ一番の笑顔を見せている。
「ご機嫌いかがかな、クリスティーヌ。といっても、そろそろ限界なんだろう?」
彼は鉄格子に手を添え、苦しんでいる彼女を満足そうに見つめる。一方、彼女はラウルの挑発に対して、睨みつけ返す余裕すらなかった。
そんな彼女に対し、さらに意地悪くラウルはこう言った。
「さあ、我慢はやめてもう楽になろう。それとも……君は抗うことのできない本能に果敢に挑もうとするのか。どちらを選択するのか、僕に見せてほしい」
彼はそばにいたベアトリスに合図をすると、彼女はどこかへと去っていった。そして、数分後、ある男を連れて戻ってきた。
「ラウル! お前……!」
ベアトリスに連れてこられた男、つまりエルは牢屋の前で微笑みながら佇むラウルに対してそう叫んだ。
だが、ラウルは落ち着いた様子で
「ねぇ、エル。この中を見てごらん。君の会いたがっていた人物がいるよ」
と牢屋の中を覗くように、エルに手招きをした。
ラウルの言う通り、エルは牢屋の中に視線を移動させると、なぜか牢屋の隅の方で小さく座りながら怯えているクリスティーヌがいた。
エルは鉄格子に駆け寄ると、すぐにラウルの方を睨みつけ返し
「彼女に何をした?!」
と叫んだ。こんな暗い牢屋に入れ、なおかつ彼女は何かを恐れている。何か酷い事でもしたのかとエルの表情には怒りの色が見て取れた。
「まぁ、まぁ。そう怒らないで。僕は単に、彼女に元気になって貰おうと食事を運んでいただけ。だけど、彼女はあの通りなぜか怖がって食事をとってくれないんだ」
ラウルは延命の儀式をした後、ある一定の条件ではないと彼女の命が危うくなってしまうため、敢えてこの廃墟と化した古城に連れてきたと言った。
「手荒な真似して悪かったね。でも、こうでもしないと君は聞かないから……だけど、君じゃないとやっぱり彼女はダメみたいだ」
「俺じゃないとダメ? ダメってどういうことだ?」
「ふふっ……とにかく、君じゃないとだめなんだ。まあ、中に入ってみればわかるよ。さあ、早くクリスティーヌのもとに行って、彼女の冷え切った体を優しく抱きしめて温めてあげてよ」
すると
「彼の言っている事はウソよ! エル、お願いだから今すぐここから逃げて!」
牢の中から、クリスティーヌはそう叫んだ。その叫びにどう言う事だ? とエルは顔をしかめる。
「ふぅ。困ったものだ。クリスティーヌに施した儀式は成功したのだけど、副作用として記憶の混乱が生じるんだ。でも……時期に良くなる。それよりも、さあ、彼女を連れ出して外に行くんだ。君たちは自由だ」
ラウルは牢屋の錠を外すと、エルをその中に入れた。
「クリスティーヌ。大丈夫だから。さあ、一緒に帰ろう」
隅にいるクリスティーヌに向かって、エルは優しい声でそう言った。しかし、彼女は彼が近づくたびに、距離を取ろうとして逃げた。
「どうしたんだよ。 さあ、こちらへ」
「お願い、来ないで、来ないで……」
彼女はいやいやと首を振り、目には涙を浮かべていた。困ったなという表情を浮かべながら、エルはラウルの方を見つめた。
すると彼は、直接口では言わなかったが、多少強引にでもクリスティーヌを連れて行くようエルに指示を出した。
「クリスティーヌ。いい子だから。シェリルだって寂しがってるはずだ。さぁ、帰ろう!」
エルは嫌がるクリスティーヌを無視して、彼女のか細い腕を無理矢理掴むと、自分の方に引き寄せて抱き抱えた。
……可哀想に、こんなに体が冷え切ってしまっている。早く柔らかなベッドに連れていかなければ……
そう思いながら、エルは牢屋の出入り口へと向かおうとした。
体を密着させたことでトクントクンと、エルの心臓の音がクリスティーヌの耳に届く。それに、この陽だまりのように暖かいエルの体温……それにすっかり安心してしまったのか、先ほどの抵抗が急に止み、すっと彼女は意識を失った。
◆◆◆
クリスティーヌはエルに運ばれて行くと、明るい日差しの中、見覚えのある景色で目を覚ました。ここは屋敷の玄関前だ。
彼はその扉をあけると、アーロンに連れられたシェリル、そして屋敷のものたちが一斉におかえりなさい、と言って彼らを出迎えた。
あぁ、ようやく戻って来れたのだと、彼女は涙を流しながら、皆のことを抱きしめた。皆も嬉しそうに笑顔を見せている。
すると
「クリスティーヌ、疲れただろう? 俺と一緒に休もう」
とエルは声をかけて彼女の手を取り、彼らの寝室へと向かった。
ふかふかしたベッドの上で、エルはクリスティーヌの顔に手をやり、彼女の紫色の瞳を見つめると
「愛しているよ、これからもずっと」
そう囁き、優しく彼女の唇に自分の唇を重ねた。
……エル、私も同じ気持ちよ。これからも、ずっとあなたとこうしていたい……
目を瞑り、幸せを感じながら、彼女は愛しい人へ腕を回した。
だがその瞬間、遠くで嬉しそうに、誰かが笑い声をあげているのを彼女は耳で捉えた。




