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60.独白 二

 翌日……と言っていいのかな。僕は自然と目が覚めた。

 だけど、目の前は太陽の光で明るく照らされた室内ではなく、明かりが一切ない暗闇だった。それと同時に、石棺の中で寝ていた事を思い出した。


 ……ここから出なくては……

 僕はこの暗い場所から抜け出るため、手に力を入れながら、閉められた石の蓋を注意深く持ち上げようとした。

 けれども、重いはずのそれはまるで薄い布のように軽く感じられ、易々と持ち上がった。本当に、これが石で作られたものなのかと僕は驚いた。


 そしてもちろん、僕が起き上がり足をつけた場所は、昨晩と同じ、石棺の置かれた部屋だった。

 ……夢じゃなかったんだ……

 そう思いながらあたりを見渡すと、ベアトリスの寝ていたと思われる石棺はすでに空だった。

 彼女は一体どこへ行ったのだろう? 探そうと思った矢先、例の鉄の扉を開ける音が聞こえた。


「無事、お目覚めね」

 そう言って、ベアトリスは室内へと入ってきた。

 彼女の腕には、男物の黒い服が掛けられており、これに着替えなさいと僕に指図した。

 彼女がそれを持ってきた理由をすぐに僕は察した。

 なぜなら、僕は昨日、初めての食事に上品さの欠片もなくがっついた。そのため、白いシャツやジレの一部には、黒ずんだ血の汚れがこびりついてしまっていたからだ。


 ありがとうと僕は彼女に礼を言った。すると、彼女はさらにこう付け加えた。

「黒は……汚れを隠すだけではなく、夜の闇に私たちを溶け込ませてくれるの。今はわからないでしょうけど、そのうちこの色のありがたさに気がつくはずよ」



 新しい衣装に着替え終えると、約束通りベアトリスは僕を棺の間から連れ出した。

 昨日も通った牢屋の前を通ると、僕が食事した牢屋の中には新たな囚人達が入れられている。今日は見窄らしい格好をした親子のようだ。

 しかし、彼女はその囚人には目もくれずドンドンと前へ進む。そして、終いには渡り廊下を抜けて娼館を出ると、一台の馬車が用意されているところまで僕を案内した。

「いい? ここより少し行った先に、大きな街があるの。今日はそこであなたにレッスンを施すわ」

 ベアトリスはそう言うと、馬車の中に僕を押し込んだ。


◆◆◆


 彼女の言ったとおり馬車で少し進むと、さすがにパリほどではないけれど、なかなかの規模の街に僕らは到着した。しかも、今日は何かの祭りでもやっているのか人々で賑わっている様子だった。

 彼らは高揚し浮かれ騒いでいる。以前であれば、こんな騒がしいところはあまり好んでいなかったけれど、生まれ変わった僕はその光景がとても魅力的に感じた。


 だって、みんなあんなにも血を温かくしている……なんて美味しそうなんだろう。

 その言葉以外、僕の頭の中には浮かばなかった。


 しかし、そんな風に見とれてしてしまった僕に対して、ベアトリスはしっかりしなさいとでも言うように、肩に手を置いた。

「確かに、彼らは私たちを誘惑するけど……それよりも、もっと楽で安全に彼らを手に入れられる場所があるの」

 ついて来なさいと彼女は言って、僕をある裏道まで案内した。


◆◆◆


 賑やかな表通りと違って、辛気臭さを感じさせるその裏道を通り抜けると、僕らは同じような建物が集まる一角に出た。

 そこは明らかに手入れが行き届いておらず、壁はボロボロ、さらに窓にガラスはなく、もちろんそこに花を置いている家なんて一軒もなかった。しかも……家の外には飢えたまま死んだのか、ガリガリの犬の死体が放置されていた。


 そう、ここはパリにも存在する貧民街だった。君はさすがに行ったことないだろうから、僕の言葉だけではその凄まじさはわからないだろうけど……

 さらに、騒がしい表通りとは対照的にしんと静まり返っており、道にいるのは客待ちしている貧相な娼婦か、焚き火で暖をとる浮浪者しか見当たらなかった。

 でも、ベアトリスは彼らには感心を寄せず、さらにゆっくりと歩いていく。だけど、僕にはそれがどこへ向かっているのかさっぱり分からなかった。だって、同じ道を二、三度通っていることもあったんだから。


「ねえ、もしかして……道に迷ったわけじゃないよね?」

 僕は少し不安になってそう聞いた。すると彼女はこう答えた。

「あら。あなた、気がつかないの? 私たち、ずっと後をつけられているのよ」

 僕はさり気なく後ろを振り返ってみると、確かにガラの悪そうな二人組が僕らの後をつけていた。

 どんな風貌だったかって? 粗末な服を着た髭面の小太りな男と痩せた男だ。肌は浅黒く、目つきも異様に鋭い。物盗りを生業にしている連中だとすぐにわかった。

「いいこと? この先、人目につきにくい袋小路があるの。私が合図したらそこでまた振り返るのよ」

 彼女は静かに囁き、僕は無言のまま頷いて従った。


 道なりに進んでいくと、確かに彼女の言うとおり袋小路に出た。

 今よ、と彼女が合図をすると僕はくるっと後ろに振り向いた。すると、僕たちをつけていた小汚い物盗りたちは、しめしめとした表情で僕たちにキラリと光るものを見せつけてきた。

「よう。行き止まりになっちまったな、金持ちのお二人さん。悪いことは言わねえから金目な物をさっさと出しな」

 小太りの方の男が、慣れた様子でそう脅してきた。彼の一歩後ろにいる痩せた男はニヤニヤしながら手でナイフを弄んでいる。


 昔の僕なら、顔を真っ青にして怯えたかもしれない。でも、今は違う。

 むしろ、あまりにも典型的なセリフに、緊張感のある場面であるにも関わらず、僕は思わず吹き出した。隣にいる彼女も、少し呆れ気味にフッと笑っている。

「何がおかしいんだ!」

 小太りの男は、怯えるどころか笑っている僕らに声を荒げた。その男に続けて

「お、おい! 早く金目のものをよこせ!」

と痩せてる男の方も大きく叫んだ。


 しかし、なお脅されても僕らは動じなかった。それどころか、ベアトリスは腕を組むと彼らに向かって

「……いいわよ。ただし、奪い取れるものならね」

と言い放った。

 彼女の挑発に、男たちは顔を赤くして怒りをあらわにした。

 そして、女のくせに生意気じゃねぇかと小太りの男が叫び、彼はベアトリスの美しい顔に向かってナイフを突き立てようとした。

 しかし、ナイフは彼女の顔を擦りもしなかった。なぜなら、彼は宙で手を上げたまま、まるで石像のように固まってしまっていたのだ。

 それを横で見ていた痩せた男の方は、何が起こっているのか訳が分からず、ただ立ち尽くしていた。

「さぁ! あの痩せた男の目を見て。そして、その場から動くなと念じるの」

 彼女は素早く小声で、僕にそうするよう囁いた。僕は彼女の言われたとおり、慌てて逃げだそうとする男の目を見つめるとそう念じた。


 すると驚いた事に、痩せた男も小太りの男と同様、その場に固まってしまった。

「なかなか筋が良いわね」

 ベアトリスは僕に向かって小さく拍手を送った。

 彼女によると、このテクニックで大体の人間は言う事を聞くらしい。

 しかも、体を操るだけではなく、心を支配して暗示や幻覚も見せることも可能だそうだ。こんな簡単に、言うことを聞くなんて信じられないと僕は驚いた。

「ただ……これもそうだけど、術が成功するには個人差が大きいの。でも、あなたはなかなか見込みがありそう。だって、初めてなのにきちんと成功したんだから」

 褒められた僕は上機嫌になった。試しに、色んな事を男に行なわせてみた。歌を歌わせたり、踊らせたり、逆立ちさせてみたり……

 でも、次第にそれも飽きてしまったので、僕らは食事をとる事にした。もちろん、その日の食事は目の前にいる彼らだった。


◆◆◆


 その日以降、子猫が母猫から教わるように、僕はベアトリスから狩りの様々な方法を毎晩教わった。

 この前に出くわしたような物盗りへの対処、病気で助からなさそうな人間の探し方、さらに詐欺師や高利貸しの騙し方、あとは何も考えずに遊んでいる貴族や金持ちの誘い方など、バリエーションに富んでいた。


 それと同時に、僕らは常に色々な土地へと移動した。でも、なぜ一つの場所に留まらず、わざわざ他の地に行くのかと僕は気になった。

 だって、貧しい農村地帯に行けば、飢えで苦しみ早く天国へ行きたがっている人間が多いのだから。獲物は選り取り見取りだ。

 そのため、僕はある時、その質問を彼女にぶつけた。



 それは、ハンガリーの東端に位置したある街での出来事だった。その日、僕はすでに食事を済ませていたにも関わらず、まだ空腹を感じていた。

「ねぇ、ベアトリス。僕の腹の虫はまだ満足しないようだ。落ち着かせるために、あっちの方で狩りをしてくるよ」

 そう言って僕は彼女から離れようとした。ちなみにそのころはもう、僕一人で狩りが出来るようになっていた。

 だから、彼女から何の心配もされるはずがなかった。


 しかし、彼女は慌てた様子で僕の袖を素早く掴み、乱暴に引き止めた。珍しいことに。

「どうしたの?」

 怪訝な顔をして僕は尋ねた。

「そちらへ行ってはダメよ」

 首を横に振って行かないよう、彼女はいつになく怖い顔をしながら僕に向かってそう言った。

「どうして? この先の裏道は普段と変わりなさそうなのに……」


 すると、彼女はこう答えた。

 この先は私達なんかよりもずっと力の強い私達の"仲間"がいて、あの道より先をテリトリーとしている。そして、友好的かと言えば……その真反対で、足を踏み入れた途端容赦なく叩き潰しにくるだろう、と。

 僕が彼女以外の仲間に初めて近づいたから、その気配が分からないのは仕方ないことだ、とも言った。

「私達は、いわばその辺に勝手に生えている雑草のような存在。でも、彼らはその血筋を大切に保ち、選ばれ育ってきた温室のバラ……だから、プライドの高い彼らにとって、私達の存在は気に食わないの。本来であれば、我々しか存在しないはずなのにって。そのため、見つけ次第すぐに雑草を摘みに来るのよ」

「ふぅん……でも、それだったら、わざわざ彼らのいる場所に来ないで、どこか安全に狩りが出来る場所に住めば、こんな風にコソコソする必要もないのではないかな?」

と僕は尋ねた。


 しかし、彼女は僕の質問に対してこう答えた。

「確かに、お互いに干渉し合わない場所で暮らせればいいのかもしれない。でもね、私達には、もう一つ気をつけないといけない問題があるの。それは……私たちを狩る狩り人(ハンター)の存在」

 つまり彼女によると、安心しきって僕らが狩りをしていると、いつしか死体は増え、そして外にいる人間に気づかれる。そうなったら、僕らを狩る狩り人(ハンター)は遠慮なく退治にしに来るだろう。

 それも僕らが抵抗できない昼間のうちに……太い杭を打ち込まれて心臓を潰されるか、棺桶から無理やり引きずり出されて太陽に晒されるかのどちらかだろうと。実際に、彼女は被害にあった仲間を見たらしい。

「だから、これは長い間培ってきた経験による知恵なの。と言っても、私も元の連れに教えて貰ったのだけれど」

 懐かしい何かを思い出したのか、彼女は遠い目をしながらそう言った。


◆◆◆


 まぁ、こんな感じで僕は今まで過ごしていた訳だけど、その間にパリにはあまり寄らなかった。生前、あんまりいい思い出がなかったからね。

 でも、所用で戻ってきた時、実は興味本位で僕らの屋敷の近くまで行ってみたんだ。だけど、中には入れなかった。

 何故かって? それは……まだ言っていなかったけど、僕らは家の人に招かれないと入れない。あと、前は全く気にならなかったけど、やたらとあの屋敷の庭にはハーブが植えられていたせいで、気分が悪くなったんだ。だから、僕は戻らなかった。


 ……ふあぁ。ああ、眠い。おしゃべりしていて気づかなかったけど、もうそろそろ夜明けが近いようだ。

 そうだな。次は、君が遠慮なく食べられそうなご馳走を持ってくるよ。じゃあ、ゆっくり休んで。おやすみ。

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