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59.独白 一

 僕は奇妙な夢から目覚めると、もといた売春宿の一室にいた。そして眠りこむ前と同様、ドアの前で座り込んだままだった。

 でも、目覚める前と少し違うと感じたのは、薄暗い室内のはずなのに、前よりも鮮明に部屋の内部が見えるのと、部屋の外の音が妙にはっきりと聞こえたことだ。

 それに、先程まで感じていた熱や全身のだるさはすっかり取れ、むしろ、今まで感じたことのないくらい、体の軽やかさを感じていた。


 すると、部屋の外からこちらに近づいてくる足音が聞こえた。僕は立ち上がり、開くドアの反対側へととっさに隠れた。

 案の定、足音の主は僕の部屋の前で立ち止まった。静かに扉を開けたにも関わらず、僕がいない事に驚いているようだった。

 その隙をついた僕は、逃すまいと後ろから相手の体を押さえつつ手で口を塞いだ。

「静かに! なぜ、こんな所に僕を連れ込んだ?! 正直に言わないと、君の華奢な首をへし折るぞ!」


 もちろん、これはハッタリのつもりだった。でも、不思議な事に、その時は本当にそれが出来そうな気がした。というより、まず、このような行動に出られた事自体に、僕自身も驚いたのだけれど。

 というのも、その人物が女性だったからかもしれない。黒のドレスに、甘い香水の匂い……僕をここへ連れてきた人だとすぐに気づいた。


 でも、彼女は怖がるどころか、なぜか笑い声をあげた。奇妙に思った僕は彼女の口を塞いでいた手を離した。

「ふふふ……思ったよりも、変化が早かったのね。驚いたわ」

「変化? 変化って? どういうこと?」

 僕は彼女を解放すると、そう尋ねた。彼女は僕に向かってゆっくりと振り返り、今度は無言で笑みを浮かべた。そして、僕の問いにこう答えた。

「言ったでしょう。あなたからは絶望が溢れている。そして……死にたがっていた。だから……殺してあげたの」


 嘘だ! 僕は思わず大声でそう叫んだ。

 だって、現に僕はこうして喋って、体だって存在している。それに、人にだって触れる事が出来るのに。

「えぇ。確かに、あなたは幽霊ではない。でも、人としての死を迎えたのよ。その証拠に……」

 彼女はそう言うと、僕の手を取って、僕の胸に当てさせた。君も感じたように、感じるはずの心音が一切手に伝わらなかった。


「じゃあ、僕は一体……?」

 自分自身に起きた変化に、僕は混乱した。体は死んでいるはずなのに、動き回っているなんて話、聞いたこともなかった。

 それに、彼女自身も何者なのだろう。もしかして、架空ではなく実在する魔女なのだろうかと僕は思った。

 そんな困惑する僕に対して

「ちょうどね、パートナーを探していた所なの。そんな時、いい具合に貴方を見つけた」

と彼女は答えて僕の事を指差すと、自分の名はベアトリスだと自己紹介をした。彼女は定住せず、様々な国を巡っているという。

 ちなみに、僕らがいる売春宿は知り合いがやっている店で、間借りさせてもらっているそうだ。そして、今まで行動していた者と別れてしまったので、その代わりとなる人物を探していたのだと。

 彼女の死んだ弟に似ていたからというのも、僕を見初めた理由のうちの一つだと言う。


「でも、それにしたって、僕を"死体"にすることなかったじゃないか……」

 僕は改めて、自分の体を見回してみた。心なしか、死体らしく、肌が少し青白い気がした。

「いいえ。一緒に各地を巡るには、こうするしかないのよ。だって、私はもう数百年とこうやっているんだから」

 数百年だって! と僕は思わず声を上げた。もちろん、彼女は皺くちゃのお婆さんではない。見たところ20代半ばといった容姿だ。

 やはり、彼女は魔女なのか。そう思って、僕は思い切って彼女にその質問をぶつけた。しかし、彼女はそれは、似て非なるものだと首を振った。

「私たちは魔法を使える訳ではないの。そうだ、ちょうどいいわ。私たちの正体を教えてあげる」

 彼女はそう言うと、僕を部屋から連れ出した。


◆◆◆


 燭台を手に取ったベアトリスの後をついていくと、娼館と渡り廊下で繋がれている別館に、僕は案内された。

 そこは、ケバケバしい佇まいの娼館と違って、とても質素な作りの館だった。彼女によると、娼婦達はこちらの館内で暮らしているという。

 そして、階段を降りて地下室に行くと、頑丈そうな鉄の扉が一つだけある場所に、僕たちはたどり着いた。


「ここに、私たちの正体を教えてくれる人がいるわ」

 そう言って、彼女は重そうな扉を容易くすっと開けると、中にはまだ部屋……というよりも、今いるような牢屋が配置されていた。

 ゆっくりと通路を歩いていたけれど、ある牢屋の前で急に彼女は立ち止まった。

 僕がそこに視線を投げると、中にはぶつぶつ何かを呟く目が虚ろな女性と、こちらを見てビクビクと震えてている小汚い髭面の男性がいる。

 彼女は彼らをよく見せようと、火の灯った燭台を牢屋に近づけた。


「もしかして、彼らが僕の正体を教えてくれる人物なの……?」

 僕は信じられなかった。一瞬、彼女がからかっているのではないかとすら思った。

 てっきり、ラファエロの描いたアテナイの学堂にいる、プラトンやアリストテレスのような、賢者と言うべき人物が出てくると思っていたのに!

 しかし、彼女の口からは冗談という言葉は一切出ず、少しツンとした表情をしながら

「ええ、そうよ」

という答えが代わりに返ってきた。


 僕は改めて、もっと彼らを真剣に見つめた。しかし……

「あの……言ってしまって悪いけど、彼らはとてもそんな風に見えない」

 牢屋の向こうの彼らは、相変わらず、何かを学ばせてくれる対象には見えなかった。

「ふふ……じゃあ、今から言うことをそのまま実践して。彼らに意識を集中してよく見るの」

 そう言って、彼女は手のひらをすっと牢屋に向け、僕は彼女に言われた通り、彼らに意識を集中した。


 すると、なんという事だろう。男性の方からは緑の光が、女性の方からは黒いモヤのようなものと、色とりどりの光が見えた。

「……あの光は一体、何?」

 僕は驚きの目でベアトリスを見つめた。

「見えたのね。あなたが今見たものは、彼らの感情の光。それと、あちらの女性……黒いものが見えたでしょう? あれは彼女に死期が迫っていることを指しているの」

「……死期だって?! だったら、どうしてこんな所に彼女を入れておくの?」

 当然、僕は疑問に思った。病院ではなく牢屋だなんて。

「それはね、彼女が商品として使い物にならなくなったからよ。可哀想に……お客から病気を移された上、死への恐怖で精神を病んでしまったの」

 ベアトリスは少しだけ同情するような目で、女性の方を見つめた。だけど、すぐに男性の方を見つめると、今度は軽蔑するような表情を浮かべた。

「ついでに言うと、彼は代金を踏み倒して逃げ出そうとした」


 病人と盗人。果たして、彼らは僕の正体をどうやって教えてくれるのだろうか、と思っていると、いつの間にかベアトリスは牢屋の錠を外して、僕にも入るよう手招きをした。


 彼女は怯えている男の前に何も言わずに立った。

「勘弁してくれ……」

 男性は肘まずくようにして、彼女に許しを請うた。しかし、彼女は彼とは目を合わせず、代わりに僕の方を真剣な表情で見つめた。

「いいこと? 今からする事を見逃さないようにしてね」


 ひぇっと声をあげて逃げ出そうとする彼を、彼女は小動物を捕まえるかのように素早く襟元を掴むと、女性だとは思えない力で彼を片手のまま壁に押し付けた。

 彼は必死に放せと喚き立てる。だが、彼が彼女の顔に視線を向けると、突然ピタッと大人しくなった。

 そして、彼女はもう片方の手で彼のシャツを大胆にも破ると、露わになった首の根元に向かって……きっと僕にもしたように鋭い歯を突き立てた。



 しんと静まり返る牢屋内に、彼から流れ出る生温かい血を彼女が飲む音だけが聞こえる。

 その途中、彼女は僕に向かって振り返ると、口の中を赤くしながらこう言った。

「さあ、あなたも味わって」


 もちろん、僕だって最初は戸惑った。だって、人の血だよ。正直にいうと、さすがにその時は彼女の行為にゾッとした。

 でも、むせ返るような生臭い匂いがするはずの血は、なぜか早朝に咲くバラのように甘く芳しい香りに感じられた。

 君だってわかるだろう? それがどれほど僕らを惹きつけてやまない光景であることかを!

 その誘いにまんまとほだされた僕は、抗うことは全くせず、まるでその花の蜜を貰いにきた蝶のように彼の首筋へと吸い付いた。


 そして、僕の口の中に注がれるそれは、今まで飲食してきたどんなものより、いや好物だったものよりも美味しく感じられた。

 その上さらに、経験はないけれど……薬物の刺激に近いとでもいうのかな。とても衝撃を受けるような興味深い書物に出会った時や、初めて過ごした女性との経験よりも、もっと素晴らしくて気持ちの良い、目眩く快楽の波が僕を襲った。


 無我夢中で、僕は目の前のご馳走をいただいた。だが、その命の泉は思っていたよりも早く枯れてしまった。

「もっと欲しい……」

 僕は口元をべっとりと血で汚しながら、無意識のうちにそう呟いていた。

 ベアトリスは、その言葉を聞いて嬉しそうにすると、僕たちの行動を認識すらできずに、動かないでいる目の虚ろな女性を僕の目の前に引っ張りだした。

「さあ、ご遠慮なく。お代わりはここよ」

 彼女の言葉を聞いた途端、僕はもうご馳走としか認識できないその女性に向かって、()()()()()()()()()()を突き立てた。


◆◆◆


 心地よい満腹感に支配されていた僕は、気がつくと、床に座るベアトリスの膝の上に頭を置いて横たわっていた。彼女は猫の毛でも撫でるかのように、僕の髪の毛を撫でている。

「これが……僕たちの正体っていうこと?」

 僕は目の前に広がる、ご馳走の残骸をチラリと見た。自分でも不思議に思うくらい、それらを見ても何も感じなかった。

「ええ、そうよ。でも……寿命はないけれど、こうやって栄養はとる必要があるの」

 そして、私たちの事を人間は"吸血鬼(ヴァンパイア)"と呼ぶと彼女は言った。確かに、その言葉はいつだったか、本で読んだような気がした。


「特に、獲物として最適なのは、こうして弱り死にそうな者、そして、罪を犯した者」

 自然界だって、弱った動物は強い動物の格好の餌食になるし、罪を犯したものは人間達で裁いているんだから、自分たちが代わりに行っても、構わないはずでしょと彼女は言った。

 とりわけ死を願っているものに対しては、願いを叶えてあげているだけよ、とも。

「もちろん、お腹が空いたら、別に目についた人間を襲っても構わないのよ? ただし、少々面倒な事が起きる場合もあるけれど」

 それを未然に防ぐ為に、彼らのような人々を選んだ方が賢い選択だ、と彼女はさらに付け加えた。


 すると、何かに気がついたのか、急に彼女は僕の肩を軽く叩いた。

「さぁ、そろそろ夜明けが近づくから、立ち上がって! 眠りにつく時間よ。そうだわ、一つ言い忘れていたけど……貴方はもう、太陽の元では過ごせないの。もし、光を浴びたら、たちまち灰になってしまうから」

 日の光のある場所に出れない……僕はそう言われても、不思議と悲しく感じなかった。何故なら、君も感じていると思うけど、今見えている夜の世界の方が、ずっと美しく感じられたからだ。


◆◆◆


 ベアトリスは牢屋の入り口を開けると、牢屋の前の廊下に出た。そして、さらにそこの奥まった場所にある階段へと僕を案内した。

 そして降り立った先のそこも、牢屋のある区画にあったものと同様、重くて頑丈そうな鉄の扉があしらわれており、またしても彼女はやすやすと片手で開けた。

 開かれた扉の先には、石で作られたいくつかの棺桶が並べられていた。マリア像だったと思われる大きな像が、それらを見守るが如く壁の中に配置されている。

 ちなみに、だったと思われると表現したのは、頭から左肩部分まで壊れてしまっていたからだ。ご丁寧にも頭部だけは像の足元に置かれていた。だから、人によってはとても不気味な光景に見えたと思う。


「今は、私しか使っていないわ。だから、邪魔する人はしないから安心して。さあ、そこがあなたのための寝所よ」

 彼女の指差す先には、蓋の開けられた棺桶があった。確かに()()()()である僕らにはおあつらえ向きだ。

 中には寝心地を良くするためか、真紅の分厚い布が敷かれていた。僕は彼女の言う通り、そこに入って横になると

「あなたには、まだまだ、教えなければならない事がある。明日の夜、ここを出ましょう」

ベアトリスはそう言って微笑むと、僕の棺桶の蓋をスッと閉めた。

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